妹がほしい 6
玄関を出て、真っすぐに門へと向かうと、慌てたように警備員の高藤がふたりを追いかけてくる。
「すみません。お車ではないのですか?」
「ああ、今日は歩いていく」
洸が外出に車を使わないことは、高藤の記憶にない。
それもそのはずで、前回歩いて邸の門を出たのがいつだったか、洸自身も思い出せないくらいである。
「ですが、あの、本当によろしいのですか? お供は」
万が一のことがある。心配な高藤は、念には念をと確認せざるを得ない。
「大丈夫だよ。危ないところには行かないから」
高藤の心配を思いやってか、洸はしっかりと頷く。
そんなことは知らない飛香は、門の外を見渡している。飛香が夫人やサワと出かける時もいつも車なので、歩いて出るのは初めてのことだった。
洸が腕時計をチラリと見ると、時計が示すのは計ったように九時ちょうどを示している。
「時間はたっぷりある。途中休みながら行こう。疲れたら言ってね」
「はい!」
飛香はいちいち嬉しそうに、大きく頷く。
その様子を見つつ、クスっと笑いながら洸はほんの少しだけ飛香の後ろを歩いた。
「地下鉄。記憶を無くしてから乗ったことある?」
「一度だけ、兄と」
「え? 一回だけなの? いつも車で移動?」
「はい。そうなんです」
「じゃあ今日は地下鉄に乗って行こう。バスは?」
「はい! 都内のバス、乗ったことがないです!」
「そっか、じゃあ乗ってみようね」
博物館に行くこと以外は何も決めていない。
どこで食事をするかもだ。
気が向くまま店に入り、食べた物が美味しければそれで良し。もし口に合わなかったとしてもそれはそれとして飛香の経験のひとつにすればいい。
そう思いながら、洸は早速、朝食をとる店を探しにかかった。
――飛香が好きそうなもの。
そんなことを思いながら、目に留まったモーニングセットの看板の前に立ち止まった。
見本の写真には、野菜やら何やらが挟まった分厚いサンドイッチが写っている。彩りがいいことから、なんとなく飛香が好きそうだと思った。
「これにする?」
高速で「はいはい」と二度頷く飛香の満面の笑みにつられて、洸は思わず笑った。
あどけない笑顔だ。
相変わらず飛香の返事は『はい』が多い。それでも声の響きには変化があるし、なにしろ会話が続くようになっていた。
それは、少なからず飛香が洸に心を開いてきたという証拠になるのだろう。
――今日は一日、子守りに徹するか。
ミルクティを飲んでは厚みのあるサンドイッチと格闘している飛香を見ながら、洸はフッと笑った。
「こうやって食べたらいいんだよ」
洸はワックスペーパーを半分くらい剥がして、抑えながら横からかぶりついて見せた。
「唇についたら拭けばいんだから、思い切りいってごらん」
「はい!」
早速かぶりついた飛香の口元には、サンドイッチからはみ出したマヨネーズがついている。
洸は紙ナプキンを差し出した。
「あ、ありがとうございます」
照れたように肩をすくめた飛香は、ナプキンで口元を拭う。
その様子はまさに花より団子。
飛香が西園寺邸に来てから五日間、毎日朝食と夕食を共にしているのだからわかる。狙ってというのではなく、飛香の場合はどうみても素。なんのてらいもない。
洸もまた素の感情で、そんな飛香を受け入れている。
なにしろこんな風に女の子を連れて歩いて一番困るのは、恋愛感情を持ち出されることだが、その点飛香にはそんな心配も全くなかった。
恋する乙女の視線を浴び続けた洸には、それがわかる。飛香の場合は、こんな風に世話を焼いてもただ感謝されるだけ。安全安心である。
「碧斗は、なんだかんだとうるさいだろう?」
そう言うと、目を細めてクスクスと飛香が笑う。
「私があまりに何もできなくて、危なっかしいから。本当に優しい兄です」
「ふぅん。でも君は十分自立した大人じゃないか」
散々子ども扱いしているくせにどの口が言う? 心の中で自分に軽い突っ込みを入れながら、洸はぬけぬけとそう言ってみた。
飛香はと言えば、あくまでも兄を悪者にする気はないらしい。
クスっと笑って、肩をすくめる。
「はい。すみません、いい大人なのにいつまでも子供っぽくて」
どこまでも、兄を悪者にする気はないらしい。
――シスコンとブラコンね。
幸せなことだ。
半分皮肉で半分は本気ともとれる薄い笑みを、洸は口元に浮かべながらコーヒーを飲んだ。