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稟議書やらの確認すべき書類に目を通し、次の会議での資料のチェックに入った。
最後の一枚をカサリと置く。
一旦窓の外に目をやり、洸はそのまま中指でトントンとデスクで音を立てた。
ふいにそのまま視線だけを動かすと、鈴木と目が合う。
「君、なにか怒ってるの?」
「いえ別に」
「ここ数日、やけに睨まれているような気がするんだけどね」
「気のせいですよ」と鈴木は答えたが、実は無意識のうちにも自分が睨んでいたことに自覚はあった。
洸を見るとついつい蘭々の震える肩を思い出してしまう。
今は愛する恋人がいるので、その肩に気づかぬふりをするしかなかったが、何しろ蘭々は鈴木の初恋の相手だ。想いを告げることなく恋をした瞬間終わってしまった恋ではあったが、それでも恋は恋。
その初恋の相手が、自分と同じような心に秘めた恋を彼に懐き、おまけに失恋をしたという突然の告白を聞いてしまった。もちろん、彼に罪はない。
――が、しかし。
「二十日に休むことにした」
ちらりとカレンダーを見ればその日は月曜日。そしてその日は西園寺洸の誕生日である。彼女と楽しいイベントが待っているのだろう。そう思うとつい嫌味の一つも言いたくなった。
「お幸せそうでなによりです」
背中を背もたれに預けてため息をつき、眉間に皺を寄せながら洸は睨む。
「それはなにか、ん? 『秋までお友だちで』と言われたことへのはなむけとでも?」
「え? お友だち?」
「ああ、僕らは『お友だち』なの」
「――それはまた……冗談みたいな話ですね」
「ああ、夢だと思いたいね」
「秋までとは、秋になにかあるのですか?」
十月の十五夜。その日、飛香は平安時代の朱鳥と会って今後どうするか話をすることになっている。というのは碧斗から聞いて話だが、こればかりは相手が鈴木にも話して聞かせるわけにはいかない。
「色々気持ちの整理をつけたいんだそうだ。それに必要な時間なんだろう」
「なるほど」
相手が自分のように無名の一般人ならいざ知らず、西園寺家の御曹司となると怯む気持ちもあるのかもしれないし、その気持ちはわからなくもない。
少なくとも藤原飛香は、恋と同時に玉の輿を狙うような女性ではないということなのだろう。西園寺洸の妻になるというシンデレラストーリーも、彼女の前では脅威ということなのか。
これほど完璧な男でも、彼は彼なりに苦労しているのだ。
疑う余地なく前途洋々だと思いこんでいただけに、むしろ申し訳なく思った。
「なかなか上手くいかないものですね」
「まぁ、あれだ。ここで順調にいくような女の子なら惹かれはしなかっただろうしね」
それには思わず鈴木もクスッと笑った。その発言が強がりであるという証拠に、洸はにこりともせずツンと澄ましている。
ただ、そうはいっても彼が唯々諾々と待ちぼうけをくらうとは思えない。何かしらの考えはあるだろうし、いずれにしろ彼はなんとかするのだろう。
そして、それについては自分が協力できることはないだろうし、口を出す必要もない。
――でも。
「もしかすると常務は蘭々と結婚するかもしれないと思っていました」
なんとなくそんなことを言ってみた。
今更だが、心のどこかにそんな気持ちがあったのではないか?ふとそんなことを考えてしまうのだ。
「それを言うなら、そっくり返そう。僕は君が蘭々と結婚する日が来ると学生の頃から思ってたよ」
鈴木は、ウッと息を詰まらせた。
忘れてはいた。学生の頃、洸がそんなことを言っていたことを。
「――不毛でしたね」
「ああ、その通り。蘭々がこの話を聞いたらさぞかし怒るだろうな」
「ですね、引く手あまたな彼女に失礼でした」
蘭々に対してはもちろん洸に対しても申し訳なさで一杯になった。
――どうかしていた。
コホンと軽く咳をして、鈴木は手にした書類に目を落とす。
そんな鈴木から視線を外した洸は、立ち上がって窓際から空を見上げた。
「ただ、思ったことがないわけじゃないよ。世の中の多くの男のように、僕にとっても彼女は憧れの女性だから」
つぶやくようにそう言った洸の後ろ姿を見つめながら思う。
――よかったですね蘭々。
彼のその気持ちに、彼女の初恋は救われたに違いない。
そんなことを思いながら、鈴木は心の中のなにかが、霧となって昇華されていくのを感じていた。




