101.家人に共通する病気
お待たせしてすみません、再開します。
117話までは書きます。
深夜、俺は宿の中で書き物をしていた。
俺が都を留守にしてても、ヘンリーとオスカーの合議で政務は動くが、それでも皇帝じゃないと決裁できない案件がちらほらと出てくる。
それがたまに運ばれてくるから、夜の内に内容を読んで、考えて、返事をしないといけない。
今もそれで、俺は寝る時間を削って返事を書いていた。
コンコン。
ドアが控えめにノックされた。
「ペイユか? はいれ」
「ジョンです」
「ん?」
書き物をする手が止まった。
顔を上げて、ドアを見た。
ペイユではない、男の声が名乗ってきた。
ジョン……という名前を記憶の中から探した。
すぐに一人の青年の姿が脳裏に浮かび上がってきた。
「……ああ、お前か。入れ」
「ありがとうございます!」
返事のあと、ドアがゆっくり開いた。
ドアの外で跪いたままドアを開けて、一旦立ち上がって丁寧にドアを閉めてから、改めて恭しく俺に跪き頭を下げた。
「陛下におかれましては――」
「部外者はいない、内礼でいい」
「――はい! お久しぶりでございます、ご主人様」
「うむ。元気だったか」
「はい!」
ジョンは顔を上げて、満面の笑みで答えた。
かつて、先帝の第一王子アルバートが闇奴隷を商っていた時期がある。
その闇奴隷商と街中でばったりでくわして、無理矢理奴隷にされてた子供達を助けて、引き取った。
その時の子供のうちの一人がこのジョンだ。
あの後数年間屋敷で雑務をしてたが、俺が即位した時に代官として外にだした。
俺はジョンを見つめ、観察した。
「少しふっくらとしてきたな、ちゃんとメシは食ってるみたいだな」
「すいません! 最近アブラ飯にはまってて」
「へえ? アブラ飯」
「脂身を濃く味付けして飯にぶっかけただけの物だけど、これがやみつきになる味なんですよ!」
「ははははは、男らしい飯だな。もっといい物は食ってないのか?」
「何回か商人どもの接待に行ったことがあるんですが、出てくる飯がなんか上品すぎて合わなかったんです。上品なのはわかるけど食ったら下痢んなっちゃんです」
「貧乏舌が染みついてるのか。それでも少しずつならしていけ。将来帝都に呼び戻したときもその貧乏舌のままじゃ、余が褒美にやれるものが減る」
「は、はい! がんばります!」
ジョンは恐縮しつつも、嬉しそうに頭を下げた。
「で、何をしに来たんだ?」
「はい! ご主人様がここに来てるって聞いて、兵を連れて護衛に来ました」
「兵?」
俺がちょこんと小首をかしげ、耳を澄ませた。
すると、ちょっと気配を感じた。
宿の外に、深夜ではあり得ないような物々しい空気を感じた。
「大げさだな」
「とんでもない! こんなところでご主人様に何かあったらどえらい事ですよ。それに」
「それに?」
「屋敷を出た後はご主人様にご奉仕する機会が減ったんで、こういう時くらいやらせて下さい」
ジョンはそう言って、熱烈な目を向けてきた。
慕われてるのが分かるから、悪い気はしない。
「ははは、わかった。全部お前に任せよう」
「ありがとうございます!」
ジョンが嬉しそうに、パッと頭を下げた。
その時の事だった。
さっきまでは耳を澄ませても何も物音が聞こえなかったのに、一変して外で言い争う物音が聞こえてきた。
「なんだ?」
「よっぱらいかもしれません。大丈夫です、誰もいれるなって下にはキツく言ってますんで」
「宿泊客はちゃんととおしてやれ。貸し切ってるわけじゃないんだ」
「は、はい! さすがご主人様、そういう気配り出来るようになれってメアリーからいつも言われてるのに忘れてました!」
ジョンはそう言って、ポカ、と自分の頭を小突いた。
農民から奴隷を経て俺の屋敷に来たという経歴上、ジョンは作法とか言葉遣いとかはぱっと見めちゃくちゃなほうだ。
今もそれが出てるが、俺の家人は奴隷出身が多いから、こういう場では笑って流すことにしてる。
そう考えるとエヴリンは希少な存在だったな――と、思っていると。
争いの物音の中に、金属の剣戟音が混じった。
「むぅ?」
「なんだぁ? あいつら。すいませんご主人様、窓をかります」
「ああ」
俺が頷き、ジョンは立ち上がって、窓際に向かっていった。
「ご主人様!?」
部屋にペイユが飛び込んできた。
俺はやることがあるから先に寝てていいっていったのが、この騒ぎで起きてきたみたいだ。
「安心しろ、なんともない」
「は、はい……あっ、ジョンさん……」
俺の屋敷の出身で、顔見知りでもあるジョン。
ジョンの姿を見て、ペイユは「なんで?」っていう疑問と、久しぶりにあった懐かしさの二つの感情がない交ぜになっていた。
一方、ジョンは窓際に立った後、一気に窓を開けた。
すると窓越しにうっすらと聞こえていた争いの音が一気にクリアに聞こえるようになった。
「何やってんだてめえら!!」
ジョンは腹の底から怒鳴った。
親王時代、兵務省に詰めていたころはこういうタイプの武将とよく接していたから、俺は慣れたもんだけど、そうじゃないペイユはビクッとして身をすくませた。
「ああん、なんだあ? なんで兵士同士でもめてる。てめえらどこの管轄だ!」
「こ、これはこれはジョン様。ジョン様がおいでになってるとは知らず大変申し訳ありません」
ジョンの怒鳴り声に、一人の男が慇懃な態度で応じた。
「ご主人様、この声……」
「ああ。ジョン」
「はい、なんですか」
ジョンは窓際に立ったまま、体ごと俺の方をむいた。
「そいつの事を知ってるのか?」
「はい、まあ俺の下で関所の門番をやってる、まあザコです」
「そうか。そいつは俺が目当てだろう」
「ご主人様を?」
目をむくほど驚くジョン。
俺はジョンに、昼間起きた出来事を話した。
「そうだったんですか」
ジョンの驚きが収まった。
話を聞けば、俺がいつもやってる事なのはわかるからだろう。
事情を知ったジョンは再び振り向いた。
「一人で来いクズが!」
「は、はい!」
男が応じる声の直後、ドタドタドタ、という足音とともに、昼間の男が慌てた様子で部屋に転がり込んできた。
そのままジョンに平伏する。
「お待たせしましたジョン様! すみません、ジョン様がいるって知らないで、挨拶が遅くなってしまって」
「俺への挨拶なんかどうだっていいんだよ」
ジョンは近づき、男を蹴った。
「てめえのご主人様のご主人様がここにいらっしゃるんだ、挨拶しろ!」
「ご、ご主人様のご主人様?」
話が理解できない、とばかりに首をかしげる男。
ジョンがあごをしゃくって、男は俺をみた。
そこで、ようやく俺の存在に気づいた男はハッとした。
「ああ、お前! ここであったが百年目!」
男はいきり立って、俺につかみかかろうとした。
ペイユは悲鳴を上げた。
俺は座ったまま動かなかった。
ジョンが横から割って入って、男を蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた男は壁に激突して、驚愕した顔でジョンをみた。
「な、なぜ……」
「てめえのご主人様のご主人様だっつってんだろ」
「え?」
そこでようやく、すこし落ち着いて物を考えられる様になったのか。
男はおそるおそるジョンをみて。
「ご主人様……」
「おう」
「……ご主人様?」
それから俺を見て、つぶやく。
つぶやいた後、みるみるうちに青ざめていった。
ジョンは十三親王邸時代の使用人だ。
つまり、十三親王――皇帝の家人だ。
それは、役人レベルならば誰でも知っている事実。
誰がどこの家人だというのは重要な事で、知らないではすまされないことだ。
当然、この男もジョンの事はよく知っているはずだ。
その上で、ジョンのご主人様といえば――。
理解がすすんで、男はがくがく震えだした。
ようやく俺の正体を理解したみたいだ。
「てめえ、陛下にさんざん無礼を働いたようだな」
「も、申し訳ございません! 陛下だとはつゆ知らず!」
「知らないですむと思ってんのか!」
「いや、知らないですむ」
俺は会話に割って入った。
机の上に置かれている、書き物の間すっかり冷えてしまった茶をとって、一口すする。
「陛下?」
「帝国法にきちんと定められている。余が名乗る前の事には不敬罪が適用されない」
「そりゃそうですけど。おいてめえ、よかったな、陛下が帝国史上で一番法律をきっちりする方で」
「は、はは。はひぃ……」
男はすっかり腰が抜けたようだ。
一方、ジョンは俺に体ごと振り向いた。
「さすが陛下。で、実際どうします?」
「ふっ」
俺は微笑みかけた。
それこそさすがジョン、さすが仕えて古い家人の一人だ。
ジョンは、こういう時の俺の事をよく知っている。
「関所で規定以上の通行料の要求、民への暴行。罷免の上永久登用不可、このあたりだろう」
「さすがですご主人様」
ジョンは心底感動したような目で俺を見つめた。
そして、未だにへばっている男にふりむき。
「今の聞いてたか?」
「は、はい?」
「首だよ首。よかったな命たすかって」
「は、はい! あ、あああありがたき幸せ!」
男は慌てて、俺に頭を下げた。
何度も何度もその場で土下座したまま頭を下げるもんだから。
「もううざいから消えろ」
と、ジョンに部屋の外に蹴り出された。
ジョンはその後をおって、廊下に待たせているであろう自分の部下に一言二言、言いつけをしてから、戻ってきて部屋のドアを閉めた。
その間、俺の目配せでペイユが窓をしめた。
「本当にすいませんご主人様、俺の監督不行き届きです」
「気にするな、どこにもそういうのがいるものだ」
「はい、本当すいません。あっ、そうだご主人様」
「ん?」
「ここじゃまたご主人様に因縁つけてくるやからがいないともかぎらないから、うちに来ていただけませんか。じつはメアリーもご主人様に会いたいって。もちろん、親王邸にいたときに覚えた料理とかつくらせますんで」
「そうか」
俺はふっと笑い、そのまま立ち上がった。
「だったらやっかいになろう」
「ーー! ありがとうございます」
「行こうか、ペイユ」
「はい!」
☆
宿を出て、ジョンの兵士に護衛されて、ジョンの家にやってきた。
「広いな」
馬から下りた俺は、目の前の邸宅を見てつぶやいた。
そこそこに広い邸宅は、入り口のところにかがり火が焚かれている。
そのかがり火がまるで道しるべの様に、表門から奥の建物に伸びている。
「これ官邸です、無料だからありがたく住まわせてもらってるです」
「そうなのか」
「これで家賃とかかなり浮いてメアリーも喜んでますよ」
「ふっ」
俺はにこりと微笑みながら、かがり火の花道を通って中に入った。
ジョンの官職はそれなりのものだ。
すくなくとも100人近くの兵士を指先一つで指揮できて、関所の役人を足蹴に出来るレベルだ。
本当なら「家賃が浮いた」ような話をする地位ではない。
だが、たぶん……賄賂とか受け取らないで清貧をつらぬいてるんだろうな。
俺の家人はそういうタイプが多い。
俺の好みに迎合してる面はなくはないが、現実としてそうしている者が多い。
「自分がケチるのはいいけど、下にまで押しつけるなよ」
「え? でも俺が模範になってやって、まわりの連中も綺麗になればいいじゃないですか」
「ふっ、人間は理想じゃ食っていけない」
俺は微笑みながら、ジョンに言う。
「お前もエヴリンと同じ病気だな」
「姉さんと同じ病気? な、なにがまずいんですか?」
ジョンは血相を変えた。
俺が「病気」という言葉を使ったもんだから、それで慌てだしたんだ。
「焦るな、責めてるんじゃない。お前もエヴリンも自分の基準で普通の人間を高く評価しすぎだ」
「えっと……?」
「お前は大して金をもらわなくても、余のために働ける」
「もちろんです! ご主人様は命の恩人、人生の恩人です!」
「でも大した給金も出さないで、お前はいい人材を捕まえられるのか?」
「え……」
「余に恩義を感じてない人間が、お前のところの安い給料と、例えば高い給料出してくれる商人のところ。さあどっちに行く?」
「うっ……」
ジョンは言葉をつまらせた。
「大抵の人間、特に有能な人間になればなるほど、自分の能力ならもっと稼げてもいい、と思うものだ」
「そ、そりゃ……しかし」
「そもそも」
俺はふっ、と悪戯っぽく笑った。
「余とて、お前たちがちゃんと働いたときに褒美をやってるだろ?」
「!!!」
「下の者を足蹴にすることはかまわん、鞭で叩く必要もあるだろう。だが、飴をやることはわすれるなということだ」
「は、はい! 分かりました! ちゃんとやります」
俺はもう少し穏やかに微笑んでみせた。
ジョンのことだ、ちゃんと言えばその通りに軌道修正するだろう。
「さすがご主人様だ……」
「ん?」
「実は、最近人材引っ張れなくて困ってたんです。今ならそれのせいなんだって……ありがとうございます!」
ジョンは恥ずかしそうにいう。
「そうか、ちゃんと励めよ」
「はい!」
ジョンの様子をしばらく見よう。
これで人材を集められるようになれば――もう一つ二つ上の地位に引き上げてやろう。
俺はそう思ったのだった。