妹がほしい14
「飛香、プレゼントするからなにか買って」
「え? でも、どれもお店に並んでいるような物ばかりですよ?」
青扇学園は資産家の子息や令嬢が通う学園である。ズラリと並ぶ展示品は、青扇学園の生徒や卒業生から集めた物であるが、未使用品という条件を満たしたものである。そして高級品ばかりだった。
「来たからには買わなくちゃいけないんだ。チャリティだからね。それに僕がほしいものは特にないし」
「――でも」
博物館で記念にともらったストラップとはわけが違う。
赤字で直された価格は定価よりは格段に安くなっているが、それでも飛香には高値の物ばかりだった。並んだゼロを数えれば、とてもじゃないが気軽にこれがほしいとは言えない。
「ああ、お金のことを気にしているなら心配しないで。その分、碧斗からワインを貰うから。あいつはいいワインを持ってるからな。どうせ今回も沢山持ち帰ってくるだろうし」
そう言って洸はニヤリと笑った。
西園寺家ほどずば抜けている裕福な家ではないが、藤原家も華道の家元を務めるだけの資産はある。
物欲の少ない兄の碧斗もワインは好きで、自ら選んで買っていた。ワインのことなど全くわからない飛香だが、高いものだと百万を超えると兄から聞いたことがある。
――それなら。
西園寺洸としての外聞もあるだろう。
連れの女性に何も買わないというわけにはいかないのかもしれないと、わからないながらも考えた。
自分の口座から貯金を下ろして兄に渡してもいい。とにかく兄に、彼へのワインの土産をはずむように言えばいい。
考えたあげく、飛香は心置きなく欲しい物を選ぶことにした。
自然と足が止まったのはショーケースに並ぶアクセサリーのコーナー。
「洸さん、私、普段使いができるネックレスがほしいです。一緒に選んでもらえますか?」
「はい、了解」
ガラスの中を覗き込む飛香の隣に、洸の顔が並んだ。
「いらっしゃいませ。お取りしますので、どうぞおっしゃってください」
アルバイトなどしたこともないのだろう。慣れない様子で店員に扮した学生が、硬い笑みを浮かべる。
クスッと笑った洸が「お疲れさま、がんばってね」と声をかけ、いくつかネックレスを指差した。
「そうだね、シンプルで君に似合いそうなのはこんなところかな」
トレイには三つのネックレスが並んだ
「どれも可愛いい、素敵」
「時間はたっぷりあるから、つけてご覧」
「はい」
手にした笏をガラスケースの上に置いた洸は、器用にネックレスの留め金を摘まんで飛香の首にネックレスを着けた。
「ありがとうございます」
鏡の前で垂れ布をそっと開いた飛香は、自分の首元を覗き込んだ。
桜のような花びらが三つかたどられているチャームは小さめで、控えめでありながらとても可愛らしい。
ひと目で気に入った飛香は、「どうですか?」と洸を振り返る。
どれどれと、垂れ布を指先で持ち覗き込んだ洸は、飛香の首のネックレスを見て微笑んだ後、次の瞬間時が止まったようにハッと息を呑んだ。
ほんのりとピンク色をしたシルクオーガンジーの垂れ布。
その薄い布に遮断されたその空間にあるものは、飛香の微笑みだけだった。
それだけだ。
何を疑うわけでもなく、何かを考えるわけでもなく、ただ純粋に見つめ返す黒く美しい瞳。
ふいに吸い込まれそうな錯覚を覚えた洸は、慌てたように瞬きをした。
「変ですか?」
飛香の声と共に、会場の中のざわつきが洸の耳に帰ってくる。
「いや、よく似合っている。可愛いよ」
せっかくだからと、他のネックレスもつけたらいいと促しながら、洸は微かに動揺していた。
――今のは、なんなんだ?
昨夜、久しぶりにアラキとふたりワインを飲み過ぎた。軽い二日酔いだろう。きっとそうに違いないと思い、飛香のネックレスを着け変えながらそっと深呼吸をした。
それからは垂れ布の中を覗き込む時も、あまり近寄らないように慎重に気をつけた。
「飛香はどれが一番気に入ったの?」
「私は、これです」
飛香が指を指したのは、最初につけてみた花びらのネックレス。
そのネックレスを見た時、ふいに胸の奥がキュっと苦しくなったような気がした洸は、ピクリと眉をひそめた。
昨日から慣れないことをしているせいだ。
――ストレスだな。
仕事も順調で最近は残業もないために、気が抜けているのかもしれない。忙しいことが普通になっていた。今のように余裕がある生活に体が戸惑っているのだろう。
それはそれで納得できる答えだった。
「まだ時間があるから、ひと通り見てみよう」
「はい」
ドレスや靴が並んでいる前を進みながら、飛香が不意に「素敵」と声に出して言って立ち止まった。
目を奪われたのはキラキラと輝く、シルバーのパンプス。
ポップ公告に書かれた文字は『今宵あなたもシンデレラ』
――シンデレラの靴。
"飛香の日記"に登場するので、この時代の多くを知らない飛香もシンデレラ物語のことは知っている。
「洸さん、平安時代にも似たような話があるって知っていますか? 落窪の姫の物語」
「え、そうなの? 姫というと、かぐや姫くらいしか知らないな」
クスッと飛香が笑う。
「シンデレラのように継母にいじめられて、落ち窪んだ畳の上で裁縫を押しつけられていた姫のお話なんですよ」
「それで? 王子さまみたいな公達が現れるの?」
「はい、そうです。洸さんのように素敵な左近の少将という公達が現れて、姫を助けだし、ふたりは幸せになるんです」
「へえ~、世界中女の子が好きな話は一緒なんだな」
「ええ、古今東西一緒なんですね」
「そして飛香もそんな風に、素敵な公達が迎えにきてくれることを待ってるわけだ」
「はい。そういうことです」
クスクスと笑いながらそう答えた飛香だが、実はそんなことはもうとっくにあきらめていた。
あれほど夢見た荘園の君は他の姫を迎えたし、それに……。
現代の"荘園の君"も、女性を連れている。
その彼女は左の薬指に輝く指輪をつけていた。
指輪が意味することは兄から聞いてわかっている。恋人か婚約者。あるいは妻だということを。
『お兄さま、私には結婚は無理ですね』
『そんなことはないさ、優しくてボーっとした男と結婚したらいい』
『え?ボーっとした男?』
『そう、感性が鈍い男。大半はそんな男だから大丈夫さ』
兄の碧斗はそう言っていたことを思い出し、かなり失礼な話だとクスッと笑ってしまった。
「ん? なに?」
「あ、ごめんなさい。兄が言っていたことを思い出しちゃって。兄が『飛香は音が出るほどボーっとした男と結婚すればいい』って言うんです」
「音がでるほど?」
「はい。失礼ですよね、その人にも私にも」
「なんなんだ?それは。あいつの言うことは相変わらず意味不明だな」
クスクスと笑いながら飛香は思った。兄の言うとおりかもしれないと。
記憶喪失を無条件に信じて、余計な詮索もしない。ただ毎日が平和に過ごせれば満足してくれそうな、そんな人なら秘密を明かす必要もないだろう。
平安の都の思い出を胸に隠したまま、穏やかなで幸せに暮らせるのかもしれない。
でも、勘のいい人はだめだ。
――たとえば……。
隣をちらりと見上げて思った。
少なくともこの人のように鋭い人には、秘密を隠し通せないだろう。
正直に話すという手もある。だが普通に考えて信じるだろうか。現代の飛香と意識だけが入れ替わり、私は平安の都から来たのですと、突拍子もない話をしたらどうなるか? 話だけで証明できる物もなく、気がふれていると思われるのが関の山だろう。
もし、信じてくれたら? それでもいいと愛してくれる人がいたら。
それこそおとぎ話だと思いながら、飛香は小さく笑った。




