152.貴種流離ははじまらない
天幕の中、俺はアリーチェに手伝ってもらって、鎧を纏っていた。
出陣のための鎧姿に着替えていた。
「……ふっ」
「どうかなさいましたか?」
目の前で手伝ってくれてるアリーチェが、不思議そうに見あげて、聞いてきた。
身長差もあって、これくらいの至近距離だと自然と見あげる体勢になる。
そんな、上目遣いで不思議そうな彼女に対して。
「なに、もう一人でも身支度が出来るとは、口が裂けても言えないな、とおもったものでな」
「陛下は……」
アリーチェは不思議そうに小首を傾げた。
今は皇帝、そしてかつては親王。
そんな人間が自分で身支度はしない、と、俺との付き合いも長くなったアリーチェはなんだかんだでその事はしっている。
一方で、直接否定したり聞き直したりする事にためらいがある、ということからの反応だ。
俺はふっと笑った。
「余はいわゆるお忍びも多い、それでヘンリーにも怒られているくらいだ」
「あっ、そうでした!」
アリーチェはそれで納得してくれた。
お忍び中はさすがに自分で身支度をする、という理屈に納得してくれたみたいだ。
無論、本当はそういう話ではない。
俺はこう思ったのだ。
もう、前世の経験があるからといって、一人でも身支度ができるとは、口が裂けても言えないな、と。
生まれ変わって、ノア・アララートになってから数十年。
人生の長さでいえば、もはやノアでいるときの方が長くなってしまったくらいだ。
前世の経験が薄れつつあり、ノアとしての自覚が強くなりつつある。
もう、一人で身支度するのも難しいなと、妙な感慨を覚えた。
ただ、実を言えばこの感覚になるのはこれで二回目だ。
「……昔、聞いた事がある」
俺はそういうていにして、アリーチェに話した。
「幼い頃は寒村で生まれ育って、すこし成長してから都に上京してきた青年が、いつの間にか都での人生の方が故郷よりも長くなって、それが感慨深い,と言う話を」
「分かります、私も――」
アリーチェは何かを言いかけて、ハッとして口をつぐんだ。
「ん?」
「あっ、な、なんでもありません!」
アリーチェは慌てた。目に見えてはっきりと赤面して慌てて否定した。
そして「陛下がいらっしゃる人生の方が長くなったなんて……」と消え入りそうな声でつぶやいた。
本人はごまかしたつもりだが、俺の耳はしっかりそれを拾った。
まあ、ごまかしたいのなら、聞かなかったことにしてやるのが優しさだろう。
俺はそのまま黙って、なにも言わずにいた。
アリーチェはすこし慌てたが、俺が黙っているとすぐに落ち着きを取り戻し、まるで貞淑な妻のようにかいがいしく俺の身支度をやってくれた。
しばらくして、天幕の外に人影が見えた。
「ヘンリーでございます」
「入れ」
鷹揚に応答してやると、天幕の入り口が開いて、こっちは完璧に身支度を調えてあるヘンリーが現われ、中に入ってきた。
ヘンリーは俺の前まで来て、慣れた感じで作法に則って一礼した。
「用意が調いました、陛下」
「うむ」
「場所はここから南西にまっすぐ行ったところ、はぐれた部隊が取り残されております。規模からして鎧袖一触でしょうか」
「わかった」
「しかし、なぜこのような事を?」
「うむ?」
俺は首をかしげ、ヘンリーを見た。
ヘンリーはと言えば俺以上に不思議そうな顔をしている。
「陛下のお考えがいまいち……大勢は決した、あとは掃討か平定――言葉の微妙なニュアンスの違いですが、そのような段階です」
「そうだな」
「なぜここで陛下がお出ましになる必要が? しかも、オーダーは……」
ヘンリーはちらっとアリーチェをみた。
命令を下した俺だからよく分かる、ヘンリーは「女の前での俺のメンツ」に配慮してくれているのだ。
俺はあははと笑って、いった。
「一番弱い敵はどこか、だな」
「……はっ」
「せっかくだ、もうしばらく韜晦を続けようと思ってな」
「どういう事でしょう」
「俺は今回、親征してきたが特に何もしなかった。何もしないうちに終わった」
「……はっ」
ヘンリーは小さく頷いた。
俺が「表向き」の話をしているのだということを、有能なヘンリーは意識を切り替えずとも分かる。
「何もしなかった皇帝が、終わった後に慌てて実績を積み上げに行った、という事にしておきたい」
「なるほど、まだごまかしが効く段階だから、とことん昼行灯を演じてしまおう、とそういうことですな」
「そういうことだ。だから『弱いものイジメになるくらい』の相手がベストだった」
「やはり陛下はすごいですな」
「そうか?」
「私はどうしても戦術でものをみてしまう。陛下のそれは『皇帝』という立場の演出――戦略でございます」
ヘンリーが俺を褒めた。
ヘンリーほどの男がかなり本気で俺を褒めた事に、だまって身支度をしていたアリーチェが聞いて、うっとりした尊敬の眼差しを向けてきた。
「ヘンリー」
「はっ……?」
「戦術と戦略に優劣や上下はない、手段――道具の差異という話にすぎない」
「……やはり陛下はおすごい」
ヘンリーは一瞬目を見開き、絶句するほど驚いたあと、一段と尊敬する眼差しを向けてきた。
☆
兵を率いて出陣した俺は、ヘンリーから――斥候から得た情報を元に進むと、四半日程度で孤立したという部隊を捉えた。
その部隊はいきなり現われた帝国兵相手に迷いを見せた。
徹底抗戦すべきか、それとも即座に逃げるべきか。
それさえも決めきれずに、迷っているのがありありとみえた。
俺はまったく迷わなかった。
敵影を捉えたのとほぼ同時に、皇帝の紋章を作りながら、兵に突撃を命じた。
強い部隊を「うっかり倒して」しまうのが最も良くない。
皇帝の俺がここで命を落としてしまう、の次くらいに良くない事だ。
だから斥候には前もって、念入りに敵部隊の事を調べさせた。
結果、どう高く見積もっても孤立した弱兵、というのがわかった。
その部隊に向かって、俺は突撃をかけた。
ヘンリーの言うとおり、鎧袖一触だった。
突撃してぶつかった直後から潰走をはじめ、あとは背中を向けた敵兵を斬っていく、という形になった。
俺は容赦せず、乗ってきた馬上から敵兵をきり続けた。
目の前に出てきた数少ない兵はもちろん斬ったが、それ以外でも、自分の兵が弱らせた敵兵も「横取り」するように斬った。
そうして「横取り」をしている間も、精霊による皇帝の紋章を維持することはやめない。
顔さえも知らない人間が、紋章と存在感で「皇帝」だと強く認識する、精霊を活用した力。
その力で、強く「皇帝」だと主張しながら斬った。
こうすることで皇帝の俺が戦場にいることを強く主張した。
瞬く間に敵部隊は文字通りの全滅となったが。
「敵部隊、全滅致しました」
「ごくろう」
報告する部隊長クラスの兵が、いちいち兵の手柄を横取りする俺に軽蔑の目を向けてきた。
こういう「せこい」話は、出所が敵よりも味方の方が信憑性が高まるもんだと、俺は狙い通りに行ったことに心の中で密かに満足した。
俺は馬上のまま、後始末をする兵達と、殲滅した敵兵を眺めた。
ふと、一つ違和感を覚えた。
「妙だな……」
「なにがですか?」
一番近くにいる、部隊長の兵が俺の漏らした言葉に反応した。
俺は答えずに、馬を引いて観察を続けながら、違和感の正体を言葉にする努力をした。
すこし考えて、うまく言葉に出来た。
降伏の気配がなかったのだ。
敵兵は徹底抗戦か逃走の動きが見られた。
しかし、降伏の気配は一切なかった。
それが少し引っかかった。
もちろん俺は有無を言わさず殲滅するつもりで来ている、が、「俺の」都合なんて向こうは知るよしもないし、例え知っていたとしてもすがりたいと思うのが人情だ。
なのに、まったくと言っていいほど降伏の気配はなかった。
それがおかしい、引っかかる。
「陛下!」
一人の兵が走ってきた。
慌てて走ってきたせいか、息を切らせている。
「なんだ?」
「そ、妙なものを見つけてしまいました」
「妙なもの」
「はっ、その……なんと言うべきか」
報告にきた兵の顔は困惑に満ちていた。どう説明して、どう報告していいのか分からない、って顔だ。
「わかった、案内しろ」
「は、はい!」
困惑する兵に命じて、案内をさせた。
馬に乗って、他の兵が開けた花道のような道をすすむ。
進んだ先は敵部隊の中心部だった場所で、そこに少しばかりの物資があった。
物資の中に、一つ大きな木の箱があった。
「これです」
「これは……」
俺は馬から飛び降りて、木箱に向かっていった。
箱を開けると、中には――。
「……なるほど」
貴族の服を纏った一人の少年が、意識のない、しかし生きている状況で横たわっていた。
「どういう事でしょうか」
「ヤツの息子だな。箱の中を確かめてみろ、血筋を証明出来る何かが入ってるはずだ」
俺がいうと、兵が箱の中、少年のまわりをくまなくチェックし始めた。
しばらくして――。
「すごい……あっ、ありました!」
箱の中をチェックしていた兵が、まるで宝物を掘り当てたかのように、文字の刻まれた金のプレートを高く掲げたのだった。
ここまでいかがでしたか。
・面白かった!
・早く続きを!
・応援してる!
と思った方は、広告の下にある☆☆☆☆☆からの評価をお願いいたします
すごく応援してるなら☆5、そうでもないなら☆1つと、感じたとおりで構いません。
すこしの応援でも作者の励みになりますので、よろしくお願いします!