170.フワワの覚醒
「存在は知っています」
糸伝話、それは耳を覆える程度の容器を二つ用意して、間を糸で結んだもの。
糸がピンと張っている状態であれば、容器の片一方で発した言葉がもう一方の耳にあてた容器に伝わるものだ。
地面に耳をあてて遠くの音を聞いていた者が、あるとき思いついたのが起源とされている。
「その発想を起点として、色々試した。遠い距離の場所に伝えるのだ、かなり長い糸――必然的に綱になるが、それであれこれと試した」
「綱を使って伝達をするという事なのですね」
「そうだ。最初は音を通そうとしたが上手く行かなかった。そこから動きだったり、ねじれだったり、あれこれを試してみたが、どれもこれも上手く行かなかった」
「熱――もダメでしょうね」
「すごいなノア。余がそれを思いついたのは糸伝話であれこれ試してから半年たった頃だ」
「父上がそこまで試したのだから、結果的にまったく使い物にならなかったということでしょうか」
「そうだ。問題点は二つある、一つは長くなればなるほど伝わりにくくなる、途中で影響を受けやすくなる。糸伝話は糸の途中を指で摘まむなりすればもう伝わらない」
「長距離にはまったく向きませんね」
「そうだ、どうにかして伝わったとしても曖昧になる。もっとはっきりと、白黒つけるくらいのはっきりとした伝え方でなくては使い物にならぬと思った」
「白黒つける……あっ」
「どうした」
「……御前、失礼します」
父上はうむ、と頷いた。
そして「何をするんだ?」という顔で俺をみた。
俺は手をかざした。
親指にいつもつけている指輪を、フワワの力と混ぜて糸を作った。
「わかりやすく」するために、小指ほどの太さで、肘から指先ほどの長さの糸を作った。
「それをどうするのだ?」
「こうします」
俺はそういい、フワワに命じた。
すると、白色として作った糸が、一瞬にして真っ黒になった。
「ほう!」
父上が声を上げた。
感心した声だ。
「なるほど、それならばはっきりと伝わる」
「はい、白か黒か、これならば曖昧になりようがない。伝える内容も――」
「暗号表をあらかじめ作ればよいな。黒と白の組み合わせ――文字ではなく言葉の音なら、20パターンもあればとりあえずの文章が作れる」
「はい」
「すごいぞノア。そうだ、そういうのを余は最終的に目指したが実現の目処が立たなかったのだ」
父上に褒められつつ、俺はフワワの糸を見つめた。
これのいいところは俺の手から離れたフワワの力がある程度他の人間にも使えることだ。
今でも「フワワの箱」は与えた人間だけが施錠できるようにしている。
それにくらべれば、黒と白の二色の変化など造作もないことだ。
――が、しかし。
興奮したのも一瞬だけ、俺はすぐに問題点を見つけた。
フワワに命じて、この糸をとにかく「伸ばして」もらった。
糸はどんどん細く長くなっていき――父上の寝室、上皇の広い寝室を一周した程度で切れてしまった。
「むっ……」
眉をひそめ、呻いた。
広い寝室を一周した、糸としては長い部類にはいるが、俺と父上が望んでいた超長距離――拠点間に使うには全然足りない。
「それだ」
「え?」
「問題点は二つあるといっただろう? もう一つは根本的な話で、街と街を繋ぐほどの長い物が作れなかったのだ」
「はい……」
俺は重々しく頷いた。
さすが父上だ、この問題点もやはり父上には通ってきた道のようだ。
だが、問題点の二つのうち、一つは解決した。
しかも白黒つけるという、考え得る限り最高の解決法を編み出した。
これをどうにかして実用化まで持っていきたい、そのためには長くしたい。
『それなら』
「――っ!」
ぱっ、と明後日の方をむいた。
一瞬聞こえてきた声に驚いたが、すぐにはっとした。
それは今迄もあったこと。
今までで何回もあった出来事。
『私の力がほしい?』
「……ああ、ほしい」
「……」
声の主に応じた。
視界の隅で父上が一瞬驚いた顔をしたが、さすがは父上で、すぐに沈黙を守って見守る姿勢にはいった。
俺は声の主に集中した。
『じゃあ私の名前を呼んで。いけるかしら、私の名前は少し難しいよ』
「……なるほど、確かにすこし難しい。お前のイメージらしくない」
『昔の言葉では光を意味していたのだけどね。さあ、呼んでみなさい』
「ああ……フワワ――いや、フンババ!」
その名を呼んだ瞬間、俺の体が光った。
俺の中に宿っているフワワの力があふれ出した。
バハムート、リヴァイアサン、ベヒーモス、それらと同格の存在、フンババ。
かつて絵画の中に閉じ込められていたといわれる美女は、更に美しく、気高いオーラをもった女神のような風格になって現われた。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
帝国皇帝
性別:男
レベル:17+1+1/∞
HP C+S 火 E+S+S
MP D+A 水 C+SSS
力 C+SSS 風 E+C
体力 D+A 地 E+S
知性 D+SS 光 E+S
精神 E+S 闇 E+B
速さ E+S
器用 E+S
運 D+A
―――――――――――
視界の隅にある「地」の+分が格段と上がったのがちらっと見えた。
目の前に現われた女神のような風格の女、フンババに問いかけた。
「力を借りられるか、フンババ」
『喜んで』
フンババは婉然と微笑みながら、手をかざした。
すると直前に失敗した、途中で切れたフワワの糸が浮かびあがった。
糸はまるでひとかたまりになってから、ゆっくりまた糸状になっていく。
今度は小指くらいの太さを保ったまま伸びた。
伸びて、伸びて、伸び続けた。
父上の寝室を十周するほど伸び続けた。
そして――。
「白と黒は?」
『もちろん』
俺のリクエストに応じて、糸が白から黒、黒からまた白と切り替えていった。
これならば――と思った。
父上の方を向いた。
父上は驚きながらも、笑顔を浮かべていた。
「すごいな、ノア。それはリヴァイアサンやバハムートらと同じ存在なのだな」
「はい、その通りでございます、父上」
俺ははっきりと頷いた。
リヴァイアサン、元はレヴィアタン。バハムート、元はルティーヤー。
いずれも帝国所蔵の宝物で、父上もよく知っている存在だ。
「それらの存在をここまで自在に使役するとは――いや、それも今更だな」
父上はフッと笑いとばして、改めて、と糸をみた。
「これは量産は出来そうなのか?」
「おそらく」
「何かに触れられての影響はでそうか?」
「どうなんだ?」
父上が呈した疑問をそのままフンババに聞いてみた。
『糸を摘ままれた程度で影響を受けるようなヤワな代物じゃありませんよ』
「どうやら大丈夫らしい」
「ならば地中にうめるといい。長さに融通が利くのなら地下を通った方が破壊工作などから守れる」
「ありがとうございます、父上」
俺は深々と頭をさげた。
さすがこのやり方をずっと試されてきた父上だ。
今できたばかりの糸であっても活用法を父上は示してきた。
きっと、上手く行く形があれば地中に埋めるやり方をずっと考えてきたのだろうと想像に難くない。
ならば俺はどうする? どうやればこれを更に活用できる?
父上ほどではないだろうが、俺もこれについて色々とやりたい事を思いついた。
「ゆけ」
「え?」
「鉄は熱いうちに打て、だ」
「ありがとうございます。御前、失礼します」
「うむ」
俺はもう一度深々と頭を下げてから、父上に送り出されるような形で寝室から退出した。
フンババを引き連れるような形で、大股で廊下を進みながら色々と考える。
革新的だ。
帝国は更に飛躍する。
俺はそう確信していた。
☆
ノアが退出した後の寝室で、上皇は寝台の上から、窓の外に目をむけた。
その表情は満足げだったが、その満足した様子と引き換えに、この一瞬で格段と老けて見えた。
満足した上皇は、何かが抜け落ちたかのように、年相応の老け方になった。
彼は枕元にあるベルを手に取って、それを鳴らした。
すぐにドアが開いて、一人の男がやってきた。
使用人ではなかった、同じく老齢の、元第一宰相ノイズヒルだった。
「お呼びでしょうか、陛下」
「うむ」
上皇は頷き、ノイズヒルはドアを閉めてそばにやってきた。
そのノイズヒルに向かって、上皇は静かに一言。
「最後の命令だ」
「…………はい」