金魚さんと私
⑴
金魚さんにまつわる一番古い記憶は小学生の頃。
教室の後ろのロッカーの上に金魚さんが三匹だけいる、立派な水槽があった。
それは教室の端から端まである、作り付けの木でできたロッカーの天板のど真ん中に、エアーポンプを延長コードで伸ばした状態で偉そうに鎮座していたのだ。
誰が持ってきたのかわからない小さな金魚さんで、三匹とも柄は違うものの、赤い部分を持っていた。
生き物係が定期的にお世話をしていたけれど、ある日病気にかかったみたいで、申し合わせたように同じ日に死んでしまった。
クラスのみんなはすごく悲しんで、急遽開かれた学級会で金魚さんを埋めに行くことに決まった。場所はヒマワリが芽を出し始めた学級花壇の隅っこ。
学級委員長だった私が金魚さんを運ぶことになった。
私は手にそっと三匹の金魚さんを載せて、葬列の先頭に立って歩いた。
六月の雨がちょうど上がって、校庭のあちこちが泥濘るんでいるのが見えたけど、花壇のある場所は水はけが良くって、そこまでの道にちいさな水溜りがポツポツあるくらい。手に乗せた金魚さん達の柄みたいだった。
花壇に到着すると、シャベルを持った級友が小さな穴を掘った。私はそこに、丁寧に三匹を並べて置いた。
水の中で生きてたのに死んだら土に戻してもいいのかな、とそこで初めて疑問に思ったけれど、それに蓋をするように仲良く並んだ三匹は土に隠された。
いつの間に作ったのか、別の級友が、墓標用の木切れに『タマ、ブチ、シロ』と書いていた。
その木切れを埋めた土の上に刺して終わり。
帰りの会で「さようなら」の挨拶をする頃にはみんなケロっとしていた。でも、ロッカーにランドセルを取りに行った時、人気のない学級文庫の箱よりも教室の隅の方に追いやられた水槽のセットが、こちらをぼんやりと眺めている気がした。
私は手のひらに残る三匹の感触が取れなくて、そこから腐った水草の匂いがもう、手首を伝ってひじまで巻きついている気がした。
ヒマワリが咲き、校庭の木の幹で蝉がひどく叫ぶ頃には、水槽は埃を入れるだけのものになっていた。誰も金魚さんのことなんか、話題に出さない。夏休み前、生き物係は一生懸命教室の花瓶の水を取り替えていた。
それだというのに、私の手の平には金魚さんの感触と腐臭がまとわりついていた。いつまでも。
⑵
数年経つ頃にはすっかりそのことを忘れていた私が、再び金魚さんと出会ったのは中学三年生の夏祭りだった。
母のお下がりでもらった、白地に菖蒲柄の浴衣。それに辛子色の帯を締めて、なれない下駄を履いて出かけた。隣を歩くのは同じ中学のケイジ君。彼は普通のTシャツとジーパン、それにスニーカー。
近所の神社の夏祭りは、その神社を取り囲む森の中の参道に、木を背にして屋台が並ぶ。
私たちがお祭りに行ったのは、まだ明るい時間帯。
屋台の上にかけられた提灯には火が灯っておらず、その紙の部分が赤く塗られた模様を抜くように青白かった。
たこ焼きを半分こして、彼が射的で取ってくれたクマのぬいぐるみを持って、神社の方へ少しづつ近づいていく。
屋台のカラフルな軒先が先導する中、鳥居を向こうに見ていた私の袖を、ケイジ君がクイっと引っ張った。
「俺、金魚すくい得意なんだぜ」
そう言って彼は私を引っ張って、金魚すくいの屋台の前に立った。
「スーパーボールすくいの方がいいんじゃない?」
なぜだか、そんなことが口をついて出た。
それを聞いたケイジ君は私の事を、何もわかってないなって風に、フンと鼻で笑った。
「こういうのは、動くから面白いんじゃん」
目の前の四角くて大きな水色の水槽に、赤や黒の金魚さん達がひしめき合って泳いでいた。どれもこれもツヤツヤしていて、目的もないのにひたすらに前進していた。
ツルッと滑りそうな一匹一匹に気を取られているうちに、ケイジ君は店のお兄さんから金魚すくいのポイと容器を受け取って、水槽の前にしゃがみ込んだ。
『得意』という言葉通り、ケイジ君は魔法のように金魚さんをすくいはじめた。
ポイが少し破れても残りの紙の部分に上手いこと乗せてすくう。
二十匹近くもすくっているうちに、ケイジ君の周りには子どもたちが集まってきて、歓声を上げていた。
ヒーローもののプラスチックのお面を顔の横につけたケイジ君は、集まってきた子どもたちにとっては、金魚すくいのヒーローだった。
すくった金魚さん達を袋に入れてもらって、ケイジ君が私の方を振り向いたので何か言わなくっちゃって。凄かった、カッコよかったよって不自然にならないように、興奮気味に言ったら、ケイジ君は嬉しそうに金魚さんが入った袋をまだ明るい空に掲げてみせた。
その中ではぎゅうぎゅう詰めになった金魚さんたちがそれでも尚、一生懸命前進しようとしていた。
夏祭りからの帰り道、夕焼け色に染まった空に背を向けて二人で歩いていたら、ケイジ君がちょっと寄り道、って言って神社近くを流れる川の淵に下りた。
どうしたの、って聞いたら
「うちじゃ飼えないから、ここに放すんだ」
事もなげにそう言って川べりにしゃがみ込んだ。
え、そんなことしていいの、って喉まで出かかったのに、結局言えなくて。
私が見ている前で、金魚さん達は袋の中からトプトプと出て、小川の流れの中にツーッと消えていった。
達者でな、そう言うケイジ君の声が耳に届く。羽のようにふわふわした声だった。
ふと手の平を見ると、あの三匹が横たわっていて、腐った臭いがツンと鼻にきた。
⑶
それから十年近く時が流れて、私は社会人になった。
誕生日を間近に控えて、自分に何か投資しようと電気屋をうろついていた。
あれからケイジ君とは中学卒業して疎遠になって、高校でも大学でも彼はできたけど。それも卒業と同時にいなくなる。
結局お互いそれほど本気じゃなかったんだろう。
二十二歳もあと少し。
就職して三ヶ月経って、ようやく仕事にもなれてきた。
生まれてから高校生まで過ごした街を出て、大学は東京に出てきた。就職もそのまま東京で。
パンツスーツのまま、仕事帰りに駅前の電気屋に寄り道してみた。
キラキラした街の中でも、電気屋の看板はひときわ視界にうるさい。
その中で当てもなく商品を見て歩いている私の目に、一本のパソコンゲームのタイトルが飛び込んできた。
『金魚』という、シンプルなものだった。
何気なく手にとって、ゲームの内容にざっと目を通す。
要約するとそれは、パソコンで金魚を飼育できるという、いわば仮想金魚育成シミュレーション。
五分後、私はそれを買って店を出ていた。
あの夏祭りの時のように、袋の中で所狭しと泳いでいる金魚ではない。
私の腕にかかった、電気屋のロゴがプリントされた不透明なビニル袋に収まっているのは、金魚のイラストの四角いパッケージに入っている、まあるいディスク。
一人暮らしの部屋に戻って、着替えもそこそこに、パソコンの電源を入れて早速パッケージのビニル包装を剥がした。そして中からディスクを取り出して、パソコンにセットする。
ディスクを読み取る音がして、画面にインストールする手順のようなものが現れた。
それを一つ一つカチカチと、マウスでクリックして数分後、シミュレーションゲーム『金魚』のインストール終了。
アプリケーションを起動して、仮想金魚さん達の暮らす水槽を準備する。
スピーカーから、ジャーと水を入れる音が聞こえた。
そして、水槽の準備がすっかり終わって、私は仮想金魚さん達を水槽に迎え入れる。
チャポン
チャポン
チャポン
あの時みたく三匹入れてみた。
名前はなんだっけ。
そうそう。クラスに紅ちゃんっていう子がいて、金魚さんの名前候補になったけど、名前が一緒なのは流石にまずいよっていって、シロになったんだ。白地に紅色の模様がついてる金魚さんだった、この仮想金魚さんみたいに。
仮想金魚さん達にも名前がつけられるから、右クリックして、うん。これでよし。
それから、何度も病気だったり寿命だったりで、仮想金魚さん達は入れ替わったけど、水槽の中はずっと三匹。子供が生まれたらデータにストックできるから、一旦水槽から出してその子達の時間を止める。
三匹の仮想金魚さんの名前はいつだって、タマ、ブチ、シロ。
私の手の平に残っていた感触と臭いは、もうない。
某企画用に書き上げたものの、改稿重ねても企画用として納得いかなかったので短編として投稿。
ロック足りなかった。