125.化かし合う世界
昼下がり、兵務省管轄の練兵場の中、俺は馬にまたがっていた。
毛並みも体型も立派な白馬で、馬は専門外でも、これは相当手間暇かけて育てたのだと分かる位の馬だ。
その馬にまたがって、馬場の中をゆっくり回っている。
「どうでしょうか陛下」
馬場のすぐ外から、ヘンリーが聞いてきた。
俺が回っている間、ヘンリーはずっとそこでみていた。
俺は手綱を引き、ヘンリーに返事する。
「良い馬だ。命令をよく聞いてくれる、それに」
「それに?」
ヘンリーが首をかしげた。
俺は手綱を引いて馬の速度をあげた。
速度をあげて、馬場を回った。
しばらくして、馬の体から汗が噴き出した。
白毛の下から吹き出す汗は、日差しを反射して黄金色に輝きだした。
「おお!」
「体質もいい。これなら充分象徴になる」
「では御随伴はこの馬で?」
俺はゆっくりと馬を引いて、ヘンリーの前に戻ってきた。
馬から飛び降り、汗をかいている馬の顔を撫でてやる。
馬はくすぐったそうに、しかし気持ち良さげに俺に撫でられた。
「基本はそうする。予備はありそうか?」
「少し質は落ちますが、数頭までは確保できます」
「じゃあそれも頼む――ああ、ご苦労だった、良い馬だぞ」
馬から飛び降りたときから控えていた厩の男がやってきた。
俺はその男に手綱を渡しつつねぎらった。
「きょ、恐縮です」
「この馬はお前が育てたものか?」
「は、はい! これくらい小さい時から」
皇帝の俺に話しかけられるとは思っていなかったのか、男は舞い上がって、たどたどしく答えた。
「そうか、よくやった。俸禄の一年分を褒美にやろう、後で内務省に取りに行け」
「ありがとうございます!」
男は手綱を引いたまま器用に跪いて頭を下げ、その後やっぱり手綱を引いたまま器用に立ち上がって、俺に恭しく頭を下げたまま馬を引いていった。
「馬を知り尽くしているな」
男を見送りながら、俺はそういった。
「どのようなところが?」
ヘンリーが不思議そうに聞いてきた。
「馬の側で何をするにしても、『いきなり』というのが一番よくない。いきなり何かをするだけで馬は棒立ちになって危険――は、戦場をよく知っているヘンリーには無用な説明だな」
「はっ」
「あの男、馬のそばでいきなり平伏したのに馬は驚いていなかった。させないような動きだったのか、それともそれだけその男に信頼されているほどの仕込みをしたのか」
「なるほど、両者かも知れませんね」
「はは、その可能性もあったか」
ヘンリーに指摘されて、俺は自分の側頭部を小突いた。
確かに、どっちか片方だけが理由じゃなきゃだめなんて理屈はない。
両方ある、というのも充分に考えられる。
「王宮の厩番ですから、下手な人間はいないものです」
「そうとも限らないぞ」
「え?」
「あれの後任がはっきりと無能になる方法をおしえてやろうか」
「……陛下が直接任命する、というの以外ですよね」
眉をひそめつつ、前提を確認してくるヘンリー。
「あはは、それはそうだ。余が無能を直接任命しては話にならん」
「……」
ヘンリーは考え込んだ、が、思いつかなかったようだ。
「わかりません。一体どのようにして?」
「簡単な事だ。あの馬の世話係として、あの男を親征に連れて行って、余が可愛がってやれば良い」
「…………そうか」
ヘンリーは少し考えて、苦虫をかみつぶしたような表情で、なんとか搾り出すように笑った。
「陛下のお目にとまる可能性のある職なら、政治的に争われることになる」
「そういうことだ」
「政治的に争われるだけの低位な職であれば操り人形なだけの、無能である可能性が高い……やはり陛下はすごい、この一瞬でそこまで考えておられたとは」
俺はふっと微笑んだ。
「今でも余の目に止まる可能性のある所は親王や大臣らの角逐の場になっているだろ?」
「そうですな」
「ヘンリーもどこかに自分の家人を置いているだろ?」
「私を陛下は幼い頃からしっておられます」
「ん?」
「陛下が好む、能力のある者しか置いていないつもりです」
「はは、なるほどな」
俺は声に出して笑った。
ちょっと楽しくなった。
ここで「してない」とは言わないのもヘンリーらしい。
当然のことだが、親王クラスである者があっちこっちに自分の息の掛かった人間をおかないわけがない。
以前の無能親王ならいざ知らず、今はどの親王もそこそこ出来る人間だ。
情報やコネクションがどれだけ大事なのかはみんな知悉している。
そもそも、親王邸からでた人間は「家人」と呼ばれているくらいだ。
そういう息の掛かった人間があっちこっちにいるのは当たり前のことである。
「ふふっ」
「どうなさいましたか陛下」
「いやなに、この話から、親王の家は互いのスパイだらけだ、という事を思い出してな。余は産まれたときからそうだったから不思議にも思わなかったが、ただの村人であればこの光景をとても不思議に思っていただろうな」
「仕方ない事とはいえ、悪しき文化ではあります」
「こうなったのは中興後からだったな」
「はっ」
ヘンリーは俺の言葉に同意した。
中興。
かつて、帝国は滅亡の危機に瀕したことがあった。
それを中興の祖が立て直して、帝国を再度の繁栄に導いた。
「それ以前は皇太子以外は放任で育てられていたのだったな」
「はっ。その時の教訓を活かし、親王に封地を与え、政治に参与させて育成をする様になりました」
「それで中興以降の親王の質はあがった、が、政治に携わることで、それぞれがスパイを潜り込ませ合う事になった。世の中ままならないものだな」
俺はふっと笑った。
「ダスティンなどからすれば、昔の方が生きやすかったのかもしれません」
「あははは、確かにな」
ヘンリーがいい、俺は笑った。
第十親王ダスティン。
有能な訳ではなく、十代の頃から一貫して「女好き」で知られる人物。
それでどうなのかと思ったこともあったが、ギルバート、そしてアルバートが立て続けに倒れたことで不意に察した。
あれはダスティン流の韜晦の術で、ひたすら女好きを貫くことで「玉座に野心はない」と主張しているのだと。
玉座に興味が無く、ひたすら女好きであるのなら、親王として放っておいても問題はない。
ダスティンは、いち早くそのポジションに気づき、たどりついた――のではないかと、今となっては思っている。
「……時効なのでお話しするが」
「ん?」
「陛下の十三親王邸は、もっとも間者を潜り込ませにくい家だと、我々の間では有名でした」
「へえ?」
俺は体ごとヘンリーを向いた。
そんな風に言われていたのは今まで知らなく、初めて聞かされた話が興味深かった。
「十三親王邸の使用人のほとんどは陛下に恩義を受けた者。中でも命の恩人だと思っている者もすくなくない」
「ああ、そうだったな」
「そのため潜り込む事が難しく、色々とかいくぐって潜り込めたとしても、ほとんどの者が陛下に恩義を感じているので、陛下の目が届かない所でも自然と陛下の為に警戒をする」
「なるほど」
「特にあのエヴリンという女、あの女に対する陛下の采配はすごいとみなが口を揃えて言っています。恩義だけでなく、未来まで見せてくれるなんて、と」
「家人はどこもだしているだろ?」
「女をそうしたのは陛下が初めてだし、今でも陛下だけです」
「……ああ」
俺は小さく頷いた。
そうだった、そうだったな。
エヴリン、元は十三親王邸の接客メイドだったのが、俺がアルメリアの代官として派遣した。
女を代官にしたのはほぼ前代未聞といっていい。
「あれで陛下は才能と忠誠心があれば重用してくれると、ますます使用人達の団結力があがる結果になった」
「人は宝だ」
俺は振り向き、空を見上げながら言った。
「人間の半数は女。男と同じ数がいるのに、活用しないのはもったいないだろ?」
「それが陛下のすごさです。我々では女を重用することはできません」
「……そうだな」
俺は小さく頷いた。
それは今でもそう思っている。
皇帝になって、もっと好き勝手に女を登用できるのかと思ったら、伝統を重んじるもの達からの抵抗が今でも続いている。
中々上手くはいっていない。
まあ、仕方がない。
すぐにどうにかなるとは俺も思っていない。
地道に変えていこう。
「……さっきの男」
「はい?」
「あの厩番の男、やはり親征に連れて行く。適当な職を与えてやって、余の馬の世話をさせろ」
「それは構いませんが……何故?」
「このままおいておけば政治ゲームに巻き込まれて、余が戻ってきた頃にはどこかへ消えかねん」
「ああ……」
「馬の世話にかけては腕はちゃんとしているようだから、しばらく保護しておく」
「さすがでございます」
「ではたのんだぞ」
「はっ。後方に従軍させます」
俺は頷き、馬場を後にした。
人は宝だ。
この考え方がもっと広まれば良いのだがな。
ここまで如何でしたか。
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