154.不要不急
夜になって、ヘンリーと別れて自分の天幕に戻ってきた俺を、アリーチェが出迎えた。
「お帰りなさいませ、陛下」
「うむ」
俺が応じると、アリーチェはいそいそと近づいてきて、かいがいしく俺の鎧をはずしてきた。
家の中にもどれば上着を脱ぐのと同じように、寝室の天幕に戻ってきた俺は身につけている鎧をはずして楽にした。
アリーチェにそうしてもらいながら、天幕の中をなんとなしに見回した。
寝室、そう、寝室。
ここはいくつかある皇帝の天幕の、寝室の役割を担っている天幕だ。
天幕――つまり野外だというのに、中にはちゃんとベッドもあって、華美に装飾されたテーブルも置かれている。
床は一面にふかふかのじゅうたんが敷かれてあって、足がついてる床はとても野外だとは思えないほどに心地がいい。
今はないが、冬の時は地中に空気の通り道を掘って床暖房にする事もできる。
皇帝というのは技術的に不可能な事は出来ないが、人手さえふやせば出来る事は何でもやれる地位にいる人間だ。
ここもそうで、建物は毎日立て直す事は事実上不可能から天幕を使っているが、調度品は人手さえふやせば運び入れる事はそう難しくない。
「……ふむ」
「どうかなさいましたか?」
「オスカーのヤツ、本気を出しすぎだと思ってな」
「オスカー様……第八親王様がですか?」
「ああ。この寝室、2~3日前に比べて更に豪奢になっているのはわかるな?」
「え? あっ、はい! すごく、こう……まるで都にいるときのようです」
アリーチェは言葉を選びつつ、答えた。
「オスカーが手配して輜重隊に届けさせたのだ。ここから先は凱旋、ならば皇帝の格式を強調するためにとこういったものを送ってきた」
「格式……ですか」
「そうだ。余たちが乗ってきた神輿、あれも帰路は更に豪奢になっているぞ」
「あ、あれ以上にですか!?」
驚愕するアリーチェ、その気持ちはよく分かる。
都をでるときに乗って出てきたあの神輿、あの時もアリーチェは豪華絢爛さに戸惑っていたものだ。
「あれ」以上に、といわれればそりゃ驚きもしよう。
「凱旋だから帝都に戻れば出るとき以上に注目される。ああそうだ、一つ先に話しておく」
「何でしょう?」
「今回の勝利で、おべっかに長けた者どもが軽く余を神格化してくるはずだ。その余波でアリーチェにも……そうだな、『勝利の女神』あたりかな、そうやって持ち上げてくるだろう」
「勝利の女神……そんな、わたしなんて」
「ふっ、おべっかに長けた者達といった」
俺は笑って、アリーチェの肩を軽く叩いた。
「余も道化を演じなければならんのだ、少しの間付き合ってくれ」
「は、はい! 陛下のためでしたら!」
「たのむ」
「……」
ふと、俺はアリーチェの視線に気づいた。
アリーチェは何故かうっとりした目で俺を見つめていた。
「どうした」
「あっ……その、お世辞を言ってくる事を予測してて、舞い上がらず平常心でいるのはすごいな、って」
「そうか? くると分かればそれなりの心構えもできるだろ」
「それがすごいです」
「そうか」
アリーチェもすこしおべっかがはいってるな、と思いつつも、これくらいなら帝都にいる連中に比べれば可愛らしいものだから、軽く受け流すことにした。
鎧をはずした後、机に向かう。
机の上に書類がいくつも積み上げられていた。
俺の視線がそこに止まったのを見たアリーチェが口を開く。
「先ほど役人の方が持ってこられました」
「そうか」
「寝室でも……お仕事なさるのですか?」
「うむ、あらかじめ振り分けてもらった。不要不急のもの、暇なときに見ればいいようなもの、そういうのはこっちにと命じた」
「そうなのですね」
「例えば――」
俺はそう言い、報告書の一番上をとって、開いて中身を読んだ。
「……ふっ」
「ど、どうしたんですか?」
「ほら」
俺は口角をゆがめて、アリーチェに報告書を見せた。
アリーチェは受け取って、一度目を通したが、困った顔をした。
「どうした」
「ごめんなさい、お役人の難しい文章は、その……」
「ああ、むやみに修飾された『官文』はよめないか」
俺はにこりと微笑んで、報告書を返してもらった、内容を要約してアリーチェに教えてやった。
「余の戦勝を称えるため、宮廷楽士たちに新しい曲を作らせたから、その名前を授けてほしい――という上奏文だ」
「えっと、それって……………………もしかして?」
アリーチェは迷った。
そのたっぷりの「間」が、正しく理解していながらも困惑している、ということを如実にものがたっていた。
「いっただろ? おべっかに長けた者が早速動き始める、と」
「すごい……本当に、もう……」
アリーチェは俺の推測に感動しつつ、上奏文にあきれつつの、複雑な表情を見せた。
「とまあ、こんな風に、適当にやればいい内容の物ばかりだ。負担にもならん」
「は、はい」
「もう一件見ておく。その間に……そうだな、何か飲み物を」
「わかりました!」
アリーチェは静々と立ち上がり、天幕の入り口に向かって行った。
垂れ幕的な作りになっている入り口に手招きをして、外の小間使いに向かって耳打ちした。
それを尻目に、俺は宣言通り、もう一件処理するために報告書をとった。
「……ふむ」
それを最後まで目を通してから、一度頭の中で文章をまとめてから、ペンをとって返事をかいた。
すこし長い文面になったが、難しい話じゃなかったから淀みなく最後まで一気に書き上げられた。
それを書いた後、もう一度最後まで確認してから、「よし」と小さくうなずいた。
「お疲れ様でございます。こちらをどうぞ」
「ああ、ありがとう」
労をねぎらいつつ、受け取ったコップに口をつける。
帝都なら貴族、このような野外だと皇帝でもなければ許されない、氷をつかった冷たい飲み物だ。
それに口をつけながら自分の耳たぶを揉みしだく。
すこし知恵熱に近いものをだしてて、今はそれを冷やしたかった。
「肩をおもみ致しますか?」
「いや、そこまではいい」
「そうですか……」
アリーチェは何故か、少しだけ残念がる表情を見せた。
その表情をみていると、彼女も見られている事に気づいたので、慌てて話題を変えてきた。
「あの、何を書かれていらっしゃったんですか? かなり集中されていましたが」
「安心しろ。これも不要不急の案件だ」
「あっ……」
「ふっ、ゾーイへの返事だよ」
「ゾーイさん……って、以前陛下のお屋敷で」
「そうだ、あのメイドのゾーイだ。今は外地に出したが」
「そのゾーイさんに何を?」
「ゾーイから許可を求めてきたのだ、余の陵墓――墓をつくるいい土地を見つけた、とな。どうだ、不要不急だろ?」
「へ、陛下の!?」
俺はおどけて笑って見せたが、アリーチェは血相を変えるほどの勢いで驚いた。
それは見ているこっちまで釣られて動揺しそうな位の剣幕だった。
「落ち着け、よくある話だ」
「え?」
きょとんとするアリーチェ。
俺はとりあえず「座れ」と目配せした。
指示された通りおずおずと横に座ったアリーチェに説明をする。
「皇帝の墓を見たことはあるか? 例えば数百年前の誰かの」
「えっと……あっ、母の故郷のちかくにそういうのがありました」
「巨大だっただろ?」
「はい、ちょっとした村――いえ、町並みの規模でした」
「うむ。それくらいの規模の墓、建造にどれくらいかかると思う? 一ヶ月や二ヶ月どころの騒ぎじゃない、年単位の時間がかかる」
「はい、きっとそうだと思います」
「計画立案から設計まで、実際の着工竣工を考えると、下手をすれば10年かかってもおかしくはない。何しろ町レベルの規模で、見栄えも考えないといけない。場合によっては呪術的な設計も盛り込む事もあるからますます複雑になる」
「はあ……」
椅子に座り直したアリーチェは小さく頷いた。
「そうなると、だ。皇帝が死んでからたてると間に合わない。死んでから十年間も墓に入れられないんじゃかわいそうだろ?」
最後におどけながら言うと、アリーチェはここでハッとした。
そして、おどける俺の意図を理解し、取り乱した自分を恥じたのか赤面した。
「そ、そうですよね」
「だから、皇帝が100人いれば99人は生前に陵墓の建造をすすめている。ちなみに先帝陛下の陵墓はもう出来ている、ダミーも含めて三つだ」
「ダミー……あっ、盗掘……」
「そういうことだ」
俺はフッと笑った。
「だから余が陵墓の建設をしてもおかしくはない、いや、むしろしなければならない」
「しなければならない?」
陵墓の建設については納得したものの、「しなければならない」となるとやっぱり不思議がるアリーチェだった。
「つまるところ公共事業だ。土木は金がかかる、金をかければ民間が潤う。土木で人夫が潤えば――そうだな、ああいった者達の懐はアリーチェの同業者にも繋がっているはずだ」
「あっ、陛下がいつもおっしゃってる……」
「そういうことだ」
「そうでしたか……すごいです陛下、お墓にもそんな理由があるんですね」
「ああ」
俺は頷き、真顔で言い放つ。
「国に余裕があるときなら、公共事業は無駄なくらいやるべきだ」
「すごいです陛下」