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アイラブ☆吾が君  作者: 白亜凛
運命の糸のゆくえ
24/57

妹がほしい15

『無事、落札したよ。金額も予定内』


 オークションが終わりアラキにメッセージを送ると、すぐに返事が来た。


『お疲れさまでした。せっかくですので、どうぞゆっくり楽しんできてください』


 アラキにそう言われるまでもなく、まだ帰ろうという気にはなれない洸は、会場となった教室を出るとあたりを見渡した。

 廊下には人が溢れ、学園内は時間を追うごとにますます賑わいをみせている。

 張り出されたスケジュールや案内図を見ると、バザー以外にもあちこちで様々なプログラムが組まれているようだった。

「筝曲部の演奏があるみたいだね。行ってみる?」

「はい」


 図書館と併設されている建物の一角は、茶室など畳の部屋がいくつか並ぶ和風な造りになっていた。普段そこは茶道や華道などの伝統芸能部が使用している。筝曲部の演奏場所はそのひと部屋だ。

 今、洸と飛香がいる場所からは離れていて、外の渡り廊下を伝って少し歩くことになる。


「笠は日除けになるけど布は上げよう、暑いでしょ」

 そう言って洸は自身の目元を隠していたマスクを取り、飛香の顔を隠している布を市女笠から外しはじめた。


「え、もう顔が見えてもいいんですか?」

「いいのいいの。オークションは終わったし、このまま外歩いてたら熱中症で倒れちゃう」


 冷房の効いた屋内ならまだしも、一歩外に出るとさすがに暑い。笠を手に持つと生ぬるい風が頬を伝ったが、それでも布から解放されて幾分清々しく感じた。


 あらためて洸を見上げた飛香は、またドキリとする。

 マスクを取った彼は、何度見ても頭中将そのままで、自分がいる場所がどっちの世界なのかわからなくなるほどだ。


 扇子替わりにしゃくでパタパタと仰ぎ、廊下を進みながら「懐かしいな」と洸が言う。


「洸さんが通っていたころと、変わりありませんか?」

「うん。大きくは変わっていないね」


「そうですか」

 ということは、"飛香"がここに通った頃とも変わらないのだろう。


 写真などでは見ていたが、今ここにいる飛香には初めて目にする学園である。

 贅を尽くしていると言われているだけあって建物も立派だが、同じくらい庭も見事だった。そこかしこに草花が咲き乱れ、大木が日陰を作り、目にした先では黄色い花のアーチの先から池が垣間見える。


「覚えてないか」

 洸にそう聞かれて、飛香は「はい」と頷いた。正確には覚えていないのではなく、本当に初めてなのだが……。


 ――そういえば。

 ふと"飛香の日記"を思い出した。

 飛香は筝曲部に在籍していたらしい。あまり真面目に通ってはいなかったようだが、『仮装パーティが一番好き。十二単を着ることができるから』という記述があった。


「筝曲部だったはずなので、十二単でお琴を弾いていたと思うんですけどね」

「あはは。いかにも飛香らしいな」


「ですよね」

「あとは? 何か覚えてる?」


「図書館に籠っていたと思います」

「じゃあ、筝の演奏を聞いたら図書館に行ってみよう」


「え? 図書館に入っていいんですか?」

「うん、今日は特別にね。関係者以外は入れないように正門で厳重なチェックをしているし、監視カメラも警備員もフル稼働しているから」


 あのハナミズキが満開の時は本当に綺麗なんだとか、向こうに見えるメタセコイヤの並木が紅葉した時は散歩をしたくなるんだよとか、洸の話を聞きながら先を進むうち、微かな琴の音が耳に届いてきた。


「こっちが図書館ね。そしてこの先に『青扇殿』と呼ばれる和風建築があるんだ」

 図書館を見上げつつ、先に進んで角を曲がったところで飛香は驚いた。


 ――これは……。

 その位置から、『青扇殿』のほぼ全貌が見える。


 庭園には小さいが池がある。

 その池を囲むように迫り出した高床の下には、その池へと続く細い遣り水がうねるように流れている。

 ――寝殿と、その下を流れる遣水やりみずだ。


 もちろん造りはまったく違う。防犯や空調管理のためもあるだろう、部屋はガラス扉に囲われているし、部屋の床は板張りではなく畳が敷き詰められている。

 だが屏風や几帳が立てられ、その空間が醸し出す雰囲気は、確かに平安の流れを汲んでいた。


 大きく違うところと言えばーー。


 十二単を着ている女性たちは、几帳の影に隠れたりはしていない。その美しい姿も露わに、琴を奏でている。

 彼女たちを見るうち、飛香の胸には熱い思いがこみ上げた。

 その思いが何かはわからない。

 平安の都の姫たちはみな、人形のようにただじっとして屋敷の奥に隠れていた。

 しかし目の前にいる彼女たちはどうだろう。自らの意思で琴を奏で、何の疑問もなく誰にも何も言われずあのように人前に出ることができる。それが飛香の目には眩し過ぎるのかもしれない。

 それとも自分が捨ててきた時代への望郷なのだろうか。


 ――母は、父はどうしているのだろう? いつも自分を心配してくれた女房の海未は、魂が入れ替わっている私に気づいているのだろうか?


 一気に溢れだした感情は涙となり、押えようもなく瞼から零れ落ちた。

 飛香は慌てて袖で隠し、俯いた。隣に立つ彼にはどうか気づかれないようにと願いながら、指先でそっと涙を拭う。

 扇で仰いでいれば観客席に着く頃には涙も乾き、この心乱れも落ち着くだろう。そう思いながら、飛香は一歩前に踏み出した。


 なのに、洸は動かない。


「少し暑いけど、あの四阿あずまやに行こうか。木に囲まれて日陰だし、風が涼しいだろうから」

「え? あ、はい」


 涙が乾くようせわしなく扇で顔を仰ぎながら、飛香は洸の後ろを歩いた。

 暑さもあってか、向かう四阿に人はいない。少し離れた池のほとりで、はしゃぎながら写真を取り合う学生たちがいるだけだ。


 学生たちは洸と飛香に気づくと突然静かになり、立ちすくんだまま二人を見つめた。目を奪われるのも当然だろう。この雅な風景に、恐ろしいほど溶け込んでいる美しいふたり連れが歩いているのだから。


 四阿に着くと洸は懐から取り出した紙を敷いて「どうぞ」と飛香を促した。


「ありがとうございます」

 そして自分も座ると、いたずらっぽく笑う。

「子供の頃からの僕の得意技、教えてあげようか?」


「――得意技、ですか?」


「泣こうと思った時に泣けること」


 一体何を言い出すのかと驚いて、飛香は乾ききっていない目を丸くした。


「僕はなにより負けることが嫌いでね。勝つためなら涙も流す。すごいだろ? 競争しようか」


 洸はそう言うと目をつぶり、右手を額に当てて苦悶の表情をする。

 それからほんの数秒後、瞼を上げて飛香を見つめた時には、宣言通りはらりと涙が頬を伝った。


「すごい!」

「ほら、飛香もがんばって」


「ええー?」

 思わず笑い出した飛香の瞳から、涙が零れた。


「上手いうまい」

 アハハと洸が手を叩いて笑う。


 涙を流しながら笑う洸がおかしいやら、悲しいやら、飛香はポロポロと涙を流して笑った。


 ――勘のいいこの人は、私が泣いたことに気づいてた。

 その優しさが胸に沁みて、涙が止まらなくなる。


「えー、飛香。それは泣き過ぎだ。まぁでも健康にいいそうだから、どんどん泣いて」


 直衣姿の洸は、まるで邸のソファーでくつろいでいるようにゆったりと足を組み、明るい笑顔で笑う。

 そんな洸を見るうち、心に広がっていた悲しみの霧は薄れ、飛香の涙もいつしか笑い声に消えていた。



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