106.民の怒り
サラルリア州、州都レアララト。
元は砂漠の一オアシスだったここが、行政上州都に据えられた事で、今ではサラルリア州でもっとも栄えている街となった。
とはいえ、
「……ふむ」
帝都から来た俺からすれば田舎町そのもので、前世の記憶を持った目でみても寂れている感が否めない。
ただ、砂漠に適した様式なんだろうか、これまでに立ち寄った街とは建物の見た目がまるで違っていた。
帝国の州ではあるが、まるで異国にやってきた、そんなふしぎな感覚になった。
また、住民の顔つきも違う。
ほとんどの人間がこの降り注ぐ強い日差しに比例するかのように陽気な性格をしているが、同時に大半が痩せすぎ(痩せぎす?)で、顔がしわだらけだ。
砂漠という過酷な環境に生きていればこうなるのか、と興味深く思えてきた。
「さて、まずは宿をさがそうか」
「はい! お任せ下さいご主人様!」
ペイユが応じて、小走りで先をいった。
俺もアイビーを連れて後を追う。
ペイユは建物の前でその都度立ち止まって中をきょろきょろして、三軒目になったところでようやく中に入った。
ゆっくり歩いて追いかけると、丁度追いついたところでペイユが出てきた。
「お待たせしましたご主人様。お部屋が二つあるそうです」
「うむ」
頷き、建物の中に入る。
外から分からなかったが、宿だったみたいだ。
「いらっしゃい」
奥に入ると、初老の男が出迎えてくれた。
痩せていて、顔もしわだらけだ。
この街としては標準的な顔つきなのだから、もしかしたら俺が推測しているよりも実年齢は若いのかもしれない、そう思えた。
「お客さん、早速部屋でおやすみかい、それとも何か食事を用意しようか」
「そうだな」
俺は建物の中をみた。
日差しから解放されただけで、室内はひんやりとしていて心地よかった。
その分炎天下を歩いてきた疲れが一気にでて、体が水分をほしがっていた。
今たっているところがロビー的な作りで、テーブルがいくつも置かれて酒場的な雰囲気だ。
宿屋の中の作りは他の街と大差ないのだなと思った。
「なにかつまめる物と、飲み物をくれ。ペイユ、アイビーと一緒に荷物を置いてこい。疲れてたら休んでいていい」
「わかりましたご主人様」
「わ、わかりました」
俺が命じた後、奥から別の男がでてきた。
若い男で、こっちはさすがに二十代の前半って感じだ。
その男がペイユとアイビーを案内して階段をあがっていく。
一方、俺は空いてる席の一つに腰を下ろした。
若い男と入れ替わりに一旦奥に引っ込んだ老人は、何皿かのつまみと、陶器の開口瓶をトレイに乗せて戻ってきた。
それを俺のテーブルの上に置く。
つまみは乾き物がメインで、特筆するものはなかった。
開口瓶からはふくよかな香りが漂ってきた。
「酒か」
「お客さん、外地の人だね」
「ああ」
「ここじゃ水よりも酒の方が安いんだよ」
「なるほど」
水が貴重なのはここまでの道程でわかったが、水よりも酒の方が安いのは驚きだ。
「水はなんにでも使えるけど、酒は飲むことにしか使えないからね」
「なるほど、道理だ」
俺は皿のつまみを一切れ摘まんで、口に入れた。
やっぱり味はたいしたことなかった。
「そうなると、例えばこの皿はどう洗うんだ?」
「この土地で、旅行者を相手にしない人間は『あらう』という言い方をしない。砂をかけて、それで汚れをとるからね」
「ほう、それは面白い」
俺は笑いながら、ふところから10リィーンの金を取り出して、老人に渡した。
帝国の法定通貨だ。
来る前にサラルリアでもちゃんと使える事がわかっている。
それを差し出すと、老人はパアァ、と顔をほころばせた。
「いいんですか、こんなに」
「ああ。チップだ」
「ありがとうございます。なにか他に必要なものは?」
老人は目を細めて、顔もくちゃくちゃにさせるほどの笑みを浮かべて聞いてきた。
上客だと認識したらしく、一気に愛想がよくなった。
「そうだな。このあたりで最近なにか変わったことはないか?」
「最近ですか……そりゃあっちこっちの代官が替わったのが一番大きいですね」
「代官が?」
「ええ、領主様が替わったことで、子飼いの代官が全員引き揚げられたんだとか」
「ああ」
俺は頷いた。
確かにそうだ。そうなるものだ。
家人級ではないただの代官だと、そのレベルの人事はいちいち皇帝である俺のところまでは上がってこないから、把握してなかった。
ちなみに家人級でも法制度上、皇帝に報告する必要はないのだが、親王邸から出て行った家人は形式上、親王が何らかの形で皇帝の耳に入れるようにしている。
それからも色々宿屋の老人から話を聞いた。
ペイユとアイビーが戻ってきたから、手を振って老人を下がらせた。
二人が俺のそばにやってきた。
アイビーが俺のそばに座ろうとするが、ペイユはそうしなかった。
腰を下ろしかけたアイビーがペイユをみて固まった。
どっちも間違っているが、結果論でいえばペイユの方がより間違ってる。
「人目がある、座れペイユ」
「は、はい! すみませんご主人様」
ペイユは慌てて俺の横に座った。
座りかけて、中腰で固まったアイビーにもいう。
「今はいい、座れ」
「は、はい。今は、ですね」
「ああ」
頷く俺。
アイビーは座りつつも、何かぶつぶつ唱えて、自分に言い聞かせているようだ。
皇帝である俺と、使用人は本来同じ席に座らないものだ。
宰相や親王であっても、許可無しに同席することはない。
だから、当たり前の様に横に座ろうとしたアイビーは本来間違ってる。
一方で、お忍びという形で出てきたのに、一緒に座ろうとしないペイユも間違ってる。
豪商や領主級だと、使用人を同席させないことも普通にあるが、そこまで目立ちたくない。
「ふむ……」
このあたり、俺もまだまだだなと思った。
皇帝としてのお忍びの経験がまだ少ないから、俺自身も改善の余地がある。
「ペイユ、紙とペンを」
「は、はい」
ペイユに命じつつ、俺はフワワの箱を作った。
ペイユから受け取った紙にペンを走らせる。
俺が書いてるのを、アイビーはじっと見つめてきた。
「そういえば、読み書きは出来るのか?」
「メアリー様から学んでる最中でした」
「そうか」
「文字は一応読めますけど……読んでも内容が全然わかりません」
「……ふむ、なるほど」
俺は手を止めて、熟考した。
「な、なにかいけないこと言いましたか?」
俺の思考に割り込んでくる感じで、アイビーがおそるおそる聞いてきた。
ここが彼女のまだ擦れきっていないところで、すこしだけ面白いと思った。
「いや、よく気づかせてくれた」
「え?」
「ついつい当たり前になっていたが、公文書とかのクセでもったいぶった言い回しをする。例えばだ」
俺はそういい、書き始めた文章の頭の三行をまとめて線をひいて、取消を意味させた。
「このあたりの修飾句は本文にまったく関係がない、いらないものだ。ものによっては平文――喋り言葉でいいんだよな」
「は、はあ……」
「そういう意味ではよく気づかせてくれた、礼を言う」
「え? 私はただ分からなかっただけで」
何故自分が感謝されたのかもよく分からないって感じのアイビー、ものすごく困惑し、恐縮していた。
「ご主人様はいつもこうだから」
「え?」
「私達のような身分の人間の話もよく聞いて、場合によっては採用して下さるんです」
「あっ……それはすごい……」
ペイユの説明で理解したらしく、アイビーは驚き、感嘆した。
「偉い人なんて、話しを全然聞いてくれないのに……」
その認識もどうなのかと思うが、あながち間違ってもないだろうなとは思った。
俺は試しに、修飾句無しの平文で文章をつづった。
腹心のドンに送るものだ。
内容は、諜報関連を強化し、代官の人事をもっと密に把握させるように、という内容だ。
本来は必要ないが、俺は父上の事を見てきた。
圧倒的な情報網を築き上げた父上の事を。
情報は武器だ、使う使わないはともかく、情報は常に集めておいて損はない。
代官の把握が出来ていなかった事を気づかされた俺は、ドンにそれも把握するようにという命令を出す――という文書だ。
諜報関連は皇帝としての公文書ではないから、印は押さないで、代わりにドンにだけ開けるようにフワワの箱に収めた。
そうした後、集中していた意識が通常にもどった。
ふと、外が騒がしい事に気づいた。
なにやら怒気を含んだ騒がしさで、ペイユもアイビーも不思議がりながら視線を入り口の方に向けている。
「アイビー、何があったのか聞いてこい」
「はい!」
アイビーは立ち上がり、宿屋の外にでた。
数分後、彼女は深刻な顔で戻ってきた。
「どうだった?」
「両替税の値上がりです」
「ふむ?」
「新しい代官が来て、それで両替税を前より三割引き上げるって布告を出したんです。それで怒ったみんなが代官のところに抗議にいくって」
「なるほど」
両替税か。
両替税というのは、特に地方に存在する税金の一つだ。
庶民――特に農民レベルになると、毎年の納税は細かい銭で支払われる。
それを受け入れていくと、地方の代官の手元に大量の小銭が集まる。
そして税金は一度中央に納められて、それから分配される。
当然、大量の小銭を地方から帝都に運ぶなんて出来ない。
商人なりに金貨とか手形とかに両替してもらって運ぶのが一般的だ。
そこには当然手数料が発生し、損耗が生じる。
両替税というのは、その損耗を予測した上で、通常の税金に上乗せされる手数料的な事をいう。
ちなみにそれは各地の代官の領分だが、ほとんど言い値で通ってしまう。
現実問題、帝都から遠ければ遠いほど、あるいは天候なりの事情によって必要な両替の手数料も変わってくるから、そこで余裕を持たせた。
それをいいことに、代官らは私腹を肥やし放題――というものがある。
「ひどい代官ですよ! いきなり三割も上げられたらみんなやっていけないです!」
アイビーはぷりぷり怒った。
ジョンに保護されるような身の上なのだから、増税で喘ぐ人間に感情移入しているのだろう。
俺は酒を一口、唇を湿らすように口をつけた。
アイビーは俺をちらっと見た。
「……」
「あの、ご主人様……」
「なんだ?」
「なんとかなりませんか?」
「あれは適法だ、この場で俺が正体を明かしたところで、適法の範囲内だと主張されれば何も言えなくなる」
「そんな……」
落胆するアイビー。
むろん、そんな代官はいない。
皇帝がやめろと言ってるのに「これは適法だから」で押し通せる代官は存在しない。
だから実際は、俺が出ればこの場は収まる。
この場は、だ。
アイビーの表情が落胆から失望に変わりつつあった。
結局は民に何もしてくれないのか……と思っているのがありありと見て取れた。
「心配しないで、ご主人様にちゃんと考えがあるはずだから」
アイビーの失望がよほどわかりやすかったのか、ペイユさえもそれを読み取って、彼女をたしなめた。
「考え?」
「うん。ですよねご主人様」
「ああ」
「でも、法律的には正しいって……」
「だったら法をかえればいい」
「え?」
「法を変えてはならないという決まりがどこにも存在しない。むしろ状況、世情にあわせて日々変化するものだ」
「えっと……」
「部屋に戻る。ペイユ、印の準備を」
「はい!」
「あの……何を?」
「オスカー――財務大臣に手紙をだす。今年はもう間に合わんが、来年から両替税を国税とする」
国税にして、そのあと分配させる。
俺は二人をひきつれて階段を登りつつ、腹案を頭の中で練っていた。
「国税化……」
「私もよく分からないけど、代官様が不正をするのを止める様になるんだとおもいます、きっと」
「そんなことが出来るんですか……?」
「ご主人様なら簡単だよ」
「す、すごい……」
まるで自分の事を自慢するように話すペイユに、感嘆するアイビー。
利権に切り込む、と言う話だからいうほど簡単な事じゃないが。
それでも放っておけば、いずれ大きなうねりになって民の反乱に繋がる可能性のある事だから。
早いうちに何とかしなければと思ったのだった。
ここまで如何でしたか。
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