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鈴木が部屋を出て行ってひとりになった洸は、窓際から離れて自分の席に戻り腰を下ろした。
なんとなく気持ちが晴れない。
こんな時は……と考えて、思い立ったように電話を取った。
相手は親友の氷室仁。無二の親友だ。
ほんの数回の呼び出し音のあと、仁はすぐ電話に出た。
『はーい』
「仁、忙しい? 飲みに行こうよ」
『いいね。今晩なら空いてるぞ』
氷室仁と西園寺洸は、ふたりがまだ青扇の幼稚舎に通うころからの幼馴染である。途中ふたりのどちらかが両親の都合で海外に行くなどした時期を除けば、いつも一緒にいた。
親友は他にもいるが、その中でも最も長い時間を共に過ごした気の置けない間柄である。
仕事帰りに待ち合わせのバーに行くと、開口一番ニヤリと口元を歪めた仁が言った。
「どうした? 結婚でも決まったか?」
「いきなりだね」
「平日の夜に誘うなんて何かあったと思うだろ、しかも最近やたらと碧斗の妹に執着しているようだしな」
洸はフンと鼻を鳴らす。西園寺家の警備員はみな氷室家の経営する警備会社から来ている。
「うちの警備員は口が軽いのか」
それには答えず、仁は肩をすくめた。
「よく言うよ、連れ立って仮装パーティには行くわ、あの娘をお前んちで雇うわ、挙句にメイドの手配をしろだろ? 俺じゃなくたって気づくさ。で、どうなんだ?付き合ってるんだろう?」
「いや、それ以前の話だよ」
仁は怪訝そうに眉をひそめた。
「え?」
「正確には、交際を申し込みに碧斗に会いに行ったところ」
「なんだそりゃ、聖人君子だな。まぁ相手があの子じゃそうなるか。何か秘密があるんだろ、藤原家には」
「え? どうしてそう思うの?」
「どうもこうも、碧斗だぞ。超能力とかあるだろ、あいつ。透視とかできるみてぇだし。まぁお前は興味なかったもんな。そういう不思議系」
それはそうだと納得した洸は、正直に打ち明けた。
飛香が千年前の朱鳥と入れ替わったという秘密まで話をする気はなかったが、それはひとまず差し置いて――。
洸はワインで喉を潤すと、ゆっくりと口を開いた。
「碧斗が言うには、僕が平安時代に妻にした女性は、蘭々なんだそうだ」
「え?」
一瞬息を止めた仁は大きく目を見開き、左右に首を振りながらため息をつく。
「で? 碧斗に反対されたってわけか」
洸は、返事をする代わりに肩をすくめた。
「千年前の燎の妻も鈴木の妻も今の婚約者だそうだ。『歴史は繰り返されると思わないか?』だってさ」
「よりによって……碧斗も余計なこと言うなぁ」
仁にとっても親友である蘭々の存在は特別である。だから、洸の気持ちは痛いほどわかった。
他の女ならいざしらず蘭々が結婚相手だったと言われたら、過去の話だと笑い飛ばせない重みがある。
「それで、お前が飛香と結婚したとすると、蘭々はどうなるんだって?」
「さあ、先のことはわからないって言ってたな。碧斗がわかるのは平安時代のアオトがいる時の事と、今だけだそうだ」
「ったく、なんだそれ。肝心なことはうやむやか」
仁はチッと舌を打つ。
「もちろん、僕はこれからも蘭々を大切にするよ。親友として、何かあればすぐに駆けつけるつもりだし」
「あいつは結婚なんかしないって言ってるしな。まぁ、もしかしたら結婚するかもしれないが、今までだって蘭々に恋人がいなかったわけじゃない。千年も昔の話だ、気にするな。今の蘭々は、お前を親友としか思ってないよ」
そう言って仁は、口の端で微笑んでみせた。
「それで、どうなんだ? 碧斗だけじゃなく本人にも言ったんだろ?」
「うん。返事はもらった『秋までお返事待ってくれますか?』だって。それまでは『お友達で』」
洸は飛香の真似をしながら再現してみせた。
「は?」
唖然とした仁が、次の瞬間弾けたように笑った。
「うははは。小学生かっ」
憮然としながらあおるようにワインを飲みほした洸は、ため息をつく。
その歓迎できない返事をもらったのは、つい先週のことで、昼食がてら邸に帰った時だった。
車に乗ろうとするところを追いかけて来て、眉をハの字にしながら見上げた飛香は、一度は開いた口を閉じ、意を決したように深刻な顔をして言った。
『あの……秋までお返事待ってくれますか?――それまで、お友達でいてくれますか』
そう言うだけ言ってシュンと俯いた。
その揺れる睫毛を見ながら、フッと笑うしかなかった。
『わかったよ。飛香がいいっていうまで待つ』
そう声を掛けると、ハッとしたように上を向いて満面の笑みを浮かべた飛香。
返事の内容はともかく、頬を染めてうれしそうに目を細めた飛香がどんなに可愛かったか――。
「あ、なんだお前ニヤつきやがって。すっかり青春か。俺なんかここんとこ仕事しかしてねぇってのに」
「お前の場合はとっかえひっかえしすぎ。少しは僕を見習え」
この二人はやたらと気が合うけれども、タイプはまるで違う。特に女性との付き合いに関しては真逆だった。
洸と違って仁は、好みの女性を見つければ、気軽に誘い気軽に付き合う。その分、別れる時もあっけないが。
「どうするんだ?馬鹿正直に指くわえて待ってるわけじゃないんだろ?」
「ん? まぁね」
今はふたりで会おうにも土日どちらかしかなく、しかも昼間のみだ。
何しろ碧斗が睨んで待っている。夕方暗くなる前には妹を帰せと言って憚らない。
『あと数カ月くらい待てるだろ?』
当然のような顔をして、そんなことを言う。
子供のように健全すぎる昼のデートでさえ、ようやく勝ち取った戦利品なのだ。
そんな状況が、我ながら情けなくなる洸だったが、既に手は打ってあった。もちろん抜け目なく。
「まぁがんばれよ」
「サンキュー」
つい先日、ロンドンにいる知り合いから連絡があった。大事な貴賓を招いてのパーティがあるのだが、そこで日本的なショーを予定してのだという。ところがそのショーを頼んでいた相手が都合で来れなくなったという。思いつく幾人かに当たってみたが、その誰もかれも急な話なので予定が埋まっていて駄目だった。聞けばそのパーティの日程は8月21日、洸の誕生日の次の日である。
渡りに船とばかりに早速碧斗を紹介した。
『碧斗が来てくれるならファーストクラスで渡航費はもちろん負担するし、急なお願いだからギャラも言い値で払うと言っている。彼は顔が広いし今後を考えれば無理をしても受けて損はないと思うよ』
狙い通りだった。実際碧斗のためにも良い話なので彼は引き受けた。
あとはつつがなく出発を見送るだけである。碧斗は準備もあるので18日の朝の便でロンドンに向かい、帰ってくるのは23日だという。その間、飛香はひとり。
19日の日曜日は飛香と映画を見にいく約束をしているが、20日が洸の誕生日であることも、休みをとっていることも飛香には言ってはいない。
それを彼女に言うのは19日。
――ああ、楽しみだな。
飛香とふたりマンションでディナーを囲み、あの美しい夜景を見せてあげるんだ。




