165.新しい宝
「二人っきりだ、余分な礼はいらん」
「はい」
オスカーは立ち上がった。
その瞳はさっきまでとは少し違っていた。ステータスが見えている俺は、瞳の色の変化は忠誠心の違いによる変化なんだと理解していた。
理解しているから、遠慮無く話を続けた。
「当面はお前の事を特別扱いする、今まで通り、腫れ物に触るような感じで行く」
「当然そうなりますね。では私も今まで通り――」
「いや、オスカーは少し変えてもらわないとだめだ」
オスカーの言葉を遮る、彼は少し不思議そうな顔をした。
「変えるというのは?」
「今まで以上に慇懃にしていろ」
「……なるほど」
オスカーは少し考えて、頷いた。
「陛下相手に何かリアクションを起こしたいから、『匂い消し』に心血を注いでいる、という事ですね」
「そうだ。余に対する不満は徐々に高まっている、しかしそれを必死に隠している。それで食いついてくるはずだ」
「すごいです陛下。ただ、今のあの界隈には、そこまでしなければならないほどの相手、それほどの出来物はいないと思いますが」
「万全を期したいだけだ。このような腹芸、やれて一回だけだからな」
「それもそうですね」
「大まかな方針はそれで。後はすべてお前に任せる」
「はい、わかりました」
「白紙委任だ、好きな様にやれ」
「よろしいのですか? 陛下に差配を頂いた方が」
「お前は、実務面で余より優れているところがいくつもある」
「……」
オスカーは目を見開き、驚いた。
「そんなお前だ、大筋は任せてあとは即興で踊った方がよいだろう」
「……すごいです、陛下。先帝陛下が私ではなく陛下に帝位を譲った理由が今ならよく分かります。私では全てに口を出したがります」
「それは余も同じだ、ついつい首を突っ込みたくなる」
「陛下の場合、道しるべをつけた後の舗装は任せて下さいます。私だと全部に口を出さないと気が済みません」
「有能さ故の弊害だな。根本的に部下を信じていないのか」
「そうかもしれません。一州程度までならいいのですが、一国すべてを人間一人が掌握するのは――」
オスカーは自嘲気味に笑った。
ここで自嘲な笑みを浮かべられたのはもはや隔意がないという証でもあるんだろうとおもった。
「なんにせよ、全て任せる」
「はい」
☆
オスカーと別れて、屋敷を出た後、俺は離宮――元十三親王邸に戻ってきた。
宵闇の中、門番の視線を適当にごまかして中に入った。
自宅に戻ってきた俺は自分の部屋には戻らなかった。
代わりに書庫に向かった。
書庫の中に入って、入り口付近に常備されているランタンに火を灯して、それを使って書庫の中を見て回った。
俺は本を探した。
父上と会ったときの話を思い出しながら、本を探して書庫の中をさまよった。
父上とは資源の話をした。
父上、そしてオスカーとした話は、今ある資源の中から、既得権益者が持っている分を吐き出させるやり方だ。
一方で、父上はそもそも資源を増やすやり方をした。
どっちかが正しいという話はないし、どっちか「しか」やってはいけない決まりもない。
コンフリクトしない限り、両方やっていいし、両方やるべきだと俺は思う。
そう思った俺は、ここ最近読んだ歴史書の中で、「増やす」事に特化した皇帝の話があるのを思いだした。
それを参考に使うため、もっと詳しく読み込もうと思ってここに戻ってきた。
「うーん……」
何冊かそれっぽい本を本棚から抜き取って、開いて中身に目を通す。
しかしどれも違った。
最近ただでさえ読む本の数が多くて、目当てがどの本なのか見つからなかった。
さてどうするか――と思っていたその時。
「だ、だれですか!?」
「うむ? ……なんだジジか」
入り口の方から声が聞こえてきたから、俺はランタンを上げて、声の主に目を向けた。
そこにいたのはメイドのジジ。
屋敷にやってきたときはまだまだ幼い娘だったのに、今はもうすっかり妙齢の女になっていた。
「余だ」
俺はそうとだけ言った。
「ごしゅ――じゃなくて、陛下!?」
「うむ」
「も、戻ってきていたんですか?」
「ああ。極秘だから、内密にな」
「は、はい! だれにもいいません!」
見た目はすっかり美しく成長したが、ジジは昔のまま、むやみやたらに肩肘張っている、そんな仕草で俺の命令に応じた。
俺はクスッと笑いながら、次の本を手に取って開く。
それをパラパラめくって読んで、また本棚にもどした。
「これも違うな……」
「なにかお探しですか?」
「うむ、探している本があるのだが……分かりそうか?」
「ごめんなさい、私、文字が読めなくて」
「そうか」
俺は小さく頷いた。
珍しい話ではない、メイドとして奉公にやってきたものの多くは文字が読めない。
他の親王と違って、俺は読み書き、そしてそれを学ぶ事を禁じていないから、その後学んで身につける者もいるが、ジジはそうではなかった。
それは珍しい話ではないから、気にはしなかった。
「あ、あの……」
「うん?」
「いつ読んだのかは……わかりますか?」
「いつ読んだ?」
俺は首をかしげ、次の本をとろうと伸ばした手を止めたまま、ジジの方にもう一度向いた。
「はい、それが分かれば見つかるかも知れないです」
「どういうことだ?」
「例えば――これとこれは陛下がお出かけの前日に読んだご本で、ここからここはその更に一日前。もうひとつ前はここでは読んでなくて、もう一日前がこれとこれとこれでした」
「……そういう覚え方をしているのか?」
「はい!」
俺は少し驚いた。
そして、思い出そうとした。
その本を読んだのはいつだったか――。
「読んだのは夜。……月のない新月に、収穫の報告を受けた後だから冬の少し前」
俺は連想ゲームをしつつ、少しずつ範囲を狭めていきながら、最終的に二日分まで絞れた。
その二日分を日付で伝えると。
「ちょっとだけ待ってください――これとこれとこれ――この6冊です!」
ジジは書庫の中をバタバタしながら、言葉どおり六冊の本をあっちこっちから引っ張ってきた。
それを受け取って、めくっていく。
すると三冊目をめくった瞬間。
「これだ」
「本当ですか?」
「ああ、序文を読んで記憶がよみがえった。たしかページ的にはこのあたり――あった」
「よかった! 見つかって」
「お前は――」
目当ての本を手に持ったまま、ジジを見た。
ジジはきょとんとした顔で、俺を見つめ返した。
「よく、覚えてたな。褒めてやる」
「――っ! ありがとうございます」
「今日はもういい、これを読むだけだからお前は寝ろ。余がここにいることは内密にな」
「わかりました! お休みなさいませ!」
ジジはぱっ、と頭を下げて、パタパタと足音を鳴らして書庫から出て行った。
それを見送った俺は、自分にしか聞こえない程度の声でぼつりとつぶやいた。
「宝が……まだこんな近くにいたとはな」
☆
翌朝、俺はオードリーの所を訪ねた。
皇后の朝は早い、様々な使用人に囲まれながら、「皇后」という装いを作りあげていく。
それにかかる時間を逆算して、オードリーが一人っきりになった所で彼女の前に出た。
「お待ちしておりました、陛下」
オードリーの私室の中、彼女は驚く様子もなく、俺をまるで「出迎えた」ような感だった。
「余がくるのを予想していたのか」
「いいえ。ただ、いつお見えになってもいいと、心構えをしているだけでございます」
「それは疲れるだろう」
「皇后として当たり前の事でございます。陛下の方がもっと大変ですので、この程度の事で疲れてるだなんて言えませんわ」
「そうか。今日来たのは他でもない。メイドを一人もらっていく、それを言いに来た」
「メイド……でございますか?」
「ああ」
「……」
オードリーは見るからに困った顔をした。
「もらっていくと言われましても、それらは全て陛下の持ち物、わたくしの承諾を得る必要なんてありませんわ」
「後宮にいるメイドは形式上皇后の持ち物だ。ジジという子だ、連れて行っていいか」
「……陛下はおすごい」
「うん?」
「わたくしの事をいくどとなく後宮の主、国母とおっしゃってくれましたけど、本当にそう思っていたのですね」
「でなければ言わん」
「どうぞお連れになってください。陛下に必要とされる栄誉をその子に是非」
「礼を言う」
オードリーは実に皇后らしく振る舞った。
俺は少し考えて、言った。
「これからいうのは余の独り言だ」
「……」
「近く何かをする、雷親王には気をつけるよう――」
オードリーは俺を最後まで言わせなかった。
すっと近づいてきて、人差し指を俺の唇に当てて、言葉を止めた。
「オードリー?」
「陛下はきっと、実家に何か伝言してもよい、と気を使ってくださっているのだと思います」
「ああ。安心しろ、法には触れない『寝物語』だ」
「陛下」
「うん?」
「わたくしの名前をご存じですか?」
「オードリー、だろ?」
「その通りです」
オードリーは頷き、穏やかに微笑んだ。
「私はオードリー、ただのオードリー。除名の儀をへて、もはや実家など持たない皇后オードリーです」
「……」
「国政には一切口を出しません。どうか、御心のままに」
「謝る。お前を見くびっていたようだ」
「とんでもございません」
「今まで通り後宮は全て任せる」
「はい」
「ジジはつれて行く」
「はい」
「夜にもう一度来る」
「……はい」
オードリーは賢い女だった。
公私入り乱れる言葉の数々も全てちゃんと意味を理解していた。
この宝は想像していた以上だったと、俺は密かに少し嬉しくなったのだった。