140.忘れられた存在
「ああん! なんだって!?」
「むっ?」
部屋の入り口の方に目をむけた。
部下を呼びつけて、命令を伝えようとしたジェリーだが、目を剥いて怒鳴っていた。
「またかよ! あいつらほんっとうにあきねえな」
「は、はい。で……どうしますか?」
「ちっ。そうだな――」
「どうした、なにがあった?」
俺は近づいて、ジェリーに聞いた。
直前までジェリーに報告していた若い部下が俺をみて不思議そうな顔をしたが、そっちは無視することにした。
ジェリーは部下にヒラヒラと手をふって、まずは下がらせてから、俺の質問に答えた。
「兵同士がまたケンカしたんですわ」
「そんなの日常茶飯事ではないのか?」
俺は小首を傾げた。
子供の頃からヘンリーの下について、兵務省に詰めていたから他の親王よりは少しその辺りの事には詳しいつもりでいる。
軍というのは、毎日のように兵同士でなにか諍いを起こしている集団なのだ。
兵同士のケンカ――というのは取るに足らない日常の一コマだと、俺は思っていたのだが、俺よりも兵に日頃から接しているはずのジェリーは日常茶飯事にはとらえてないようで、かなりの勢いで激していた。
「そうなんですが、とある連中が絡むといつも大事になるんですわ」
「大事?」
「男色の連中ですわ」
「ほう」
なるほど、と俺は頷いた。
男色家というのは決して珍しくないものだ。
貴族の間でもそれなりにいる。
貴族に限って言えば、義務である子作り――血をつなぐことさえしっかりやっていれば男色だろうが気にしない風潮がある。
もともと貴族にとっての結婚は義務で、真実の愛は婚姻外にあるという考え方が一般的だから、男色こそが――という見方もそれなりにある。
だから俺は男色と聞いても特には驚かなかった。
「それを裁かないといけないんだが……これが面倒臭くて」
「なぜ面倒臭いのだ」
「男色の連中は大抵、恋人が同じ部隊にいたりするもんですわ。で、他の連中とケンカする時って、恋人がみてる前でやることが多いんですわ。で、恋人の前でいいところを見せたくて張り切るもんだから、大抵やり過ぎてしまうんですわ」
「なるほど、勢い余って殺してしまうこともままあるのだな」
「そうなんですわ……まったく面倒くせえ。べつに男色はいいんですわ」
「いいのか?」
「いやね、これがメリットもあるんですわ。性処理の面で」
「……ああ、なるほど」
俺は少し考えて、得心した。
そんな俺を見て、ジェリーは頷いた。
「兵士連中の下半身を適切にフォローしてやらねえと、街を攻め落としたときいくら言っても略奪とかに走っちまうんだ。でも普段からちゃんとフォローしてりゃまあまあ押さえられる」
「そうだな、略奪しすぎるとその後の統治が難しくなる。大事な事だ」
「そういうことですわ。だから俺はこの街の娼館の税金を全部免除しやした。普段だったら兵がかってに解消できるようにって」
「ははは、それは上手くやったな」
俺はかなり本気でジェリーを褒めた。
軍隊の下半身事情は古来より統治者の悩みの種だ。
攻撃前は厳しく制限して、戦勝後は何日かの略奪を許可する、とするものもいるが、そのあとの占拠統治を考えると略奪はなるべく避けた方がいい。
出兵するときに輜重隊と同じように、娼婦だけの部隊を連れていくことも珍しくない。
だが、それは「戦えない人間」を多く連れて行くのと同義で、食糧などがかかる割りに見せかけも実際も兵力が増えないのが難点だ。
この手の話は歴代様々な君主や将軍が直面してきたが解決出来なかったことで、ジェリーの苦労が忍ばれるなと思った。
「……ふむ」
「どうかしたのか主君」
「男色の兵って多いのか?」
「そこそこってところですかね。たぶん二・三百人くらいは」
「その者達を集めて個別の部隊をつくるのはどうだ?」
「え?」
「さっきお前も言ってただろ? 恋人が見てると張り切りたくなるって」
「…………その張り切りを敵軍にぶつけるって?」
「そういうことだ」
俺は小さく頷いた。
言われたジェリーは目を剥いて驚いていた。
いままでそんな事考えもしなかったって顔をしている。
「それに、まわりもそうだ、という環境にしてやった方がケンカも減るだろ? いやまあ、今度は色恋沙汰が発生するのかもしれんが」
「…………」
俺がおどけて言ってみせるが、ジェリーは真顔で考え込んだ。
「どうした?」
「え? ああいや、やっぱり主君ってすごいですわ。うん、それをやってみますわ」
我に返ったジェリーは真剣そのものの顔をしていた。
俺の提案を本気で検討している、って顔だ。
「少なくともケンカは減る。それだけでもやる価値がありますわ」
「そうか」
「いや本当にすごいですわ。俺じゃこんなの思いつけなかった」
「パーウォー帝国の騎馬隊が世界中を蹂躙して回ったことは知ってるか?」
「え?」
きょとんとするジェリー。
いきなりなんだ? って顔をしている。
「どうなんだ?」
「ええまあ。もともとパーウォー帝国の起源は北方の遊牧民族だから、中心にいる精鋭はみんな騎馬兵だったって事は知ってます」
俺はふっと笑った。
パーウォー帝国の歴史、ジェリーの出自と普段の振る舞いを考えれば、そんなのわざわざ勉強してない――といってもおかしくはないのだが、ジェリーはかなり詳しく知っていた。
やっぱり振る舞いはある程度演技で、ちゃんといろいろ勉強しているんだと思った。
「それがどうかしたんです?」
「パーウォーの騎馬隊が何故強かったのかわかるか?」
「え? だから遊牧民族でみな産まれたときから馬を――」
「それもある、だが別の理由もある」
「え? それは……?」
「パーウォーの馬は武器じゃなくて、食糧や輸送とかもかねてたってことだ」
「へ?」
「一人につき五頭の馬を支給されてたのかな? たしか」
俺は少し前に、歴史を調べたときに得た知識を頭から引っ張り出しながらいった。
「普段は馬にのって戦う。一頭の馬が疲れたりケガしたりしても別の馬に乗れる。そしてその馬は行軍中は荷物を背負わせることが出来る」
「おお……」
「いざという時は馬を殺して、血は飲用、肉は食用にできる」
「歩く食糧!」
「戦闘、輸送、補給。すべてが馬で出来るから、無駄がなく少数精鋭たり得た訳だ」
「そうだったのか……」
「そこからの連想だよ」
「え?」
「性処理の娼婦をつれて歩くよりは、恋人同士を同じ部隊に固めた方がいいかもしれないって。まあパーウォーの馬ほど万能ではないがな」
「いや、すげえよ主君。そこからその連想が出来るなんて」
☆
一旦部屋を出たジェリーは、30分もしないうちに戻ってきた。
戻ってきたジェリーは子供が新しいおもちゃを手に入れたときのような、興奮した顔をしていた。
「どうだった?」
「300人一カ所にまとめられそうだ」
「それはよかった」
「すごいよ主君。これまでは遊ばせてた、押さえつけてた連中の力をいい感じに敵軍にぶつけられそうだ」
「うむ……むっ?」
「どうした主君」
「…………」
聞いてくるジェリー。
俺は手の平をかざして、「ちょっと待て」的なジェスチャーをして、考え込んだ。
何かが引っかかった。
何に引っかかったのを考えると――。
「遊ばせてた、か?」
「え?」
遊ばせてた、の何が引っかかったんだ?
俺は更に考えた。
何かがある。
気のせいとかじゃない、「遊ばせてる」という言葉が何かに引っかかっている。
それも――かなり昔から思っていたこと。
「――っっっ!!」
しばらく考えたおれはハッとした。
「モンスター……」
「え?」
「帝国はモンスターを遊ばせてる」
「……――っ!! 可能なんですかい!?」
俺が言うことをすぐに理解したジェリーは、俺と同じようにひどく驚いた顔をした。