114.誘惑
オスカー邸から出た後、俺は辻馬車を捕まえて、乗り込んだ。
「どちらへ?」
「王――スカイロードへ」
「へい!」
俺のオーダーに応じて、御者が鞭をしならせ、馬車を走らせ出した。
すこし思うところがあって、庶民っぽい俗称を使った。
スカイロード、空の上の道。
皇帝が天上人だという見方から、王宮前の大通りはスカイロードという俗称がついている。
若干揶揄が入っている呼び名だから、皇族は知っていてもそれを使わない事が多い。
それをあえてした。
そして、何食わぬ顔で御者に話しかける。
「調子はどうだ? 儲かってるか」
「へい、ぼちぼちですわ。前は流しても客がつかないもんでこいつの飼葉代も怪しい時期があったんですがね」
御者はそういい、手を伸ばして馬を撫でた。
「今は出してればとりあえず客はつくもんで、喰うには困らないんですわ」
「なるほど」
俺ははっきりと頷いた。
せっかくの機会だ、為政者とは縁遠い人間を装って、市井の生の声が聞きたかった。
皇帝の元には、本当の情報が入らないものだ。
処罰を恐れたりなどして、あるいはおもねるなんてしたりして。
並みの大臣から上がってくる情報のほとんどは修飾されたものだ。
ヘンリーとオスカーは俺の事をよく知っているからそういうのは少ないが、それでも多少は忖度する。
本当の意味で忖度しないのは偶然拾ったフィル・モームくらいだ。
あれは本当の意味での宝だと思っている。
「景気が上向いたと考えていいんだな。そうなった理由は分かるか?」
「あっしのようなものには難しいことはわかりませんわ」
「純粋に感じたことでもいいんだ」
「そうですねえ、まあ、皇帝様が退位したからでしょうね」
「ほう?」
父上が上皇に退位したから景気が良くなった?
それは……なぜだ?
はっきり言って、俺は今でも父上にはまったく及ばない。
父上は帝国一――いや、史書で記されているあらゆる王朝の中でもトップクラスの名君だ。
その父上が退位したから景気が良くなった……?
一体どういう事だろう。
「なんで皇帝様が退位したらよくなったんだ?」
「そりゃあ、前の皇帝様はもう年寄りだろ」
「ああ」
「そすっと、いつコロッといってもおかしくないだろ」
「そうだな、そういうお歳だ」
「皇帝様が死ぬとよ、なんやかんやで最低半年、下手したら一年はまともに商売できなくなるんだわ」
「……ああ」
俺は納得した。
皇帝の崩御というのは大事だ。
地方にももちろん命じるが、それ以上にお膝元である帝都では完全に喪に服すことが求められる。
酒場といった娯楽系の施設は完全に営業停止。
食事も質素に、服装もおしゃれは禁止など、多岐にわたって禁止事項がでる。
正直、帝都は一時的に完全に「とまって」しまう。
「それがぼちぼちだからよ、そうなっても生きていけるように、みんな蓄えをしっかりして、財布の紐が固くなるんだわ」
「そうか、皇帝様じゃなくなれば、死んでもそんなにはならないってわけだ」
「そうそう。今の皇帝様は若いから、普通におっじぬまで何十年もある。そういう安心感とかでみんな財布の紐がゆるくなったんじゃねえのかな」
「なるほど」
俺ははっきりとうなずいた。
それはない発想だったが、理にかなっている。
為政者はつまるところ、民を安心させて、将来に希望を持たせられればそれで合格だ。
これは……拾いものだ。
皇帝の崩御に関する礼典の知識はあったが、それが民に与える影響はまったく想像出来てなかった。
この話を聞けたのは望外の喜びと言っていい。
「お客さん、着きましたぜ」
「ああ、ありがとう」
俺は懐から金を取り出して、御者に渡した。
御者は受け取って――驚いた。
「お、お客さん!? これは!?」
「チップだ、取っておけ」
「チ、チップって……これ100くらいあるんじゃ……」
厳密には1000リィーンだが、あえて指摘しなかった。
為政者として、皇帝として。
今の話を聞けたのは、1000リィーンならむしろ安いくらいだ。
政治の与える影響、もっと多角的に考えなきゃならないな。
俺は馬車から飛び降りた。
御者がまだ固まったままだが、気にしないでスタスタ歩き出した。
スカイロード――王宮前の大通りの人気はまばらだった。
俺は王宮の正門に一直線で向かっていき、門番の前に立った。
「誰だ――はっ!」
誰何した門番は青ざめて、パッと俺に平伏した。
「も、申し訳ありません! 申し訳ありません」
「職務に忠実なのは良い。お伝えしてくれ、上皇陛下がまだ起きておられるなら謁見したい、と」
「はは! 今すぐ!」
門番は中に飛び込んだ。
俺はその場で少し待った。
皇帝がこんな形で上皇の王宮を尋ねるのは本当はあり得ないことだが、俺が帝都に帰還したことはまだ公表されていないから、この形の方がいいと思った。
しばらくすると、さっきの門番が戻ってきた。
慌てて走っていて、途中ですっころがりながら、俺の前に這ってきた。
「じょ、上皇陛下はお会いになるそうです」
「そうか、ご苦労」
門番には10リィーン位の小銭を渡して、中に入った。
門番の一報がいってたからか、数人の女官が出てきて、待ち構えていた。
「ご案内いたします」
父上のまわりにいる女官だ、俺を見ても必要以上に恐縮はせず、作法にそって一礼した。
そして俺を宮殿内に案内する。
女官達について行き、父上の書斎にやってきた。
以前から執務のために使っている書斎だが、帝位を俺に譲った後は報告書とかが減って、代わりに書物が増えた。
その書斎で、父上は本を読んでいた。
「おお、来たか、ノア」
俺は一歩進み出て、父上に跪いた。
皇帝となった俺が跪くのは、この世で上皇たる父上だけだ。
父上は泰然と受けつつ、顔をほころばせて。
「楽にするがいい」
「御意」
俺は立ち上がって、まっすぐ父上と向き合った。
「聞いたぞ、レアララトで上手く龍脈を復旧させたようだな」
「はっ、しかし完全には――」
「生け贄を決断したのは素晴らしい。オスカーあたりなら三日は悩んでいるであろうな」
「――っ!!」
俺は驚愕した。
生け贄。
俺が龍脈を復旧させた事を父上が知っていてもふしぎはない。
一回復旧して、失敗したから少し前の話だ。
しかし、復旧に生け贄を投入したのは、俺が超特急で帝都に引き返してくる直前くらいのことだ。
つまり、父上の情報網には。
超特急で情報を送る人間もいるということだ。
子供の頃から父上の情報網のすごさを思い知らされてきたが、今日ほど驚いたことは少ない。
驚いた俺は、内心の動揺を取り繕った。
「……はっ、必要であったため死刑囚を用いました」
「うむ……ノアよ、為政者は時として難しい選択に直面する。一人を犠牲にして大勢を助けるか、大勢に我慢をさせて一人を救うのか、とな」
「……究極の選択、でございますね」
「そうだ。ノアはそういう時どうする?」
直感的に、父上に試されているとわかった。
俺は考えた。
一人を犠牲にして大勢を助けるか。
大勢を犠牲にして一人を助けるか。
正直、答えのない問題だ。
どちらを答えても正解になるし、どちらも不正解になる。
そういう代物だ。
ただ、皇帝の立場からすれば――。
「一人を犠牲にできれば――と考えています」
「それは余であってもか?」
「……っ」
俺は沈黙した。
沈黙して、父上と見つめ合った。
父上の顔は真剣だった。
俺はまた少し考えて。
「……それが、民のためになるのなら」
「……ふっ」
父上はフッと笑った。
安堵した、という様な顔だ。
「安心したぞ、さすがノアだ」
「……」
褒められるほどの事じゃない――と思ったその直後。
父上が爆弾を投げ込んできた。
「余も犠牲にできるのなら、どんな相手だろうが可能だな」
「――っ!!」
俺は更に驚いた。
相変わらず父上はとんでもないと思った。
どんな相手だろうが、か。
父上の情報網のすごさは嫌というほど思い知っている。
オスカーの野心も、当然把握しているはずだ。
つまるところ、父上は「いざとなったらオスカーを切れるのか」って聞いているんだ。
「……はい、その覚悟はできました」
「そうか、ならよい」
父上の表情が穏やかになった。
そのまま立ち上がって、手を背中で組んで、窓のそばに歩いて行った。
窓から外を――月を見あげる。
「ノアは既に痛感しているだろう」
「……」
「皇帝には『私』が存在しない」
「……はい」
「食事は毒味に次ぐ毒味でまわってくるころには冷めておる。男として女を抱くのもいちいち記録をされる。政務のため、大臣らとの朝礼のために寝坊のひとつも許されない」
「もし破れば、歴史書には無能か暴君と書かれる」
「そうだ。皇帝には『私』がない、あるのは『公』だ。故に、孤独だ」
「……はい」
父上の口から出たのは、経験者が故の重い言葉だった。
「ふっ、そうは言っても、ノアの才覚ならそれも乗り越えられよう」
破顔一笑。
父上の笑みが、それまでの重い空気を払拭した。
「ご期待に応えられるよう精進します」
俺も重い空気を払って、丁寧に一礼した。
「さて、ノアの来意をまだ聞いていなかったな」
「父上には伝わっていましょうが……親征します」
「うむ、余に何かやって欲しいことでもあるのか?」
「はい――セムを守って欲しい」
「……ほう」
一呼吸ほどの間。
父上は楽しげに笑った。
さっきまでとはまったく違う、心の底から楽しそうだと感じている顔だ。
その証拠に、父上は天井を仰いで大笑いした。
「そうかそうか、余も上手く使うか」
「恐れ入ります」
「うむ、よくそれを余に持ってきた。さすがだノア」
父上にもう一度褒められた。
セム、俺の息子、現在の皇太子。
あとから知ったことだが、父上が俺に帝位を譲ったのはセムを見てからだ。
ヘンリー、オスカー、俺。三すくみの決め手になったのがセムだ。
いい孫は帝国三代の繁栄を見込める――ということで、セムの高い限界レベルをみて、父上は俺に帝位を譲ると決めた。
理屈は分かる。
俺でもそうする。
息子だけでなく、孫まで見て選ぶ。
もちろん、それを悟られないようにセムを皇太子にはしたが。
つまり、父上にとって、セムは下手をすれば自分の命よりも大事な孫だ。
俺の留守で何が起きるのか分からない。
しかし父上に頼めば、セムの命の安全は間違い無く守られる。
「よかろう、聞き届けよう」
「ありがとうございます」
俺はもう一度頭を下げた。
これでまた一つ気がかりがクリア出来た。
親征は大イベントだ、万全には万全を期さなければならない。
次にすべき事は――と。
俺は頭をフル回転させて、それを考えていたのだった。
☆
深夜、オスカー邸。
既に寝たオスカーの元に、一人の男が現われた。
男の名前はイスカ・リオテ。
オスカーの家人の一人だ。
家人の男が深夜に人目を忍んで訪ねてきた。
何かないとそうはならない、と。
オスカーは不快を押し殺して、イスカに向き合った。
二人はオスカーの寝室のなかに設えたテーブルの近くにいる。
オスカーは座っていて、イスカはオスカーに跪き、頭を下げていた。
「用件はなんだ?」
「はっ……皇帝が出征いたします」
「……それで?」
オスカーは眉をひそめるのを意識してとめた。
イスカは更に言う。
「部署的に、我々は随行します。戦場では事故もあるかと……」
「――ッッ」
オスカーの表情が大いに変わった。
戦場での、事故。
もちろん、イスカが言うそれは故意に起きること、あるいは状況次第で見捨てるだけのこと。
それもやはり、内政屋のオスカーには出てこない発想だった。
オスカーに、悪魔の誘惑がふりかかった。
ここまで如何でしたか。
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