126.出征
バナジン通り。
それは王宮から帝都東の凱旋門に続く道の名前である。
凱旋門とはその名のとおり、戦勝した軍が凱旋したときにくぐる門だ。
遠征した軍は、遠方で戦勝したあと、帝都に帰還して凱旋門をくぐって王宮に向かう。
それが戦勝パレードになるように、門の位置から通りまで計算されて作られたものだ。
更に古い歴史を辿れば、初代皇帝が「帝都陥落」の際には、一直線に逃げられるということで、逃げやすいように一本道として作られたと言う説があるが、一本道だと相手も追いかけやすいからこれは俗説の域をでない。
そのバナジン通りを、俺は馬にまたがって、行進していた。
俺の前後には兵がいる。
これまた儀礼用の、きらびやかな武装をした兵士に前後を守られるような形で進んでいる。
そしてバナジン通りの両側には、民が大挙して詰め寄せ、割れんばかりの大歓声をあげている。
皇帝出征――親征のパレードだ。
帝国軍の主力は既に前線に向かっていて、ここにいるのはほとんど儀仗の為の兵だ。
それ故に、華美で勇壮な、実戦には不向きな装いがされている。
実戦にこそ不向きだが、見栄えは一級品だ。
この儀仗兵のパレードに、帝都の民は興奮のるつぼにおちいっていた。
「あれは皇帝陛下か、まだ若いのに凜々しくていいじゃないか」
「前の陛下も格好良かったけど、今の陛下も負けないくらいいい男ね」
あっちこっちから、皇帝の俺を称える声が歓声に交じって聞こえてくる。
称える歓声というのは、民の安心感の上に成り立っているのだから、パレードの効果に俺は満足した。
「おおおっ!」
「なんだあれは!」
「馬が! 馬が黄金色に輝いたぞ」
行進を続けているうちに、俺がまたがる白馬から汗が流れ出して、白毛と溶け合って馬体が黄金色に輝きだした。
すると、それまでの歓声が一段とボルテージが上がっていった。
地響きを彷彿とさせるような、ワンランク上の大歓声になった。
その大歓声で、俺のまわりを取り囲んでいる儀仗の騎兵の隊列が乱れた。
馬が反応し、暴れ出しそうになった。
「大丈夫だ、このまま進め」
俺が乗っている白馬も同じように反応し、今にも前足を振り上げて、棒立ちになっていななきだしそうな勢いだった。
それを事前に察し、手綱を引いて鐙で腹を締めて、馬を落ち着かせた。
結果、周りの騎兵が浮き足立っている所、俺だけが普通に進行する。
「見ろよ、あの手綱捌き。すげえな皇帝は」
「へっ、そんなの馬が良いだけだろ」
「バカかお前は、『鞍上に人なくて鞍下に馬無し』って聞いたことないのか。ありゃただ上手いだけじゃねえ、馬の事も知り尽くしてないと出来ない芸当だぜ」
民の褒詞の中、俺は更にバナジン通りを進んでいく。
民の熱狂は、帝国の戦勝を信じて疑わない、そんな感情からあふれ出したものだ。
そんな熱狂の中を進み、凱旋門を通って、やがて帝都の外に出る。
帝都の外には神輿がまっていた。
「お待ちしておりました」
神輿の側にオスカーがいた。
帝都守護の摂政親王、それが今の彼の職位だ。
だからここまで出てきて、俺の見送りをしている。
俺は馬から飛び降りて、オスカーの前に立った。
「ご苦労。後は任せた」
「はっ……」
深々と頭を下げるオスカーの横を通って、神輿に向かう。
赤色を基調に、部屋一つ分の広さがある神輿だ。
枠組みは木造だが、紗をつかった幕で四方を囲っている。
それを数十人を使って担がせ、馬とは違う意味で威容を誇示するための乗り物だ。
神輿は地面に下ろされているが、それでも相当の段差がある。
俺は用意されているはしごを使って登り、神輿に乗った。
「出発だ」
神輿の中から号令を出した。
その号令は瞬く間に全軍に広がった。
神輿は担ぎ手達によって担ぎ上げられて、ゆっくりと進み始める。
ちらっと後ろを見た。
オスカーが頭を下げたまま見送っていた。
やれることはやった。
オスカーが事を起こしても起こさなくても対応できるようにした。
もちろんそうならないほうがいいと、そう祈りながら、俺は帝都を発った。
「お疲れ様です、陛下」
神輿の中で、先に乗り込んでいたアリーチェがそう言ってきた。
手によく絞った手ぬぐいを持っていて、俺に差しだした。
「ご苦労、ふふ」
俺はクスッと笑い、手ぬぐいを受け取った。
「何かおかしかったですか?」
「いや、自分で顔を拭くのも久しぶりだと思ってな」
俺は笑いながら、受け取った手ぬぐいで顔を拭いた。
二十五年ぶりくらいか、自分で顔を拭くのは。
前世ではこういったことは普通に自分でしていたのだが、十三親王ノアに生まれ変わってからはメイドや女官達にやってもらっていた。
むしろ自分でやらないのが貴族、自分でやると「格を落とす」まである。
それを知らないアリーチェは数十年前の俺で、一周回って新鮮にうつった。
「す、すみません! 私知らなくて」
「ああ、知ってる。楽しかっただけだ、責めてはいない」
「あの……した方が、いいですか?」
「そうだな、次回はそうしてくれ」
「わかりました!」
アリーチェは握りこぶしを作って、力溜めの仕草で意気込んだ。
「さて、早速歌ってくれるか」
「はい! どういう歌が良いですか?」
「そうだな。余を……男を誘う艶のある歌を」
「はい……っっ!!」
一度は頷いたが、アリーチェはビクッとして息をのんだ。
俺の言葉にでは無い、俺が「出した文字」に驚いたのだ。
言葉だとまわりにいる人間に聞かれるから、俺はフワワを使って、アリーチェとの間の何もない空間に文字のオブジェクトを作った。
『余がお前にのめり込んで堕落していると見えるように』
という文字を作った。
アリーチェの目に入り、認識した事が分かると、フワワを解除してそれを再び指輪の中にしまった。
「陛下……すごい……」
「そうか?」
「分かりました、歌います」
アリーチェはそう言い、横に置いてある自分の荷物の中から小さな琴を取りだした。
携行性に優れた小さな琴だ。
しばし弦の調子を確かめてから――歌い出した。
琴を奏でずに、まずは自分の声で。
「……っ」
俺は息を飲んだ。
音楽は物語性を持つ。
そして物語には「順番」がある。
しかし、アリーチェの歌声は、物語の「筋」をいきなりすっ飛ばして、まるでクライマックスから始めたかのような歌い出しだった。
自分の声のみでの歌だが、どんな伴奏が伴った歌声よりも力強く、胸に響いた。
ものすごく苦しそうで、切なさそうで。
自分の中にある感情を必死に搾り出すかのような歌い方だった。
聞かされたこっちも、心が震えるかのような思いだった。
衝撃的な歌い出しのあと、琴の旋律が流れ出す。
アリーチェの白魚の様な指が琴の上で踊って、メロディを奏で出す。
「ふむ」
俺は頷いた。
同時に、ある事に気づいた。
首だけ振り向いて、視界の隅っこにいる宦官に話しかけた。
「止まっているぞ」
「……はっ! も、申し訳ありません!!」
宦官は我に返って、慌てて頭を下げて、命令を伝達した。
驚く事に、アリーチェの歌に聴き惚れていたのか、全軍の動きが止まっていたのだ。
命令が波打ったかのように広まっていき、進軍が再開された。
俺はアリーチェの歌に聴き入った。
部屋のような神輿の上で、置かれていた肘掛けにもたれ掛けながら、遠くに下がった宦官を手招きで呼びつけた。
「お呼びでしょうか」
「酒、それと酒肴だ」
「はっ、ただいま」
宦官は俺の命令を受けて、準備に走った。
しばらくすると、進行中の神輿の上に酒や酒肴が流水の如く次々と運ばれてきた。
親王クラスでも到底享受できない、皇帝ならではの贅沢だ。
それを、俺は「見せびらかす」ようにした。
酒で唇を湿らせながら、アリーチェを見る。
同時に、ちらりと周りの兵らを見る。
兵らの表情からは、まだ動揺が抜けきっていないのが分かった。
あの歌い出しは、それほど心を震わす力があった。
「……有難いな」
独りごちながら、俺はアリーチェが一曲歌い終えるのを待った。
終曲し、アリーチェは上気した顔で見つめてきた。
力強い、美しい瞳だ。
「ご苦労、側に寄れ」
「は、はい」
「酒を注いでくれ」
「わ、分かりました」
アリーチェは琴をおいて、俺の側にやってきて、言いつけ通り酒を注いだ。
俺は鷹揚にそれを受けた。
☆
夜、野営地の中。
皇帝専用の天幕は、庶民なら十人家族が悠々と過ごせるほどの広さを持ったものだ。
それどころか庶民の家が一軒丸ごと収まるほどの広さだ。
そのテントの中で、アリーチェと二人で向き合っていた。
昼間の神輿の上では、酒場の看板娘のように、横に座ってもらい酒を注いでもらっていたが、今はテーブルを挟んで、向かい合って座っている。
「今日はご苦労だった」
「う、ううん。私、ちゃんと出来ていましたか?」
「充分過ぎる。特に一曲目のあの歌い出し――」
俺は少し考えて、聞いてみることにした。
「あれは素晴らしかった――が」
「え? な、なにかまずかったですか」
「いや、お前の才能も力量も認めている。だが、あれほど人の心を震わす歌は早々歌えるものではない。それこそ著名な刀匠が渾身の力を込めて打った会心の一振り――そういう類のものだ」
「えっと……」
「余の見立てが間違っていなければ、あれは再現しろと言われてもそうそう出来るものではない。違うか?」
「……すごいです陛下。全て、陛下にはお見通しです」
「そうか。なぜああ出来たのか、自分で分かるか?」
「えっと……」
アリーチェはもじもじしだした。
何かものすごく言いにくそうにしている。
「言いにくいのなら別に構わんぞ」
「う、ううん。そんな事はないです。その……い、今までの」
「うん?」
「今までの気持ちを、溜まっていた気持ちを一気に解き放つように歌ったら、ああなりました……」
「ははは、なるほど」
俺は天井を仰いで、大笑いした。
「だったら納得だ。あの歌いだしはお前の人生そのものだったという訳だな」
「はい……」
アリーチェは微かにうつむき、恥ずかしそうに頬を染めた。
彼女の人生そのものだというのなら、これ以上踏み込まない方が良いだろう。
「礼を言う、あれには少し助けられた」
「え? どういう事ですか?」
「あの歌い出しに、兵士の多くは心を震わされた。一瞬にしてお前のファンになったものも少なくない」
「そう……でしたか?」
アリーチェは少し驚き、聞き返してきた。
まわりを見ていなかったのにはこっちも少しだけ驚いた。
「ああ。一部の者はお前の事を教祖かなにかのようにあがめていそうな表情をしていた。さすがだ」
「そんな……」
「だから、少し利用させてもらった」
「え?」
恥じらいから一変、「どういうこと?」って顔で俺を見つめてきた。
「お前が歌った後、すぐに俺に酒を注がせた」
「あ、はい」
「あれでまわりの兵から大分不満の目で睨まれたよ」
「す、すみません」
「いやそれでいい、むしろそうする様に仕組んだ」
「え?」
「あの歌でさえ心を震わせられずに、お前をただの酒場の看板娘のように扱った。間違いなく、酒色に耽る低俗な皇帝という噂が立つだろう」
「あっ……」
アリーチェはハッとした。
今回の自分の役目を改めて思い出したようだ。
「そうだ、今回お前を連れて来たのはそのためだ。お前の歌に心を震わせられたのは予定外だったが、それを利用させてもらった」
「すごいです陛下……一瞬でそこまで計算して」
「お前のあの歌があってこそだ」
俺はそういい、真顔でアリーチェを見つめた。
「助かった、ありがとう」
「そんな……」
アリーチェはまた頬を染めて恥じらった。
「そういうわけで、これから毎晩、ここにいてもらう事になる」
「は、はい! 分かってます。覚悟は出来てます!」
「はは、そこまで気負う必要はない」
意気込むアリーチェに、俺は微笑んで返した。
「ここにいるだけでいい。歌ってもらう必要もない分普段よりは楽なはずだ」
「は、はい」
「というわけで――余は少し外す」
「え? どちらへ?」
「少しな。夜明けまでには戻る」
「あっ、はい……」
頷くアリーチェ。
さっきの意気込みから一変、何故か寂しそうな表情をしていた。
「どうした、何かあるのか?」
「え? う、ううん、何でも無いです」
「……いいのか?」
「はい! 行ってらっしゃいませ」
アリーチェは気を取り直して、って感じで俺を送り出した。
何か言いたそうな事があるみたいだが、無理矢理聞き出せるようなものじゃなさそうだ。
こっちが感づいて「そうなのか?」と聞けば白状するが、そうじゃない限りはいくら聞いても本心は隠す――そういう類のものだと感じた。
今はそれを探る時間はないから、後回しにした。
「では、行ってくる」
「はい」
俺はアリーチェをテントに残して、外に出た。
ここまで如何でしたか。
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