128.絶対に、譲れない事
来たときと同じように、リヴァイアサンで「意識逸らし」をしながら進んだ。
「こ、これは――」
「しー」
驚いて声が出そうになったヘンリー。
指を唇に当てる、古典的な仕草で黙るようにいった。
ヘンリーはハッとして、口を閉ざしてついてきた。
そのままヘンリーを引き連れて、野営地の中を回った。
最初はリヴァイアサンの補助が必要だったが、次第にこの力の使い方が分かってきて、スムーズに視線を操作する事ができるようになった。
それをやって、ぐるりと野営地を一瞬した後、正面から堂々と外にでた。
少し離れて、野営地を振り向く。
たくさんのかがり火が焚かれていて、帝都ほどではないが、野外でそこだけがまるで昼間かのような明るさだった。
「特に問題はなかったな」
「……」
振り向いた先で、ヘンリーがぽかーんとなって、絶句していた。
「ヘンリー?」
「……はっ、も、申し訳ございません」
「どうかしたか?」
「陛下のお力、話に聞いていたものよりも数段はすごくて、思わず言葉を失っていました」
「そうか?」
「はっ。野営で、誰にも気づかれず、お供もつけずに外まで出てこられたのは初めての経験です。……いや、前代未聞と言っていいでしょう」
「大げさだな」
「とんでもない! これがどれほどの事か……あっ」
「どうした」
ハッとするヘンリー。
何かに気づいたような表情で、喜びと複雑そうな気持ちと、それらがない交ぜになった顔だ。
「陛下のこのお力、もしや単身で敵陣に侵入し、敵将のみを暗殺出来るのでは?」
「なんだ、そんな事か」
俺はふっと笑った。
「出来る、が」
「が?」
「さっきも言ったように大軍には利かんそれと同じ理由で、敵将が暗殺されたような状態では、気配がする程度で犯人捜しは止められん。仕留めるまではいけるが、脱出が困難だ」
「な、なるほど……」
言葉を失い、落胆するヘンリー。
しかしそれも一瞬の事で。
「さすが陛下、そこまで考えておられたのですな」
「ん?」
「どうなさいましたか陛下」
「あれは……早馬か?」
「え?」
ヘンリーが俺の視線を追いかけていった。
目を細めて、眉もぎゅっと寄せる。
夜目があまり利いてなくてみえてないようだ。
「…………あっ、確かに、蹄の音が」
「うむ」
少し待ってから、ヘンリーは目ではなく耳で感じ取ったみたいだ。
「急ぎの軍報だろうか」
「戻ろう」
「はっ」
俺はヘンリーを伴って、野営地に戻っていった。
野営地の入り口で、早馬に乗ってきた男が、ボロボロになり、息を切らせて、門番と押し問答をしていた。
「だから! 緊急なんだって!」
「だめだ! 手形がないものを通すわけにはいかない」
「手形なんて持ってるわけがないだろ、直できたんだ」
「だめだだめだ、都に行って摂政王の手形なり、そういうのをもらってこい」
早馬の男は必死に訴えるが、門番の兵士はそれを毅然と払いのけていた。
「どうした」
「何者――って、親王様!?」
俺が声を出して近づくと、門番の兵士は俺を無視して、斜め後ろにいるヘンリーに反応した。
俺はくすっとわらった。
よくあることだ。
階級の低い現場の兵士だと、皇帝には会ったことが無いから、ぎりぎりで見たことのある親王にまず反応するのはよくあることだ。
そして――。
「陛下の御前であるぞ」
それで先に反応された方が、より高位の――皇帝の正体を明かすまでが一連のよくある流れだ。
すると、門番も早馬の男も慌てだした。
「「へ、陛下!?」」
あわてた二人は、一呼吸間を空けて、俺に向かって平伏した。
「も、申し訳ございません。俺はてっきり――」
門番の兵士がまず、ものすごく怯えた声で弁明を試みた。
「よい。手形がないものは通さない、良い心がけだ。ヘンリー、後で100リィーンくれてやれ」
「はっ」
「それで……そちらは?」
「え?」
早馬の男にも水を向けると、男は平伏したまま、顔だけあげてきょとんとしていた。
「火急の用なんだろう? 余か兵務親王に報告があったのではないか?」
「は、はい! 親王様――ああっ、いえ! 親王様を通して陛下に上奏するようにとの事です」
「そうか」
俺は頷き、早馬の兵士が差し出した封書を受け取った。
頭から尻まで目を通して、眉がビクッと跳ねた。
「陛下?」
「……この者にも100リィーンをくれてやれ。疲れてるだろうからごちそうと酒も出してやれ」
「……はっ」
☆
先に天幕に戻った俺は、執務机の前で、先程受け取ったばかりの封書を見つめていた。
そこに実務の処理を終えたヘンリーが入ってきた。
「陛下」
「おお、来たか。まあこれを読め」
「御意」
ヘンリーは近づいてきて、俺の手から封書を受け取った。
読んでいくにつれて、ヘンリーがわなわなと震えだした。
「増長にもほどがある!」
ヘンリーは読んでいたものを地面に叩きつけた。
こめかみに青筋が浮かんでいる。
転生して、ヘンリーの事を知って二十数年。
かつてこれほど激怒しているのを見たことがない。
「想定内ではある」
「陛下!?」
「まあ待て、反乱軍が皇帝を僭称するかもしれないというのは想定内だ。むしろ、この言い分は褒めてやってもいいくらいだ」
俺はくすくすと笑いながら、ヘンリーが叩きつけた報告書を拾い上げる。
それは前線からの報告書。
反乱軍の王が皇帝を自称しだしたという報告だ。
「褒める?」
「うむ。要約するとこうだ。出所不明の歴史書に載っている、古の家系図にいつの間にか書き加えられた線を根拠に、余ではなく向こうの方が正当な統治者であるという主張。だろう?」
ヘンリーの怒りを静めるために、あえて揶揄をたっぷり込めた言い回しをした。
が、あまり効果は無かったようだ。
「その思い上がり、断じて許される事ではない」
「そうだな。が、冷静になれヘンリー。やることは変わらんのだ。熱くなって足元すくわれんようにな」
「……御意」
俺にたしなめられて、ヘンリーは渋々と引き下がった。
その後「対処を考える」といって天幕から立ち去った。
俺は報告書を改めて見つめた。
☆
同時刻、帝都。
第八親王邸に、別の早馬が駆け込んだ。
皇帝の元に届けられたものとは別ルートの、オスカー個人の情報源からの報告だ。
その報告を受けたオスカーは――。
「ふざけるな!!!」
知っている人間が目を疑うほどに激怒した。
自室の調度品を片っ端からたたき壊して、怒りをぶちまけた。
「偽帝……偽帝だと!?」
いつもは温和なオスカーらしからぬ激怒っぷりで、家族も使用人も一様に怯えていた。
「思い上がりにもほどがある……ッッ」
オスカーの目には、はっきりとした怒り――いや。
殺意が、芽生えていた。
☆
天幕の中、俺は一人で報告書をじっと見つめた。
「……さすが第一宰相だな」
俺は結果に満足した。
反乱軍が皇帝を自称し、正統性を主張したのは俺の策だ。
長く宰相をやっているジャンは、反乱軍側とも「それなり」のつながりがある。
そのつながりをつかって、それとなく皇帝を自称するように、悪魔のささやきをかけた。
これは勝算が非常に大きいと思っていた。
もともと反乱している訳だから、皇帝の自称や正統性の主張は「ちょっと押せば」いけると思った。
問題は、そこで起きる連鎖だ。
オスカー。
彼は皇帝が絶対的な存在でなければと思っている。
それがどれほどのものなのかは知らない。
もしも、それが強いものなら、反乱軍の「正統性の主張」というのに激怒するはずだ。
なぜなら、それはオスカーの理想も否定することだ。
オスカーは俺の帝位を狙っている、しかしこれは、その狙っている帝位そのものを根底から否定することだ。
「……」
インドラとのやり取りで気づいた事を、策略に変えてしかけてみた。
これが利くのかはわからない。
今までちりばめてきた多くの策の一つと言った程度だ。
これが利けばいいな、と、おれは思った。
その時だった。
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名前:ノア・アララート
帝国皇帝
性別:男
レベル:17+1/∞
HP C+A 火 E+S+S
MP D+B 水 C+SSS
力 C+SS 風 E+C
体力 D+B 地 E+C
知性 D+S 光 E+B
精神 E+A 闇 E+B
速さ E+A
器用 E+A
運 D+B
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「――ッッッ!!」
俺は息を呑んだ。
ステータスの事で、最初に水が一気に上がった時に勝るとも劣らないほどに驚いた。
なんと、左半分が全て一ランクあがったのだ!
どういうことなのかと警戒した――が。
半日後にその理由が判明する。
皇帝僭称の件で、オスカーが「はじめて見るレベル」で激怒したという報告がはいってきた。
「……譲れないもの、か」
何人もの人間から聞いてきた「譲れないもの」というワード。
それをジャンに言って、ダメ元でしかけたもの。
きっちりと、オスカーの心を撃ち抜いたようで。
この親征、少なくとも首謀者を討ち取るまでオスカーの反乱はないと。
俺は、確信したのだった。