104.皇帝様のイメージ
ジョンと別れた後、ペイユとアイビーを連れて先を急いだ。
使用人の二人に荷物を持たせて、街道を進む。
ペイユはもとより、細身だと思っていたアイビーも意外と力持ちで、荷物を担いで歩いているのにつらそうな様子はなかった。
最初だから体力が追いつかなかったらペースを落としたりする事も考えたが、どうやらその心配はないようだ。
俺は普通のペースで、二人を引き連れて歩いていた。
「あの……」
ふと、アイビーが後ろからおずおずと話しかけてきた。
「うむ? なんだ?」
首だけ振り向き、アイビーに聞き返す。
「こ、皇帝……様、は――」
「その呼び方はダメですよ」
不慣れなのがありありと見てとれるアイビーに、ペイユは先輩風をふかしながら指摘する。
「皇帝様、なんて呼び方はないです。陛下とよびなさい」
「は、はい。陛下、ですね」
「そう。それと今はお忍びだから、正体がバレないようにご主人様って呼ぶように。都にもどったらその時は陛下です」
「は、はい……えと……はい」
アイビーは混乱していた。
ただでさえ分からないのに、一遍に色々言われてしまうと――って感じで困っているようだ。
「難しく考えるな。当面は全部ご主人様でいい。陛下呼びは慣れてきたら自然と分かるようになる」
「わ、わかりました」
「で、なんの話だ?」
「あっ。えっと、ご主人様、水は……大丈夫なんですか?」
「水?」
「このまま進むと砂漠にはいっちゃいます……」
「ああ」
俺は小さく頷いた。
砂漠に入る――それがもともとの目的だ。
アイビーはペイユとともに荷物持ちをしている、そしてこのあたりの出身だ。
自分達が持っている荷物の中に、水が極端に少ない事が気になっているのだろう。
「その事なら大丈夫だ」
「でも、砂漠は水がないと。その……死にます」
アイビーはストレートに「死ぬ」といった。
俺は砂漠に入ったことはない、知識として知っているだけだ。
が、裏を返せば知識としては知っていると言うことでもある。
砂漠はとにかく水源がないところで、水のありなしは冗談抜きで生死に関わるということは知っている。
アイビーはその事を気にしているのだ。
俺の場合、その知識だけで十分だ。
「大丈夫っていうだけじゃ安心できないか」
「え、はい……」
「こらっ、それはご主人様に対して無礼ですよ」
「ご、ごめんなさい」
「いい。まだ仕えたばかりだ、無理もない。今からその不安を取り除いてやろう」
俺はそういい、リヴァイアサンを取り出した。
サイズを自由自在に変えられるリヴァイアサンは、普段は針よりも小さくして、腕輪の中に隠している。
それを取り出して、元のサイズにもどした。
「ど、どこから……」
驚くアイビー。
俺はにこりと微笑んでやった。「驚くのはまだ早い」と。
驚くアイビーが立ち止まったから、俺も立ち止まって、振り向いてリヴァイアサンを突き出した。
「やれるか? リヴァイアサン」
『造作も無い』
リヴァイアサンが応じると、水平に突き出した切っ先の先端から、ちょろ、ちょろと水が滴りおちた。
まるでその辺の湧き水かのようなわずかな分量だが、それでも「剣」という物体から延々と流れ出る水は、何も知らない人間からすれば不思議な光景だ。
案の定、アイビーが驚愕する。
口をぽかんと開け放って、驚愕してしまう。
「こ、これって……」
「水は蒸発して空気中に逃げる。このリヴァイアサンは、空気中にある水気を自由に水に変えることが出来る」
「そ、そんなことが!?」
「ああ」
「すごい……」
驚嘆し、絶句するアイビー。
実例を見せなければ何を言ってるんだ、ってなる話だろうが、実際に目の前で「剣が水を出し続けてる」のが見えているから、アイビーとしては信じざるを得ない、ってところだろう。
「こういうわけだから、水を持っていく必要性はない。文献で読んだに過ぎないが、砂漠とて水気が皆無という訳でもない。わずかながらでも水を作れる方法があるのだろう?」
「は、はい」
それも文献で読んだものだが、現地の人間は知っていると踏んでアイビーに同意を求めた。
案の定アイビーは知っていて、話がスムーズだった。
「そのどんな方法よりも、リヴァイアサンの方が水をかき集められるということだ。なんなら砂漠でも水浴びができるぞ」
俺はふっ、とほほえんだ。
「み、水浴びも!? でも……これだったら……」
驚くアイビーだが、やっぱりリヴァイアサンが出し続けてる水が説得力を持っていた。
アイビーは驚きつつも、納得するしかない、という表情になっていた。
一方で、その横でペイユが得意げな顔をしていた。
☆
砂漠に入ると、ペイユの消耗が目に見えて激しくなってきた。
砂に足を取られることが頻発するようになって、歩くペースが遅くなった。
アイビーの方はこの地方の出身だからか、目立った消耗は見られない。
「少し休もう」
「は、はい」
休憩を切り出すと、ペイユの顔は明らかにホッとした。
俺はまわりを見回す。
遮蔽物がなく、空は見事に晴れている。
俺は手をかざした。
親指につけたままの指輪を変形させて、太陽のある方角に大きな壁を作った。
それが遮蔽物となって、かなり広範囲にわたっての日陰を作り出した。
「すずしい……」
「荷物を下ろして少し休むといい。アイビーもだ」
「わ、わかりました」
「水も飲んでおけよ」
俺の言葉に、二人の少女がそれぞれ頷いた。
ペイユは荷物を下ろすとそのまま地面にへたり込んだが、アイビーは幾分か余裕があるようで、俺の前にやってきた。
「何かする事はありませんか、ご主人様」
「今はない。それよりもしっかり休め」
「いいんですか?」
「ああ」
「ご主人様は……ジョン様と似てる」
「うん? どういうところだ?」
ジョンと似ていると言われて、そのわけに興味をもった。
俺は微笑みながら、アイビーに聞き返す。
アイビーはおずおずと答えた。
「その……仕事終わったら休んでいいって言ってくれるところです」
「ふむ?」
俺は少し考えた。
一瞬考えて、理解した。
「ああ、『元を取る』話か」
「元を取る?」
俺の言葉に、今度は逆にアイビーが首をかしげた。
「ジョンの前にケチ性の雇い主の元ででも働いてたのか?」
「は、はい。売られる前に、ほんのちょっと」
「なるほど」
俺は小さく頷いた。
雇い主の中に、そういう人間がいることは知っている。
そういう人間の考え方はこうだ。
給料を払って雇ってる人間が仕事していないと、はらった給料が損になってしまうという考え方だ。
だから、雇った人間には休みなく働くことを要求する。
一種のケチという訳だ。
言い方を変えれば「元を取らなきゃ」という考え方だ。
もちろん、俺はそんな考え方を持っていない。
ある程度までなら、商人あたりには必須の感覚だからそれ自体否定はしないが、俺はそういうふうにするつもりはまったくない。
「余のやりようを見て、それでジョンが学んでいったのだろう」
「な、なるほど……」
「だったらそのままのつもりでいていい。余は延々と働けとは言わん。休めるときはちゃんと体を休めておけ」
「わかりました……」
アイビーはそれで一旦引き下がったが、完全に納得した訳じゃないようだ。
「ふむ、なにか気になることでもあるのか?」
「え?」
「余のやり方に納得していないのだろう?」
「そ、それは……」
「なにが気になる、話してみろ」
「……」
アイビーは俺を見つめた。
本当に話していいのかどうか、って顔をしている。
俺はちらっとペイユを見た。
彼女はまだへばっている。
俺が作った日陰で目を薄く閉じて休んでいる。
ペイユが回復するまでなら、じっくりと話を聞いてやろうと思った。
そうやってじっと待った。
急かさないのがよかったのか、やがてアイビーの方からおずおずと口を開いてきた。
「ご、ご主人様って……本当に皇帝様――じゃなくて、陛下、なんですか?」
「ふむ」
俺は小さく頷いた。
「イメージの中にある皇帝像とちがったか?」
朗らかに笑いながら、アイビーに聞き返す。
「はい……」
「どういうイメージだ? アイビーの頭の中にある皇帝像は」
「えっと……」
「忌憚なく話していい。余が聞いてる事なのだからな」
「は、はい。その……すごくきらきらした服をきてて、ものすごい大勢の人間を従えてて、ご飯もすごく贅沢して」
「贅沢か。どういう感じなんだ?」
「おかずを百品くらい並べて、全部一口だけ食べてあとは捨てる、とか」
「あはははははは」
俺は大笑いした。
庶民がもっているステレオタイプなイメージそのままで、一周回って面白くなったのだ。
「そんなことはしない。そもそもだ」
「え?」
「全部一口でも百口、よほどの大食漢でも無い限りそんなに入らん」
「そ、そうですよね」
「他には?」
「えと……美女をとにかく集めて、その……」
「あはははは、そうかそうか」
これまたステレオタイプで、俺は大笑いした。
「そっちはあながち間違いではない。余の父、先帝陛下は数十人の妃と数百人の女官を召し抱えていた。皇帝は世継ぎを作らねばならん、確実に跡継ぎを産むには数に頼るほか無いのだ」
「じゃあ、陛下も?」
「そうだな、余にも三人ほどいるな」
「え? それだけ?」
驚くアイビー。
どうやら予想よりも遙かに少なかったようだ。
まあ、すくないだろうな。
それは理解している。
俺はおそらく、帝国史上もっとも後宮がさみしい皇帝だろうな。
「……」
アイビーはぽかーんとした顔で俺を凝視している。
何に驚いているのか手に取るように分かる。
その辺の商人でももう少しは妾とか囲ってるもんだろうからな。
「ふっ、確かに余はお前が思っているような皇帝とは少し違うかもしれんな。本当に皇帝かどうかは帝都に戻れば分かる。それまではジョンの事を信じていろ」
「は、はい」
アイビーは少し慌てて、しかし素直に頷いた。
ジョンの事を信じろ、というのが効いたようだ。
「さて……」
話が一段落して、俺はペイユの方を見た。
ペイユの回復度合いをチェックして、出発出来るかどうかを見るためだ。
「む?」
「ご主人様?」
ペイユは充分回復したみたいだ。
それ故、俺の表情が変わったのに気づいたようだ。
俺はペイユ越しに、彼女の背中――その先を見ていた。
どこまでも広がる砂原、熱気でゆらめく地平の向こうから、砂塵を巻き上げながらこっちに近づく一団があった。
「馬、か」
「え?」
驚くペイユ、パッと振り向く。
アイビーも同じように俺たちと同じ方角に視線をむけた。
砂煙を巻き起こしているのは人を乗せた馬だった。
体格が普段見ている馬とは違う、軍馬でも駄馬でも馬術用に美しくそだった馬でもない。
「この地方特有の馬があるのか?」
俺はアイビーに聞いた。
「と、特有、ですか?」
「ああ。……砂漠を走るのが得意とか、そういうのだ」
「はい、ありますけど……」
「そうか」
俺は頷き、再び砂塵の方に視線を戻した。
そうこうしているうちに、馬に乗った一団がこっちに来て、何か言うよりも先に俺達のまわりを取り囲んだ。
数は……馬が二十、乗っている男がざっと三十。
全員がならず者っぽい格好をしている。
俺は連中を見回した。
一人だけ、そこそこの雰囲気を出している男がいた。
男は片目がつぶれていて、その目を斜めに顔を横断する大きな傷跡がある。
「どっかのボンボンか?」
男は俺たちを見て、そんなことを言ってきた。
「何者だ?」
「なあに、ちょっとばっかし酒代をお裾分けして欲しいだけよ」
「なるほど強盗か」
俺は小さく頷いた。
見た目通りの連中って訳だ。
「人聞きのわるい事をいっちゃいけねえ」
「いうのをやめなかったら?」
「広大な砂漠に干物が一つふえるだけだ」
「そうか」
「へ、ご、ご主人様」
アイビーは震えて、怯えた目で俺にすがってきた。
「案ずるな」
「で、でも」
「まあ見ていろ」
俺はふっと笑い、男達――盗賊の頭目の方をむいた。
「リヴァイアサン」
魔剣を出さずに、リヴァイアサンの名前を呼ぶ。
『はっ』
「殺すな」
『御意』
リヴァイアサンが応じた――直後の事だった。
俺の体のまわり――全身から水柱が吹きだした。
太さは子供が遊びに使う水鉄砲程度のもの、しかし勢いは比べものにならないほどのものだった。
まるで水の針――それが一遍に百本以上吹きだして、一瞬で盗賊ら全員の手足を貫いた。
「うわあああ!」
「ぎゃあああ!」
男達は全員、水の針に貫かれて落馬した。
俺が命じた通り、リヴァイアサンはしっかり手加減して、誰一人として殺していなかった。
中には死んだ方がましって位の手傷を負ったやつもいるが、ともかく誰一人殺していない。
「すごい……」
一瞬の出来事に、それを目撃したアイビーの口からそんな言葉が漏れ出したのだった。
ここまで如何でしたか。
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