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アイラブ☆吾が君  作者: 白亜凛
初恋は叶わぬもの
36/57

 


 鈴木が頭を悩ませていたその日から数日前。

 藤原家では飛香がひとりソファーに座りテレビを見ていた。


『今年の流星群は例年になく……』

 真剣な眼差しで映像を見つめていた飛香は、そのニュースが終わるとソファーから立ち上がった。


 藤原家が暮らすマンションは建物自体そう大きくはないが、藤原家所有の建物だ。

 下の五階までを華道藤凪流の本部で使用し、その上の内階段で行き来できる二つのフロアを住宅として使っている。

 木のぬくもりがふんだんに感じられる和モダンなリビングには、美しい組子細工が施された仕切りがあり、家族それぞれの個室のほか坪庭に面した畳の和室もある。


 飛香が向かった部屋は、それはとは別の小さな和室。

 そこに入ると、他に誰がいるわけではないのに静かに襖を閉じた。

 一輪の花が生けられている床の間にポツンと飾られた鏡の前に座ると、掛けてある布を外す。

 銅でできたその鏡は、平安時代から藤原家に代々伝わっているという特別な鏡である。


 今も変わりなく輝き、飛香の顔を映しているが、この鏡が持つ力は別にあった。

 この鏡を通して時々平安の都の兄、蒼絃の魂がやってくるのである。そして蒼絃は現代の兄碧斗の中に入る。

 いつ"それ"があるのかは飛香にはわからない。

 碧斗によれば鏡から強い力を感じた時がその時なのだというが、その力は碧斗にしか感じ取れないようだった。

 半年に一度くらいの間隔で蒼絃はやってくる。そして長ければ一週間。その間ふたりのアオトが体を共有する。

 目の前にいるのがどちらのアオトであるか。微かな目元の変化で飛香と両親だけはわかるが、他人が識別することは無理だろう。

 それとは別に、時折鏡を通してふたりのアオトは会話をしているらしい。らしいというのはその場を飛香が目撃したことはないからだが、つい最近もそんなことがあったようだった。


『飛香、元に戻るとしたら今年の十二月。それを逃せば次はいつかわからない』


 碧斗がそう言ったのである。蒼絃から聞いたのだと言う。

 今年の十二月。ふたご座流星群とスーパームーンが重なる。


 その時、平安の都に行った"本当の飛香"と入れ替わるかどうするか、決めなければならない。

 もちろんひとりで決めるわけではない。

 当事者である二人のアスカで相談して結論を出すことになっているが、飛香はどちらでもいいと思っていた。

 少し前までは。


 今、少しずつその気持ちが変わりつつある。


『何かあったのか? 朱鳥』

「あ、兄君!?」


 なんと、鏡の中に平安の兄、蒼絃がいる。


『少しだけ話をしよう。時間はあまりないが』

「兄君、海未は元気ですか?両親は?」

 蒼絃がクスッと笑う。


『元気だよ。いつも碧斗を通して報告しているだろう?』

「あぁ、そうですね。――兄君もお元気そうでよかった」

 そう言いながら、飛香の瞳から涙が零れる。

『どうした?』

「いえ、うれしいだけです。兄君と会えて」

『もしかして、お前……』

「え?」

『戻りたくなったら、碧斗に言いなさい。いつでもなんとかするから。でも朱鳥、そこでならお前は道を切り開くことが出来る。だから送ったんだよ』


 そう言い残し、蒼絃は鏡の中から消えていった。


 鏡の前に座ったまま飛香は溢れる想いのままに、涙を流した。


 兄が言いかけた言葉はなんだったのか。


 ――兄君、私の脳裏に浮かんだあの人が見えましたか?

 頭中将にそっくりな彼のことを考えていたことが、兄君にはわかったのですか?

 洸さんはよく似ています。

 結婚するためにお見合いをすると言いながら、私を誘う洸さん。妻を迎えるのに、また会いにくるという頭中将と、そんなところまで似ていなくていいのに。


 そう思ったらまた泣けてきた。


 違う道を探しに、千年の時を超えてきた。それでも結局、運命には逆らえないのだろうか。

 膝の上で握り締めた手の甲に、ぽたりぽたりと涙が落ちる。


『でも朱鳥、そこでならお前は道を切り開くことが出来る。だから送ったんだよ』


 ――兄君。

 私に力をください……。


 何か新しいことを始めよう。

 少しでも自分に自信を持てるように。前に進むために。

 そう思って兄に願ったのは働きたいということだった。



「西園寺家で、メイド?」


「もちろん嫌なら断るよ。メイドと言ってもアラキさんの秘書みたいな感じなのかな。西園寺家は主と洸が働いている西園寺ホールディング以外にも、奥さまが所有するギャラリーや飲食店それに不動産と資産が豊富にある。それらの管理とかお付き合いのある方々への贈り物の手配やらで、アラキさんは忙しい。彼の元で働くことは飛香にとってとてもいい経験になると思うよ」


「そういえば、アラキさんはいつも、とてもお忙しそうでした」

 物腰がゆったりとしているアラキは、表立って忙しそうな様子を見せることなかった。だが、何日か生活を共にしているうち、アラキに掛かってくる電話の数と彼に集中してくる数々の相談事に多さに気づき、驚いたものだ。

 とにかく彼がゆっくりと座っているのを見たことがない。


「どうする? 勤務時間は九時から一八時の八時間。時給についてはアラキさんが出してきた金額を断って、都の平均価格に下げてもらった。その方が飛香も気が楽だろう」


「ええ」と頷きながら、飛香は西園寺邸での生活をよくよく思い出してみた。


 平日の朝九時なら、既に出勤しているため洸は邸にいない。そして彼の帰宅は早くても夜の七時だ。となると顔を合わせる機会はない。


「昼間だけなんですね?」

「ああ、残業はない」


 ――それなら大丈夫。


「はい。アラキさんの元でがんばりたいと思います」

 そう答えた途端、胸の奥にいた洸が、にんまりと笑った気がした。


 跪いて手にキスをされた時、思わず心が震えた。

 西園寺家を出る日、熱を出して休んでいる彼にお別れを告げた時、もしあのまま彼の手が伸びていたらどうなっていただろう?

 先にお見合いをして結婚すると聞いていなかったら、うっかり好きになってしまったかもしれないと、怖くなる。


 ――もしかして。

 彼は、他の女性たち対していつもああなのだろうか?


「お兄さま、洸さんてモテますよね?」

「ん? ああ、モテない理由がないからね」


「彼のお母さまが『洸には恋人がいない』と嘆いていましたけど、もしかして洸さんって遊び人なんですか?」

「いや、それはないだろう。むしろ、恋人とかガールフレンドとか、わずらわしいと思うほうだから」


 碧斗が知る限りナンパはもちろんだが洸が遊び目的で女の子を誘ったことはないし、聞いたこともない。一緒に飲んで騒ぐくらいならあるだろうが、それはあくまで公なパーティでのことだ。ろくでなしの同級生が洸の名前を出して女の子を誘い出そうとしても『西園寺さんがあなたと付き合うはずがない』と簡単に見破られるほどに洸の守りは潔癖だった。

 そういった素行の良さを知っているからこそ、飛香を西園寺家に預けたのである。


「なに、どうかした?」

「ううん、なんかちょっと不思議だと思っただけ」


 ――だとしたら、私をからかっている?


『たとえば、僕のお嫁さんになるっていうのはどう?』

 あれはやはり冗談なのだろう。


 皮肉めいたことを言う時の、洸のニヤリとした笑みを思い出す。

 その笑顔で『飛香は純情だな』そんなことを言う洸を想像し、飛香はその手にはのらないぞと、心に誓うのだった。

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