146.種まき
村に入ったところで、手綱を引いて馬車を止めた。
「ミュール、呼ぶまでそこでじっとしてろ」
「みきっ!」
ミュールに軽く釘を刺しておいてから、ルークをつれて馬車を飛び降りた。
「『俺』は旅の商人、お前はその丁稚だ」
「え? あっ、はい! 分かりましたご主人様」
正体を知られたくないための設定、ということを理解し、慌てて首を縦に振るルーク。
そんなルークを連れて、村に入る。
村には活気がなかった。
それどころか、略奪を受けた後のような、そんな痕跡さえ見て取れる。
「ご主人様……これって……」
その事をルークも感じ取ったのか、困った顔で俺を見あげてきた。
「うむ……だれかいませんかー?」
俺は息を吸って、大声で呼びかけた。
なるべく敵意のない事を主張しながら呼びかけた。
それまで扉がキツく閉ざされていた家屋の中から人が反応したような気配がして、実際にいくつかの家のドアが少し開いて、すきまから中の者がこっちの様子をのぞく――という反応があった。
だがだれも出てこようとしない。
もう一度呼びかけてみるか――となったその時。
少し離れた所の家から一人の老婆が出てきた。
老婆は木の杖をついて、若干おぼつかないが年相応ではある足取りでこっちに向かってきた。
「どちら様ですかな」
老婆は警戒心を露わにしながら、俺に来意を尋ねてきた。
「旅の商人です。飲用水が底をつきましたので、少し――コップいっぱい程度でいいので分けてもらえないでしょうか。もちろんお礼は支払います」
「……」
老婆はじっと俺を見つめた。
それが本当の事なのか、と見極めるような瞳だ。
「わかりました、少しお待ちくだされ」
老婆はそう言い、踵を返してでてきた家に向かっていった。
歩きながら手招きのような仕草をすると、家から若い男が出てきた。
「井戸から水を汲んでこい」
「わかった」
若い男は頷きながらも、俺には警戒心のこもった一瞥をしてから、村の奥に走って行った。
しばらく待っていると、男が水の入ったコップをもって戻ってきた。
それをもって、老婆と一緒に俺の所に戻ってきて、コップごと差し出した。
「これくらいで足りますかな」
「充分です、感謝します」
「ご、ご主人様、これ――」
ルークは何か言おうとしたが、俺はその前にコップを受け取って、天を仰ぐように飲み干した。
ルークの言いたいことはわかる。
男が汲んできた水はお世辞にも綺麗なものとは言いがたかったからだ。
まだ幼いとは言え、宦官が日頃接しているのは宮廷にあるもの。
特に最近は俺の世話もしているから、目にする水は綺麗なものばかりだ。
皇帝の贅沢というのは、どこそこの茶葉は特定の場所の水を使って入れるもの。
更にこだわり出せば、冬に保存した雪を、使う直前になって溶かして沸かす――なんていうのもある。
それに比べれば確かにこの水は綺麗ではないが、飲めないほどのものではない。
俺は飲み干してから、コップを男に返した。
「ありがとうございます、助かりました。少ないですがこれを――」
俺はそういい、懐から銀貨を取り出して渡そうとするが、老婆はゆっくりと首を振った。
「結構ですよ、水の一杯程度でお金を頂くわけには」
「自宅での一杯と旅先で飲み干した一杯では価値が違います。どうか受け取ってください」
そういって銀貨を更に差し出すが、老婆はやはりゆっくりと首をふった。
「今それをもらっても奪われるだけでなく、痛めつけられて命の危険さえもあります。どうぞそれをしまってください」
「むむっ」
俺はすこし大げさに反応した。
老婆の言いたいこと、危惧していることはある程度予想出来る。
俺にはそれだけで理解し想像できることだったが、ルークはそうではなかった。
「どうして、これを受け取ったら命の危険があるんですか?」
ルークは率直な感じで、ストレートに老婆に聞いた。
子供のルークが率直な疑問を示したのがよかったのか、老婆は小さくため息をついたものの、躊躇することなく答えた。
「今もっていても、領主様の軍隊に持って行かれるからだ」
「領主様の?」
「失礼ですが、もしかして食糧などを奪われているのですか?」
とっかかりが生まれたので、ルークの代わりに聞いた。
やはり子供ではなく大人の俺だと少しは警戒されて、老婆もその斜め後ろにいる男もはっきりと眉をひそめ、男の方に至っては体がのけぞるくらいに警戒した。
「失礼、各地で商いをしているとよく見るのです。ここの領主様は現地徴収の形ですかな」
「……以前は違っていました」
「どういうことですかご主人様?」
不思議そうに聞いてくるルーク。
その率直さが今は有難い、と、俺は流れのまま説明――教師が生徒にする様な形で説明をしてやった。
「軍隊さんの食糧の供給は大まかにわけて二つの方法がある。一つは輸送補給すること、もうひとつは現地徴収すること」
「え? 全部運んで届けるんじゃないんですか?」
「帝国はそうしている、しかし辺境に近づくほど現地の農民から徴収することが多くなってしまう。どうしたって穀倉地帯から遠い地域だと輸送にもお金がかかってしまうから」
「そ、そうなんですか……」
「それでも、前までは内地から届けさせてたから俺らに手を出すことはなかったんだけど、あいつ、皇帝になったとか言い出してからは――」
「ゴウ」
老婆が若い男をとがめるような口調で遮った。
男は鬱憤が溜まっていてここぞとばかりに吐き出していたが、慎重な老婆はよそ者の俺に不用心なことは言うな、という感じで咎めたようだ。
「だってよ! それにアイゼン様もアイゼン様だ。向こうの食料庫を焼いたせいで――」
「やめんか!」
老婆が更にきつい口調で言い、男は「うっ」と飲み込んだ。
「どういう事ですかご主人様?」
「ふむ……推察するに、アイゼン将軍が敵の徴収して集めた食糧をまとめて焼き払ったので、焼かれた分の補充でまた徴収略奪に来た――ということかもしれない」
「そうだよ!」
「アイゼン様は悪くない。ちゃんと補償もしてくれたじゃろ」
「それも奪われただろうが!」
「そのこともアイゼン様が悪いというのかえ」
「……ああもう!」
老婆に言い負かされた男は、地団駄を踏んで癇癪を起こした様子で立ち去った。
……まあ、彼の立場ならそうだろうな。
アイゼン――ジェリー・アイゼンはエイラー軍の糧秣庫を焼いた。
失った分の食糧を求めてエイラー軍は更なる略奪をした。
それをジェリーが何らかの形で補償した――が、それもまた奪われた。
ジェリーが何もしなければこうはならなかったが、かといって補償したことまで咎めるのも筋違いと老婆は言い、男はそんなの分かってるけど気持ちはやりきれない――という感じだった。
ジェリーの行動がこのような状況を招いていたとはな。
ジェリーの行動は決して間違いではない。
むしろ戦術的にも戦略的にも正しいものだ。
帝国から独立し、統治の基盤が固まっていないエイラー軍の食糧をまとめて焼いたのは非常に正しい。
ただそれでしわ寄せというか、ババを引かされた者達がいる、ということだ。
「……少しお待ちください」
俺はそういって、身を翻して馬車に戻ってきた。
上半身だけ馬車に入った。
「みきっ?」
「いい子だからそのまま待機な」
「みきっ!」
「フワワ」
ミュールをなだめつつ、外から見えないようにフワワを呼んだ。
そしてフワワに命じて作らせたものを持って、老婆のところに戻ってきた。
そして、「それ」を差し出す。
「お礼といってはなんですが、これを」
「これは?」
老婆は警戒し、受け取ろうとしない。
俺が差しだしたのは手の平サイズの箱だった。
箱を開けると、球根のようなものがはいっていた。
「これは私が取り扱っている商品の一つでね、今から植えれば、一ヶ月位で大量に収穫できますよ。そうですね、この村の皆さんを食べさせる程度には成るはずです」
「……そんなに貴重なものを」
「旅先のコップ一杯ほどではありません」
「しかし……」
「そうですね、また奪われるかも知れませんね。ではここに植えていきます。植えた種まで掘り返す略奪者もいないでしょう」
俺はそう言い、目立つところで地面をほって、「種」を埋めた。
「……感謝します、旅の人よ」
「いいえ、こちらこそ」
「オーイ婆さん、みんな! エトナさんがまた来たよ!」
村の奥からさっきの若い男が走ってきた。
男は走りながら大声で叫ぶと、それまでじっと息を潜めて様子をうかがっていた村人達が一斉に家から飛び出した。
そして少し遅れて、男がやってきた方向から複数の荷馬車をひいた一団が現われた。
「あれは?」
「この近くの商人の娘、エトナさんじゃ。略奪をされてから、同じような境遇の村をまわって炊き出しをしてくださるのよ」
「なるほど、食糧を置いていくのではなく、その場で食べきれる炊き出しか」
老婆は小さく頷いた。
そして俺に一言言ってから、振り返って杖をつきながら炊き出し隊の所に向かっていった。
「ご主人様」
「ん?」
「ご主人様が埋めたものってなんですか?」
「ああ、有り体にいって金だ」
「え? お金?」
「そうだ。フワワに外側を包んで、種っぽくした。そして春になったら勝手に割れて出てくるようにした。今金を渡しても奪われるだけだ」
それに春には決着をつけている――とは、あえて言わなかった。
「そんな事ができるんですか!?」
「ああ」
「すごい……ご主人様なんでも出来るんですね」
俺はくすっと笑った。
なんでも出来るのはフワワ達だ。
「あっ、そうだ。さっきのお水! 大丈夫なんですか」
「それこそ大丈夫さ」
俺はまたまたくすっと笑った。
「俺はあらゆる毒を受付けない。アポピスが解毒してくれる。あの程度の水ならどうもない」
「……あっ、お酒の」
「そういうことだ」
天幕での放蕩の事を思い出して、ハッとするルーク。
そしてすぐにまた、感動したような表情をした。
「すごい、本当に凄いですご主人様」
俺はふっと微笑みながら、炊き出しをみた。
老婆と話している若い女がいる。
その女が中心になっているようだから、村人たちが言っていた「エトナ」という女なんだろう。
老婆から聞いたのか、女はこっちに視線を向けてきた。
俺と視線があって、女は少し驚いたような顔をした。
そして部下らしき男に何か言いつけてから、こっちに向かってきた。
俺はそのまま待った。
商人の娘で、あっちこっちで炊き出しをしている。
ということはもっと情報が得られるかも知れない。
俺はそのまま、エトナが目の前までくるのを待った。
エトナは俺の前に立って、真顔で会釈して、ささやくくらいの小声で口を開く。
「天顔拝し光栄至極に存じます」
「むっ? 知っているのか?」
「名誉騎士エトナ・アイワーンでございます」
「……ふむ」
なるほど、と、俺は納得したのだった。