134.三つの贈り物
夕焼けを背負いながら、馬車の外に出て、相手が向かってくるのを待った。
野営地で自然と出来た通行用の大通りの向こうから一人の男が現われた。
率いてきた兵を全員野営地の外で待たせて、単身こっちに向かってくる。
ズンズン、ズンズンと、そこそこの安普請だったら床が軋んだり踏み抜いたりしそうな、それくらい豪快な大股での歩き方だった。
顔の半分がひげで覆われている鎧姿の漢は、一直線に俺の前までやってくると、そのまま地面に飛びつくくらいの勢いで平伏した。
「お久しぶりです主君、ジェリー・アイゼンでございます」
「うむ、元気そうだな。直で合うのは十年ぶりくらいか?」
ジェリーは平伏したまま、顔だけ上げて答える。
「へい! 漢にしてもらったあの日からざっと十年くらいです」
「そうか。楽にしていい、それだと話もしつらいだろう」
「へい!」
ジェリーは最後にもう一度、額を地面にこすりつけてから、すっくと立ち上がった。
かなりの存在感だ。
近くでよく見ると鎧は年季が入っていて、細かい傷が数え切れない位ついている。
ひげに隠れていて目立たないが、頬の横に傷跡があって、その傷跡がまだピンク色で生々しかった。
今でも最前線にいるのだろうな、というのが傷跡一つではっきりと分かる。
体がデカいことも相まって、存在感――いや威圧感たっぷりだ。
気の弱い新兵だとにらまれただけで気絶しかねないなとおもった。
「そういえばこのあたりにいたか」
「へい! 三年前からずっとこの西方に」
「それはいいが、何をしに来た。お前も無号とはいえ今や将軍、持ち場を離れては問題があるだろ」
「主君がこっちにくるって聞いたんで、この機会を逃すとまた何年先になるかわかったもんじゃねえから、贈り物を三つくらいもってきたのよ」
「贈り物?」
「そのまえに……ジェリー・アイゼンだったか」
背後からヘンリーが進み出て、眉をひそめた不機嫌そうな顔でジェリーに問い詰めた。
「陛下の御前だというのになんだその言葉使いは」
「これは親王様。いや、それは本当にすまねえとは思ってるんだけど」
ジェリーは頭を掻いて、困り切ったような顔で答えた。
「おりゃあ盗賊の出でよ、主君に拾われてからはずっとあっちこっちの戦場を回ってきたから、礼儀作法とかまったく知らねえのよ。や、将軍になったんだから覚えろっていうんでしょ。わかります、わかりますよ。でもそんなの覚える暇があったら一人でも辺境の蛮族ぶっ殺してた方が主君の役にたてるってもんでしょうが」
「……限度がある」
「よい」
「陛下」
ヘンリーは振り向き、「甘すぎます」と言わんばかりの軽い非難の目で俺を見た。
「余が許可する。そもそも陣中だ、礼儀作法にこだわっていてもしようがあるまい」
「陛下がそうおっしゃるのであれば……」
ヘンリーはそう言いながらも、不承不承な表情のままをしていた。
ヘンリーは長らく兵務親王大臣をしてきた。
兵務省のトップということは、兵を率いる将軍らと接する機会が多く、気性が荒くて礼法も雑な人間と多く接しているのだろうが、通常将軍まで登りつめてくる人間はなんらかの縁故があるか、今ジェリーがいったように「将軍になったら覚える」者がほとんど。
ジェリーのように、それをまったく気にしない人間の方がまれだ。
大抵は地位が上がれば「失う物」が多くなって、地位を守るためにみにつけていくものだけど、ジェリーはまったくそうはしなかった。
それがすこし面白かった。
「そんな事よりも贈り物ってなんだ?」
「へいっ――おい!! 早く持ってこねえか!」
ジェリーは背後、自分がおいてきた部隊に向かって大声で叫んだ。
まるで雷鳴のような、かなりの大声だった。
まわりで粛々と設営していた兵士達が驚いて、手を止めて振り向くくらいの大声だった。
当然、それがジェリーの部隊に届いて、向こうがなにやら動き出した。
しばらくすると、十人近い兵士が、五人の女を「護送」するような形でやってきた。
「お待たせした主君」
「なんだそのもの達は」
「へい! 主君が女を連れて来たってのを聞いたんだけど、それが一人だなんて寂しいにもほどがある。だから俺の管轄の中でそれなりの女を集めて連れてきた」
「なるほど」
俺は小さく頷いた。
いきなりの事だが、皇帝――いや貴族としてこんなことは驚くに値しない。
ご機嫌取りに女を献上してくるなんて年がら年中ある事だ、驚くことじゃない。
「あっ、もちろん全員納得してるぜ。例えばこの二人は農家の口減らし、その横は娼館の見習い、こいつがつぶれた町食堂の看板娘で、こいつは……えっとなんだっけお前」
「お、弟が結婚するから、そのために売られました」
ジェリーがきき、少女がおそるおそるながらも答える、という奇妙な光景だった。
「そうそうそれ。末っ子の嫁取りは大事だから他の子、特に娘っ子がそのために売られるのはよくあるらしいよな、俺には理解できんけど」
「ああ、西方の農家によくきく話だ。この土地の風習といっていい」
「おっ、主君はしってるのか?」
「うむ。東方の農家は代替わりするとき男子全員に均等に土地をわけるそれが『たわけ』という言葉の由来だ。一方の西方は末子が全部受け継ぐから、金は全部末子に使われるのだ」
「へえ……しかしなんでまた末っ子に。長男だろこういうのって」
「末子の方が若くて、長く働けるという説が有力だな。今となっては慣習でやってるところがほとんどだろうが」
「へえ……すげえな主君、そんな事も知ってたのか」
「ジェリー・アイゼン、さすがに無礼が過ぎるぞ!」
黙っていたヘンリーが、結局堪り兼ねてジェリーを一喝した。
「え? ああっ! 確かに! 今のは悪かった! 話が面白かったもんでつい!」
ヘンリーにたしなめられたジェリー、さっきとはちがって、今のはジェリー自身もよくないと思ったか、ものすごい勢いで地面に平伏して額をこすりつけた。
勢いよく土下座したが、許す許さない以前にひたすら面白いと思った。
「よい、気にしてはおらん」
「はっ!」
パッと立ち上がるジェリー、かなり強くこすったのか、額に血がにじんでいるが、それをまったく気にも留めることなく更に続けた。
「あっ、もちろん全員にちゃんといってあるんで安心してくれ主君。主君に見初められりゃそれでいい、そうじゃなくても期間中ちゃんとつかえりゃ家族とかその辺俺が一生面倒みてやるって」
「かなりの大判振る舞いだな」
「いやあ、そんなことも――あっ! そうだ! 大盤振る舞いで思い出した! 酒も持ってきたんだわ。やっぱり女のついでに酒もないとだよな!」
ジェリーはそういって、また自分の部隊の方にむかって叫ぼうとした。
叫んだら今度は酒が運ばれてくるんだろうな、と俺はクスッと笑った。
「わかったわかった。余の前に並べずともいい。後で係の者達に引き渡せ」
「ははっ!」
「結構金がかかったのではないか? 無号の将軍の俸禄ではこれだけ用意するのキツかっただろうに?」
聞くと、ジェリーは今までで一番、真面目な顔をして俺を見つめて、答えた。
「俺が今ここにいるのは、こうして真人間をやってられるのは主君のおかげだ。主君があの日俺達に道をくれなきゃ今ごろどっかの死刑場か山奥で腐って肥やしになってるぜ。で、やっと巡ってきた恩返しの機会だ、かかあたたき売ってもやるときだろ?」
「余は道をくれてやっただけだ」
「それでも! それでも恩人、いや神なんだ、俺達には」
ジェリーはまっすぐ俺を見つめながら答える。
まっすぐ向けられてくる視線は、「こんなことじゃ全然恩返しにもならない」ような事を主張していた。
「ふっ、律儀だなお前は。わかった、酒は受け取る、女は連れて帰れ。いい女がもういるのだ」
「そうなんです?」
「都で――いや帝国で一番の歌姫だ」
「なるほど! そりゃこいつらの出番はないわな」
ジェリーは食い下がっては来なかった。
押しつけがましさがなくて好感が持てる。
「で、最後のひとつはなんだ?」
ふいに、ヘンリーが口を開いた。
俺がジェリーをかばい続けるような形になったから、すこしふてくされてる感じで聞いた。
さっさと聞いて、さっさと話を終わらせたい、そんな感情がみえかくれしていた。
「……ああ、そういえば贈り物は三つといっていたな」
俺は微苦笑した。
女、そして酒。
ジェリーのいう「三つ」はこの場合三種類のことだろうから、それで考えると一つ足りない。
「あっ、それならもうちょっとだ」
「もうちょっと?」
「さすがにあそこまでは声が届かねえからな……すまねえ主君、ちょっとだけ待ってく――」
ジェリーがそうはなした瞬間の事だった。
遠くから爆発音のようなものがした。
俺たちは一斉に爆発音の方角をむいた。
北の方に山があり、その向こうから断続的に爆発音が聞こえてきた。
そして――茜色の空がさらに濃くなった。
「なんだ? あれは」
「へへ」
ジェリーはにやり、と得意げにわらった。
「主君に逆らう身の程知らずのクソどものよ、糧秣庫をさくっと焼かせたのよ」
「「――っ!」」
自慢げにいうジェリーのそれは、もっと自慢していい内容だった。
ヘンリー、そして会話に割り込む隙間がなかったニールが、ジェリーの言葉に驚愕し、未だに爆発音が続き、炎上している北の方をみつめつづけたのだった。