172.皇帝ノア
ジズの翼で一直線に宮殿に飛んできた。
同時に意識そらしの技もつかって、宮殿内に潜入する。
宮殿の中は慌ただしかった。それで悪い方の想像が当ったのだろうと半ば確信した。
更に進んでいくと聞いた事のある声が聞こえてきた。
聞き慣れたしわがれた声、三十年間第一宰相をやっていたノイズヒルの声だ。
「今入れた医師たち、私の命令がない限り外には出すな。ここにいるもの達も全員口を閉ざしておけ。余計な事を一言でも喋れば首を刎ねるぞ」
「は、はい」
ノイズヒルの命令に、怯えながらも応じたのは特徴的な甲高さを持つ、宦官の声だった。
宦官の声は強い命令を受けての怯えだが、ノイズヒルの口調にも何かに対する怯え、そして慌てがあった。
「……今から文書にしたためる。すぐに陛下に届けろ」
「陛下……ですか?」
「なんだ? 何か問題でもあるのか?」
「いえ……陛下ですと親征先ですが、早馬はどのレベルで」
「……そうだった」
ノイズヒルはそういい、舌打ちをした。
目の前の宦官にむけたものではなく、己が不明に向けた類の舌打ちだ。
俺は公式的には遠征先にいる、が、実際は帝都に戻ってきている。
たぶんノイズヒルはそれを知っていて、俺に連絡を取ろうとしたんだろうが、一介の宦官の認識では俺はまだ親征先にいる。だから早馬のレベル――どれくらい急がせるのかを聞き返した。
陛下は実は帝都に戻ってきている――なんて事をいえるはずもなく、という感じでノイズヒルが「うーんうーん」唸る声が聞こえてきた。
もう間違いない。
状況は「最悪の一歩手前」くらいだ。
本当に「最悪」なら、ノイズヒルほどの男なら逆に落ち着き払っただろう。
そうじゃないってことはまだその一歩手前だってことだ。
最悪――。
それをはっきりと頭の中で想像出来た。
父上の崩御。
昨日あったときは小康状態とは言え、往年の父上からすればかなり弱っているのはたしかだった。
それに加えてかなりの高齢でもある。
急変したとしてもおかしくはない。
おそらくは容態が急変して、医師を招き入れたが情報統制のため入れるが出さない、という感じになっている。
俺は少し考えた。
今、俺がすべき事――。
そう考えて、俺は窓から空を見上げた。
☆
ジズの翼をはためかせ、魔力を纏いながら、俺は空を飛んでいた。
何も障害物のない空を、超特急の早馬の倍は速い速度で飛んだ。
「もっとだ、もっと急げ」
俺の意志に呼応して、ジズは更に飛行速度をあげた。
体が軋む。
早馬の倍ということは、向かい風も倍以上ということだ。
その風だけで体がちぎれそうになって、風圧だけで皮膚が裂けた
俺は手足をまっすぐ伸ばし、できるだけ体にびったりくっつける。
まるで一本の棒になるように意識して、風圧の影響を最小限に留めておくように
それでも風圧はかなりのもので、前方で風をうける肩が大きく裂けて、刀で斬りつけられたかというくらいの出血になった。。
血が弾け、後方に飛んでいく。
「……っ。速度をおとすな」
俺は痛みをこらえつつジズに命じた
肩の出血、主の負傷を気にしたジズがわずかに速度を緩めたのに気づいたからだ。
それをやめるようにいいながら、ポーションを取り出した。
風圧で裂けた肩にポーションをかけた。
みるみるうちに傷が治っていく――が。
今度は反対側も裂けた。
さっき以上に大きく裂けて、同時に風圧で弾けた鮮血が顔にかかった。
ポーションをもう一本取りだして、ぶっかける。
傷はすぐに治ったが、痛みは引かなかった。
そして、ポーションの残りも少ない。
が、この先足りるのかどうか――なんて事をおもう余裕はまったくなかった。
ノンストップで空を突き抜けて、やってきたのは親征軍の駐屯地だった。
見覚えのある天幕の横に着陸して、そのまま中に入った。
「ヘンリー!」
「「陛下!?」」
天幕の中にいたのはヘンリーだけじゃなかった。
もう一人、ニールもそこにいた。
ニールはヘンリーに跪いて、申し訳なさそうに頭を垂れていたが、二人とも俺が現われた事で驚愕していた。
「な、なぜここに? いつ戻られたのですか――」
「話はあとだ、ついてこい!」
「え? は、はい」
「ニール!」
「はっ!」
「軍を預ける。今度は手綱をしっかり取れ」
「は、はい!?」
ニールは頷きかけたが、直前で事の大きさに気づいたのか慌てだした。
「話してる暇はない。ヘンリー、来い!」
「はい……」
訝しむヘンリーを外に連れ出して、抱きかかえて再びジズの翼で飛びあがった。
ジズの力はさすがだというべきか、二人になってもほとんど同じ速度だった。
「す、すごい……空をまさか飛べるなんて……」
「……」
「陛下? これは一体――」
「上皇陛下が危篤だ」
「――っ!」
俺の腕の中でヘンリーが息を飲んで、体が強ばった。
「おそらく今際――で間違いないだろう。間に合うには俺が来るしかなかった」
「私を間に合わせるために? 分かりますが、どうして……」
どうしてそこまで、というヘンリーの心の声までしっかりと聞き取れた。
父上の危篤、超特急の早馬で呼び戻すのなら普通だが、皇帝である俺がこうして自ら、そして必死に連れ戻しに来るのは普通じゃない。
その事を不思議に思った。
「ギルバード、そしてアルバード」
「――っ」
「父上は二人の息子を先に失ったことを常に悔いていた。だから……せめて今際の際には残った全員が健在な姿をみせたい」
「……はい――くっ!」
腕の中でヘンリーが苦悶のうめきを上げた。
みると、俺に抱きかかえられているせいで体勢が崩れて、首がより風を受けたのかそこが裂けた。
ポーションを取り出して、ヘンリーに使った。
首の出血という本来危険なケガだが、ポーションで事なきを得た。
体が欠損したらどうしようもないが、切り傷やそれに類するものなら、首だろうが太ももだろうが、そういう本来は致命傷になるものでもまったく問題はなかった。
「ありがとうございます! 陛下」
「口を閉じてろ。ジズ、もう少し速度をあげられるか? ――いいからやれ!」
ジズは「これ以上は本当に危険」と返事してきたが、俺は構わずにやれと叱責した。
一呼吸の間があいて、飛行の速度が更にあがった。
「うっ……ぐうぅ……」
腕の中のヘンリーはしんどそうだった。
ヘンリー以上に風を受けている俺ももちろんしんどかった。
だが、速度は緩めなかった。
一分一秒でも早く帝都に帰り着くよう、俺はヘンリーにポーションをありったけかけ続け、ジズの最高速を維持したまま飛んだ。
そして――。
☆
宮殿の中庭に着地した。
足元がおぼつかないヘンリーを叱咤激励して、一緒になって宮殿の中に入る。
「へ、陛下!? それに第四殿下!?」
「道を空けろ!」
驚愕する女官や宦官達を押しのけて、廊下を進んでいく。
ヘンリーと一緒に廊下をすすんで、父上の部屋に向かう。
仰々しくも見慣れた扉の前にやってきた。
普段はまわりの人間に任せて、皇帝自ら手をかけないものだが、俺は迷いなく扉を押してあけた。
「みんな――」
中には「全員」いた。
オスカー以下、親王――父上の息子が全員来ていて、部屋の中にいた。
旅先にいるはずのダスティンも真顔でそこにいた。
「陛下……兄上……」
「間に合えたか?」
「ええ、たぶん」
やや歯切れの悪いオスカーに頷きつつ、首だけ振り向いてヘンリーに合図をする。
そして一緒に、父上が横たわっているベッドの前にやってくる。
この短い間で、父上はさらにやつれ、痩せこけていた。
門外漢がみてもはっきりとした死相がでていた。
父上は目を閉じたまま、呼吸が浅く、不規則になっていた。
俺は近づき、見守っている医師を手で押しのけつつ、父上の耳元でささやいた。
「父上、ノアです」
「……」
「ただいま戻りました。ヘンリーもいます……みんな揃ってます」
「父上!」
ヘンリーが父上を呼んだ。
浅い呼吸の中、父上はゆっくりと目を開けた。
濁っていた瞳に少しだけ光がもどって、焦点があい、俺に、そしてヘンリーに映った。
「……うむ」
最後に搾り出すように微笑んで、父上はそのまま目を閉じた。
やがて息がどんどん細くなっていき――。
「「「父上!!」」」
その場にいる兄弟達が一斉に叫んで、跪いた。
六十年以上、帝国に君臨してきた父上が崩御した、その瞬間だった。
「……」
ヘンリーを間に合わせて良かった、という安堵感があった。
同時に、あのままヘンリーを迎えに行かずに来ていれば、父上からなにか最後に一言頂けたのだろうか、という後悔もあった。
それはどうしようもなかった。
過ぎたことだし、人間、そうなにもかも全て手に入れる事は出来ない。
例え皇帝の身であっても。
だから――。
「なに!?」
指輪がひかった。
子供の頃に入手してから、俺の親指にずっとあった指輪が光った。
今まで見たことのある、しかし見たことのない光だった。
『最後に少しだけ時間をあげる』
「……時間を」
『別れを言うくらいの時間は。さあ、僕の名前を』
「……感謝する。アポピス、いや、アペプ」
名前を呼んだ瞬間、毒を司るアポピスが本来の姿に戻った。
一際強い光が放たれ、それが俺の前の前に凝縮した。
凝縮したものは極彩色の、一目で分かるほど毒々しいしずくになった。
俺はそれをまったく躊躇することなく飲み込んだ。
一瞬で、意識が途切れた。
☆
目覚めると、そこはこの世ならざる場所だった。
まわりは霧のような、雲のようなものが充満している。
そんな事はどうでも良かった。
ここがどこかなんてどうでもよかった。
なぜなら、視線の先でずっと見てきた背中を見つけたからだ。
「父上!!」
「むぅ?」
ゆっくりと歩いて行く父上は呼びかけに応じて、立ち止まって振り向いた。
そして俺の姿を見た瞬間おどろいた。
「ノア……なぜここに? 今すぐもどれ、ここは――」
「理解しています。死を司るアペプが、最後に少しだけお話しする時間をくれました」
「――ふむ、そうか」
父上は頷き、柔和に微笑んだ。
「すごいなノア。こんな形で遺言に追いかけてくることなど聞いた事もない」
「父上」
「余はいい息子をもった。余の人生を丸ごと受け継いで、更に昇華させていける素晴らしい息子をもてて、幸せだった」
「もったいないお言葉」
「心残りがあるとすれば」
「はい」
俺はいちど頭をさげたが、顔をあげて父上をまっすぐ見つめた
父上の心残り。
それがもしあるのなら、叶えるために聞きに来たのだから、改めて来てよかったと思った。
ーーが。
「お前に期待をしすぎたあまり、皇帝としてしか接することができなくて、普通の父親としての愛情を注げなかったのが心残りだ」
「父上……」
「オスカーまでは、一度や二度くらいは膝の上で遊ばせていたものだ」
「……俺は、俺こそ父上で良かった。本当に、そう思う」
「そうか。ならばもう言うことはない」
「はい」
「好きにやれ、余を歴史に詰め込んであとはノアの好きにやれ」
「わかりました」
「ではな」
父上はそういい、きびすを返して歩き出した
今度こそ本当に――と思ったが。
父上は何かを思い出したかのように足を止めた。
立ち止まったが、振り向かず、背中越しにいってきた。
「これはあくまで独り言だが、余がもうひとつ模索していたが糸口すら見つからなかったことが一つある」
「……」
俺は相づちをうたなかった。
父上が「独り言」だというのは相応の理由があるはずだからだ。
「余は孫であとつぎをきめた。いい孫は三代連続の繁栄を確約する。しかし途中までは、『いい孫がいなければ自分が孫に生まれ変わるしかない』と思っていた」
「――っ!」
「結局は見つからなかった事を、糸伝話で思い出したよ」
「……」
それで言い終えたのか、父上は再び歩き出した。
俺は無言のまま父上の後ろ姿を見つめ、最後は直角に腰を折って、深々と頭を下げたのだった。
☆
「――下、陛下!?」
「――っ!」
まわりをみる、父上の寝室の中だった
オスカーの顔がすぐ目の前にあって、俺を心配そうにのぞきこんできていた。
「あっ、大丈夫ですか陛下?」
「心配ない。むっ」
頬を伝う涙の存在を感じた。
最後に父上を見送った事であふれ出した涙みたいだ。
俺はそれを拭わずに、オスカーに命令した。
「葬儀はオスカー、お前に全て任せる」
「はい。先帝陛下の諡号はいかがなさいますか?」
「知徳に優れ、数多くの皇帝の中でも第一人者であった父上だ。聖帝でいいだろう」
「御意」
頭を下げるオスカー。
まわりの親王たち、兄弟たちが父上の死に悲しむ中、俺はその場でオスカーに色々と命じて、あれこれ決めていった。
新しい時代が来る。
その証拠に、いつも隅っこで見えているステータスが更に変化した。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
帝国皇帝
性別:男
レベル:19/∞
HP SSS 火 SSS
MP SSS 水 SSS
力 SSS 風 SSS
体力 SSS 地 SSS
知性 SSS 光 SSS
精神 SSS 闇 SSS
速さ SSS
器用 SSS
運 SSS
―――――――――――
生まれた時から見えていた「+」の表示が一切なくなった。
それは帝国の全てが俺の物になった、という証であると感じた。
父上から譲り受けた、帝国の全て。
『みていて下さい、父上』
この力で帝国をもっともっと繁栄させ、父上が最後まで晩節を汚さなかった最高の名君であると証明する。
俺はそう、改めて。
生涯をかけてそれをやっていこうと、決意したのだった。
今回で第八章完結です。
そして、第一部・完、です。
親王としてうまれたノアが本物の皇帝になったところで第一部として区切りました。
・面白かった!
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