131同じ釜の飯をくった仲
しばらくして、アリーチェの瞳から感動の色が徐々に薄れ、代わりに疑問の色に取って代わられた。
「どうした?」
「えっ? あっ、いえ、なんでもありません」
「遠慮するな、なんでも聞け。いえないことは言えないとはっきりそう言ってやる」
「は、はい。その……どうして方舟町、陛下のご私宅にいた使用人たちにも手紙を?」
「ああ、そのことか」
俺はなるほどと頷き、得心した。
「政務のことなのに、余が旧十三親王邸の家人らにも何かを送ったのが不思議だ、ということか」
「はい……」
「政務ではない、別で動いてもらう必要があったからだ」
「別で?」
「種籾と農具、それをすべて必要分揃えても拾いきれない類の難民が出てくる」
「それは?」
「水難そのもので親を亡くした子供だ」
「あっ……」
アリーチェはハッとした。
今の一言で、彼女の中でわかりやすい光景が想像されたことだろう。
そう、自然災害は無差別に被害を出すもので、子供だけを残して親だけが命を落とす場合がある。
もっといえば、ギリギリの所に来ても、我が子だけは逃がそうと自分が犠牲になる親も一定数いる。
どんな災害にせよ、子供だけ生き残った、という家庭が一定数出てくる。
「皮肉な話だ、子供というのは時として大人よりも生命力が強いものだ。男子が二人三人でも集まればもう生きていける。そして――」
「そして?」
聞き入りながら、小首を傾げ、聞き返してくるアリーチェ。
「そういう子供達って、水害がある程度収まって、国が復興の音頭を取り始めた頃には、中途半端に糊口を凌げるようになっていたりする」
「あっ……」
アリーチェは何かを思い出したかのようにハッとした。
「そう、愚連隊と化すのだ、生き延びるためにな。そうなると中途半端に食っていけるし、中途半端に法にも触れているから通常の形ではまずすくい上げられなくなる」
「そのために陛下の家の者達を……?」
「そうだ、中途半端に愚連隊化した子供達だけではこの先生きにくいだろうとおもってな、そこも拾い上げるようにって命令だ」
「そうだったんですか……でも、それをなぜ昔の使用人達に? ちゃんとお代官様たちに命令をすればいいのではありませんか?」
俺は小さく頷いた。
なるほど、これだけでは答えになってなかったか。
ヘンリーとかオスカーとかだったら、これだけで向こうが「はっ」となるから、まわりくどい説明に成ってしまってたと少し反省した。
「むかし……アルバートの一件だったかな。闇奴隷商から助け出した子供達がいる。その子達も成長したし、事情がすこし違うが経験者だ。蛇の道は蛇――は言い過ぎかもしれんが、役人よりは共感するし上手くやれるって思ってな」
「……あっ、あの時のことですね」
「ん? なんだ、知ってるのか?」
「はい、あの時偶然見かけました。たしか……第一親王様の家の者だって騙った偽物でしたよね」
「……ああ」
俺は穏やかに微笑んで、小さく頷いた。
真実はアルバートが絡んでいるのは間違いないが、内外的にも親王の名前を勝手に騙った不届き者として処理した。
真実は必ずしも正しい訳ではない、俺は軽くそこを流した。
「……すごいです」
「ん? なんだ」
「あれ、十数年前の事なのに。あの時の子達を今でも覚えていたのですね」
「なんだ、そんな事か」
俺はふっと笑った。
直前のものとはまったく違う、心からの笑顔。
「人は宝、忘れるはずもない」
「陛下……」
アリーチェはますます感動し、俺に心酔したような表情をする。
そんな彼女を見つめ、俺は考える。
人は宝、その中でもアリーチェは希少で、唯一品と言ってもいいほどの貴重な宝だ。
彼女の才能がまだ開花してなかった頃から見てきた、今も注視し続けている。
人間の一生。
その才能が開花しているのを見て、時にはそっと手伝って。
本当に花開くのかも分からず、自分の眼力を確認するために数年~数十年かけてじっくり観察する。
そのための人間を使う、コネも使う、金も使う。
そこまでかけて、見返りは「自分の目に狂いはなかった」のみ。
これもまた、貴族にのみ許される特権の一つだと、俺は思っていた。
☆
酒がなくなったということで、アリーチェは酒瓶をもって天幕の外にでた。
代わりをもらうためにだ。
ノアの命令書という例外はあったが、本来はノアが「放蕩」していると見せかけるため、極力天幕の中に余人を入れないという方針だ。
そしてそれは極めて自然だ。
皇帝が――いや権力者の男が才色兼備の美女を侍らしているのだ。
そして極めてプライベートな、男女の夜の領域の話だ。
邪魔な人間は誰一人入れない、余人に見せたくない、というのはノアでなくても普通にしている事。
アリーチェが天幕の外にでても、すこし離れた所に控えていた宦官や兵士達は何も不審がっている様子なく、各々の職務を忠実に遂行していた。
それをみて、アリーチェはすこしホッとした。
彼女は一介の歌姫だ。
ステージ上であればいつ何時だろうと落ち着いて振る舞えるのだが、ノアの謀略の中ではただの素人、ただの女でしかない。
なにかのきっかけで露見しないか――と今もビクビクしている。
「アリーチェ様」
「ひゃう!」
背後から声をかけられて、アリーチェは心臓が口から飛び出しそうな位驚いた。
振り向くと、そこにひとりの少年宦官がいた。
「あっ……」
アリーチェはすこしホッとした。
そこにいたのはさっき見た顔。
ノアのサインをみて、無言で得心顔になって、緊張しながらも命令を遂行した少年宦官だ。
つまりこの少年宦官は味方。
彼からなにか露見したりするという話にはならない。
そう思って、アリーチェは少しホッとした。
「どうしたんですか?」
「え、ええ。お酒のお代わりを」
「わかりました」
少年宦官ルークはアリーチェがさしだした酒瓶を受け取った。
本当ならすぐに替えを取りにいく所だが、ルークは何故か立ちつくしたまま、アリーチェをじっとみあげていた。
「どうしたの?」
「あの……アリーチェ様の事は前から知ってました」
「え?」
「宮殿に入る前から、すごく歌が上手い人がいるって」
「ああ……」
アリーチェは頷き、得心した。
彼女は自分が有名人だと言うことをよく知っている。
十三親王、賢親王、皇帝。
ノアの肝いりということでずっと注目をされてきたことをよく知っている。
アリーチェはその事を謙遜しない。
自分が有名なのはノアのおかげだから、ノアがすごいのだから、有名なのは謙遜をするところじゃないと思っている。
「ありがとう」
「だから知ってるんです、仲間なんだって」
「仲間?」
それはなんの事か? と首をかしげるアリーチェ。
「僕、妹の薬代の為に宦官になったんです」
「あっ……」
「それで陛下にその事を知られて、妹に典医をつけてくれたんです」
「! そうだったの」
「アリーチェさんのお母さんのことは宮殿に入る前に聞いてます。だから……仲間かな、って」
「そうね、仲間ね。お互いしっかりやりましょう」
「はい!」
無邪気な笑顔で大きく頷いてから、ルークは替えを取りにいくため、酒瓶をかかえて小走りで駆け去って行った。
その後ろ姿を見て、アリーチェは感動していた。
皇帝と宦官。
それは親王と歌姫以上に身分の差が大きく、助ける意味がほとんどない関係性。
なのに、ノアは惜しげもなく典医をつけた。
「やっぱり陛下はすごい……」
人は宝。
今も昔も、立場がかわっても言葉だけじゃなくて行動でそれを示し続けるノアに、アリーチェはますます心酔するのだった。
☆
翌朝、馬車の中。
帝都をでた後、皇帝の俺は輿ではなく馬車に乗っての移動になった。
馬車は馬八頭をつかった大型のもので、中はこじんまりながらちょっとした部屋のような作りになっていた。
馬に引かせていると言う都合上、調度品は少なめで実用性重視に作られている。
皇帝の俺が全軍の司令官だから、ここはさしずめ動く司令部というところか。
そんな馬車の中、簡素だがスペースだけはしっかり確保出来ているテーブルを挟んで、ニールと向き合っていた。
「悪かったな、急に呼び戻したりして」
「いや、かまわないですよ」
ニールは言葉通り、気にしていない様子でいった。
前に俺が「うるさい者がいない所では砕けた口調でいい」といったので、ニールはその通りにして砕けた口調で話している。
「でもいいんですか? 俺を呼び戻したりして。虎の子の遊撃隊のつもりでいたんですけど」
すこし不思議そうな顔でニールが聞いてきた。
オスカーが絡んでいる、政治が絡んでいる。
それをニールなりに理解しているのか、直接的な表現は使わずに聞いてきた。
「構わない、そこはもう解決した」
「そうなのか?」
「ああ、少なくともこの遠征の間は大丈夫だ」
「ふーん、それならいいんですがね……」
ニールは納得行かない顔をした。
オスカーのことは一言でいいあらわせるような事でもないから、納得できないなら出来ないでそのまま、と俺はニールを呼び寄せた本題を切り出した。
「どうだ、決闘隊は」
「じゃじゃ馬ですよ。不安しかないですね」
「ほう? どんなところがだ?」
ニールは「不安」という言葉を使いながらもどこかたのしげな表情だった。
それが少し面白かった。
「部隊って陛下はおっしゃいましたがね、ありゃ部隊じゃないですよ。そもそも全員が『兵』じゃないです。一人も兵のいない部隊なんて生まれて初めてみましたわ」
「ああ」
俺は得心し、頷いた。
「そりゃあ、もともと全員が騎士選抜にくるような者達、そのさらに上澄みだからな」
そうだ。
ニールに預けた部隊は、腹心のドンにやらせて、騎士選抜から「わざと」落とした人間を集めて、更に決闘で「すくなくとも一勝した」人間を集めた部隊だ。
騎士を志願する者だから、一般兵とはそもそも違う。
それを集めた部隊だから、「兵のいない部隊」というのはまさにニールの言うとおりだ。
「正直、ありゃ分解して各部隊に下級指揮官として編入した方がいいですよ。もったいないですわ」
「終わったらそうするつもりだ」
「……おわったら?」
「ああ」
俺は頷き、ニールをまっすぐ見つめた。
「もちろん、副次的な狙いでしかないのだが――」
俺はそうと前置きをした上で話し出した。
「お前がいう下級指揮官はどこからの命令を一番よくきく?」
「そりゃ上官――ん?」
答えかけたニール、眉をひそめて俺を見つめる。
「どこから……一番……?」
俺の言い回しに引っかかったニール、少し考えた後。
「本家……か?」
俺は小さく頷いた。
本家というのは、「家人」とセットに使われる俗語の一つだ。
「本主」と呼ばれる場合もある、家人の主のことをさす。
つまりは各親王達の事だ。
「その答えに辿りつけるのなら分かっていようが、親王達は上だけじゃなく、下級役人、下級指揮官にも家人を送り込んでいる。もはや蜘蛛の巣のように関係性が複雑に絡みあっている」
「ああ……まったく面倒臭いことです」
「仕方がない」
俺はふっと笑った。
これは、中興後に始まったことだ。
かつて、皇帝の息子たちは、皇太子一人だけに英才教育を施して、他の親王達は放任主義で育てた。
しかしそれで国が傾きかけた際、皇太子がいなくなると他の親王がまったく使い物にならなかった、それで更に亡国へと加速した。
幸運にも中興の祖が現われた。
その時の反省を踏まえて、親王には全て英才教育を施し、封地も与えてそこでちゃんとした統治の実践もさせている。
親王全員を無能にして帝国をまた傾かせないための処置だ。
すると、英才教育をうけた親王達は必然の流れで、「情報」の重要さにきづいた。
情報はどんな金銀財宝よりも重い、どれだけ大金を積んでもおいそれとは買えないもの。
それに気づいた結果、親王達はありとあらゆる所に手のもの――家人を潜り込ませるようになった。
現場の生の情報なんて喉から手が出るほどほしがるものだから、当然のことだ。
「もちろん平時は上司なり上官なりの言うことを聞くが、ここ一番の時は――」
「本家の命令で動く……当然だな」
「それとは違う関係性で上書きすることもできる」
「え?」
「本家の縛りがなくて、かつては同じ釜の飯をくった同輩たち」
「同じ釜の飯を……」
「遠くの親類より近くの他人、ということだ」
「……」
ニールは口をポカーンと開けて、絶句していた。
「上手く付き合え。お前が駆け上がった後に家人ではない家人のような働きをする連中ができあがる」
「そこまで考えてて……すごいな……」
ニールは更に目を見開かせ、言葉を失うほど驚いていた。
「でも……そんなに上手く行きますかね」
「ふむ?」
「陛下のそれは、連中がばらけていった後も権力とかに取り込まれないって前提でしょう。なんか過大評価しすぎなんじゃないですか?」
「いいや、大丈夫だろう」
「なんでです?」
「トップがお前だからな」
「……っ」
ニールは一瞬きょとんとしてから、「お前なら部下の心をしっかり捕まえられる」といういい方をしているのだと気づいて、複雑そうな顔で、
「それはちょっとずるいですよ」
と、抗議してきたのだった。