148.強い目の女
エトナの顔を見ながら、俺は彼女と会ったときの事――俺が即位して半年くらいたった頃の事を思い出していた。
☆
宮殿の中、休息の間。
表から戻ってきた俺は、正装の中でも一番かさばって疲れる王冠を外して近くのメイドに手渡し、そのままソファーに座った。
肺に溜まった空気を吐き出し、肩を揉みほぐす。
そして俺の後ろについて入室してきたドンに聞く。
「これで何割だ?」
「申し上げます。全体の約3割で、残り700人弱でございます」
「ふむ、これは今日中には終わらんか」
「今からでも簡略化されてはいかがでしょうか。陛下は一人一人に温情をかけすぎます」
俺は微笑んだまま、答えなかった。
皇帝が即位した後は、様々な恩賜を満天下に配るのが恒例だ。
騎士選抜も例年のものよりも遙かに大規模で開き、枠も多くとる。
皇帝が即位した時の「恩試」で選出された騎士は、象徴的なものとして、通常の騎士よりも名誉的なものととらえられる。
つまりは「即位記念」をあっちこっちに配るという事だ。
その即位記念の一環で、俺は国中から寄付を集めた。
親王時代、皇帝陛下――いや先帝陛下に進言して、創設させた名誉騎士の制度。
金で罪を消すことはまかりならんが、金で名誉だけを買うのは許されるべきだという事で、一定の寄付を国にした者は皇帝から直々に表彰される名誉騎士の称号を得られるという制度だ。
それを更に拡大して、即位記念として一千人の枠と限定して、上位千人の寄付をつのった。
もともと名誉の側面がつよい即位記念イベントの数々、それを名誉特化の名誉騎士制度に合わせて、更に「千傑宴」と銘打って箔をつけてとことん名誉に特化させた。
これには雑音もあったが、祝い事の祝儀集めということで無理矢理押し切った。
そして今、表彰を300人ほど終わらせて、ひとまず中断している。
ドンが言っている「温情かけすぎ」というのは、一人一人に時間をかけて話をして、耳を傾けている、ということだ。
「今回だけだ。それにこうした方が制度全体の箔付けにもなる」
「それはその通りでございますが……」
「俺が――余に言葉をかけられた者たちは故郷に戻った後自慢する、それで次の年もまた金を出そうとする人間が現われる」
「それでは場末の――いえ、なんでもございません」
ドンは言いかけた言葉を飲み込んだ。
何を言いたいのか分かるし、それが俺の体を案じての事だったから、話を掘り下げることはやめておいた。
俺とドンが言い合いまがいな事をしている横から、ゾーイが冷たい飲み物を差し出してきた。
それとほぼ同時に、二人の若いメイドが左右から俺の額や首筋の汗を拭いてきた。
即位した時に屋敷からそのまま連れてきたゾーイ達メイドは、長年俺に仕えているだけあって、こうした疲労をとる細かい事の加減が実に絶妙だった。
「ご苦労、助かる」
「ありがとうございます!」
「……わかりました、もうお止めいたしません」
「ん?」
「その代わりある程度で制止に入ります。陛下はそのままお続けください」
「憎まれ役を買って出るか」
「陛下はいつもすごい事をされますが、見せ方に無頓着過ぎます。そのお考えでしたら演出を一切加えないのはもったいなさ過ぎます」
「そうか、任せる」
俺はうなずき、冷茶を一口すすった。
ドンの言うことはもっともだから、言葉通り彼に任せることにした。
そのままメイド達に肩をほぐしてもらいつつ少し休んで、疲れが少し取れた所ですっくと立ち上がった。
「続けるぞ」
「御意」
メイド達をおいて、ドンを引き連れて部屋を出た。
そのまま謁見の間に向かう。
謁見の間に入って、玉座に座ってドンに頷く。
ドンは頷きかえし、それから大声で再開の号令をした。
すぐに一人の男が入ってきた。
初老の男で、見るからに着慣れない一張羅を身に纏っている。
前もって言いつけられている作法に則って跪いて一礼するが、慣れてないため動きが全体的にギクシャクだ。
今回でよく見られるタイプだ。
地方の名士だが、中央の華やかな場は一切経験がなく緊張している。
俺はねぎらう口上を述べて、雑談にも似た言葉をかけた。
男は緊張しながら応答し、やり取りを広げる。
ここでドンが「時間です」と制止にはいる、俺はそれにむかって、手をかざして止めながら更に一言二言やりとりを交わす。
それで男はますます感激顔になっていった。
そしてドンの二回目の制止が入ったところで、「ご苦労、これからも国のために励め」といって、やり取りを終えた。
初老の男は謁見の間に入ってきた時の緊張感が吹き飛び、まるで神をあがめるような表情で退室していった。
その心境は手に取るように分かる。
多くの民にとって、皇帝とは殿上人――いや天上人の様なものだ。
その天上人たる皇帝が、大臣の制止を振り切って自分に多めに言葉をかけてくださった。
これはもう感激するしかない、一生ものの想い出だ。
特に名誉騎士制度に乗っかってくるような人間はなおさらそういう考え方になる。
こんな感じで、俺は休憩後も一人一人に言葉と時間をかけた。
ドンはまだちょっと納得がいかないという感じが眉間に時折現われるも、割り切って悪者を演じていた。
そうして、また一人の男が入ってきた。
今までにもよくあった、地方の金持ちにありがちな肥満体をしている、見た目二十歳になったかどうかという青年だ。
男は俺の前に進み出て、所定の位置で跪いて作法に則って一礼した。
俺は少し感心した。
金持ちの肥満といえば甘やかされて育った者がほとんどで、実際今日もそういった人間が多く、最低限の作法もままならないか、あるいは緊張しきって会話もまともにできない者がほとんどだった。
しかし目の前の男は作法が完璧な事もさることながら、緊張こそしているが態度は堂々としていて、まっすぐ目をそらさずに俺を見つめている。
その目は何かを見極めんとしている者特有の目をしていた。
俺は男の事に興味をもった。
「名前は?」
「ツルフ・アイワーンと申します。天顔を拝し光栄至極――」
「ツルフ?」
俺は首を傾げた。
「ツルフはたしか四十六歳だったのではないか?」
俺は横にいるドンに水をむけた。
ドンは驚き戸惑った。
「どうしてそれを……?」
「何を言っている、名簿を渡してくれたのは卿であろうが」
「い、いえ。そういう事ではなく……まさか、覚えて……?」
驚きながら、探るような目で俺に聞き直すドン。
「ああ。ツルフ・アイワーン、四十六歳。穀物商で妻一人娘一人。家業のほとんどを任されてはいるが代表は未だに七十を超える父親――違うか?」
「おっ……おい!」
ドンは一瞬きょとんとしてから、慌てて少し離れた所にいる書記官に手招きして呼び寄せた。
書記官も慌てた様子で書類を持ってドンの元に駆けつけた。
ドンは書類を受け取って、目を通す。
一通り読み終えてから顔をあげて、俺に答える。
「そ、その通りでございます。覚えておいでで?」
「目を通せばそれなりにはな」
「「す、すごい……」」
ドンと書記官の二人が揃って舌を巻く。
一方、ツルフは跪いたまま、どこかうさんくさげなものを見るような目で俺を見ていた。
俺はその目を無視して、聞く。
「聞いての通りだ、ツルフは四十六歳。お前はどう見ても四十六には見えないな?」
「そ、それは……」
ツルフと名乗った男の表情は一変し、はっきりと動揺しだした。
俺はしばらくその男を見つめた後。
「お前……もしかして娘の方か?」
「え?」
この「え?」はドンのものだった。
言われた本人はといえば、目を見開き口をぱくぱくと開けて、答えることも出来ない様子だ。
なるほど図星か、と俺は思った。
「へ、陛下? どうしてそのような事を?」
「別人だと分かってよく見れば、いろいろ矛盾点も見えてくる。上手く着ぶくれで隠してはいるが、喉仏がみあたらんな?」
「え? ――はっ!」
俺の指摘を聞いてハッとしたドンはパッと自称ツルフの方を見た。
自称ツルフは慌ててのど元を両手で押さえて隠した。
速さ的にドンははっきりと視認できなかっただろうが、本人のその反応が何よりの証拠になった。
「誰か! この者を捕らえよ!」
「よい」
俺はドンを制止した。
「つまり娘のエトナということか」
「……」
「それはそうとして……体型は服の下に詰め物だろうが、声はどうやった? しゃがれていて男の声にしか聞こえなかったが?」
「えぅ……あぅ……」
「陛下の質問に答えんか!」
俺の制止で衛兵を呼ぶことを止めたドンだが、さすがに腹が納まらずに、あわあわとしだした自称ツルフ――エトナに大声で怒鳴った。
それでますますあわあわし出すエトナだった。
「木炭か?」
「――っ!」
俺の指摘を聞いて、首を縦に何度も何度もふるエトナ。
「なるほどな」
「陛下、木炭というのは?」
「木炭を砕いたものを飲んだのだ。炭の粉が喉にまとわりついて……そうだな、ざっと半日は声がガラガラになる」
「そのような抜け道があるとは存じ上げませんでした。さすが陛下でございます」
「で、何故娘のそなたが? 父親に何かがあったのか?」
「そ、その……」
「うむ?」
「一度……天顔を直にこの目で拝謁したく。でも名誉騎士は男じゃないとだめだから、祖父が変装して行ってこいって」
「うむ? ドン?」
「……明文化しておりませんが、おそらく各階級の責任者が慣例としてそのようにしたのかと」
「そうか」
俺は頷き、エトナに振り向いた。
「よく来てくれた。来年からの名誉騎士は女でもなれるようにしておく」
「ーーっ!」
エトナは驚き、絶句した。
☆
あの時から十年近く経って、再びエトナと邂逅を果たした。
「覚えていて……下さったのですか?」
「素顔を見ていなかったから結びつかなかったが、目は覚えていた」
驚くエトナ。
「目、ですか?」
「余という男を観察しようとしていた珍しい目だ」
「あっ……」
エトナは驚き、うつむき、そして恥じらったような、そんな目をしていた。