130.皇帝ただいま放蕩中
アリーチェはすごいと言うが、すごいのは俺じゃない。
歴史だ。
ドッソの一件は、ノアに生まれ変わる前の前世の経験でああいう対処が出来た。
そして、あそこまでが俺の限界だ。
経験上商人が群がってくるから、土地の保全まではできた。
だが、その先の事はわからなかった。
最近色々と過去の歴史を調べていたら、過去に名代官と呼ばれる者達が、災害の後は衣食住だけじゃなく、軌道に乗るまでの生業のフォローまでやっていた事を知った。
そして、それをやった時はやらなかったときと比べて、はっきりとその後の犯罪の数が少なかった。
そりゃそうだ、と俺は思った。
多くの人間にとって、真っ当に働けるのなら真っ当に働くのが一番楽なのだ。
ごくごく一部の人間をのぞけば、「だれが好き好んで道を踏み外すか」となるもんだ。
この事を知った時、俺はますます過去の経験だけじゃなくて、歴史から学ぶべきだと思った。
とはいえ、自分の経験がまったく意味がないと言うわけでもない。
経験があるからこそ、何が問題点なのかわかる。
その自分の経験を歴史と照らし合わせて、不足分を取り込んで色々と考え方とやり方を更新した。
自分と同じ方向性にあるものの、その不足分を補うように取り入れる。
それが俺の、「歴史を学ぶ」具体的なやり方だ。
「善は急げだ、アリーチェ、ペンと紙の用意を」
「はい!」
アリーチェはハキハキと応じて、立ち上がって天幕の隅っこに駆けていき、備え付けられている文房具一式を持って戻ってきた。
その間に俺はテーブルの上の酒肴をどかして、書き物ができるスペースを作った。
アリーチェが持ってきた文房具一式を使って、頭の中で練り上げた文面を書き留めていく。
瞬く間に、二通の文書を書き上げた。
懐から皇帝の印を取り出して片方に捺して、もう片方にはサインだけをする。
そして、二通とも折って封筒に入れて、近くにある燭台を使って蝋で封をする。
一連のことをやっている間、アリーチェはずっとだまって見ていた。
「気になるか?」
「え? う、ううん。そんな事はありません」
「はは、目が好奇心でいっぱいだったぞ」
「ええっ!? そ、そんな」
アリーチェは自分の顔をべたべた触った。
目といったが、こういう時表情もセットでついてくるもので、アリーチェは自分の顔をまるで揉みしだくようにして確かめた。
俺はますます、彼女に好意をもった。
好奇心があるのは大いに結構。
そしてその好奇心を間違いなタイミングでぶつけてこないのも、また大いに結構だ。
「何に気になった。構わん、言ってみろ」
「えっと……どうして片方はハンコを捺して、片方はサインだけなのかな、って」
「印を捺したのは正式な文書だからだ、皇帝としての。これは内務親王大臣の所におくって、デュセルに人別帳にあわせた種籾とか農具とかを手配しろっていう命令だ」
「それでは……こっちは正式なものじゃないのですか?」
「そう、こっちは元十三親王邸に送るものだ」
「陛下のご私宅だった……?」
「そうだ」
俺は小さく頷いた。
「たしか……今は方舟町と呼ばれているところですわよね」
「なんだ? それは」
初めて聞く言葉に俺はきょとんとなって、首をかしげてアリーチェに聞き返した。
「方舟町……初めて聞く名前だな」
「えっと……まるまる一つの町内がすべて陛下の十三親王邸出身の人だけ住んでいるから……って」
「ああ……なるほど、そういう風に変化したのか」
俺はクスッとした。
「たしかに、十三親王邸のまわりを全て買い取って、使用人とか家人とかに住まわせてたな。それがそういう風に呼ばれているのか」
話を理解して、ますますおかしくなって、俺はまたクスッと笑った。
「はい」
「懐かしい話だ。あの時の宦官とメイドもたしか養子を引き取ったはずだ。騎士になりたいと意気込んでいたと聞くが、今どうしているかな」
「宦官とメイド……ですか?」
アリーチェはきょとんとした。
どういう話なのか分からない、そう言わんばかりの表情をしていた。
俺はくすっと笑って、彼女に説明してやった。
「あれは余がまだ十三親王だった頃だ。ある日戻ったらオードリー――今の皇后が、使用人の男女に罰を与えていたのだ。片方は宦官、片方はメイド。理由は二人が部屋で性行為のようなことをしていたから」
「えっ!? でも宦官って……」
「そう、宦官は去勢した男の事。つまり男性器はもうない」
「はい……」
ですよね、って感じの顔をするアリーチェ。
「だが、それがなくなったからと言って人を好きになる気持ちまでなくなる訳ではない。男性器はなくても、せめてふれあって相手のぬくもりを感じたい、と思う者もいる」
「――っ!! はい、分かります!」
一瞬ハッとしてから、ちぎれそうな勢いで首を上下に振るアリーチェ。
よほど共感しているのかと、俺はそっちの方が少しだけ気になった。
気になりつつも、話を続ける。
「宦官のことをある程度知っているのなら分かると思うが、宦官が屋敷で性的なことを行っただけで罪だ」
「はい……そうですよね」
「ただ、あの宦官は全去勢だったから、何をどうやったってごっこ遊び。だから罪とはいっても多少のむち打ち程度ですむ。問題はその後だ」
「その後……?」
「宦官とメイドは互いにかばい合っていた。自分が誘ったのだから相手は悪くない、と」
「……はい」
「そこまで好き合っている男女を引き裂くのもどうなのかと、余は屋敷のまわりの家屋を買い取って、そこで夫婦になれと命じた。法ではあくまで宮殿、もしくは親王邸で性行為を行った時にだけ罪になるのだからな。なら外で、自宅でなら問題ない、と。まあ、少しだけ法の抜け穴をつかせてもらったがな」
「それが方舟町の成り立ちだったのですね」
「うむ。ちなみに、その方舟町は具体的にどういう風にいわれているのだ?」
「えっと、陛下――十三殿下を慕う人間が多すぎて、とても一つの屋敷には収まらず、膨れ上がって自然と一つの町になった。です」
「そんな風に伝わっているのか」
俺は楽しくなって、声をだして笑った。
自分が過去にしたことの「その後」を聞けてちょっと楽しかった。
しかも自分がまったく予想してない形に変化していったのもまた楽しかった。
「すごいです陛下。そんな形で二人の想いを遂げさせてあげるなんて」
「法に解釈の余地があっただけだ」
俺はそう言って、ひとしきり笑った後、テーブルの上にあるさっきどかしたグラスを手に取った。
そのグラスの底を確認する。
底が金漆になっているのを確認すると、それを地面に叩きつけた。
「陛下!?」
アリーチェの目には俺がいきなり乱心したように映ったのだろう。
彼女は目を見開き、驚いた顔で俺を凝視する。
「誰か」
俺は声をあげた。
すると天幕の入り口が開き、一人の宦官が入ってきた。
入ってきたのは顔をよく知っている少年宦官のルークだった。
「お呼びでしょうか陛下」
「片付けろ」
「はい――あっ」
俺がたたき割ったグラスをみて、一瞬だけ驚いたルーク。
ルークはちょっと緊張した顔で、グラスの破片を拾い集めて、自分の服の裾を袋状にしてグラスの破片をそこに集めた。
俺はそこに、二通の封筒をおいた。
アリーチェは驚いた。
ルークは驚かなかった。
そのまま服を巾着袋のように口を閉じて、何事もなかったかのように破片ごともって天幕からでていった。
ルークが出て行ったあと、アリーチェが聞いてきた。
「陛下……今のは?」
「あの宦官にはあらかじめ因果を含ませておいてある。サインに応じて行動が決まっている」
「そうでしたか……ですが、普通にお命じになってもいいのでは?」
「あはは、忘れたかアリーチェ」
「え?」
「余は今放蕩中なのだ。目立って政務はできんよ」
「あっ……」
俺の言葉をきいて、ハッとするアリーチェ。
「そこまで考えていたなんて……すごい……」
彼女はより一層深まった、感動する目で俺を見つめるのだった。