13
「飛香。おはよう」
ひらひらと手を振ると、飛香は満面の笑みを返す。
「おはようございます!」
今日はもうこれだけで万事上手くいく、そう思わせる天使の笑顔だった。
飛香に頼むのに丁度いい仕事がある。書斎の一角にある雑誌やカタログ。それらに貼った付箋が見える。付箋を貼ったページだけを電子化してまとめたいと常々思っていた。
スキャナーの使い方を説明してその作業をしてもらおう。そう思い立ったのだ。
コンコンと扉をノックして飛香がここに来るまでは。
「失礼します」
今日の髪型はツインテールではない。両サイドの髪を後ろにまとめてリボンを付けている。
艶々の額がなんともいえず可愛くて、目の前まで来た時にはつい……。
「飛香、キスして」
そう言っていた。
「洸さん、それセクハラです」
「誰がそんないらない言葉を教えたんだ」
飛香は頬を膨らませ、眉をひそめてジーっと睨む。
「はいはい、冗談です。仕事はあれね」
睨む飛香の頭をポンポンと軽く叩き、積み上げた雑誌を指差しながら洸は、デスクに軽く腰を掛けた。
「飛香、仕事の説明の前に聞いて」
「はい?」
洸は、真顔でジッと飛香を見つめ少し間をおいた。今から言うことはおふざけではないと、わかってもらうために。
「僕はお見合いをしたけど、あの時は飛香への自分の気持ちに気づいていなかったんだ。まず、それをわかってほしい」
飛香は目を丸くする。
「飛香、僕は君が好きだ。今後僕はもうお見合いをすることはない。結婚するなら、君がいいから。いや、君しか考えられない」
「ど、どうしたんですか?」
「どうもしないよ。告白してるの」
「――でも」
「すぐに返事がほしいとは言わない。考えてみて。碧斗にも僕から話をしなきゃいけないし。もちろんご両親にもきちんとね。返事はそれからでいい」
何かを言おうとして口を開けたものの、声を出せずにいる飛香に、念を押すように洸が言った。
「百人一首で、何が好きか聞いたよね? 今なら答えられるよ」
ほんの少し飛香の瞳が輝いた。その輝きが消えないことを願いながら、洸はその歌を詠む。
「『あひ見ての 後の心に くらぶれば、昔はものを 思はざりけり』
今の僕は、そんな気分だ」
そう言って、にっこりと微笑んだ。
「さあ、話はおしまい。仕事の説明をするから、来て」
「あ、は、はい」
「失礼します」
扉を閉じると、飛香は高鳴る胸に手を当ててため息をつく。
――どうしよう。
トボトボと向かった先は、邸の奥。台所の隣にある管理用の事務室だ。
扉は空いている。
アラキは電話をしていた。受話器を片手に「はい。わかりました」と話しながら、飛香に振り向き口の端で微笑みかけた。
壁側に並ぶのは、監視カメラ小さなモニターの数々、様々な書類が並ぶキャビネットや棚の備品。
アラキの邪魔にならないように音を立てずそっと座った席は、アラキが飛香のために用意してくれた。机の上にはパソコンがあり、その脇には入力を任されている伝票などがある。
間もなくアラキは電話を切った。
「何か頼まれましたか?」
「はい。スキャナーを使ってのお仕事を頼まれました」
「そうですか。では今日の仕事はそちらを優先してください」
「はい」と答える飛香には戸惑いの影がある。
アラキはそれに敏感な反応を示し、隣の椅子を引く。
「とりあえず、お茶にしましょう」
アラキはテーブルの上にあるポットからカップにコーヒーを注ぐ。まだ淹れて間もないコーヒーからは芳醇な香りが立ち上った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「どうしました? 交際でも申し込まれましたか」
何を言わずとも大きく見開いた飛香の瞳が、その取りだと答えた。
交際どころか、結婚したいと言われたのだから動揺は隠しきれるものではない。
実はアラキが受けていた今の電話は、洸からの内線電話だった。今から藤原碧斗に会いに行くという内容の話だった。短い電話なので多くの説明はなかったが、飛香と結婚を前提に交際したいと言いにいくとだけ、洸は短く言った。




