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キミのタマはボクのモノ 巻の二  作者: しかも・かくの
第一章 由々しき病と麻太智の試練について
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第一回

 御簾(みす)の内で鈴が続けて二度鳴らされた。世に類するものなき澄んだ音色は、しかしどこか間延びして聞こえた。

「蒼の君、御退出」

 采女(うねめ)清乃(きよの)が脇で告げる。朝議に臨んでいた公卿達は一斉に平伏した。微かな衣擦れの音を残し、御簾の裏側にあった気配が消える。

「それでは本日の朝議はこれにて終了と致します。君に火急の用向きがあれば、取次役へお申し付けを。諸卿におかれましてはどうぞ恙なく」

 清乃は一礼して後ろに下がり、壇下に平伏していた者達もそれぞれに立ち上がる。

 さすがに高声が上がるようなことこそないものの、謹厳な雰囲気からは遠く、そこかしこで談笑が始まる。

 麻太智(またち)の耳に入る範囲では、政や産に関する話題は一つもない。宴や狩などの遊び事か、一番真面目な部類でも人事にまつわる噂ぐらいだ。

 世が事もなく治まっているのであれば結構至極なことである。

 ここ半月ばかりは魔物が現れたという伝聞もなく、平穏に慣れ危機感に乏しい貴顕達が緩んでいるのも常の如くだ。

 麻太智は一人廊下へと出た。歩きながらふと物足りなさを覚えて、そういえばと気付く。

 折に触れ自分に話し掛けてくる三条(さんじょう)顕光(あきみ)の姿がない。勤勉で実直な彼女が朝議に欠席とは珍しいこともあるものだ。

 しかし麻太智はさして気にしなかった。年が近いがゆえの親しみは感じているものの、特に(よしみ)を通じているわけでもない。

 だが自分にとっての事実を事実と知るのは自分だけである。端の者は好き勝手に事を見る。

荒城(あらき)殿はこれから御岳父のお見舞いですかな」

「はあ?」

 麻太智は変な声を上げて振り向いた。一体何を言っているのだろうと思う。岳父といえば妻の父親のことだが、独り身の自分にそのような相手がいるわけもない。

 しかし隣に並んだ中納言ちゅうなごん直江(なおえ)純友(すみとも)は麻太智の困惑を意識した様子もなく続けた。

「心配ですな。ここ両日あたり、容体がおかしいとは聞いておりましたが、顕光殿の参内もままならないとなると、いよいよもって思わしくないということでありましょうか」

顕成(あきなり)様が?」

 麻太智は眉をひそめた。先の左大臣であり、顕光の父である三条顕成が病に伏せっていることは無論承知していたが、そこまで悪くなっているとは慮外であった。

 だが麻太智の驚きに対して、今度は逆に純友の方が不審の表情を作る。

「なんと、ご存知なかったと。それは些か薄情というものではないですかな。義理とはいえ、貴殿の父君でしょう」

「あいや、暫しお待ちを。確かに顕成様には一方ならずお世話になりました。それがろくに見舞いにも行かずでは、恩知らずの誹りを受けても仕方ありませんが、元より父子の契りを交わしたことなどはありません。そのような誤解が広まっては三条の家にとっても迷惑でしょう」

「何を言わっしゃる。そこもとは顕光殿の婿となったのであろう。ならば左府殿とも父子になったに決まっているではないか」

 思わず唖然としてしまう。全くの事実無根、寝耳に水である。

 さては質の悪い冗談かと疑うが、相手はいたって真面目、それどころかこちらを非難するかのごとき面持ちだ。

 麻太智は静かに息を吸って吐いた。予期せぬ事態に遭遇した時は、まず現状を正しく認識することだ。焦りのままに対処しようとするのは下策である。

「直江様、初めにはっきりさせておきますが、私は顕光殿の婿になってはいないし、そのような予定もありません。空言を軽々しく吹聴なさらぬよう。よろしいか」

 声と視線に気合を込める。自分の倍以上も長く生きている相手とはいえ、しょせんは世の波風など知らぬ殿上人である。自ら刀を取り野盗と斬り結んだこともある麻太智に敵せようはずもない。

 純友は実際に体を押されでもしたかのように後退りした。

「さ、さようでありましたか。しかしですな……」

「無論、あなたが自らあらぬ噂を捏造したなどとは思っておりません。ですので教えてください。何処よりお聞きなさいました」

「それは……三条邸で……」

「ほう。まさか顕光殿がそのような戯れ言を?」

 もしそうだとすれば、今後は彼女に対する態度を改めなければなるまい。だが純友は慌ただしく首を振った。

「そうではない、左府殿だ」

「まさか。顕成様はそのような作り話をなさる方ではない」

「まさしく。それゆえ私も事実だとばかり……旬日じゅんじつほども前のことであったか、左府殿の元に見舞いに参ると、近頃稀に見るようなお元気な様子にて、荒城殿が婿に来てくれた、これで当家も安泰じゃと、ほとんど浮かれたように」

 純友が嘘をついているとは思えなかった。そもそもこんな嘘をついたところでこの仁には何の益もあるまい。

「……お話は分りました。ともあれ、このあと三条の邸に行ってみることに致します」

「そうですな。それがよい」

「くどいようですが、くれぐれもおかしな風説を広めないよう願います」

「むっ、しょ、承知致した」

 純友は後ろめたそうに顔を逸らした。どうやら既に幾人かに話してしまっているようだ。

 麻太智は頭の痛むような思いで、純友と別れて廊下を歩き去った。

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