初夏の香は恋の香り
――初夏の香りがしますね。
町外れの丘にある展望台であなたがそう言った。切れ長の目を軽く閉じて手摺に両手を置き、僅かに身を乗り出した背の高いシルエットに見惚れてしまう。
普段は物静かで、はしゃいだりしないあなたの嬉しそうな表情がすごくかわいかった――
「ふふっ」
思わず笑ってしまったら、彼がパチリと目を開けて私の方を見た。あっ、目を閉じたレア顔が。
「先輩、今俺の事笑いました?」
「笑ってないよ、かわいいなって思っただけ」
「かわいいって…」彼の眉が微かに寄った。
「つかそれ俺の質問の答えになってねぇし。まぁいいや、そろそろ行きましょう、買い出しに時間かかっちまいましたね」
そう、私と彼は体育祭準備の為の買い出しの最中だった。うちの高校はクラスをクジで色別に分けて、1年から3年までの同じ色のクラス同士が1つのチームになる。
私と蒼くんは同じ色のチームとして体育祭の実行委員をやっている。
チームの看板作りの為のペンキが足りなくなったので買い出しに来たのだった。
「先輩、それも貸して」
そう言って左手を差し出してくれる。勿論私と手を繋いでくれるわけじゃない。彼の目線は私の持っているビニール袋に注がれている。
私は首を振った。
「いいよ、これは私が持つって言ってるでしょ。蒼君の方が荷物沢山持ってるじゃん」
そう、既に彼は大量の商品が入った袋をいくつも持っていた。本当は私がもっと持つと言ったのに、彼は了承してくれない。この一袋さえ、手ぶらで帰るなら私が来た意味がないから!と説得してやっと持たせてもらったのだ。
そういうさりげない優しさでモテるのだろう。
最初の頃は「蒼君、蒼君」そう名を呼ぶとチラリと私を見てからスルーされてたのに、最近は「なんすか」とか面倒くさそうに返事をしながらも軽く屈んで目線を合わせてくれる。進歩したのか諦めたのか。
あぁ、好きだなぁ、そう思ったら呟いてしまったらしい。
「?先輩今何か言い、…って行かないんすか」
てっきり着いて来ていると思っていたのに、振り向けば一歩も動いていなかった私を驚いた顔で見つめる蒼君。
「先輩?どうしたんすか?」
「蒼君、蒼君」
「はい?」
「蒼君、私ね蒼君が好きなの。蒼君のこと好きになっちゃったの」
ひゅっと息をのんで固まった彼と見詰めあう。
「俺…」
言葉に詰まった彼の顔がだんだん苦し気になっていく。「すいません俺」
プルルルッ!
その時蒼君のスマホが鳴った。
「はい、もしもし」
〈今どこ?あとどの位かかりそう?〉
「今展望台過ぎたとこっす」
実はまだ展望台だけど、ちょっと誤魔化したらしい。
〈わかった、待ってる。――おい、買い出しもう少しで戻ってくるから大人しく待ってろよ!投げるな!お前ら小学生か!〉
漏れる声から察するに3年のチームリーダーだろう。
「聞こえてました?小学生みたいな高校生を抱えるリーダーからでした」
電話を切った蒼君は私に苦笑いしてスマホをポケットにしまった。帰り道、さっきの告白には触れず言葉少なに学校へ戻った事を覚えている。
そんなこんながありながらも、体育祭は大成功だった。そして私の告白に対する彼の答えは
………もらえてなかった。
あの時「すいません」と言われた気がするから、とフラれるところだったのかも。そう思うと話しかけるのも腰がひけてしまい、返事の続きなんて怖くて聞き直せなかった。
*****
「はぁ〜蒼君と出会ってからもう一年かぁ〜」
机にだらりとうつ伏せて蒼君との思い出に浸る。そう、一年。その間ひたすら蒼君との僅かな思い出を反芻して生きてきた。友達に言われたのは
「キモい」
「怖い」
「ウザい」
…概ね私を励ます言葉だったと信じている。
「えー、あんたまだあの年下が好きだったの?」隣の机に座って枝毛を探していた友人が驚いたように顔を上げた。
「そーだよ、知ってたでしょ〜」机にぐたっとしたまま答えると何故か友人が焦っていた。
「あのコ、今日までなんでしょ?こんなとこに居ていいの?もしかして知らないの?」
遅れて脳に染みてきた言葉に勢いよく顔を上げた。
「えっ!なにそれ!?」
友人の両肩を掴んでガクガク揺さぶる。
「ちょっ、酔うっ。あんたの好きなあ…蒼君? 今日で転校するって、階段のとこで女子に囲まれてたよ」
ななにゃにゃにゃんだってぇぇぇ!?
ダッシュで階段に囲まれて向かう。
「蒼君、蒼君っ!」
女子に囲まれる背の高い男の子に向かって呼び掛けると、驚いたようにこっちを見た。
「蒼君、蒼君今日で転校って本当?」
泣きそうな私の方へ、女子の間を抜け蒼君が近づいて来る。
何かを言おうとして止めたのか、唇をキュッと引き結ぶと私の手首を掴んで歩き出した。
「え、ちょっ、どこ行くの?蒼君、蒼君ご無沙汰してます。でも今日でお別れって本当?」
長い脚でずんずん歩く蒼君に手首を掴まれているので、引っ張られるように着いて行く。
はぁはぁと息が切れだした頃、突如視界が開けて風と共に初夏の香りがした。
「ここって」
私が告白した展望台だった。
「先輩、俺アメリカに引っ越すんです」
青い初夏の風が二人の髪を舞い上げた。
「先輩に何も言わずに引っ越そうと思ってたんですけど」
困ったようにふわりと笑った。初めてこんな風に微笑みかけられて、ドキドキしてしまう。
「一年前先輩に好きって言ってもらったあの時、正直先輩にそういう感情はありませんでした。あの日答えたとしたらそう言っていたと思います。だけど、結局伝えないまま話す機会も失って、返事もしないって男としてどうなんだろうと思って気にしてはいたんです。気にしてて、そして」
そして、なに?でも続きは教えてくれなかった。
「先輩俺の事蒼君、蒼君て呼んでたじゃないですか。最初はこの人何で2回言うんだろう、ヘン…変わった人だと思ってたんです。でも疎遠になって、呼ばれなくなって、寂しいって思いました」
気付いたのが遅すぎたんですよね。
彼が悲しげに呟いた。
「気付いた頃にはもう引っ越しの話しが出てて…きっと2度と話す事もないと思ってたし、そもそも俺に気持ち伝える資格なんかないし」
俯いていた彼が顔を上げて真っ直ぐ私を見た。
「でも最後に先輩が来てくれたから。ずっと心残りだったあの日の続きをここに置いて行きます。
別れが辛くなるので言わないつもりでしたけど、俺は先輩が好きでした。
もしいつか先輩に再会して、その時もまだ初夏の香りに先輩を思い出していたら、俺から告白させて下さい」
ギュと手首に力を込められて、ずっと握られたままだったと気が付いた。
一瞬の逡巡の後、グイッと引き寄せられて緩く抱きしめられた。
「別れなのに、好きでしたなんて言ってすいません。先輩、初夏先輩、幸せを願ってます」
*****
「はぁ〜蒼君と過ごした夏から8年かぁ。蒼君大きくなっただろうなぁ」
金曜の居酒屋でビール片手に呟いた。
「初夏、あんたまだそんな事言ってるの?」
「そもそもあいつあの時点でデカかったよね?」
「つーか引きずり過ぎて怖い」
おじさん率の高い職場であるが故か未だに蒼君を忘れられない私を友人たちは高校時代と変わらず私を励ましてくれている…のか?
初夏が来る度に蒼君はまだ私を思い出してくれてるのだろうかと考えてしまう。そしてこの季節は仕事帰りに展望台に寄ってしまう。
いつもは人なんていないのに、今日は先客がいる為落ち着かなくて引き返そうとした。
「初夏先輩…?」
驚いて振り向い先には長身の男性が。
「初夏の香りはまだお好きですか――?」
お読みいただきありがとうございました!