116.四阿の皇帝
128話まで予約投稿しました
「ん?」
『不穏な動きがあれば仔細まで探るのが道理ではないか、なのにこの程度の報告では』
「ああ、それはわざとだ」
『わざと?』
「そうだ。こういう間者ってのは、普段は何食わぬ顔で使用人の中に混じっている。そのただの使用人が、何かを見て気になったから探りを入れた――そんな事をしたら怪しまれる。潜入や調査の専門ではないのだから」
『であれば専門家を使えばいいのではないか?』
「ふふっ」
『主?』
「例えばだ、お前をオスカーの屋敷においてきて、見たものを全部報告しろと命じたとして。お前は何か秘密を探ってこれると思うか?」
『…………不可能だ。我は存在感が大きすぎて、秘事を探るのに向いていない』
リヴァイアサンはやや拗ねた様な口調で答えた。
向こうも気づいているんだ。
俺のこの質問が、実質「出来ない事を自分の口から言わせる」のと同じことを。
「そういうことだ。お前のは極論過ぎるが、探りの専門家も同じことが言える。オスカーほどの男であれば、そういう人間が放つ非日常な違和感を見逃すはずがない」
『なるほど』
「だから俺は買収したもの全てに『みたままを報告』『深入りはしなくていい』と命じている。そのかわり複数ルートを作る」
俺はそう言いながら、最初に読んだ手紙に重ねていた、もう一枚の手紙をかざした。
それは別の使用人――門番の男からの報告書。
「オスカーの家人、入るときは深刻な表情してたのに、でるときは得意げな表情をしてたみたいだな」
『むっ』
「これでもまだ内容は分からないが、話の方向性は推察できる」
『むぅ……すごいな主、そこまで考えていたとは』
俺はにこりと微笑んだ。
リヴァイアサンが納得してくれてよかった、と思った。
同時に、二通の手紙を読む。
具体的な内容は分からないが、オスカーが家人になにか唆されたかも知れない、という推測が成り立つ。
もしかしたら出征中の俺を狙ってくるのかもしれないと思った。
やはり、切り札のリヴァイアサンは手元に取っておきたいって思った。
同時に、ちょっともどかしくも思った。
この諜報網のやり方は俺なりに考えた結果だ。
精度が低くても、一つ一つの情報量が少なくとも、複数から入ってくれば、それを組み合わせてどうにかなる。そう思った。
質を量でカバーというやり方だ。
このやり方のメリットは、何か起きたとき、複数の報告が入れば「何かがおきた」という所まではわかる。
質に任せた一件の報告だけだと、本当におこったのだろうかという疑問が拭いきれない事が多いが、量にまかせた報告が五件十件も来れば「何かが起きた」と言うことだけは確実になる。
「父上はどうしていたのだろうか」
父上の耳目のすごさはよく思い知っている。
父上のは量も質も、何よりも速さがとんでもなかった。
父上ならこういう時、オスカーの動向を完全につかめていただろうな、と思ってしまう。
オスカーがどう動くのか分からない、そもそも動くとは決まっていない。
「……」
分からないというのは、時としてメリットもある。
俺には、オスカーが本当に動くのかどうかが分からない。
分からないから、曖昧に出来る。
オスカーの性格を脳裏に想像してみる。
彼の性格上、何をしても、相手の手札がはっきりと分からないうちは動きを控える可能性が大きい。
なら、こっちのするべき行動もおのずと決まってくる。
俺は月のない夜空を見あげながら、曖昧そうに見える札をより増やす方法を考えたのだった。
庭での気分転換のあと、俺は執務室に戻って、政務の続きを消化した。
帝国皇帝というのは忙しいものだ。
父上を見てある程度想像はしていたが、実際に即位してからその考えすら甘かったと思った。
皇帝というのは、俺が転生する前の庶民の頃に想像してたものの100倍は忙しい。
酒池肉林などをする暇などない、毎日のように各地から上がってくる報告と指示だけで時間のほとんどを持って行かれる。
今もそうやって処理していた。
手元にはアルメリアにいるエヴリンからの書状が開かれている。
さすが俺の屋敷から出て行った家人。
俺の方針をよく知っている内容だったから、全て任せると赤いインクで返事を書き込んだ。
「陛下」
そうしていると、宦官の一人が話しかけてきた。
顔を上げると、執務机の向こうにいるのは少年の様な幼い宦官だった。
少年は俺の前に跪き、顔を上げてこっちを見ていた。
「初めて見る顔だな、名前は?」
「え? あ、はい。ルークっていいます」
少年宦官は少し戸惑い、俺の質問に答えた。
俺はペンをおいて、近くにある手ぬぐいで手を拭きながら、更に質問した。
「ルークか。まだ幼いようだがなんで宦官になった」
「は、はい。い、妹の薬代のためにです」
「そうか」
俺は小さく頷いた。
珍しい話じゃなかった。
宦官は去勢させるという大前提があるから、入ってくる人間にはまとまった支度金を渡す事が当たり前だ。
むしろそれをエサにして、半ば騙すような形で数を集めている。
だから貧しい家の末っ子とかで、家を継がなくてもいいのを理由に宦官に志願してくる者が多い。
そういう家庭からすればあの一時金が大金なのは間違いないからだ。
目の前の少年もそうか、と納得した。
「で、何かあったのか」
「あっ、はい。ニール様っていう人が来てます――じゃなくて、おめ、おめど……?」
「お目通り?」
「はい! オメドオリをって言ってます」
「そうか、通せ」
俺はふっと笑いながらそう言った。
まだ仕事に慣れていない少年宦官に莞爾となりながら、ニールの事を許可した。
少年宦官ルークは立ち上がり、慌てた様子で身を翻して、執務室から出て行った。
しばらくして、入れ替わりにニールが入ってきた。
ニールは執務机の前に足を止めて、作法にのっとって片膝をついて一礼した。
「はは」
「こ――じゃなくて、陛下? なにかおかしかったか?」
「いやなに、さっきの少年は新入りだから言葉遣いも作法も下手なのは仕方ないことだったが、お前も作法が苦手なんだなって」
俺がいうと、ニールは赤面しつつ、微苦笑した。
「こういうのなれてないもんで」
「ならばよい。口うるさい年寄りがいない所では礼法は無用だ」
「それは助かる」
ニールはフッと笑い、まっすぐ立ち上がった。
そこで必要以上に謙遜しないのがこの男の美徳の一つだなと思った。
ニール・ノーブル。
帝国最強の老将ダミアン・ノーブルの三男。
少し前にダミアンが息子達を官職に推薦したとき、この三男だけ推薦しなかった。
長男、次男、四男と。
あの実直な武人が、様々なうたい文句で息子達を売り込んだにもかかわらず、この三男の事だけは何もふれなかった。
それを不思議に思った俺は、この三男の事を調べた。
すると、彼が他の三人の兄弟と違って、親の推薦やら七光りやらなくてもいずれ頭角を現わしてくるほどの才能を持った男だと知った。
人は宝だ。
それを知って、居ても立ってもいられなくなった俺は、直接出向いて、口説き落として配下に加えた。
剣の才能はあるが、性格的に「堅苦しい」事は苦手、というタイプの男だ。
そんな堅苦しさの型にはめこんでしまうのはもったいない男だと思ったから、ニールには礼儀作法は無用だと言ってやった。
俺は椅子に深く背をもたせかけて、完全に手を止めた姿勢でニールに聞いた。
「で、今日はなんのようだ?」
「今度の親征、俺もつれてって下さいよ」
「なんだ、手柄でも欲しくなったのか?」
「有り体に言ってそんな所ですかね」
「ふむ」
小さく頷きつつ、ニールをみた。
この男ほど「手柄」という言葉から縁の遠い男もいないなと思う。
手柄とか立身出世とか、そういうのに興味がない男だと思っていた。
「なんだったら例の歌姫の護衛でも構わん、その辺の連中よりは役に立つぜ」
「アリーチェの事か? それなら余の目に届かない所に置くつもりはないから平気だ」
「そうか」
「だがまあ……」
俺は少し考えた。
ニールは俺の持ち駒の中でも特に「使える」方だ。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
帝国皇帝
性別:男
レベル:17+1/∞
HP C+B 火 E+S+S
MP D+C 水 C+SSS
力 C+S 風 E+C
体力 D+C 地 E+C
知性 D+A 光 E+B
精神 E+B 闇 E+B
速さ E+B
器用 E+C
運 D+C
―――――――――――
ステータスでも、俺に忠誠を誓っている事はわかる。
その上剣の腕も立つ。
たしかに有効な場所に配置しないのはもったいないと思った。
「……」
俺は少し考えたあと、脳内にある絵図が浮かび上がった。
「なら、一つやって欲しい事がある」
「お、なんだ」
「その前に下準備だ。第四宰相の所にいって、勝てるだけ勝ってこい」
「勝つ? なんの話だ」
「まずはそれからだ。その間に余も準備を進めておく」
「……」
ニールはしばし俺を見つめた。
「勝てるだけ勝てばいいんだな」
「ああ」
「分かった」
ニールは頷き、颯爽と身を翻して、執務室からでていった。
聞き分けの良さと決断の早さはそれだけで一種の才能だなと思った。
それを見送った後、俺は。
「誰か」
と叫んだ。
すると、さっきの少年宦官ルークが入ってきた。
ルークは慌てた様子で入ってきて、半ばすっころげるかのように、執務机の前に平伏した。
「お、お呼びですか陛下」
「兵務大臣を呼べ。余は庭にいるからそこへ通せ」
「はい!」
応じた後、ルークは這うようにして部屋から出て行った。
俺も立ち上がって、部屋を出た。
廊下を歩いて、目的の場所に向かっていく。
すぐに女官がそっとやってきて、俺に肩掛けをかけた。
夜風が体に障らないように――ということだ。
それを無言で受け取りながら、足取りをそのままに、庭に出た。
離宮の庭園は夜でも至る所に明かりが灯されている。
それを頼りに池に向かった。
そこそこ広い池は、中心に島があり、その島の上に四阿が設えられている。
四阿の中には石造りの椅子とテーブルがあって、自然な形で「島の一部」として溶け込んでいる
俺はその石造りの椅子の一つに腰を下ろした。
すぐさま女官が茶を持ってきた。
氷を使った冷茶は、あれこれ考えごとで熱を持った頭をほどよく冷やして、すっきりさせてくれた。
石のテーブルの上にカップを置く。
氷入りの冷茶は、カップの外側に水滴が滴った。
最初に女官が置いた場所と、飲んだ後に俺が置いた場所。
微妙に離れている二カ所の水たまりを作った。
それを眺めながら待つこと30分、ヘンリーがすっ飛んできた。
橋を渡って小島に上陸して、四阿の入り口で片膝をついた。
「兵務親王ヘンリー・アララート、召喚に応じ参上いたしました」
「うむ、そこに座ってくれ。兵務親王にも茶を」
やってきたヘンリーと、案内してきた女官にそれぞれ告げてやった。
すぐさま、女官がヘンリーの分の茶を運んできた。
俺が飲んでいたものと同じ、貴重な氷を使った冷茶だ。
「ごくろう、下がれ」
「はい」
女官が命令に従って下がった。
俺はなんとなしに庭園の風景を眺め、ヘンリーは横目で女官がいなくなるまで見送った。
女官がいなくなったあと、ヘンリーは改めて俺にまっすぐ向いてきた。
その際にちらっと、俺が飲んでいたカップと二つの水溜りをみた。
「このような所に私を呼び出して、何か機密のご相談ですか」
ヘンリーは察しが早かった。
壁に耳ありという。
機密の話をするときは、こういう庭の孤島のような、まわりに誰も隠れる場所がない所を使うのがベストだ。
密室というのは実はよくないものだ。
一見して壁で囲んでいるので聞かれないようにみえるが、壁の向こうで誰がどうやって聞き耳を立てているのかまったく分からない。
こういう風に、完全に開けた場所が密談にもっとも向いている。
今はもうないが、数百年前に貴族の間ではやったホールボールという競技があった。
大草原かと見まがうほど広い場所に、静止したボールを棒で打って、百~数百メートル先の穴の中にいかに少ない打数で入れられるかを競う競技だ。
競技としてはそこそこ人気があったが、それ以上にコースごとに百~数百メートルあると言うことは、広大な競技場の中で二人っきり、という言い換えも出来る。
つまりそこで何を話しても誰にも聞かれる事が無いから、密談としては最高のロケーションというわけだ。
それと同じで、俺はこの開けた場所、誰にも聞き耳を立てられない場所を選び、そしてヘンリーはすぐにそれを理解した。
「陛下?」
「ああ、すまん。少し考えごとをしていた」
俺は飲みかけのカップを指で弾いて、ヘンリーに改めて目線を向けた。
「一つ聞きたいことがある。兵務署に訳ありの連中はいるか?」
「訳あり……でございますか?」
ヘンリーは眉をひそめ、不思議そうな目をして俺を見た。
聞き返すまでもない、「なんでそんな事を?」って言ってるような顔だ。
「ああ、なんでもいい、とにかく『訳あり』だ。出来れば一部隊くらいあるといいが、なければ数人程度でもいい」
「百人ちょっとの、愚連隊のような連中ならいますが……」
「どういう連中だ?」
「元は盗賊に近しい連中だったのが、その――」
「ああ、いい。別に詳しく詮索するつもりはない、言えない事もあるだろう」
「恐縮です」
「重要なのは、そいつらがヘンリーの言うことを聞くかどうか、だ」
「そうですね……」
ヘンリーは思案顔をした。
俺の口調からこれは重要な質問だと気づいて、本気で考えているようだ。
「さしあたって、連中が『使い捨てにされた!』と感じなければ大抵のことは」
「ははは、わかりやすい奴らだな。飴はしっかりやれてるか?」
「それなりに」
「よし。では余からも少し飴をやろう、一人あたり500リィーンだ」
「連中に代わって御礼申し上げます」
ヘンリーは立ち上がって、恭しく腰を折って頭を下げた。
そして再び座って。
「して、何をさせるのでしょうか」
「ニールを知っているな」
「ニール……ノーブルの子でございますか?」
「ああ、そいつらをニールに持たせて、闇に潜ってもらう」
そう告げるとヘンリーが目を見開き、驚いた。
「それはなぜ?」
「ニールには今箔をつけさせている、上手く行けばニールが一番だ。その一番が兵務省の訳あり連中と一緒に闇に潜った。ヘンリー、お前ならどうする?」
「それは……」
ヘンリーはそう言った、また思案顔をした。
俺はヘンリーの答えを待ちながら、カップの二つの水たまりを交互に触れて、指先でなぞって一つにつなげた。
「……なるほど、私の前には誰もいらっしゃっていなかった」
「……」
俺はふっと微笑んだ。
「誰がきたと思った?」
「第四宰相か、皇后陛下か」
「ははは、正反対の二人だな。まあそうなるな」
ちょっと楽しくなってきて、声に出して笑った。
「上手いなヘンリー、オードリーも入れてくるとは」
「さすが陛下、お見それ致しました」
ヘンリーは立ち上がり、腰を折って一礼した。
この四阿を誰かと一緒に使う時は、機密の話をするか、さもなくば妃達を引き連れての遊楽の二パターンしかない。
その上ヘンリーと会っていれば、「今回」は機密の話に絞られるだろう。
しかしヘンリーはそれに加えて、女達を引き連れたパターンも可能性として上げた。
可能性がゼロではないのなら考慮する――というのが分かって、ちょっと楽しくなった。
「話を戻そうか」
「はっ。選択肢がふえる事で、相手は疑心暗鬼にはなる」
「その通りだ、ニールのことも勝手にそうなるだろう。例え実際はどこかに物見遊山にいっているだけだったとしても、それを怪しむ。可能性の検討は賢しい人間ほどやめられない」
「さすが陛下でございます。相手はきっと疑心暗鬼に陥る事でしょう」
「そうだと助かるな」
俺は頷き、立ち上がった。
手を後ろに組んで、ぐるっと身を翻して池を見た。
「皇帝親衛軍は外に独立させた、が、それは明るいところにいる。中にいくらでも間者を潜り込ませられる。そこで存在は知られているが、詳細はまったくつかめない、闇の中に配置できる駒が欲しい」
「人は、見えなければ躊躇が生まれます」
「賢ければ賢いほどな」
小さく頷き、ヘンリーの言葉に同意した。
「改めて聞くが、その愚連隊とやらはこの役に適していそうか?」
手を後ろに組んだまま、首だけ振り向いて、肩越しにヘンリーを見る。
「はっ。多少の餌付けか、因果を含める必要はあるかとは思いますが。そこは私にお任せ下さい」
「わかった、任せる」
俺は前を向いた。
前を向いて、まっすぐ遠方を見つめた。
ヘンリーは黙り込んで、俺の次の言葉を待った。
ここまで如何でしたか。
・面白かった!
・続きが気になる!
・応援してる、更新頑張れ!
と思った方は、広告の下にある☆☆☆☆☆からの評価をお願いいたします
すごく応援してるなら☆5、そうでもないなら☆1つと、感じたとおりで構いません。
すこしの応援でも作者の励みになりますので、よろしくお願いします!