158.宝探しの旅
「それで、どこまで掴んでいる?」
俺は腰を落ち着かせて、シンディーが用意した人間のマッサージをうけながら、改めて彼女に来意を聞いた。
ある程度は予想がついている。
俺が最高速で帝都に戻ろうとするのを予想してて、それに合わせた準備もしてる。
つまりは父上の件を把握して、その話をするというということだ。
「さすが陛下でございます」
「お前の方がすごいだろうがな」
「私の方が?」
「お前のような女がこうまで整えて余を待っていたのだ、よほどの事を掴んでいなければできまい」
「……陛下って、本当にすごい」
シンディーは心から感動したような表情、熱に浮かされたような目で言った。
それはしかし一瞬だけのことで、すぐに表情を引き締めた。
「ノイズヒル様が参内いたしました」
「……二代前の第一宰相か」
シンディーは無言で、小さく頷いた。
ノイズヒルというのは、俺が子供のころの第一宰相だ。
先帝である父上の元で、30年近く第一宰相をやっていた、父上の治世でもっとも長く第一宰相職をやっていた男だ。
陰の功労者と評するに何らためらいのない男だ。
その後高齢をを理由に自ら辞任し、故郷へ戻っていき、政治には一切関わらなくなった。
ちなみに後釜はジャンを経て、今は俺の腹心であるドンが引き継いで第一宰相となっている。
そのノイズヒルが参内――父上の元に現われたという。
「なるほど……父上の容体は分かっているか?」
「信頼できる筋によりますと」
「うむ」
「意識ははっきりしており、対話の内容も異変はありませんとのこと。ただ」
「ただ?」
「妃達は全員遠ざけたとのことです」
「……そうか」
俺は重々しく頷いた。
シンディーの情報が正しいという但し書きはつくが、想像以上に悪いなというのが素直な感想だ。
「よく……ないのですか?」
「……」
俺はちらりと、マッサージをしている男達の事をみた。
「ご安心を、選びに選んだ者達でございます。ここでの話がもれるような事がありましたら私です」
「そこで一切あり得ないと言わないのがお前らしい」
「恐縮です」
「ノイズヒルは韜晦の上手い男だ」
俺は壁の方に目を向けた。
壁越しに、馬車の外の景色に目を向ける意識で話し始める。
「第一宰相を降りてから故郷にひきこもり、自身はおろか子孫たちにも政に関わらせないようにしている。普通は30年も第一宰相をやっていればその影響力でいかようにも出来よう」
「はい、そう思います」
「が、それは恨みを買う」
「恨み……だれからですか?」
「余だ」
「陛下?」
「もっと言えば仮想上の余だ」
「仮想上の……陛下?」
「ふふ、お前も他人事ではないぞ」
「え?」
「弟が大人になって家を上手く継いだとして、その時お前はいくつだ?」
「えっと……」
困惑顔のまま、俺の「質問」に答えようと頭を巡らすシンディー。
俺はいたずらっぽい笑みを浮かべて、更に続ける。
「意気揚々と家を継いでさあこれからは俺の時代だ――と思っていたところに年寄りに横から口を挟まれて見ろ、殺意の一つも湧こうというものだ」
「あっ……陛下のご不興を買わないように……」
「そういうことだ」
俺はフッと笑った。
もちろん俺はそんなつもりはない、理があれば話を聞くし、法を破れば粛々と処罰するだけだ。
が、仮想上の俺――仮想上の新しい皇帝はそうではない。
老人に口出しされるのを嫌うのは若者の本能だ。
それが権力を持った、ともすれば全能感を伴うほどの権力をもった新帝ならなおのことだ。
そしてただの若者なら愚痴をこぼすだけですむのが、皇帝は帝国臣民全てに生殺与奪の権力を持つ。
その気になれば法律なんて無視して処刑を出来たりする。(その後の顛末まで考えたら決してしてはいけないと思うが)
つまり、ノイズヒルは保身のために完全に隠遁した、と俺は考えている。
「そこまで韜晦の上手い男が今更参内した。理由は上皇陛下が呼びつけた以外にないだろう」
「なぜ上皇陛下が……?」
シンディーはうかがうような目で俺をみる。
そこまで推察出来ているのならその目的も分かっているはず、という感じの目をしている。
「……妃達を全員遠ざけたといったな?」
「え? はい」
質問を質問で返されて、虚を突かれたシンディーが戸惑いを加速させながら頷いた。
「……そうか」
「えっと……ッ!」
更に何かを聞こうとするシンディー、しかし途中ではっと息を飲んだ。
そして目を見開き、驚愕した顔で俺を見つめた。
俺は無言で小さく頷いた。
つまりはそういうことだ。
理由、そして根本的に父上の容体。
それは、推察は出来ても「余の口からは言えない」ものだった。
よほど良くないのだろう。
あの父上が女を遠ざけたのもそうだし、ノイズヒル――30年にわたって第一宰相を務めた腹心の中の腹心を呼びつけたのは遺言をしたためるためだろう。
もちろん推察だ。
状況証拠を組み合わせた推察でしかない。
しかしだからこそ。
俺の――皇帝の口からは決して言葉にしてはいけない内容だった。
「…………安心しろ」
「え?」
俺は壁の方を見つめたまま、シンディーに話す。
「すぐにどうこうなることはない、何がどうなろうが間違いなく猶予はある」
「それは……どうして?」
「上皇陛下は昔、余にこんなことを話してくれた」
俺はあの時の父上とのやり取りを思い出しながら言った。
すっかり想い出の中に溶け込んでいった父上の台詞を口にした。
「名君と呼ばれる人間は、十人中九人が晩節を汚している。お前もそう思うだろ?」
「……はい」
「上皇陛下はそれをとても案じておられた。生前退位で余に帝位をゆずったのもその一環だ」
「それはなぜ?」
「どんな人間であろうと、今際の際のもうろうとした状態で最善の判断など出来ない物だ」
「あっ……」
「自分がまだちゃんとしているうちに、もうろくし晩節を汚すような老害に成り下がるうちにちゃんとした後継者を選んで、波風立たずに権力の移転をしたい。というのが上皇陛下のお考えであろう」
「なるほど」
「一度経験すれば、類推もできる。余も、まだ頭がはっきりしているうちに大事な事をちゃんと決めておきたいと思う」
つまりは遺言をということだが、ここも直接的な表現はぼかしておいた。
これまた状況証拠からの推理でしかないが、的外れという事はないはずだ。
「な、なるほど……」
シンディーはそういい、頷いた――が。
顔が強ばっていて、その上青ざめている。
帝国の黄金期を築き上げた賢帝、生まれたときからずっと皇帝だった男の死期が近づいていると知って震えている。
俺は直接的な表現をぼかしにぼかしたが、シンディーほどの聡い女であれば「むしろ」はっきりと伝わるというものだ。
が、すぐに何かを覚悟したかのように、決意をかためた表情にかわった。
「陛下」
「なんだ?」
シンディーは再び俺の前に平伏した。
主人となる人間が平伏する姿に按摩の男達は、目が見えないながらも何かに気づいた様子で動揺したのが、肩や腰を揉む感触で伝わってきた。
「なんのつもりだ」
「誓って何も口外致しません、ですが、態度を隠し通せる自信もございません」
「そうかふむ」
「ですので、私を――」
「アルメリアの辺境の地に不老不死の妙薬があると風の噂で聞いた」
「――え?」
きょとんとしたシンディー、なんの事かと驚いた。
両手両足を床につけたまま、顔だけ上げて俺を見た。
「それを探してこい。つまらん噂だから余計な人を使わなくていい、お前が一人で宝探しして、三ヶ月後に余の所に報告に来い」
「……ッッ!」
シンディははっとした、俺の意図が理解できたようだ。
ようは、隠し通せる自信がないから口封じしてくれと彼女はいうのだが、俺はそれに対して適当に理由をつけて半年間一人で辺境にいってこい、だれともあうなと言った。
つまりは彼女を生かすための口実を適当につけてやったのだ。
それを理解した彼女ははっとした。
「それと――これももっていけ」
俺はマッサージする男の手をとめて、新しい紙をとってペンを走らせた。
そして、それをシンディーに手渡す。
シンディは体を起こして、跪いた状態でそれを受け取る。
紙には「人は宝」とだけかいた。
「これは……?」
「軽々しく変な事を考えるな。三ヶ月間、一日一回はそれ音読しろ」
「陛下……」
シンディーは感動し、跪いた状態のまま俺直筆の「人は宝」を胸にかかえて、目を潤わせた。
「人は宝、人は――はっ!」
早速音読をしたシンディー、何かに気づいたかのようにはっとした。
「はやいな」
俺はふっと笑った。
人は宝。
その言葉は彼女に変な気を起こさせない以外にもうひとつ意味があった。
シンディーを不老不死の妙薬という、あるはずもない「宝探し」の旅にだした。
三ヶ月後どうなっているのか分からないが、彼女が人と会えるようになった頃に、「宝探し」が不老不死の薬から人に変わる事を望んでそれを渡した。
ついでに誰か人材を見つけてこい、というメッセージだ。
人材も貴重だが、不老不死の妙薬なんぞよりも遙かに見つけやすい。
それをシンディーは出発前に気づいた。
「聡いな、お前は」
「陛下こそ……本当にすごい……」