167.裏と表の活用法
離宮のもっとも「深い」所にある、機密の書庫。
その書庫の中に、ジジを連れてやってきた。
書庫の扉は通常の三倍ほどの厚さを持ち、開閉するための錠前も上から下までずらりと、5つもつけられている。
5つの錠前を手ずから鍵で解錠して、重い扉を押して開いて、ジジと一緒に中に入った。
「ここは……?」
「余が即位してから署名した文書を収蔵している。いわば皇帝・ノア一世の人生の歩みそのものだな」
「な、なるほど!」
「例えばこれは即位した直後に署名したものだが……ああ、あの宮殿を最高権力の象徴とするものだな」
棚から抜き取って、開いた文書をよみあげてからジジに手渡した。
ジジは受け取って、目を通すが申し訳なさそうな顔をした。
「すみませんご主人様……わたしその……」
「読めないんだな」
「はい……」
「気にするな、織り込み済みだ」
「文字を覚えた方がいいですか?」
「余が今読みあげたもの、それをここにいれた」
ジジの手から文書を取り返し、棚の元の場所に戻す。
そして、ジジをみる。
「この内容の文書を口で伝えて、ここにあると覚えていられるか?」
「はい! ご主人様が言ったことは絶対に忘れません!」
「ならそれで十分だ。文字の読み書きが出来るかどうかなど些末なことでしか無い」
「ほえ……」
「どうした」
「私、てっきり読み書きの勉強しなきゃって。あっ! ご主人様のためなら全然やります!」
「なぜ、子供達に読み書きを教えるのか分かるか?」
「え? それは……何ででしょう、出世するため……?」
「ふっ、それで間違いではない」
俺はくすっと笑い、ジジの頭にそっと手を乗せた。
「もっといえば、子供達の未来を広げるためだ。文字の読み書きが出来る方が覚えられる知識の範囲が多くなる、つまりは選べる未来も増える」
「なるほど!」
「細かい話をするのなら、それはお前の長所ではない」
「長所ですか?」
「余の言葉とこれの居場所を紐付けておける記憶力は帝国内くまなく探しても替えが利かない唯一の存在、それがお前の長所だ。長所をすてて無理矢理短所を伸ばす事もない」
「長所……唯一……」
「趣味でやるというのなら止めんが」
「ううん! やらないです! ご主人様のためだけにがんばります!」
「まかせた。これも持っていろ」
「これは……ここの鍵?」
ジジは目と口を開け放つほど驚いた。
自分の手の平に載せられている、俺から受け取った鍵の束を見て驚いていた。
「ああ、お前が持っていろ」
「い、いいんですか? これってすごく大事な物じゃ」
「信用している、任せた」
「私を……信用?」
ジジは更に驚き、そして鍵の束をぎゅっ、と大事そうにかかえた。
「こんな私でも……ご主人様すごい。わかりました! 命に代えても失くしたりしません!」
「ああ」
俺は再びジジの頭に手を乗せて、撫でてやった。
生きて俺の役に立て――は、せっかくジジが嬉しそうなこのタイミングで冷水をぶっかけることもなかろうと。
そのうち機を見ていつか言えばいいと、思うだけにとどめておいたのだった。
☆
離宮の前半、皇帝の執務の部分。
執務の部屋で、ドンと向き合っていた。
俺は執務机を使うように座っていて、ジジは俺から少し離れた部屋の隅っこにひかえている。
ドンは執務机越しに立っている。
ジジの事が少し気になったようだが、俺がそばに置いている、という形なのは明白だからドンはあえて何も聞かずにいた。
「こちら、ジェシカ様から届いた報告書です」
「公文書と――これはフワワの箱か」
「はい、違うルートで、ほぼ同じタイミングでつくように送られてきました」
「ふむ」
俺は頷きつつ、まずは公文書の方を開いて、目を通した。
「どうですか?」
「トゥルバイフ軍から独立した軍があり、それの討伐に成功した――か」
「それはなんというか……こざかしいですね」
「下の者が跳ねただけで俺とは関係ない――古典的な手法だ、悪くはない」
俺はフッと笑った。
こういったときによくあるパターンだ。
トゥルバイフは帝国に叛意ありなのは間違いない。
一方で、正面から帝国と事を構えるのをまだためらっている。
だから部下の一部を「独立」させて、その部下が勝手に暴走したという形にしたんだろう。
国と国同士に限らず、何かの権力争いの時にでもよく見るパターンだ。
「ですが、勝利したのなら何よりでしょう。トゥルバイフもそういう『お試し』ならそれが抑止力になるでしょう」
「……」
俺は無言でフワワの箱を人差し指でトントンと叩いた。
指し示された、同時についたジェシカのもうひとつの報告。
ドンはそれではっとした。
「そうか、そのようなシンプルな話ならわざわざこのような形で極秘の報告を送る必要はない」
「そういうことだー―フワワ」
俺は指輪からフワワの力を一部解き放って、箱を開いた。
箱がばらばらの木片になった。
接着剤もハメコミもクギもネジもない、今までどうやって箱の形を維持していたのか分からないほど、不思議な木片だけになった。
木片の中に一通の手紙があった。
それを手に取って、中身を取り出して目を通す。
「……なるほど」
「どのような事が書かれてましたか?」
「別の話だ。トゥルバイフ別働隊と一戦を交え、相手軍の首を1500上げた」
「ほぼ同じですね、詳しい数字があるだけで」
「自軍の損害は1300ほど、と」
「むっ……」
ドンは眉をひそめた。
極秘に届けられた報告書の中に詳しい損傷の数字があった。
敵軍1500の損害に対し自軍は1300。
この数字だと――。
「勝利――とは言えませんね。皇帝親衛軍という質、そして方面軍という数。それを考えれば同程度の損害では――」
「判定負け、だな」
「ええ」
ドンは頷いた。
彼の言うとおりだった。
「いかがいたしますか?」
ドンはそう言い、裏の報告書を執務机の上に置いた。
二通の報告書を横に並べる様にして、聞いてきた。
「まず褒める」
表の報告書を指先でトントン叩きながら、いう。
ドンははっきりと頷いた。
「当然でございます。殲滅したのは事実、公に送られてきたのも戦勝の報告。であれば表彰するのが筋ですね」
ここまでは同意見だった。
次に裏の報告書、もう一枚の方も指でトントンと叩いて、言う。
「これも褒める」
「これも……ですか?」
「方面を任せてる責任者の部下が正直者ならどんなにいいか、と思った事は無いか?」
「……あります、いつも思ってます」
「そういうことだ」
「そうですか」
「だから――正直なのを褒める、罰は帰朝した時にまとめて清算するから今は忘れろ。どうだ?」
「すごいです陛下、考え得る最善の返事でしょう」
「ならそうしよう」
俺は頷き、紙をとってペンを走らせた。
二通書いて、一通は皇帝の印で封をして、もう一通はフワワの箱に入れ直した。
そして二通ともドンに手渡す。
ドンはそれを受け取って、外にでようとした。
「……待て」
俺はドンを呼び止めた。
ドンは立ち止まって、体ごと振り向いた。
「なんでしょう?」
「裏はすぐに送り返せ、表は――一週間ほど待ってからだせ」
「なぜそのような事を?」
ドンは首をかしげた。
俺はまずドンが持っている、正式な文書の方を指さした。
「余は帝都にはいない」
そして次に、フワワの箱、裏の文書を指さす。
「余は帝都にいる」
「――っ! なるほど!」
ドンははっとした。
「そういうことだ。余が帝都にいないのに公式文書が即送り返されるのはおかしいのだ」
「すごいです陛下! そこまで考えが及ばず申し訳ございません」
「たのむ」
「御意!」
ドンはそういい、もう一度頭を下げ直して、今度こそ部屋から出て行った。
俺はジェシカが送ってきた二通の文書に、赤いインクで注釈をつけてから。
「これを仕舞ってこい。ジェシカへのテスト、だ」
と、キーワードとともにジジに渡した。
ジジは受け取ったが、不思議そうな顔をした。
「どうした、覚えられないのか?」
「あっ! 違います! 絶対忘れないです! そうじゃなくて……」
「うん? なんでも言え。答えられることだけは答えてやる」
「あっ、はい。その……テストって、なんですか?」
「簡単な話だ、送り返した裏と表の日数で、余が帝都にいるのかを察することができるのかのテストだ」
「あっ、なるほど。すごいですご主人様、今の一瞬でそこまで」
「今のままでも90点をやれるが、察することが出来たら100点だな」
ジェシカの忠誠心はこの二通の報告書でもう疑う余地はない。
その上でもっと能力面もあってほしい。
と、贅沢だと我ながら思うが、そうあってほしいと願ったのだった。