127.皇帝の忍び足
テントを開けて、外に歩き出す。
野営地の中、絶えず見回りの兵士が動き回っている。
その間をぬって歩いていく。
普通に歩いているが、誰にも見つからずに進めた。
そうして歩きながら、少し離れたベつのテントに入った。
「誰だ――へ、陛下!?」
テントの中にはヘンリーがいた。
ヘンリーは簡易の砂盤の前にいてそれをじっと見つめていたが、俺に気づいて慌てた。
近づいてきて、パッと膝をつこうとするが。
「よい、あまり大声をだすな」
「……はっ」
その一言でヘンリーは俺が「忍んで」来たのだとわかって、声を自然と抑えた。
「陛下はどうやってここへ?」
「ん?」
「陛下の警護も私の役目。どこかに行く時は必ず報告するようにキツく言っているのですが」
「ああ、その事か。だったら誰も責めるな、余が分からないように忍び足で来たのだからな」
「忍び足……?」
ヘンリーは眉をひそめる。
無論、言葉通りの忍び足だとはヘンリーも思っていないが、だからこそ不思議に思っているようだ。
「簡単な事だ、ほれ――」
「――むっ」
ヘンリーはパッと振り向いた。
真後ろを向いた後、訝しげにこっちに振り向いた。
「今のは陛下が?」
「ああ。リヴァイアサンの力を少し違う形でやってみた」
俺はふっと微笑み、指輪の中からリヴァイアサンを解き放った。
水の魔剣が、圧倒的な存在感を伴って顕現した。
リヴァイアサン――元レヴィアタン。
かつてアルバートとこのヘンリーから譲り受けたものだと思うと、すこし感慨深かった。
そんな風に昔を懐かしみながら、ヘンリーに説明をする。
「リヴァイアサンで殺気を放って、威嚇する技のことは知っているな」
「はっ、陛下の御業として有名です」
「それと今のこの圧倒的な気配も感じられるな」
「もちろんです」
「この気配を、常に周りの人間の背後に放った」
「常に背後に?」
「もっと言えば、余がいる方向とは反対側にだ。するとあら不思議、余が通る直前にみな何故か反対側に振り向きたがる」
「なんと……!」
「平たく言えば全員の視線を誘導したわけだ。後は文字通りの『忍び足』でここまでやってきた」
俺はクスッと笑った。
「これが出来るのはあくまで視線誘導、音には反応してしまうからな」
「すごい……そのような事まで出来るのですか」
「リヴァイアサンの力をもっとなにか活用できないかと考えていたら、な」
「さすがでございます」
ヘンリーは深々と頭を下げた。
「……」
「どうした、何を考えている」
「いえ、その力を戦場でも使えないものかと」
「難しいだろうな。今も説明したが、あくまで別方向に気配を感じる、ってだけの技だ。両軍がぶつかり合う合戦で、反対側から気配がしても、兵士は目の前の敵兵に必死になるだけだから、脇目もふってはくれまい」
「……たしかに」
ヘンリーはふっ、と微苦笑した。
着眼点は良いが、さすがにそれは少し無理があった。
「まあ、色々と考えてはいる。戦術に組み込めそうなものがあったら教える」
「はっ」
「では話を聞こう。今日の行軍はどうだった」
「はっ!」
ヘンリーは一礼して、体を少しずらし、俺に砂盤への道を譲った。
俺は進み出て、砂盤の前に立った。
砂盤とは、作り替えが可能な立体的な地図のことだ。
地図は通常、平面に書かれる。
その平面にも、いくつかの決め事に沿って、高さと低さを表現している。
が、それは決め事という、あらかじめ定められたルールを知らなければ読み取ることは出来ない。
同時に、ルールを知っていても、よほど詳しくなければ瞬時に読むことも出来ない。
それを、地図の上に砂を載せることで、高低差という、立体的なものを、その時その時の状況に置き換えて、すぐに作り替えられて、わかりやすくしたのが砂盤だ。
技術的にはたいしたことはないが、陣中には欠かせないアイテムの一つだ。
今も、まわりの地形と、この野営地を模した作りになっている。
俺はそれを見下ろしながら、ヘンリーに聞いた。
「概ね予定通りです。少し余裕がありますので、明日は少しペースを上げられます」
「予定通りなのか?」
「はっ」
「……それは、兵らにも分かるものなのか?」
「兵はどうだろうか。ああ、隊長クラスならうすうす体感でわかるかと」
「そうか。前線のほうは?」
「着々と準備を進めております。陛下が到着次第すぐにでも」
「わかった。なら、明日は出発を少し遅らせよう」
「え?」
ヘンリーは驚く。
砂盤から視線を動かさない、振り返らないでも、ヘンリーの驚く顔が見えてくるようだった。
「なぜ、そのような事を?」
「忘れたのか、今回はまず、初の親征だから、ある程度侮ってもらう動きをしている。アリーチェを連れて来たのもそれが理由だ」
「……あっ」
「そうだ。余は明日――そうだな、昼前までは起きてこない。前の夜の放蕩がたたってな」
「御意。では準備自体は予定通りさせます」
「ああ」
「陛下の事は強く隠します」
「当然だな」
「一人金を受け取って外と通じている宦官がおりましたので、締め付けたあと、三日後を目安に陛下の身の回りに配置します」
「うむ」
ヘンリーは次々と案を出した。
砂盤の縁に手を軽く触れながら、次々と案を出してきた。
俺は一つずつ聴きながら、許諾を出していく。
しばらくして、ヘンリーの言葉が止まった。
俺は首だけ振り向いて、ヘンリーを見た。
「もう終わりか?」
「いえ……陛下はやはりおすごいと思ったのです」
「何の事だ?」
「古い話ですが、私は初めて大軍を率いて出征した際、気が大きくなったものです」
「気が大きく?」
「はい、あの時の兵は一万でしたか……一万人の中心にいて、指先一つでそれを自由に動かせる立場にある。その事に自分がまるで神にでもなったかのような夢心地でした」
「はは、親王は間接的になら一万人くらいに影響を与えられるが、直接視界に入った一万人を動かせるとなるとそうそうないからな」
「はっ。その時は参謀の言うことはまったく聞かず、自分で全て出来る、自分ですべてを決める――と。一応は勝利しましたが、今となっては、あの時の状況を考えたら判定負けとも思えます」
聞いた後、再び前を向いた俺。
背中越しでも、ヘンリーが苦笑いしているのが分かった。
「今なら――あえて言うが、敗因が分かるのか?」
「はっ。全能感が高くなりすぎて、なんでも自分で決めないと気が済まなかった。今回も、あの時の私なら、明日はいついつに出発する。口止めは具体的にはこうしろ、と、あれこれ口を挟んでいました」
「ああ、飯屋にいって、塩の分量、ゆでる時間、そういうような無意味に細かい所まで指示していたということか」
「さすがです陛下。仰るとおりでございます」
ヘンリーは軽く腰を折った。
「陛下は初親征であるのにもかからわず、そうなさらずに大きな方針だけを示し、後は任せて下さいます。それがすごいと思った次第で」
「はは、余には父上ほどの才覚はないからな。任せられるなら任せる。口を出すのは明らかに間違っている時にだけ。そうしているだけだ」
「私には……いえ普通はそれが出来ません」
俺はふっと笑い、砂盤の縁をポンポンと叩いた。
「とにかく任せた。お前は信用できるからな」
「恐悦至極に存じます」
「余は少し周りを見てから天幕に戻る」
「ご一緒します!」
「好きにしろ」
ヘンリーのそれは、「いざという時は護衛します」的な発言だった。
よくあることなので、俺は気にしなかった。
ヘンリーを連れて、テントを出た。
ここまで如何でしたか。
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