171.二度目のこと
オスカーの屋敷、応接間の中。
俺とオスカーの二人の前に、一つの球状の物体があった。
物体は水晶玉のようにローテーブルの上におかれていて、部屋の外から伸びてくる糸と繋がっている。
糸と玉は一定の間隔で色をきりかえていた。
オスカーはその色の変化を読みあげつつ、記録していた。
「黒黒白黒、黒黒黒白、黒白黒黒、白白白白――と、確か全部白が終了の合図でしたね」
「そうだ。今までのをその暗号表に当てはめてみるとどうなる?」
オスカーは自分が書き留めたものと、俺があらかじめ渡しておいた表を交互に見比べた。
「こんにちわ、げんきです――おお!」
簡単な文章だが、オスカーは感動した声をあげた。
「本当に文章になっていますね」
「うむ。ちなみにこれは余の離宮と繋がっている」
「陛下の離宮ですと――早馬で約十分といったところですね」
「何か簡単な文章でも送ってみろ」
「分かりました……では」
オスカーは少し考えて、水晶玉もどきの下にある、二つの小さな球にふれた。
玉は黒と白の二色で、それにさわれば玉と糸が同じ色に変わる仕掛けだ。
はじめてだから、オスカーは暗号表とにらめっこしながら文章をおくった。
玉と糸が白黒と切り替わっていき、オスカーが手を離したあともまた同じようにころころと変わった。
『だれ?』
『ドン』
「第一宰相ですか」
「ああ、テストに付き合ってもらっている」
「これは……これはすごいですよ、陛下!」
オスカーは興奮気味にいった。
兄弟付き合いから君臣の間柄になって、その間足掛け数十年。
オスカーから聞いた中で一番感情剥き出しの、興奮した「すごい」だった。
「文面の長さにもよりますが、十分かかるところを一分足らずでできるなんてすごすぎます」
「この距離だから恩恵は薄いが、街と街ほどの距離であってもこの速さで伝えられる」
「これをうまく使えば代官を必要としなくなります」
「内政屋らしい発想だな。とは言え現地に情報をうまく取捨選択する人間を置く必要がある」
「たしかに」
「今までは統治能力に優れた者でなければならなかったが、これがあれば操り人形でもよくなる」
「革新的ですよ」
「これをヘンリーの意見も聞いてみたい所だ」
「そうですね。私は専門外ですが、戦場では後方以上に情報の伝達が大事なことはわかります」
「うむ」
俺は頷き、オスカーの意見に満足した。
フンババの糸が実用化レベルになったから見せに来たが、オスカーの反応は満足いくものだった。
「これをお前に見せた理由は二つ」
「はい」
オスカーは改めて、という感じで居住まいを正して、俺と向き合った。
この糸が革新的な技術であるのはオスカーが自分でも言ってることで、そうなると皇帝から内務王大臣にする話は帝国のこれからを左右する大事な話だ。
それを瞬時に理解し、オスカーは相応の振る舞いをした。
「一つはこれを各地につなげる。そのために暗号の扱いに長けた者を選抜しなければならない」
「御意、お任せ下さい」
「同時に暗号を作り直す。今のはあくまで急ごしらえだ。もっと効率がいいか、わかりやすい暗号が作れるはずだ」
「あくまで白と黒の切り替えで考えればよろしいのですね」
「そうだ」
「お任せ下さい」
オスカーは深々と頭を下げて、俺の命令を受けた。
暗号の作成、これは現場の人間が使いやすく為るのが一番だから、俺が出しゃばらない方がいい。
「そしてもうひとつ、こっちの方が大事だが、急ぎの話ではない」
「……どういう事でしょう」
「これと同じものを開発することだ」
「これと同じというのは……」
「遠距離に白黒、あるいはありなしといった、二元的な情報をおくる手段だ」
「同じものを開発する、ということですか?」
「ああ」
「なぜでしょう」
理解に苦しむ、と言う顔をするオスカー。
当然の反応だろる。
フンババの糸がこうして実際にあるのに、まったく同じものを開発しろという事に疑問をもって当然だ。
「これは上皇陛下の知識を受け継いで作ったものだ」
「さすがでございます」
「まだきづかないか?」
「何にでしょうか」
「余は上皇から受け継いだ」
「…………あ」
少し考えてオスカーはハッとした。
「これを……次の陛下に引き継げない?」
「そうだ」
俺ははっきりと頷いた。
「フンババはあくまで余に臣従している。一応聞いてはみたが、余が命じれば新帝には従うと言われた」
「あくまで陛下にだけ、ということですね」
「そうだ、それは最悪余が死ねば――と言うことでもある」
「それを聞くと、とてつもない毒林檎にしか見えなくなりました」
オスカーはげんなりして、俺は頷いた。
革新的に便利な技術なのは間違いない。
それを十年二十年かければ世の中に浸透して情報伝達の有り様を根底から覆せるのは確実だ。
が、それがもし引き継げない。
後世に伝達されない技術であったのなら。
俺が死んだ途端技術は数十年後戻りしてしまう。
「便利なものに慣れすぎたら戻れなくなりますね」
「そもそも戻れないだろうな」
「それは……どういう意味で?」
「これをつなげていけば、早馬も伝書鳩も不要の長物になる」
「そうですね」
「まだわからないか?」
「え? あっ、そうか、数十年も不必要だった技術、間違いなく失伝します」
「そういうことだ」
「すごいです陛下、そこまで想像を巡らせていたなんて。私なんてこれのすばらしさで頭がいっぱいでした」
「素晴らしい技術なのは間違いない。余は出来るだけ長生きするから、それまでに同等のものを開発できればいい」
「はい」
「金に糸目はつけない。官、民。どこからでもいい」
「そうであれば、コスト削減の改良、という名目の方が開発がしやすいでしょう」
「任せる」
「はっ」
二つの命令をオスカーに伝えて、俺は一息ついた。
次は各地の州都と帝都をつなげて、実際に運用したらどういう感じになるのか試してみよう。
今ある従来の伝達の仕方は当面残しておいて、並行しながら使っていこう。新しい問題点が出てくるかも知れないし、問題にならずとも改良点が見つかるかも知れない。
色々とやることが山積だが、上手くいった暁に帝国はワンランク上へ飛躍するであろうという確信がある。
そのためにはまず――。
「――っ!!」
俺は息を飲んだ。
自分でも分かるくらい顔が強ばった。
視界にある物の異変が目に入ってきたからだ。
「陛下? どうかしましたか?」
「……」
「陛下?」
オスカーは不思議そうな顔で俺の顔をのぞきこんだ。
「……オスカー」
「は、はい」
「帝都にいる親王を全員集めろ。いや、いないのはだれだ」
「えっといないとなりますと、ヘンリー兄上とダスティンの二人ですが」
「ダスティン? どこにいるんだ?」
ヘンリーはいうまでもなく「親征中」だからわかるが、ダスティンがどういう事なのか眉をひそめて聞き返した。
「ええ、なんでも5人目の側室のおねだりで故郷に連れて行ったとか」
「そうか」
腹は立たなかった、それもダスティン一流の韜晦の仕方だから殊更に腹は立たなかった。
が。
「今すぐ呼び戻せ」
「ダスティンをですか?」
「そうだ、戻ってこなければ処罰する――原文をつたえていい」
原文を伝えていい。
皇帝の言葉そのまま伝えるということはかなり重要な事、誤解の余地を残さない様にするためのやり方だ。
そこまで行くと、オスカーにも「何かがおきた」というのがつたわった。
オスカーは顔を強ばらせながらも頷いた。
「御意。他にはございませんか」
「とにかく親王――兄弟を全員集めろ」
「ヘンリー兄上は?」
「余が行く」
「……御意。ご無理は――」
オスカーの言葉を最後まで聞き終えることなく、俺は部屋から、屋敷から飛び出した。
さっきから見えているもの。
生まれた時、ノアに転生したときからずっと見えていたもの、俺だけのステータス。
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名前:ノア・アララート
帝国皇帝
性別:男
レベル:17+1+1/∞
HP C+SSS 火 E+SSS
MP D+SSS 水 C+SSS
力 C+SSS 風 E+SSS
体力 D+SSS 地 E+SSS
知性 D+SSS 光 E+SSS
精神 E+SSS 闇 E+SSS
速さ E+SSS
器用 E+SSS
運 D+SSS
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そのステータスに異変が起きていて。
それはかつてに一度だけあった異変で。
俺は、ある事を悟ってしまった。
「ジズ!!」