133.ノアの役目
次の日の昼間、馬車の中。
ヘンリーとこの先の話をしていると、ニールが戻ってきたという知らせが入った。
報告の為にもすぐに馬車の中に呼んだ。
馬車に入ってきたニールはちらっとヘンリーを見て、そのまま片膝をついて頭を下げた。
「護送の任を引き継いだため帰還致しました」
「ご苦労、近くで話せ」
「はっ」
ニールは立ち上がり、近づいてきた。
馬車の中だが、そこそこの広さのある部屋になっていて、立ち上がって歩いてきても頭をぶつけることはない。
ニールは近づき、テーブル越しにおかれている椅子の一つの前に立った。
俺が「座れ」と許可をだしてから、ニールはそこに座った。
「どうだヘンリー、余の言ったとおりだっただろ?」
「そうですな。私の負けです」
俺とヘンリーがそうやって笑い合っていると、ニールはなんの事かわからずにきょとんとなった。
とはいえ自分のことなのかも分からないから、聞く事も出来ずにただただ不思議そうな顔をするしかなかった。
「ヘンリーから注意されていたのだよ、お前の態度はさすがに目に余るって」
「あれは――」
「慌てるな、余が許可したことは話した、余人がいないところでなら、とな」
「はあ……」
「それでもヘンリーは、甘やかしすぎるとつけあがるからビシッと締め付けたほうがいいぞ、といってきたのだよ」
「陛下、それは要約がすぎますぞ」
ヘンリーは微苦笑しながら俺をたしなめた。
ニールの態度を注意したヘンリーだ、当然ながらもっとまわりくどくで、礼を失しないような言い方だったけど、まあ内容はそんなもんだ。
「で、軽く賭けをしてみた。ヘンリーがいるときお前はどう振る舞うか、とな」
「陛下は当然、お前がしっかりすると信じておられた。人を見る目で完敗ですな。さすが陛下でございます」
俺はふっと笑い、肯定も否定もしなかった。
皇帝にとって、謙遜は必ずしも美徳ではない。
ニールが、ヘンリーがいることでちゃんとした作法で振る舞ったのと同じように、皇帝も臣下の前、民の前では謙遜することなく鷹揚でいることを求められる。
「さて、報告をしてもらおうか」
「はっ。途中まで送り、陛下の言葉を伝えました」
「どうだった?」
「最初は驚き、その後は感涙しておりました」
「そうか」
「その後信頼できる部下に都まで護送させました」
「うむ、ご苦労」
頷く俺。
これであの件も一件落着だな――と、思っていると。
「しかし、陛下。あれこそ甘やかしすぎなのではありませんか?」
まったく一件落着とはならずに、ヘンリーがまた「甘やかしすぎ」といってきた。
「ふむ?」
「衆目環視のまえであんなことをしでかしたのです、まったく咎めずというのはどうかと。それに法務省行きだなどと」
「法務省行きだと何かよくないですかヘンリー様」
ニールが不思議そうに聞いた。
「陛下はかつて法務親王大臣でおられた」
「はい」
頷くニール、まだまだ理解できなさそうな顔だ。
俺はふっと笑い、「わからないのか」というあきれ顔をするヘンリーの代わりに説明をする。
「行動というのは善悪、正しいか間違っているかの他に、まわりの人間がどう受け止めるのか、という評価軸がある」
「はあ……」
「余はかつて法務親王大臣として法務省を司っていた。そうなると、直々に法務省行きという裁きは余が認めた人間だ、どいう風に見られる」
「なるほど……」
「まわりの見る目も代わる。甘やかしすぎというのはそういう意味だ」
ヘンリーが最後に補足の説明を付け加えた。
「そうかもしれない、だが、これでいいと余は思う」
ヘンリーは無言で「それはどうして?」という顔で俺を見る。
「理由は二つ。ああやって、死を覚悟して正しさを貫こうと振る舞えるというだけで一種の才能だ。その才能が惜しい」
「もう一つは?」
「試練だ」
俺はフッと笑った。
「ヘンリーのいうとおり、法務省へ送ればまわりは余が甘やかしているように見る。すると様々な人間があの男に近づく。誘惑が増える」
「……誘惑に耐えられるかどうか、ということか」
「そうだ」
頷き、一呼吸おいてから、更に続ける。
「百人隊長程度の地位で実直さを貫けても、出世した後もそうだとは限らない。のちのち重用するためにも、このタイミングで測っておきたい」
「成るほど……すごいですね」
「正直、陛下はあの兵を買いかぶりすぎだと私は思う」
ヘンリーが苦い顔で言った。
「そうか?」
「衝動に任せての直諫はさほど難しい事ではない」
「人間は時として正しさに酔うことが出来る、か?」
俺がいうと、ヘンリーは無言で小さく頷いた。
「それならそれでよい。まずは法務省で鍛えながら様子見だ。直諫はそもそも咎めるべき事でもない」
「……そうですな」
ヘンリーは小さく頷き、ひとまずは納得したようだ。
「さて、話を変えよう。二人の意見を聞きたい事が一つある」
「なんだろうか」
「――っ!」
ヘンリーは平然と聞き返してきて、ニールはやや緊張した面持ちで気持ち背筋を伸ばした。
二人っきりの時はそんなことはないのだが、ヘンリーがいることで俺が普段よりも「皇帝」がましく振る舞っているから、それで緊張しているようだ。
それをあえて指摘する事なく、俺は続けた。
「最終的にはオスカーと諮るのだが、その前に意見を聞きたい」
「では内政面のことですかな」
「新しい官職をつくりたい」
「あたらしい官職?」
「うむ、皇帝に直諫するためだけの官職――そうだな、ひとまず『弾正官』とでもしておくか」
「弾正官」
「役割は今言ったように皇帝たる余に直諫するためだけのもの。帝国法も一部改正し、不敬罪は一部の例外にしなければならないだろうな」
「そこまでなさるおつもりで?」
ヘンリーは少し迷ったような、困ったような、そんな顔で俺に聞いた。
アリーチェとは違って、ヘンリーはすぐに「はっ」とした。
あの兵士の直諫がきっかけで、俺がちゃんと「制度化」しようとしている事をヘンリーは正しく理解しているようだ。
俺ははっきりと頷いた。
「そうだ」
「なぜ、そこまで?」
ヘンリーは更に食い下がるように聞いてきた。
「延々と同じ話になるが、余は、余を皇帝に指名した先帝陛下の眼力が正しかった、そのことを証明しなくてはならない」
「陛下……」
俺は天井を見あげた。
馬車の天井は軽量化を図るために帆布を使われていて、うっすらと青空が見えている。
普段よりも遠い空を見あげながら、続ける。
「それこそが余が即位した一番の使命だと思っている。弾正官を設置すれば、まず一つは――さっきも言ったように、まわりがどう受け止めるか」
「……そうですな、弾正官の発言の権限をどれほどにするのかにもよりますが、陛下が直諫を心から求める名君、とまわりに強調する事ができますな」
ヘンリーの言葉に、俺ははっきりと頷いた。
この名君は俺を指している言葉だが、実際は「名君を指名した名君」ということで、文脈的には父上を褒め称えている言葉だった。
「もう一つは実利面。余も間違えることがあるだろう。ヘンリーやオスカーでは諫めないようなことも、弾正官を複数おいて誰かが諫めてくれれば間違いも起こらない。間違いを減らしていけば、おのずと名君になる」
「そういうことでしたか」
「ヘンリーはどう思う?」
「私に否はございません」
「そうか、なら問題はないだろう。オスカーも、こういうことなら反対はすまい」
「それはオスカーを過大評価――いえ、なんでもございません」
「そうか」
俺は小さく頷いて、ホッとした。
ふと、そういえばニールはさっきから何も発言していないなあ、と思って、彼にも水を向けてみた。
「ニールはどう思う?」
「え? あっ……その……」
「うむ」
「その……すごいな、って」
「なんだそれは」
俺はクスッと笑った。
「いや、そんな風に自分を監視する人間を好んで近くに置くなんて、普通は考えられないものでして……」
「陛下はそういう所がある。幼少の頃から」
舌を巻くニールと違って、ヘンリーはどこか納得したような表情をしていた。
まあいい。
この様子だとニールは特に意見もないだろうから、後でまた書簡をだして、本命であるオスカーの意見を聞こう。
皇帝は絶対、という信念を持つオスカーは最初こそ反対するかも知れないが……名君たらんとするのならそれも必要だというのは理解してくれるだろう。
さて、後は――。
「お、お取り込み中すみません」
ふと、馬車の外からルークの声が聞こえてきた。
「どうした」
俺ではなく、ヘンリーが聞いた。
こういう時、場の主ではなく、「位の低い」人間が応対することがある。
それに沿ってヘンリーがルークに聞いたんだが、俺ではなくヘンリーに聞かれたからか、威圧されたと感じたからかルークの声に緊張感がはっきりとました。
「あ、あの、えっと……お、お客さま、です」
「客? なんのことだ」
「あっ、すみませんお客さまじゃないです。へ、陛下に謁見を求めて来る方が」
「だれだ」
ルークの緊張に気づいたからか、ヘンリーは失笑しつつ、気持ち口調を和らげて聞いた。
「えっと……むごうしょうぐん? のジェリー・アイゼン様です」
「むごう……無号将軍か。だれだジェリー・アイゼンは」
首をかしげるヘンリー。
「ジェリーか、懐かしいな。通せ」
「は、はい!」
「陛下、知っておられるのですか?」
「ヘンリーも知っている者だぞ?」
俺はクスッと笑った。
「え?」
「ほら、ニシルの時、余を襲った盗賊団の頭だ」
「……………………………………おお」
俺からヒントを出され、そこではじめて思い出した、ような顔をするヘンリー。
「そういえばそんな者も……覚えておられたのですか?」
「うむ。文字通り宝になった人だからな」
「陛下……すごいですな……」
ヘンリーは舌を巻き、驚嘆したのだった。