妹がほしい 1
仕事が順調に片付き、西園寺洸と彼の秘書鈴木は夕方六時にオフィスを出た。
明るいうちに家路につくのは久しぶりである。会社に近いマンションに泊まることが多い洸も、見上げる空の明るさに微かな感動を覚えながら、今日は邸に帰ることにした。
「君も乗っていったら?」
鈴木の住むマンションは西園寺邸に向かう途中にある。
「ありがとうございます。そうさせて頂きます」
リムジンは静かに走り出す。
「今日から二週間、碧斗の妹がうちにいるそうだ」
「碧斗の妹というと、飛香さんですか?」
「そう」
西園寺洸が全幅の信頼を置くだけあって、あらかたのことは予想の範囲内である鈴木にも突拍子もない話だったのだろう。聞こえていないわけではないが、聞き返さずにはいられなかった。
「二週間ですか?」
「もしかするともう少し長くなるかもしれない」
「妹さんだけ?」
頷いた西園寺洸は、夕べの母との会話を再現してみせた。
『碧斗の妹がどうしてうちに?』
『ひとりきりなのよ?可愛そうじゃない。なによ、気にいらないの?』
正直言えばその通り。
『他人がずっと家にいるのは落ち着かない。それに随分急じゃないか』
『なに言ってるの。言おうにもあなたはずっといなかったでしょ。そもそもほとんど家に帰ってこないし、いても自分の部屋に籠るんだから関係ないじゃない』
母の言い分にも一理ある。実際、一週間のうちで洸が邸に帰るのは多くても半分くらいだった。
仕事で帰りが遅い時は、一分でも長く休めるようオフィスに近いマンションに向かうので、週末しか邸に帰らないということも多い。仮に邸に帰ったとしても、ゆっくり母の話し相手になることも少なかった。
そんなこともあって、普段から友人たちの娘を引き合いに、私も娘がほしかったと口癖のように言う母である。うきうきしながらゲストルームの模様替えをしただろう母の姿を想像して、洸はため息をついた。
「それにしても、どうしてそうなったのですか? ひとりで留守番ができないほど子供でもないでしょうに」
パーティで会った藤原飛香を思い浮かべてみたが、仮に幼さがあったとしても紛れもなく成人した女性である。
「なんでもあの娘は、二年前、事故で過去の記憶が曖昧になったとかなんとか」
「え? 記憶喪失ですか?」
「詳しいことはわからない。今は普通の生活に支障はないらしいが、長時間のフライトも心配だし、ひとりきりにさせるのも心配だということだそうだ」
ようやく合点がいったように、鈴木はゆっくりと頷いた。
「それが、碧斗が言っていた『あの子は特別』ということですか」
「だろうな」と首をぐるりと回す洸を見ながら、ふと鈴木は首を傾げた。
今日邸にはその娘がいるとわかっているのに、文句を言いつつ彼は帰るという。
表向きは人当たりのいい一歳年下のこの上司は、面倒だとなれば上手にかわすことが得意のはずで、わざわざ進んで関わろうとはしないのが常だ。相手が女性となれば特に。
「碧斗からも夕べ、妹をよろしく頼むと連絡があったんだ。今日はとりあえず様子を見に行こうと思う」
まるで鈴木が心に抱いた疑問に答えるように、洸はそんなことを言った。
「本人も不安だろうし」
どんな持病であれ見守ってくれる家族と離れることは、さぞかし心細いに違いない。心優しい家族に包まれていたなら尚のことだろう。パーティ会場で、妹の後ろ姿を心配そうに見つめる兄の碧斗を思い出し、鈴木は納得したように頷いた。




