161.頼りにしたい男
「……ですが」
「うむ?」
「陛下は気配とおっしゃいました。それでしたら私の所に来たのは……私もきっと先帝陛下につねに把握されているはずです」
「それなら大丈夫のはずだ」
俺はそう言って、ドンの所にやってくる時の事を思い出す。
「入ってきた時は気配をお前の所に集中させた。今も余自身の気配は消している。視認されない限りは大丈夫だ――さすがに外からは『見えない』のであろう?」
「それはもちろん。この地位にいれば多少なりの対処はします」
ドンは頷きつつ、感心した。
「つまり今、私は一人でこの書斎の中にいる――ということなのですね」
「ああ」
「その組み合わせ方、すごいです」
「これで完全に出し抜けたとは思えないし、そもそも時間との勝負でもある」
「時間、ですか?」
「余は気配を置いてきた、そう言ったはずだ」
「……」
ドンは考えた。
俺の言葉が事実上質問している、クイズのような事をしていると分かったのだ。
「あっ、陛下は一つの所にとどまらない」
「そうだ」
俺は小さく頷いた。
「よほどの事が無い限り、余が一カ所にとどまり続ける事はほとんどない。気配を置いてきたそこならなおさらだ」
「動かずにいればいずれ怪しまれる……ということですね」
「そうだ。試験は成功した、早いうちに戻って一度移動しなければならない」
「なるほど! それで、その先はどうなさるのですか?」
「それはお前には教えられない」
「え?」
ドンは一瞬、虚を突かれたかのように驚いた。
しかしすぐにはっとした。
「私には?」
「うむ」
「私にも、ではなく」
「そうだ」
「承知致しました」
ドンは納得し、頭を下げた。
「では、せっかく陛下にお越し頂いたので、処理したい案件が一つあったのですが、それもお聞きしない方がよろしいのですね」
「その通りだ」
俺ははっきりと頷いた。
飲み込みの早いドン、これがあるからこそ、俺はドンを腹心にすえて、第一宰相にも取り立てた。
「余がそれを聞いて指示を出せば、そこには余の『気配』が生まれる」
「そうですね」
「更に言えば、お前の事だ」
「え?」
「余が例え指示を出さずとも、余の顔色を見て推測するだろう。それもやはり余の気配が混じる」
「あっ……すごいです陛下、そこまで考えて」
「……」
俺はふっと微笑んだ。
「ではその件は陛下がお見えになる前の予定通りにすすめます」
「それでいい」
俺は頷き、さて、とドアの方を見た。
☆
ドンの所を離れて、一度「気配を置いてきた」所に戻って、通常通りにした。
そして移動を始めた。
大通りをなるべく「人を避けて」進み、やがて、オスカーの屋敷にやってきた。
オスカーの屋敷の表には、当たり前のように夜番についてる門番がいる。
門番の男は俺を見るなり忠実に仕事を遂行した。
「止まれ! このような時間になんのようだ!」
「騒ぐな。オスカーはいるか?」
俺はあえて声を押し殺し、神妙な顔をして聞いた。
「なんだと――はっ!」
「騒ぐなといった」
「は、はい」
オスカーの屋敷の門番は俺の事を知っていた。
それならば面倒はない、と、俺は門番に言った。
「極秘だ、直接オスカーの所に案内しろ」
「ははっ!」
門番はそう言って、俺を先導して歩き出した。
俺はその後についていった
途中で二度ほど屋敷の使用人と会ったが、門番の男がなにか符牒めいたものを送ると、使用人達はすぐに驚きをおさめて見て見ぬ振りをした。
教育が行き届いているな――と、そんな事を思っていると書斎に案内された。
ドンと同じように、オスカーもこの時間になるまで書斎にこもりっぱなしのようだ。
門番はノックをした。
「だれだ」
「……」
門番は無言でドアを開けた。
書斎のデスクでなにか書き物をしていたオスカー。
部下が返事も無しに行動に移したことを不思議がって顔を上げたが、そこに俺がいるのをみて違う驚きに変わった。
それもすぐさまに収めて、門番に言った。
「ご苦労、下がっていなさい」
「はっ」
門番は命令通りにさがった。
俺が書斎の中に入ると門番はゆっくりとドアを閉じた。
「こんな時間まで大変だな」
「皇族の責務ですよ。陛下の方がよく分かっているのではありませんか?」
「そうだな」
俺は書斎の中に進んだ。
オスカーの書斎は、デスクと椅子が1セット、後は本棚位しか家具はなかった。
つまり座れる場所は一つだった。
オスカーはすっと立ち上がり、自分の椅子を俺に譲った。
俺がそこに座る前に、オスカーは言った。
「まずは諫めさせて下さい。以前も言いましたが、それは皇帝が犯していい危険ではありません」
オスカーは俺がここまで戻ってきた方法の事を指摘した。
以前も一度、超特急で、馬を乗り潰して帝都に戻ってきた事がある。
超特急というのは、馬を乗り潰すのはもちろん、乗っている人間の安否さえも無視して、とにかく早くなにかを届ける方法のことだ。
それと同等のやり方で戻ってきたから、その時もオスカーに諫められた。
「小言は後で聞く。それよりも話すことがある、絶対に話が漏れない所はあるか?」
「わかりました、こちらへ」
オスカーは即答した。
皇帝が夜間に、しかも単身で極秘でやってきた。
そうして外に漏れない所で話がしたいと言ったのだ。
オスカーは有能な人間だ、この状況で「なんで?」とか、無粋な疑問から入らない。
オスカーが先に廊下にでた、ランタンを持って先導した。
その後についていき、廊下を少し歩いてから庭園にでた。
親王の格式にそった庭園をしばらく進むと開けた場所があった。
とても広く、「草原」に見えてしまうほどの開けた場所だ。
その開けた場所の中心には塔があった。
「新しく作らせたのか?」
「ええ」
「なるほど。密談は極端に閉じた場所か極端に開けた場所がいい――その両方を兼ね備えた場所というわけか」
「そしててっぺんのあの作り、上から下は見渡せるが下から上はみえない、ということか」
「……一目で全て見抜かれたのは初めてです」
「この作り、真似させてもらうぞ」
「……」
前方をあるくオスカーは振り向いた。
ランタンに照らし出されるオスカーの顔は驚きに染まっていた。
「どうした、ダメなのか?」
「すごいですね、陛下。まさかそんなストレートに言われるなんて思いもしませんでした」
「いい発想がいい形になっているからな、学ばない手はない」
「光栄です」
そう話すオスカーについていき、塔の上に昇った。
塔の一番上はテーブルと椅子だけがあって、他には何もなかった。
「どうぞ」
「うむ」
俺とオスカーはテーブルを挟んで座った。
俺に先に座らせたが、書斎の時と違ってオスカーも座った。
密談であればこの形――ということだろう。
「実はこれ、先帝陛下への対策なのですよ」
オスカーが先に言った。
それで俺は、オスカーが俺の来意に目星がついてる事がわかった。
「ふむ、密談をしている事まではもうバレるのを諦める代わりに、内容だけは隠し通す、というわけか」
「先帝陛下のあの情報網の凄さは陛下もご存じの通りですから」
「そうだな」
俺は頷き、本題を切り出した。
「父上の容態はどうだ?」
「わかりません。私にも一切伝えられていません。前の宰相が戻ってきて、今は先帝陛下の周りにつきっきりということまでは分かっていますが」
「余と大差はないという訳か」
「むしろ外地にいた陛下がそこまで掴んでいることがすごいのですけどね」
オスカーは自嘲気味に微苦笑した。
「実情を知りたい、より詳細な」
「それはもちろんです。でも、方法がありません」
「余が自ら探る」
「陛下が?」
オスカーは驚き、眉をひそめた。
「お言葉ですが、先帝陛下がここまで隠そうとしている、陛下にも隠そうとしているのですから、陛下への対策も万全のはずです」
「それへの対策が一つある、時間との勝負になるが」
「……そうですか」
「だからお前の協力がほしい」
「…………私を信用するのですか?」
俺は少し驚いた。
オスカーにしてはかなり踏み込んできた、腹を割った質問の内容だ。
だから俺も同じように踏み込んでいった。
「父上の安否を知りたいという一点では、余とお前は同じ思いのはずだ」
「……ええ」
「皇帝の権威の維持、これもまた目的は同じなはずだ」
「………………すごいですね、私相手にそこまで踏み込んで来られるなんて」
「時間の勝負と言った。それに…」
「それに?」
「お前の事は頼りにしたい。これは本音だ」
「………………」
オスカーは押し黙った。
複雑そうな顔で俺をしばし見つめた。
「……時間との勝負でしたね」
「ああ」
「つもる話はいずれしましょう」
「助かる」
「私はどうすればいいのですか?」
「詳細は終わった後に説明する。お前には誰とも接触せず、余が戻るまでここに一人でいてほしい」
「分かりました。ご武運を」
オスカーは何も聞かずに、俺の提案を受け入れた。
やっぱり有能な男だ、オスカーは。
オスカーのことはこの先もずっと頼りにしたい、できる存在でいてほしい。
俺は本気でそう思いながら、気配をオスカーの塔に残してその場を去った。
一直線に、父上がいるであろう宮殿に急行したのだった。