103.ノア帝の目的
翌朝、俺は朝日の中目覚めた。
目を覚まして、ベッドから起き上がると、ほぼ同時に寝室のドアがノックされた。
「ご主人様、よろしいでしょうか」
「ああ」
寝起きでまだ開ききらないまぶたを閉じたままで応じる。
するとドアが開き、気配で数人、部屋に入ってくるのが分かった。
先頭にいるのはドアをノックして許可を求めてきたメアリーだろう。
それ以外は彼女の使用人だろうが――。
『――』
リヴァイアサンの気配が微かに揺れたのを感じた。
例の俺に敵意を剥き出しにしている少女がいるのだな、と。
リヴァイアサンの相変わらずの忠犬ぶりに、思わず笑みがこぼれた。
「失礼します。おみ足を」
「ああ」
俺はベッドから降りて、自分の両足ですっくと立ち上がった。
目蓋は閉じたまま、全身を脱力する。
すると、メアリーが慣れた手つきで俺の寝間着を脱がせてくれた。
俺はあくまで自然体のまま脱がされて全裸になった。
長年親王邸で使用人をやっていたメアリーも、当然主の裸になにか反応することなく朝の身支度をやってくれた。
が、他の使用人たちは違った。
俺が全裸になると、全員が一斉に動揺したのが気配で分かった。
「申し訳ございませんご主人様――あなた達、手が止まっているわよ」
「は、はい!」
「すみません!!」
俺に一言断ってからの、メアリーの叱責。
それをきっかけに、使用人達が動き出した。
基本はやっぱり、メアリーだ。
俺の服を脱がせ、新しい服を着せて。
髪をとかし顔を洗う。
特に耳の中を丁寧に蒸しタオルでふやかし、綺麗にしてくれた。
これはオードリーと出会った頃くらいに教わったことだ。
オードリーは、普通は見ない・見えない所こそ綺麗にすべきだという持論の持ち主だった。
それは政道にもつながる事で、俺は素直に取り入れた。
それ以来、親王邸の使用人達には、毎朝特に耳のあたりを綺麗にしてもらっている。
それをメアリーが、親王邸にいた頃と同じ感覚でやってくれた。
耳のまわりが綺麗になった頃には、俺の眠気も完全にさえた。
「ごくろう」
「恐れ入ります、ご主人様。では――」
「ああ、少し待て。メアリーと――その子は残ってくれ」
俺は気配で感じ取った、件の少女を指名した。
少女は驚き、より一層俺に警戒したのがわかった。
「かしこまりました。ではあなた達、先に戻っていなさい」
「「はい」」
メアリーの命令に、他の使用人達は疑問にも思うことなく、部屋から出て行った。
俺の目の前に、メアリーと例の少女だけが残った。
「お前、名前は?」
「え?」
少女は戸惑った。
「ご主人様から直接聞かれるのは光栄なことなのよ。聞かれたことを素直に答えなさい」
「は、はい。アイビーって、言います」
少女――アイビーは緊張気味で答えた。
俺の事を警戒して敵意めいたものを向けては来るものの、実際は「主人の主人」と直接会話することは緊張するようだ。
俺はくすっと笑った。
「そう緊張しなくていい。メアリー、いい子を拾ったな」
「はい。今いる子達のなかで一番賢い娘です」
「そうだろうな。俺の世話なんてやり慣れてないだろうに、それでもお前のサポートは上手くやってた。あんなふうにテキパキ先読みしていいあんばいでやれるのはなかなかいない」
「さすがご主人様、ご慧眼恐れ入りました。私もそれが出来るようになったのは、ご主人様に拾われて一年経った位の頃です」
「お前はお前で並以上には物覚えがよかった」
「そんな、私なんて――」
「世辞を言ってるつもりは無いぞ。ジョンを外に出したのは、お前がいざっていう時のブレーキ役、サポート役ができると思ったからだ」
「……」
メアリーは驚き、言葉を失った。
「ジョンが七、お前が八。二人合わせて1.5――通常の家人の1.5倍は期待できると踏んで外に出した」
「――っ! ありがとうございます!! ご主人様にそこまで褒めていただけて……感謝の言葉もないです」
メアリーは言葉通り、感涙してボロボロと泣き出した。
「そう泣くな。褒めているのだからな」
「は、はい。ありがとうございます!」
「今の事はジョンには話すな、お前が上手くジョンを乗りこなせ。お前がいればジョンは上手く功績を積めるだろう。そうしたら頃合いをみてジョンを中枢に呼び戻して、今以上に働いてもらう」
「はい! ちゃんとあの人のフォローをします」
「ん」
メアリーへの激励が済んで、俺は改めてアイビーを見た。
「しかし残念だ。余が先に見つけていればな」
そうならアイビーを連れていったのに、という意味で言った。
すると、メアリーがその場で俺に跪いてきた。
「ご主人様、是非彼女を連れて行って下さい」
「メアリー様!?」
メアリーにいきなりそんなことを言われて、アイビーは悲鳴に近い声を上げて、信じられないような目でメアリーを見つめた。
「ん? いいのか? 手元に置いておきたくはないのか?」
「もちろんです。こんなところでくすぶっているより、ご主人様の下で学んだ方が断然彼女のためになります」
「一概にそうともいえんがな」
俺はふっと笑った。
まあでも、悪いようにするつもりもない。
「メアリー様! 私は、メアリー様にまだご恩を返していないです。だから――」
「おバカ! これ以上の恩返しは無いのよ」
「え?」
戸惑うアイビー。
さっきとは違う意味で、どういう事なのか? とメアリーを見つめる。
「陛下は常々『人は宝』だとおっしゃってるの」
メアリーはそこで一旦言葉を切って、俺の方をみた。
俺は無言で頷き、それを肯定してやった。
するとメアリーは再びアイビーの方をむき、更に続ける。
「陛下のお眼鏡にかなう人間を献上出来るなんて、どんな金銀財宝を献上することよりも素晴らしい事よ」
「そうだな。100万リィーンに匹敵するな」
「そ、そんなに……?」
せっかくだから、具体的な数字を口にした。
アイビーはますます驚いた。
「……ほ、本当に。メアリー様への恩返しに……?」
アイビーはおそるおそる、俺とメアリーの顔を見比べ、うかがうように聞いてきた。
「うむ」
「わ、わかりました。ついて……いきます」
アイビーはおずおずと言った。
まだメアリーへの恩返しで、という感じだが、例えそうだとしても有望そうな人材を手にしたという事に変わりは無い。
その事に、朝から満足感を得て、今日はいい一日になりそうだと何となく思ったのだった。
☆
朝食の後、俺はジョンの護衛で出発した。
ジョンは馬車を用意してくれて、自分の管轄の境まで護衛するといった。
それを受け入れつつ、ジョンを馬車に同乗させて、向かい合って座る。
「アイビーの様な子供は」
「え?」
「年間どれくらい引き取っている」
「えっと、十人か、もうちょっとか……」
ジョンは答えつつ、「なんでそんなことを聞くの?」って不思議そうな顔をしていた。
「お前達夫婦の生活を圧迫してるだろ。賄賂とかもらわない限り、お前の俸禄じゃそんなに保護できないし養えないはずだ」
「そ、それは……もちろん! 賄賂なんか誓ってもらってはないです」
「しってる。人間は普段の生活が空気にでる。お前からは上品なのも成金なのも感じない。それは疑っていない」
「ありがとうございます!」
「むしろ逆だ。何も受け取ってないならお前達夫婦の生活を圧迫しているのではないかという話だ」
「は、はい……だ、大丈夫です、それは。メアリーも分かってくれてます」
ジョンはまっすぐ俺を見つめ、力強く言い切った。
そりゃわかるだろう、メアリーも出自は同じなんだから。
「余の目的を話してやろう」
「は、はあ……」
いきなり何を、って顔をするジョン。
まったく脈絡のない話をされて、困惑してるのがありありと見て取れた。
「ジョンは、余が何のために皇帝をやっていると思う?」
「ノア様の志は家人がみな理解してます!」
うってかわって、ジョンは強く力説した。
「俺達のような人間でも安心して過ごせるような、泰平の世を作りあげることです」
「六十点」
俺はフッと微笑みながら、言った。
ジョンは目を見開くほど驚いた。
今の答えがこんなに点数が低いとは思ってもなかった顔だ。
「それは間違ってはいないが、目的ではない。余の中ではむしろ『手段』に分類される」
「目的……手段……」
「余の真の目的は、余を見いだし、帝位を譲ってくださった先帝陛下を名君にすること」
「へ、陛下はしっかりと名君――」
「今はそうであろう。しかし余に失政があれば、歴史書では後継者を見る目がなかったと一筆が加えられる。だから、余の代では大きな動乱があってはならない。何があってもだ」
「……オスカー様がなんか企んでるんですか?」
ジョンが急にそんなことを言い出した。
今度は俺が驚いた。
ジョンの察し方にびっくりした。
それはそうだ。
オスカーの野心は未だに消えていない。帝位を虎視眈々と狙っている。
万が一オスカーが帝位を狙って乱を起こせば、歴史書ではそれは先帝のミスとして書き加えられる。
オスカーは第八親王、俺はもと十三親王だ。
俺がもし第一親王――長男であれば帝位をもらったあとの反乱は父上のミスには見られないのだが、十三親王だからどうしたって父上が「あえて」という形になる。
あえて俺を選んだのに、その結果兄弟不和からの反乱が起こった。
だから俺からすれば、オスカーの動向は常に気を配っていて、警戒している相手だ。
それを、ジョンが読み取った。
俺はふっと微笑み、答えた。
「そんな事はない。あるはずがない。あってはならない」
三段活用的な俺の言い方に、ジョンはますます顔を険しくさせた。
ないないないの三連発だが、事実上あると言ってるような物だ。
「ご主人様。俺、いつでもいけます。いや、なんかあったら勝手に暴走できますから」
真顔でいうジョン。
それはつまり、自分が鉄砲玉としてオスカーを暗殺すると言う話だ。
「押さえろ。余の家人がそうなったら、家人の制御もできなかった男に帝位を渡した先帝に――ということになる」
「す、すみません!!」
ジョンはハッとして、慌てて頭を下げた。
「そういうわけだから、余の目的がそうである以上、オスカーには手をだせん。お前もだすな」
「はい! さすがご主人様。俺達は不思議だったんです、ご主人様がなんであんなにオスカー様をあまやかすんだろうって」
「ふっ、目的がそうだからそうせざるをえないだけだ」
俺は横を向いた。
馬車の壁越しに遠くをみつめる、ものすごく遠い目をした。
まあ、それは今どうでもいい。
俺はジョンに振り向いた。
「お前は察しがよくて話が早い。目的に応じて、手段が変わるのは分かったな?」
「はい!」
「では、お前の目的はなんだ?」
「俺の……」
「どんな目的で子供達を引き取っている?」
「……」
「……」
「……っ!!」
しばらく考えた後、ジョンはハッとした。
その顔のまま俺を見つめることしばし。
そして――。
「ご主人様、この土地で救貧院を作りたいのですが、許可をいただけますか?」
「九十点」
俺はジョンを褒めた。
「そうだ。貧民を救いたいということなら公的にやればいい、なんなら余に直訴すればいい。余は名君たらんとしているから、その手の話は無下には却下しない」
「はい!」
「よくやった。賢いなお前は」
「ご主人様の教育のおかげです! すごいのはご主人様です!!」
ジョンは言葉通り、ますます感動した、心酔しきった目で俺を見つめた。
「おって沙汰を下す、計画を練っておけ」
「はい!」
ジョンは大きく頷いたあと、表情を切り替え、おそるおそる聞いてきた。
「ご主人様……足りなかった十点はなんですか?」
「お前は今、処罰覚悟――死を覚悟して直訴しただろ」
「は、はい」
「余に対しても他に対してもそうだ。人は宝だ、死を覚悟して何かをするのはやめろ」
「――っ! わかりました!! さすがご主人様だ……」
ジョンはいろいろ理解してくれたようだ。
いずれ帝国の中枢に呼び戻したい人材だから、会えるときに教えられるだけ教えておこうと。
それが出来たことに、俺は満足したのだった。