120.歴史を学ぶ皇帝
夜。
第一宰相ジャンとの話が終わった後、俺は執務室に第四宰相ドンを呼びつけた。
インドラの孫に初陣をさせるための準備をする様にと、ドンに言いつけた。
話の一部始終を聞いたドンは目を輝かせた。
「すごいです陛下、雷親王殿下の来訪をとっさにそのように利用できるとは」
「どうだろうな」
「え?」
驚くドン。
目を見開き、驚愕した表情で俺を見つめる。
「それはどういう意味でしょうか?」
「雷親王は元々そのために来た、そう思えてならない」
「そのために?」
「考えても見ろ、このタイミングで、なぜ雷親王が今このタイミングで余の元に来たのかを」
「それは……皇后陛下のために――」
「確かに、インドラならそうしてもおかしくはない。普段は政治に興味はなく、封地に君臨して人生を面白おかしく謳歌している。だから皇帝たる余にも気後れすることなく、孫娘の事で苦情を言いに来た。……キャラクター的にはあっている」
「はあ……」
「だがな、あれは雷親王だ」
「え?」
「『雷』――称号持ちの親王だ。あの態度が全くの嘘とまではいわないが、昼行灯を装う成分も少なからず入っていると余は考える」
「たしかに……破天荒に見えて、封地の統治は今までほとんど問題が起きたことはない」
「それどころか、よくよく調べれば理路整然と、どの親王よりも上手く統治している」
「……」
ドンは重々しくうなずいた。
俺はフッと微笑んだ。
元々そんなに難しい話じゃない。
インドラのような人間は、本当に無能か、有能なのに三味線を弾いてばかりかのどっちかだ。
そして俺には、インドラが無能には到底見えない。
であれば答えはおのずときまってくる。
インドラがオードリーの話だけのために来るとは思えない。
すくなくとも――いまこのタイミングで。
「それで来たのだ。余はそれに乗っかっただけだよ」
「さすが陛下でございます」
ドンは深々と頭を下げた。
「ん?」
「前触れもなく訪れた雷親王の思惑を一瞬で読み取り、最善の形でそれに合わせるとは」
「それよりも準備を頼む――思惑を理解した上でな」
「はっ」
ドンは頭を下げて、退出した。
執務室におれ一人残った。
ドンを送り出したあと、年かさの宦官が入ってきた。
「陛下、今夜はいかがなさいますか?」
「ん? ああ、今夜も無しだ」
「御意」
一瞬なんの事なのか理解できなかった。しかし、すぐに「夜の相手は誰にする?」という質問だと理解した。
皇帝の夜の相手は公文書でしっかり記録されるから、基本の形はこうして、宦官が希望を聞いてそれでセッティングをする。
かつて、皇帝の後宮を娼館と変わらないと揶揄した文人がいたが――さもありなんと皇帝になってあらためて思った。
もちろん今はそんな気分じゃないから断った。
俺はそのまま立ち上がった。
執務室をでると、さっきの宦官が横から聞いてきた。
「どちらへ」
「書庫へ行く。誰か来たらそっちに通せ」
「御意」
宦官をその場において、歩きだした。
すぐに別の、幼い宦官が後をついてきた。
管理職にいる年かさの宦官とちがって、若い宦官は使いぱしり・御用聞きという形でついてきた。
そんな若い宦官を引き連れて、俺は誰もいない廊下を通って、目的の書物庫に向かう。
皇帝が歩く時、廊下は基本誰もいないものだ。
理屈では、「皇帝の道を邪魔するなんてとんでもない」という事から、皇帝が移動するときは通達が徹底してて、誰もばったり会わない様に顔を出さないようにしている。
が、実際の所は少し違う。
もっといえば「最初は違う理由で始まった」が正しい。
ちらっと後ろをついてきた幼い宦官を見た。
顔に覚えがあった。
「誰かと思えば、ルークか」
「は、はい! ルークです」
「うむ」
俺は小さく頷いた。
妹の薬代の為に宦官になったあの幼い少年だ。
「妹の話はどうなった、典医はもう行ったか?」
「は、はい! あの後話したらすぐに行ってくれました」
「ふむ、で、どうだ」
「……」
ルークはボロボロと大粒の涙を流した。
「むっ」
俺の脳裏に最悪の想像がよぎった。
よくあるパターンの一つで、もはや救う手立てのない病だが、それでも医者は金だけでもだまし取ろうと、希望だけ持たせて治療費や薬代を延々とせしめるというパターンが。
もしやそれか――とおもったが。
「どうだったんだ」
「た、助かるって」
「……ほう?」
「妹が助かるって、お医者さんいってました。それも、絶対助かるって」
「ははは、そうか」
俺は天井を仰いで大笑いした。
助かるのなら何も問題ない。
向かわせたのは典医、そして行かせたのは俺だ。
つまり皇帝の勅命、典医側からすれば、助けられなければ首が落ちるかもしれないという考えになる。
多少の難病でも全身全霊をこめて治療してくれるだろうし、それなりの病気ならもう安心だろう。
妹の為に去勢されたのは取り返しがつかないが、少なくとも妹は助かる。
それなりの良い結末に俺は気分をよくした。
ふと、ルークが気になった。
少年宦官の、その幼さが少し気になった。
「ルーク」
「は、はい」
ルークは涙を拭って、慌てて返事をした。
「お前、誰かから袖の下をもらったことは?」
「えっ!」
歩いたまま、もう一度ちらっと背後を見た。
ルークは驚き過ぎて、足を止めて、瞠目して口もぽかーんと開け放たれている。
俺はちょっとからかい混じりに続けた。
「なんだ、もらったことはあるのか」
「あ、ありません! そ、そんなことは、絶対!」
「本当か?」
「本当です!」
ルークは慌てて走り出して、俺に近づいてきた。
そのままがばっ! という勢いで平伏して、顔だけ上げて目線で強く訴えかけてくる。
「お、おえらい人とは全然会う機会がないですから!」
「偉ぶってる連中じゃなくてもあるだろ?」
「え?」
「ほら、女官とかからそういう話はないのか?」
「え? ど、どういうこと……ですか?」
戸惑うルーク。
最初に「袖の下」という言葉を聞いたときは青ざめるくらいの勢いで反発した。
次に「女官」と聞いて、ぽかーんとして不思議がった。
前の方は意味が理解できてて、後ろの方は出来てないって事だろう。
これなら本当にないのかもしれないな、と思った。
クスッと笑いながら、更にルークに聞く。
「女官から袖の下をもらって、余がいそうな場所と時間を流してくれ、っていう話はなかったのかと言う意味だ」
「ないです――あっ」
「どうした」
「あれって……こういうことなのかな」
「あれ?」
「はい、お姉さんにそれを聞いてた女官の人ならいました。お金をもらってるのかはわかりませんけど」
「なるほど。それはもらってるな」
「は、はあ……」
生返事をするルーク。
自分とは無関係な事で、怯えも焦りもなくなったが戸惑いは残ったようだ。
ちなみに宦官の多くは、去勢された事も相まって、宦官同士では「兄弟」ではなく「姉妹」呼びしている。
これも「後宮の男は皇帝ただ一人」という発想から育ったものだ。
「そういうことだったんですか……」
「よくある事だ。余に見初められて寵愛を受ければ、下働きの女官から一気に妃に駆け上がるからな。そのために余の動向を掴んでおくのは重要だ。金になるぞぉ? 余の動きは」
「は、はあ……」
「お前もそういう話が来たらもらっておけ」
「……えええええ!?」
悲鳴のような、素っ頓狂な声を張り上げてしまうルーク。
「そ、そんな。出来ません」
「早とちりするな、もらっておけ。向こうが欲しい情報も分かってるだけ教えていい」
「でも……」
「そのかわり」
俺はぴしゃり、とルークの言葉を遮った。
ルークも俺の語気の変化に気づいて、「うっ」っと言葉をつまらせた。
「誰からもらったのか、なんて答えたのか。それをちゃんと覚えて、余に報告しろ」
「え? あっ……わ、わかりました」
「ん」
ルークの返事に俺は満足して、小さく頷いた。
やっぱりこの幼げな少年は賢い子だ。
俺の言葉からこれは一種の勅命――命令通りにうごくものだと理解して、すぐに受け入れた。
それに、考え方が柔軟でもある。
これがバカだったり、頭が硬かったりしたら延々とデモデモダッテをしていた所だろうな。
耳目は多いほどいいし、インドラが建前として持ってきたオードリーの件も理屈としては正しいから、そのためにも女官達の動きは把握しておいた方がいいと思った。
話がついたから、再び歩きだした。
慌てて立ち上がったルークを引き連れるようにして、書庫までやってきた。
「そこで待っていろ」
「は、はい」
ルークをそこに置いて、書庫の中に入る。
数千冊の本がひしめく中、通い慣れたコーナーに向かう。
そこは、歴史を記した書物が収蔵されている一角だった。
「確か……パーウォー帝国に近い話があったかな」
独りごちながら、約500年くらい前に地上に覇を唱えた、パーウォー帝国の歴史が記された本を抜き取って、パラパラめくる。
文字の一つ一つを、記されているエピソードの一つ一つを丁寧に拾っていく。
この頃の人間はまだモンスターを制してはいなかった。
本の中で少なくない分量が、人間とモンスターの戦いを書き留めている。
「陛下」
「ん」
顔を上げる。
そこにオードリーが立っていた。
俺の正室、帝国の国母。
皇后であるオードリーが、楚々としたたたずまいで現われた。
「オードリーか、どうした」
「執務室に人を向かわせたのですが、陛下がお一人でここにいると聞きましたので」
「そうか。表に宦官がいたはずだが?」
「黙らせました」
「そうか」
俺はクスッと笑った。
オードリーは良くできた皇后だ。
彼女は一度たりとも、執務室に足を踏み入れたことはない。
歴史上、後宮が政治に介入したことは枚挙に暇がない。
そしてそれは幼君ならともかく、成人した皇帝の場合ろくな結果にならない。
そうならない為に――なのかどうかは定かではないが、オードリーはとにかく政の場、その代表となる執務室には足を踏み入れない。
今も、そこに使いの者をやったが、俺が一人で書庫という、政とは直接関係のない所にいると知ってからやってきたようだ。
ちなみにさらりと「黙らせた」というのもいい。
宦官を一言「黙らせた」と言えるくらいには、皇后の威厳がついてきたように思える。
「何を読まれているのですか?」
オードリーはそう聞きながら、俺の方に向かってきた。
そして俺の横に立ち、開いている歴史書をのぞき込む。
「パーウォー帝国後期の歴史だ」
「パーウォー帝国……ですか?」
「500年くらい前に、今の帝国の三分の二ほどの版図を持った帝国だ」
「なぜそのようなものを?」
純粋に不思議がるオードリーに、俺はフッと微笑みながら答えた。
「歴史というのは繰り返されるものだ。数百年――いや、千年前から人間の本質は変わっていなくて、同じことを繰り返しているだけだからな」
「そういうものなのでしょうか?」
「例えばだ」
俺は更に笑いながら、いう。
「宦官に小銭を握らせて、皇帝の動向を探らせようとする女官。そんなのは今も過去もそして未来も――」
「確かに、未来永劫に亘って繰り返されますわね」
オードリーはクスッと微笑んだ。
例えばイジメとか、人間が行うことを「根絶すべき」と鼻息を荒くさせる連中はいるが、そういう環境や時代によらず、人間がただする事を根絶など出来はしない。
権力争いの為に金銭が飛び交うこともまた、根絶する事が不可能なことだ。
それをオードリーはしっかりと、正しく認識しているようだ。
「だから余は歴史から学ぶ。過去の自分の経験などでは人生一人分しかないが、歴史は無数に存在している、ありとあらゆる事を学べる。本当の意味での前代未聞などないのだからな」
「……やはり陛下はおすごい」
オードリーはしっとりとつぶやき、俺にしなだれかかってきた。
心からの賛辞は、聞き慣れていたとしてもその都度気分がよくなるものだ。
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