09F さらば、一晩限りの抱き枕
俺が考えるに、名前を付けるという行為は、ある種の神聖な儀式である。
例えば通常の場合、人間の親が初めて子供に贈るモノは名前だ。
その際、彼らは様々な願いを込めて名を考えるだろう。
健康に育って欲しいだとか、優しい性格になって欲しいだとか。
そんなありきたりな、しかし『そうあって欲しい』という祈願……祈りを込めて名は付けられる。
まあ、最近ではキラキラネームやらDQNネームやら、単純に「珍しい名前カッケー」とばかりに周囲の反応を顧みず、自分本位に珍妙な名前を子供に付ける親が増えているようだが、それはさておいて。
本来であれば名前は、親にとっても子供にとっても大切なものであることに違いはない。なにせ一生涯、死ぬまで当人について回るのだ。
いや、下手をすれば歴史に残り、後世まで語り継がれるかもしれない。
姓名判断や名前占いといった物があるのも、それだけ昔から名前が与える影響が重要視されてきたからなのだろう。
また、陰陽道などで名前を与えるという行為は、対象の存在を縛る呪いとしての側面も持っていた。
不定形で曖昧な存在に、確固たる意味を持たせた言葉を当てはめることで、その性質を制限する。または存在そのものを支配するのだ。
似たような概念は東洋に限らず、西洋でも見受けられる。
悪魔に名を知られれば魂を支配され、逆に悪魔の名を知れば自由に使役できるようになる……このような逸話は、誰でも一度はどこかで耳にしたことがあるのではないだろうか?
歴史上には、名前とはこの世界で最も短い呪文であり、呟くだけでもその者に様々な影響を与えると考えられていた文化もあった。
真名――つまりは本名を呼ぶことが禁忌とされ、口にしようものならその場で誅殺されてもおかしくはない時代さえあったのだ。
…………うん。ここまで長々と前置きを語ってみたのだが、そろそろ本題に入れとの声がどこからか聞こえてきた気がしたので、端的に要件をまとめてみようと思う。
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個体名称:ステラ
種族:ウェアウルフ幼体(モデル・ヴィントヴォルフ)
Lv:13/35
所持スキル:
【未成熟Lv7】【身体能力強化Lv3】【嗅覚強化Lv3】
【爪牙Lv2】【疾走Lv3】【風魔法Lv2】
【咆哮Lv2】【威圧Lv1】【暗視Lv1】
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――いい加減、ウェアウルフの少女に名前を付けてみることにした。
由来は『恒星』を意味するフランス語から。彼女の星屑を思わせる煌めく髪や毛並みから連想した名だ。
安直と言うなかれ。名は体を表すというように、外見の印象がそのまま名前になることはよくある事なのだ。
そもそも、自分に語呂合わせで『コハク』とか付ける俺に、ネーミングセンスを期待しないでほしい。
とは言え、本人は気に入ってくれているようで何よりなのだが。
「ますたー。すてら、すてらがんばりますっ」
シンプルな意匠の白のワンピースの裾を翻し、ピョコピョコと傍目から見ても上機嫌に小さく飛び跳ねながら、森の中を駆けるケモミミ少女ことステラ。
時折、思い立ったように足を止めながら、後ろをついて行く俺を振り返って笑顔を向けてくる彼女の姿は、何というか見ているだけで癒されるものだ。
ブンブンと左右に勢いよく揺れる柔らかそうな尻尾とか、普段はピンっと立ちつつも時々ピクピクっと震える耳とか、思わず抱きしめて思いっきり撫でまわしたい欲求に駆り立てられる。
スクショ? とっくの昔に撮り始めてますがなにか?
「まあ、中身の方は素手で熊を絞め殺すような存在なんだけどな」
今の光景を見て、まさか彼女がそのように恐ろしい魔物だと考える者はいまい。
レベルが上がっていることからも察せられるが、本日、既にステラは何度かこの森で戦闘を行っており……。
――と、その時。
ピクンッ! と、突然立ち止まったステラの耳が、何かを感知したように震える。
顔からは向日葵のような笑みが消え、何かに導かれるよう、どこか遠い目で森の奥に視線を向けた。
やがて、ブワリ――と。
彼女の髪と尻尾が逆立ち、身体が一回り大きくなったように見える。
いや、事実それは錯覚などではない。ステラの手足――両腕の肘と両足の膝から先が内側から膨れ上がり、その表面が銀色の体毛で覆われ始める。
その隙間から姿を現した長く鋭い爪は、正しく獲物を引き裂く猛獣のそれ。あっという間もなく、彼女の手足は可憐な少女に相応しくない獣の四肢へと変化した。
クルルルル――ッと、喉の奥で小さく鳴くステラ。
どうにもこの姿が、彼女にとっての戦闘形態らしい。
そもそもステラの種族である『ウェアウルフ』とは、日本語に直せば狼男……つまり『人狼』の事である。
それは決して獣の耳と尻尾が生えただけの人間を指す言葉ではなく、むしろ現在の獣性を前面に押し出した状態こそが、彼女本来の姿なのだろう。
てらてらと妖しく濡れた瞳で、日の届かない薄暗い森の奥深くを見つめるステラ。
それは普段の無邪気な様子からは想像できない、いっそ妖艶とさえ形容できてしまいそうな雰囲気だ。
そして、次の瞬間。
まるで弾かれるようにして、彼女は駆け出した。力強く地を蹴り、時に両腕を含めた四足を使い、時に立ち並ぶ樹々の幹さえ足場にして、目にも留まらぬ早さで森の中へと消えていった。
対して、ステラに置いて行かれた形になった俺だが、まるで心配はしていない。というか、心配するだけ無駄だろう。最初こそ面食らいはしたが、既に何度か体験している。
そもそも、ステラがあの状態になるということは――
《【報告】ダンジョン領域内で侵入者を殺害し、魔力を回収しました》
《【報告】配下の魔物のレベルアップを確認しました》
ややあってから、予想通り俺の脳内で恒例のインフォメーションが鳴り響く。
当然、侵入者を撃退したのも、レベルが上がったのもステラだろう。
しばらく待っていると、彼女はいつも通りの笑顔を浮かべながら俺の下に戻ってきた。
「ますたー、おにくつかまえました! おっきいの!」
ただし、その後ろにゆうに二メートルは超えるであろう大型の猪を引きずりながら、ではあるが。その胴体には、深々と肉を抉った爪跡が刻まれている。
あんなに大きいと、俺の腕力じゃ運ぶのも一苦労なんだろうなぁ。
念のため、周囲には護衛代わりのヴィントヴォルフ二体を連れて来ているのだが、完璧にいらぬ世話になっていた。
この光景を見て、それでも彼女がただの少女だと考える者はいまい。
紅い返り血が点々と付着した顔に笑みを浮かべ、ステラは俺に駆け寄って来くる。飛びついてきた彼女を抱き返しながら、いやはやと内心で苦笑した。
ついでに丁度良い布切れがなかったので、彼女の顔についていた返り血を俺の服の袖でふき取る。
しかし、ワンピースの方はもうだめだな……今度からは動きやすくて汚れが目立たないのを買おう。あと、俺の服も。抱き着かれて真っ赤な汚れが酷い。洗ってどうにかできるレベルじゃないぞ、これ。
頬を摺り寄せてくるステラの頭を撫でると、えへへぇ~と彼女は心底嬉しそうに、それでいて自慢げな表情になる。
俺はそれを反射的にスクショに収めつつ、改めて彼女の能力画面を開いた。
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個体名称:ステラ
種族:ウェアウルフ幼体(モデル・ヴィントヴォルフ)
Lv:15/35
所持スキル:
【未成熟Lv6】【身体能力強化Lv4】【嗅覚強化Lv3】
【爪牙Lv3】【疾走Lv3】【風魔法Lv2】
【咆哮Lv2】【威圧Lv2】【暗視Lv1】
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うん、順調に育っているようで何より。
これまでの傾向から考えるに、やはり相対した敵が強ければ強いほど、レベルアップの速度もまた早くなっているように感じる。
これは魔力についても同様で、同種でもより強力な個体を殺すほど、回収できる魔力も多くなるようだった。
今回のような大型の動物の場合は、平均的な数値にしておおよそ50ポイントといったところか。
スキルに関してはよくわからないが、【暗視】がまったく上がっていないところ鑑みるに、単純に経験値を稼ぐだけではなく使用しないと育たないのだろう。
「んー……この調子なら、早ければ数日中にレベルが上限まで上がり切るかな?」
【未成熟】のスキルはステラ本人のレベルと連動しているようなので、その制限が完全に解除された時、はたしてどのような変化が起こるのか……。
今から非常に楽しみである。
……ただ、ひとつ気がかりがあると言えば。
「? ますたー、どうかしました?」
「……いや、何でもないぞ。少し考え事をしてただけだからな」
ふとした表情の変化を感じ取ったのか、抱き着いてきているステラが首を傾げながら俺を見上げてくる。
それに返事をしながら、やっぱり成長してるよなー、と俺は何とも言えない心境で頬を掻いた。
レベルが上がれば上がる程、【未成熟】の枷が外れれば外れるほど、ステラが成体に近づいていることは間違いない。
それは単純な能力だけではなく、会話能力や思考能力、そして外見的な容姿に関しても同じことだ。
現段階で、ステラの身長は俺の胸元より少し下くらい。
昨日の召喚した時点では腰の辺りを少し超えた程度しかなかったので、短時間でかなりの成長を遂げていることがよくわかる。
まあ、その、つまりなんだ。俺が何を言いたいかと言うとだな…………当たっているのである。何がとは明言しないが、柔らかい二つの塊が。
今はまだ慎ましやか過ぎて、意識しなければわからないくらい微妙な感触なのだが、このまま順調に発育していった場合、ちょっとヤバい事になるんじゃないかなーと心配しているのである。
嬉しいけど、危険だ。このままでは事故が起こりかねん。
正直、脳内では悪魔が「それの何が問題なんだ~? ユー、ヤッっちまいなよー!」と囁いているのだが、そこは複雑で繊細な男心を察してほしい。
頑張れ、俺の中の天使さん超頑張れ。
「……拠点に戻ったら、早めにベッドをもう一つ購入しておくか」
もしくは、ログハウスをもう一つ設置しなければならない事態になるかもしれない。
どうやらあの抱き枕は一晩限定だったようだと、俺はちょっと……いやかなり気落ちしつつも、俺は自身の名誉のために苦渋を飲むのだった。