132.死を覚悟したもの
ニールと話しているうちに、徐々に馬車の速度が落ちてきて、やがて完全に止まってしまった。
「今日の野営地点についたかな」
俺がそう言ったのとほぼ同時に、少年宦官のルークが外から声を張り上げて聞いてきた。
「る、ルークです、陛下」
「入れ」
「失礼します」
皇帝である俺の許しを得て、ルークは馬車に入って、俺に平伏した。
「どうした」
「今日の野営する場所に着いたみたいです。すぐに天幕の準備が出来ますのでもうしばらくお待ちください」
「うむ」
俺は頷き、ニールのほうをちらっと見て、少し考えた。
「ちょっと視察するか」
「視察? なんのために?」
「アリバイ作りだよ」
「アリバイ……?」
説明を聞いてもますます不可解な顔をするニール。
俺はふっと微笑みながら、指輪を目の前にかざした。
そのまま念じてアポピスを呼び出す。
あらゆる毒を支配し司るアポピス。
今回の親征で、夜はアポピスを使って、酒を飲んだ傍らから体外に排出させていたのでいくら飲んでも酔わなかった。
それをほぼ正反対のことをする。
「うっ……」
「へ、陛下……?」
ニールとルーク、二人は同時に眉をひそめた。
ニールに至ってはかなり直接的な反応――皇帝の御前であるのにも関わらず鼻を摘まんだほどだ。
「その様子だとちゃんと嗅ぎ取ったか」
「嗅ぎ取ったなんてもんじゃないぜ。なんなんだこの酒臭さは。酒樽に丸一日つかったようじゃないか」
ニールがいい、ルークはコクコクと頷いた。
「ちょっとした魔法だ」
「もしかして……魔剣リヴァイアサンの?」
「リヴァイアサンではないが、まあ、同質のものだ」
これをいうとプライドの高いリヴァイアサンが抗議してきそうだったが、わかりやすさ優先でそういうことにした。
普通の人間にしてみれば、リヴァイアサンもアポピスもそんなに違いはない。
人間ではない、人間を遙かに超越した存在であるのは変わりないのだ。
「それは自由自在に操れるということなんです?」
「うむ」
「すごいな……しかもみた感じ、ただ酒臭いだけのようだ」
「勘がいいな、そういうことだ」
さすがニールと俺は思った。
そう、俺はアポピスに酒臭さを出してくれるように命じたが、酒臭いだけだった。
通常これだけさけくさかったら足元がふらついたり思考力が低下したり、ろれつが回らなくなったりするものなんだが、そういうのは一切ない。
ただただ、酒臭いだけ。
俺はそのまま先に馬車をおりた。
ニールとルークが慌てて後をついてきた。
馬車を降りると、広大な草原で、野営地の設置がもう8割方すんでいた。
馬車が止まったばかり――とは、初日にすこし驚いたが、皇帝が隊列の最先頭にいることはありえない話で、先陣がある程度設置できたところで皇帝=俺の馬車がたどりついたからこういう状況になる。
俺は何もいわず、歩き出した。
背後でニールが手招きをして、何人かの兵を連れて俺の後についてきた。
ルークはついてこなかった。
ニールが護衛を連れてついてきてる、ということで宦官の自分の出番はないと判断したのかも知れない。
ともかく俺はニールらを引き連れて、陣中を視察して回った。
ほとんどの兵は俺の姿をみて、パッとその場で直立礼をした。
平時だと皇帝には屈膝礼――膝をつく作法をとるものだが、軍においては戦闘態勢を維持することを優先するため、よほどの事が無い限り直立礼でいいと定められている。
だから、表情がよく見えた。
大体十人に一人くらいの割合だろうか、俺に――皇帝に不満そうな顔をしているのが分かる。
そりゃそうだ。
毎日朝方まで女遊びをして、たまに顔を見せたと思えば酒臭さ全開。
そんな皇帝、不満を持たれて当然だ。
俺はその反応に満足した。
アリーチェのことにくわえて、この姿を見せればまわりはダメ皇帝って認識してくれる。
後は、兵の中に何人か間者でも潜り込んでいたら言うことないな。
「待て! 何をする」
「取り押さえろ!」
ふと、俺の進行方向からなにやら不穏な騒ぎが聞こえてきた。
その直後、何人かの兵士の制止を振り切って、一人の中年兵士が俺の前に駆け寄ってきて、その場で平伏した。
「恐れながら申し上げます! 陛下!」
「やめろ!」
「こっちへ来るんだ!」
男が振り切った兵士達が追いついて、肩と腕を掴んで立たせてようとし、連れ去ろうとした。
「よい」
俺は手をかざして、それを止めた。
「え?」
「は、ははー」
俺に制止された兵士達、最初は状況を受け入れられずにいたが、皇帝がいいというのなら否はないとばかりに手を離して、他の兵士――野次馬とかしている兵士達の列に戻っていった。
残ったのは、肩と腕を掴まれ引っ張られても、まるで地面に根を下ろしたかのように、びくともせず平伏したままの中年兵士。
彼は平伏したまま、顔だけあげて俺をじっと見つめてきた。
「お前は何者だ?」
「第三軍百人隊長、アンディ・ヘイデンと申します」
「ふむ、その百人隊長が余になんの用だ?」
「恐れながら申し上げます、陛下。今すぐ亡国の魔女を都に放逐すべきです」
「ほう?」
「あの魔女は陛下にとって百害あって一利なし。このままお側においては敗北の遠因となるやもしれません」
「つまり、余が女色にうつつを抜かしているといいたいのか?」
「ーーっ!」
百人隊長アンディは一瞬息を飲んだ。
俺が少し強い口調で詰問したからだ。
しかし息を飲んで、たじろいだのはほんの一瞬だけ。
アンディは歯をぎりり、と食いしばる様子で、覚悟を決めた表情で更に続く。
「女に我を見失って間違った判断をする『元』名君は枚挙に暇がございません! このままでは――」
「そうか、分かった」
俺は小さく頷いた。
覚悟を決めたアンディの表情が一瞬明るくなった。
分かってくれたのか――という顔になった。
「ニール」
「え? はっ!」
まさか自分に水を向けられるとは思ってなかったのか、ニールは一瞬きょとんとしてから俺に応じた。
「この男を捕らえよ」
「え? はあ……えっと、罪名は?」
「皇帝への不敬罪だ」
まわりはざわついた。
ニールは俺をしばし見つめたが、やがて。
「御意」
といって、アンディを拘束しにいった。
「離せ! 待ってくれ! 話がまだ――」
「口を閉じさせろ、それ以上言わせるな」
「はっ!」
ニールは応じて、アンディの腹部に当て身を喰らわせた。
アンディは目を見開き、がはっ! とヘドを吐いたあと、気を失って崩れ落ちた。
「連れて行け、沙汰は追って知らせる」
「はっ!」
ニールはそう言って、自らアンディを連れて行った。
俺はそのまま、ざわつきが止まらない軍中を見て回った。
さすがに二人目の諫言者が出てくることはなかった。
☆
夜、皇帝親征軍から都に向かって逆走する一台の馬車があった。
馬車の上には気を失っているアンディと、それを見下ろすニールがいた。
まわりに数名、ニールの部下となる決闘隊の騎士志望者が付き添っていた。
月光の下でゆっくりと逆走している馬車の上、その震動でアンディが目覚めた。
「ここは……はっ!」
「きがついたか」
アンデイがパッと起き上がって、驚いた顔のまままわりをみまわした。
「安心しろ、都に戻る馬車の中だ」
「都に……? あれ、拘束が……」
アンディは自分の体の異変に気づいた。
あるべきものがないのだ。
アンディは皇帝ノアに直諫した。
そしてノアの怒りに触れた。
その場で死罪を申しつけられてもおかしくないし、最低でも罪人として手枷足枷がないとおかしい。
なのに、そういうのはまったくない。
アンディは拘束されておらず、まったくの自由の身だ。
「どうなっているんだ?」
「勅命」
「――っ!」
ニールが居住まいを正して声高らかに宣言すると、アンディは一瞬驚き、そしてその場で平伏した。
勅命の伝達、皇帝の名代への礼法を確認したところで、ニールは更に続けた。
「百人隊長アンディへの不敬罪を特赦し、法務省への異動を命ずる」
「えっ?」
驚いたアンディ、顔をあげてニールをみる。
「以上だ。どうした、お礼は?」
「え? あ、有難き幸せ……」
「よし」
「あの……これは一体……」
「陛下の心遣いだ。軍法ではなく帝国法の不敬罪を適用させた。よかったな、軍法ならあの場は即死刑だったぞ」
「し、しかし不敬罪でも――」
「陛下の受け売りだが、不敬罪の本質は皇帝の私法だ。皇帝が笑って許すといえばそれで終い、だ」
「……」
アンディは抗弁しかけて、言葉を飲み込んだ。
軍法というのは通常の帝国法より、同じ罪でも一段階重く罰が設定されているのがほとんどだ。
これは帝国が「戦士の国」ということもあって、厳しい法と重い刑罰で軍を統制をしているのが理由だ。
しかし不敬罪はあくまで皇族ひいては皇帝への言行をとがめるもの。
勘違いされがちだが、とがめられない可能性はこっちのほうが遙かにある。
特に貴族は、王族は時として「寛大さ」を見せつける必要がある。
だから寛大にとがめない、という事例もかなりある。
アンディもその勘違いをしていたが、言われて「それはそうだけど」と困惑した。
「理屈としちゃしっていたが、そういう使い方をする皇帝ははじめて見た。自分への不敬罪なら自分が許せばそれで終わり……いやまあ理屈はそうなんだけどさ」
ニールはふっ、と苦笑いした。
一人で理解している顔をしているニール、アンディはますます置き去りにされたような顔をした。
「あの……」
「ああ、陛下からの伝言だ。原文復唱は許可されてないからある程度俺の解釈が入るぞ」
「は、はは!」
「陛下は今昼行灯を演じている」
「!!」
「お前の言うことはわかる、だか今は聞き入れる訳にはいかない」
「……え、あ……」
「だが、あの場面で、あの身分差で、軍法も知っていて、それでも死を覚悟した上で直諫できる人間は貴重だ。昼行灯の必要が無くなったときに重用するから、しばらく法務省で陛下の足跡を追っておけ――ってことだ」
「つ、つまり……」
「お前は陛下の策略の邪魔をしたが、陛下はその実直さを気に入ったって訳だ。人は宝、ってな。本当にすごいお人だよ、まったく」
「……」
ニールは感心し、アンディはますます驚き、言葉を失うのだった。