その9 川辺の謎
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ワゴン車が発見された現場は、さっきの古い家屋からさほど離れていない場所だった。車の移動で五分ほどかけて、土波川の橋に到着すると、すでに周辺は野次馬が多数集まっていた。川に浮かんでいた車両をクレーンで吊り上げれば、これだけ集まっても無理ならぬ事といえるだろう。
友永刑事が運転する覆面パトカーの窓から、川岸の様子を見てみた。岸に上げられていた黒のワゴン車は、確かにわたしが見たものと酷似していた。しかし、同一のものとは言いきれなかった。わたし自身が明瞭に覚えていないせいでもあるが、前方が派手にひしゃげていて原型を留めていないせいでもある。後方を見れば思い出せるかもしれないが、保証はできないかもしれない……。
「にしても、ずいぶんと人が集まって……ん?」
人並み以上の視力を有するわたしの目は、川岸に張られたバリケードテープのそばまで来ている野次馬、ではなく、テープで作られたスペースの内側に立っている、わたし達と同い年くらいの少女の姿を捉えた。青みを帯びた黒のセミロング、女子中学生としては若干低めの身長、そして……。
あの、何者も寄せ付けないと言わんばかりの独特のオーラは、間違いない。
「なんてこと……あの子まで来ていたとは」
「あの子?」隣に座るキキが訊いた。
土手の上にパトカーが停車し、わたしは急いで、土手の側面にある階段を駆け下りて群衆へと突っ込んだ。キキとあさひもついて来たけど、どうもわたしが構わず人ごみに突入した所を見て、あさひは気が滅入って途中で諦めたらしい。
わたしは、『KEEP OUT』と書かれた黄色いバリケードテープの向こうに立っている、先程見つけた少女の背中に声をかけた。
「美衣!」
その声に気づいて少女が振り向く。中沢美衣。わたし達と同じ中学二年生で、その風貌は白磁を思わせるほどに白く透明感があり、きつめの印象を与える細目は白磁に生じたヒビを連想させる。何よりその比喩にたがわず、醸し出す雰囲気も性格もとにかく冷たい。そんな美衣は、数少ない友人であるわたしやキキの前では、時折温かさを覗かせることもある。本当にたまにしか見せないが……。
「おや、もみじか」美衣は眉一つ動かさず言った。「そして、人ごみで揉みくちゃにされているキキ。二人揃って野次馬の仲間入りか?」
微塵も驚かれないというのも、これはこれで複雑な気分になる。わたしはキキをなんとか野次馬の海から引っ張り出した。
「ふえ〜……ぺっちゃんこになるかと思った。あれ? 美衣、来てたの?」
「ついでに言いますと、あの向こうにあさひもいます」美衣に向けて言った。
「ほう。三人で仲良く野次馬か」
「それは全否定」わたしは右手でNOのジェスチャー。「わたし達は呼ばれてここに来たんです。決して興味本位で寄って来たわけじゃありません」
「下手な丁寧語で威張るくらいなら、初めから砕けた口調で話せばいいものを」
返答に詰まる。美衣のこの態度は、一つのフレーズに集約できる。
『立てば毒舌 座れば皮肉 歩く姿は雪女郎』
実に的確なジョークである。本人も人知れず失笑したらしい。
「あれ? 二人とも、この子は知り合い?」
近づいて来た紀伊刑事が尋ねてきた。美衣はいま制服姿で、これまたわたし達の学校の物とは違っている。知り合い以上であるとは考えないだろうな。
「美衣も友達の一人なんです。それより、なんで美衣がここに? 誰が見てもこの状況、野次馬じゃないですよね」
「彼女よ、土波川に浮かんでいたあのワゴン車を見つけて通報してきたのは」
なんと。わたしの友達のみかんが誘拐された事件、その事件に使われたと思われる車を見つけたのが、同じくわたしの友達である美衣であるとは、すごい偶然だ。
「へえ、そうだったんだ……」
「なに? もみじ達は本当にこの件に関わっていたの?」
「もしかして疑ってた?」
「半信半疑だった。しかし、久々に会ったと思えば場所がこれだ。神様も非情な事をしてくれる。まあ、神様ごときが人間の宿命に好影響を与えてくれるなんて、元からこれっぽっちも信じちゃいないけど」
自らを皮肉るように冷笑する美衣。ここだけ吹雪いているような気がした。
「ところで、なんで美衣はここに来てたの?」
この場の空気に一切染まっていないキキが尋ねた。
「ああ。学校からの帰りにみかんの家に寄るつもりだったんだ。前に貸した本をそろそろ返してもらおうと思って。一昨日に電話して、今日なら予定が空いていると言われたのでね。……だがどうやら、今から行っても無駄みたいだな」
「え?」
美衣は真っ直ぐにわたしを見据えた。「みかんの奴、この件でトラブルに巻き込まれたんだろう? 恐らくは拉致あるいは略取誘拐。で、もみじ達がその目撃者」
「なっ、なんでそれを?」わたしは驚いて上ずった声で訊いた。
「私もそこまでは話していないはずだけど……」と、紀伊刑事。
「なんでだと思う?」美衣は嘲笑した。「当ててごらんよ、あさひ」
美衣の視線の先を振り返ると、髪の毛を乱して息を切らしているあさひがいた。キキと同じく、必死で野次馬の群れを通り抜けたらしい。
「無茶を言うな……あんたらの会話なんぞ聞いてねがっだがら」
「南部地方の訛りか。では代わりにあさひ向けの論理問題を出そう」
「勘弁してくれよ……」
「問題です」美衣は勘弁しなかった。「次の数学的帰納法による誤りを指摘せよ。議論する命題は、『全ての人はハゲである』」
美衣がこれを言った途端、頭部を気にした野次馬が数名現れた。
「第一条件、毛髪ゼロ本の人はハゲである。第二条件、ハゲの人に髪の毛を一本追加してもハゲのままである。故に毛髪が何本であろうとハゲである。さて、誤りはどこだ」
全部間違っているように思えてならない……というか、中学生の女子が何の話題を口にしているのだ。しかも全く意味不明だ。
「キキ、分かる……?」わたしはキキに耳打ちした。
「問題の意味すら分からない。『数学的きのうほう』って何?」
多分、かなり難しい数学の問題なのだろう。でもあさひは十秒も待たずに答えた。
「ハゲの厳密な定義。そして第二条件に穴がある」
「詳しくどうぞ」美衣は楽しそうだ。
「まずこの命題を数学的帰納法で取り扱うなら、数的変数で厳密に定義する必要がある。毛髪が何本以上ならハゲでないのか、その境界条件を明白にしなくてはならない。だけどそんな定義は普通誰も持っていない。何本以上という厳密な境界が定められていない」
「何か適当な定数Kを使って新しく定義したら?」
「その場合は第二条件が不合理になる。美衣の証明を厳密にすると、毛髪の本数を変数nとおけば、第一条件がn=0の時ハゲである、第二条件はn=mの時ハゲであればn=m+1の時もハゲである、となる。しかし実際は、第二条件の前提はm+1がK未満の時にのみ成立する。数学的帰納法の大前提として、第二条件は任意のmで成立しなければならない。そのmに最大値が設定された時点で、その条件は破綻してしまう。故に、この証明は誤りである」
「素晴らしい」美衣は嬉しそうに拍手した。「その型に嵌まったロジカルシンキングは健在のようだな。安心したよ」
「なんで安心するんだよ」
わたしとキキは、というよりこの場にいる全員が、安心するどころではなかった。一言たりとも理解できなかった。キキなどは白目を剥いている。いい加減に話を戻そう。
「おーい。それよりこちらにさっさと、さっきの問いかけの答えを教えろ」
「ちっ、面倒だな」舌打ちした後に美衣は説明した。「みかんが事件に巻き込まれたってやつだろう? 簡単な事さ。わたしが通報しておよそ一時間、これだけの野次馬が近くの住宅地から集まって来たんだ。みかんの家はここから割と近い。好奇心旺盛なみかんが姿を見せないはずがない。たとえ野次馬に入れなくても、ここに来たもみじ達に声をかけて一緒に来るはずだ。つまり、みかんはこの付近、ひいては恐らく自宅にもいない」
「でも、それだけでトラブルに巻き込まれたというのは……」
「さっき言ったよな? みかんの家に行く約束を取り付けたのは一昨日だ。もし急な用事が入っただけなら、間違いなくその旨をわたしに伝えたはずだ。あいつは友達との約束は絶対に忘れないからな。ところが連絡が今日まで一切ない上、昨日から携帯も繋がらない状況だ。何かアクシデントに巻き込まれたと考えるべきだろう?」
「あー……わたし達が目撃者っていうのは?」
「この女性の警察官が真っ先に声をかけた事、加えてもみじが『呼ばれてここに来た』と言った事を踏まえれば、ここで事故車両が見つかった件にもみじ達が関わっている事は明白だ。しかもこの場にほぼ同時に三人が来たという事は、誰かが運転する車で連れてこられた可能性が極めて高い。警察がこの件に三人が関わっていると断定して呼び出したのなら、かかった時間は三十分ほど。それだけの時間で全員を集めるのは、時間的に考えてもかなり難しい。つまりさっきまで三人とも警察と一緒にいたことになる。昨日の時点でみかんがトラブルに遭っているのに、三人だけで警察と一緒に行動しているという事は、三人の行動自体がそのトラブルに関係していると見るべき。一日近く経ってもまだ警察と行動を共にしているのなら、相当に重要な関係者と考えられる。そして、学校の異なる三人が同時に関係者となるなら、そのトラブルは帰宅途中で起きたということ。なら、その瞬間を三人が目撃していたと考えるのが自然だ。その事件に車が使われたとなれば、その光景も簡単に目に浮かぶ。ほら、簡単な話でしょう」
簡単なのか難しいのか判断できません。美衣の説明はあまりに整然としすぎていて、すぐには呑み込めない……。
「まあ、これはあくまで推論だ。実際にあの車が使われたという保証はないし」
「そうなんだよね……わたしが見た車と似てはいるけど、本当にあれがみかんの誘拐に使われたかどうかは、ちょっと自信がないかな」
わたしの視線の先に、ブルーシートの上に載せられた黒のワゴン車。後方はそれほど変形していないが、やはり、急速に記憶が呼び起こされるという事がない。
…………うん、ない。
「ナンバーとかエンブレムは見なかったのか?」と、美衣。
「突然のことだったし、チェックする心の余裕がなくて……」と、あさひ。
「わたしの場合は自転車で追いかけることに夢中で、色々確認を怠っていたから」
「…………」美衣は表情を固まらせた。「同時に目撃していても、その後の行動にかなり育ちの差が出てしまったみたいだな……」
ぐうの音も出ない。美衣の毒舌は反論の余地を一切見せない。これでよく友達付き合いができるなぁ、なんてよく思うけれど、美衣も意外といい子なのである。
「おーい、君たち」
いつの間にかテープの向こうに入っていた友永刑事が、わたし達に声をかけた。
「ちょっと来てくれ。もう少し間近で確認してもらうから」
間近で見てもたいして印象は変わらないと思うけど……まあ、呼ばれたからには行くしかない。何事かと野次馬が向ける好奇の視線をかわしつつ、わたし達はバリケードテープをくぐって友永刑事の元へ駆けて行った。
予想はしていたが、間近でこのワゴン車を見ても、思い出せることは何もなかった。同じような気もするし、違うような気もする。もうこの確認作業は無駄じゃないかな。
「わたしも同感だね」隣に立つ美衣が言う。「その時に見たものと同じものを見て、その時の記憶がフラッシュバックする……そんな都合のいい事がそうそう起きてたまるか」
それは、少し苛立たしげに言うことなのか?
「というか君……君は呼んでいないつもりだったんだけど」
冷厳で不機嫌そうな外見の少女に、どこか遠慮がちな物言いの友永刑事。
「どうぞお気になさらず。わたしは話を聞きに来ただけなので」
「それなら後でキキちゃん達から聞けばいいじゃない」と、紀伊刑事。
「なるべく新鮮な情報が欲しいので。それに、説明力に関して未知数のキキたちに説明を期待する前に、現役の警察官の説明をまずは聞いておきたいですから。仮にも社会人なら中学生よりも説明力は高いでしょうし?」
「いちいち相手の神経を逆撫でしなけりゃ気が済まんのか、このガキ……」
小言が聞こえていますよ、紀伊刑事。でもわたしは指摘しなかった。
「ところで、この車には誰か乗っていたのですか?」とキキ。
「ええ、今はもう搬送されてここにはいないけど」
「搬送って……」
「……男性が二人、運転席と助手席で亡くなっていたわ」
紀伊刑事が言い淀んだのも当然だった。目の前で起きた事ではないが、人の死という現実に直面させることが、普通の中学生にとっていかに辛いことか。尋ねたキキも「そうですか……」と言って俯き、噛みしめるような表情を浮かべた。ただわたしには、それが悔しさのようにも見えたのだ。
それにしても、誘拐に使われたと思われる事故車両から、男性二人の遺体……恐らくその二人が誘拐犯なのだろう。それなら……。
「あの、みかんは……?」思いつめた表情のあさひ。
「車中にはいないわ。だけど、ドアも窓も全て施錠されているし、外側と違って内部はほとんど無傷だった。車外に飛び出て川に流されたという可能性はなさそう」
「もっともそれは、これが本当に誘拐で使用された車両であった場合の話だが」
「そうですね、友永さん。そもそもここで発見されること自体が、もみじちゃんの証言と食い違っていますから」
「どういう事ですか?」事情を知らない美衣が尋ねた。
「もみじちゃんの話だと、逃走車はあの方向に行ったそうなんだ」
友永刑事は、みかんの家のある方向から少し南に逸れた方角を指差す。
「土波川の下流の方か……確かに食い違っているな」
そうなのだ。土波川は例の古い木造家屋がある辺りを源流として、この川原、そしてみかんの家がある辺りを蛇行して、そのまま東へと流れている。逃走車は大雑把に南東の方角へ向かっていた。つまり逃走する途中で川に落ちたとしても、これでは下流から上流に移動した事になるのだ。
「ひょっとしたら、よく似ているだけで、事件とは無関係の車かも……」
「無関係ではないと思いますよ」
キキの声。どこにいるのかと思ったら、ワゴン車の後部座席を覗き込んでいた。これで慌てるのはもちろん警察である。
「ちょっ、ちょっとキキちゃん……」友永刑事が駆け寄る。「困るよ、まだ鑑識も十分に調べたわけじゃないのに……」
「触ってはいないので、どうぞお気になさらず」
「気にするよ! 何なの? あのセミロングの子と言う事が一緒じゃないか」
「美衣って言うんです。覚えておいてください」
「そうじゃなくて、話をはぐらかすんじゃないよ」
はぐらかしているというより、噛み合っていないような気がする。
「それより、あそこに金色の髪の毛が落ちていますよ。シートの隙間に」
「人の話を……え、何だって?」
「みかんの髪の色と同じ……あっ、あの青いアクセサリもある」
「ホントに?」
思わず反応して大声を出してしまった。廃屋で死んでいた白ネコ、その首輪から引きちぎられたと思われる青いハート形のアクセサリが、この車に中にあった。いよいよ無関係とは思えなくなってきた。
「待って。まだ拾わないで。一応証拠品だから……」
最初から手袋を装着していた友永刑事が、座席の下に転がっていたというアクセサリを拾い上げた。
「ふむ……根元から金具を外したみたいだな。真新しい削れた痕がある」
「ちょっと貸してくれませんか」無遠慮に手を差し出すキキ。
「あのね……貸すように頼むにしても、まずは手袋をつけてからにしなさい」
貸すこと自体に文句はないのかい。やっぱり刑事としてどこか抜けているな。
「あ、そうですね。えっと、手袋手袋……」
なぜか地面を見回すキキ。そんな所に手袋が落ちているとでも思ったのか。わたしは呆れて頭を抱える。どうやらまだ本領発揮とはいかないらしい。
「ほら、手袋。貸してあげるわよ」
同じく呆れていた紀伊刑事が、見かねて自分の手袋を渡してくれた。
「あ、ありがとうございます」
とびきりの笑顔で受け取った後、アクセサリを指でつまんで、日光にかざしたり指で弾いたりして調べ始めた。何か思い当たることでもあるのだろうか。
やがてキキは、やることは決まったと言わんばかりに頷いた。
「紀伊刑事。密閉できるビニール袋、貸してください」
「え、ええ……」
なぜだろう、この場の空気がいつの間にかキキに支配されていて、誰もキキの頼みを素直に聞く事に疑問を感じなくなっている。こうやってキキは自分のフィールドに他人を引き入れるんだろうな。
紀伊刑事から受け取ったビニール袋にアクセサリを入れると、キキは周辺を見回し、見つけた岩の上に袋を置いた。何が始まるのだと、全員がその動向に括目している。
そして全員が見ている前で、キキは堂々と、その袋を靴のかかとで踏みつけた。パキッという音が聞こえた気がした。
「だぁ―――――っ!」
「ちょっと! 何やってるのよキキちゃん!」
周章狼狽する刑事たち。見ている分には面白いが、正直に言って笑えない。何人も岩の周りに集まって来たが、その一方でキキはすました表情をしていた。
「もみじよ……」あさひが呟いた。「何度も剣道の試合を経験し、度胸を培ってきたもみじに問う。人前で大事な証拠品を踏みつぶす、勇気と度胸はありますか」
「あるわけがないでしょ」
そう。ある意味わたしよりも胆が据わっている。それがキキだ。形容しがたい事態にあさひも困惑を隠せないようだ。
「あーあ、大事な証拠品を……ん?」
見るも無残に砕け散ったアクセサリを見ていた友永刑事が、青色プラスチックの破片に混ざった何かを見つけた。
「何だ、これ……」
「何かの機械みたいですね。大体一センチ四方……最初からアクセサリの中に?」
「すぐにこれを鑑識に回してくれ」
「はーい」紀伊刑事は袋を取り上げて去って行く。
「何だ、そのやる気のなさそうな返事は……」
友永刑事の呟きは多分聞こえていない。本当、分かりやすい反応ばかりする人だ。本人が気づいていないのなら無意味だけど。
ところで、証拠品を粉々にしたキキは満足そうに微笑んでいる。何かひとこと言ってやりたくて、わたしはキキの肩を指でつついた。
「どうしたの?」
「あんた……これでいいと思ってるの?」
「もちろん!」
この状況で、はち切れんばかりの笑顔。逆に羨ましいくらいだ……。
それから三十分後、友永刑事の携帯に鑑識からの連絡が入った。
「はい……そうか。ありがとう」通話を終えてわたし達に向き直る。「あの機械は、小型のGPS発信機だったよ。とても精巧に作られていて、市販品ではなく、基板から全てオリジナルで作られたものらしい」
あのアクセサリの中にGPSが入っていた……? どういう事だろう。
「ネコの居場所をGPSで探し出して、GPSを回収して殺害した……いや、殺害した後に回収したのか」と、あさひ。
「そこまでは妥当な推論だろうな」美衣が言う。「問題は、回収したGPSがなぜ、この車の中にあったのかという事だ」
「みかんを誘拐した後に、あの廃屋に行ってGPSを回収して……でも、そんな事をする必要があるのかな」
「確かに。その古い家は上流にあるのだから、ルートはかなり遠回りだ。ネコなんて放っておけば遠くに逃げるだろうし、誰が見つけたとしてもGPSまでは見つけられない」
「よほど大事なGPSだったのかな……ネコは死なせたわけだし」
「そのGPSにしたって、回収してすぐに処分しなかったのは引っ掛かるな」
「結果として、こうやって警察に見つかったわけだからね……」
「君たち、本当に何者……?」
中学生らしからぬ会話を繰り広げる二人に、怪訝な表情を浮かべる友永刑事。
「しかし、謎の多い事件だ。犯人に繋がるように見えない証拠品ばかり出てくる。おまけに犯人からの連絡が一切ないし……」
「そうなんですか?」美衣が反応した。
「ああ。拉致されて一日近くが経つというのに……」
美衣はそれを聞いて、しばらく無言で考え出した。
「……気に食わない」
「え、なに?」か細い声でもわたしは聞き取れた。
「別に」美衣は顔を逸らした。「キキが調べてくれるなら心配無用だろうし」
「へえ、美衣もキキの推理力は信頼しているんだね」
「もみじほどじゃないけどね。まだ何も分からないけど、キキについて行けば多分間違いない。最善の解決は無理でも、次善の解決は十分に望めるから」
どうして美衣はそこまで確信を持ったように言えるのだろう。というか、さっきのキキの突拍子のなさすぎる行動を見ても、まだ言えるのか。
「仕方がない。時間も時間だ。君たち、僕はそろそろ引き上げるよ」
「星奴署に戻るんですか?」
「ああ。本庁から来ている担当の警部に、現在の進捗状況を説明しなければならないからね」
「改めて説明するほど捜査が進捗しているようには見えませんが……」
「余計なお世話だよ、美衣ちゃん……」
頬を引きつらせて反論する友永刑事だが、美衣に聞き入れる気配はない。
「君たちも、もう帰った方がいいよ。日没も過ぎてしまったし」
そういえばすでに辺りは薄暗くなっていて、野次馬の数も減っている。それでもまだ残って携帯で撮影を試みている人がいるが。
「こちらで新たに何か分かったら、君たちにも随時報告するよ。どうやら君たちは事件の事が相当気になるみたいだし、何か思い出す事があるかもしれないし」
あるだろうか。あの日見た事は残らず話したと思ったのだけど……警察は単に、情報収集に貪欲なだけなのだろう。
「ならば、翌日にわたしの家に集まってはどうだ」美衣が提案した。「明日は土曜日で休みだし、捜査会議もどきをやりたいなら部屋を貸してあげよう」
「どうしたの、美衣らしくもない粋な提案を」
「わたしらしくない事は認めるが、ただで貸すとは言ってない。何かしら結論が出せなければ承知しないからな」
一介の中学生相手にそれは無茶というものだろう。美衣が誰を相手にしようと優しさを示す事など滅多にないって、重々分かっていたはずだったのだが……。
「まあ、ここはお言葉に甘えてお邪魔しようじゃないかい。キキを見ていても分かるが、ここでじたばたしていても、どうなるもんでもねがんべ」
あさひは通常運転に戻ったみたいだ。そのキキはどこに行ったのだ。
いた。さっきから一言も話さないと思ったら、会話の輪から外れて橋の上をじっと眺めていた。橋の上はまだ野次馬が二十人くらい残っている。
わたしはキキの頭を手刀で軽く叩いた。
「おい。何をしている。帰るぞ」
「うん……」
キキはそれでも視線を橋から外さなかった。どこか険しさを帯びた表情で。
「どうしたの?」
「ん、何でもない」キキはようやく踵を返した。「ねえ、もっちゃん」
「なに? てかもっちゃんと呼ぶな」
「……犯人は現場に戻るって、本当なのかな」
振り向きざまにキキは言う。憂いを感じさせる、やや寂しげな笑顔で。
わたしは思わず橋の上に目を向けた。携帯を握っていないのは二、三人。それ以外は全員携帯で撮影をしている。誰もが違う恰好をしているはずなのに、みんな同じ顔に見えてしまうのは何故だろう。
胸の奥がざわざわと騒がしい。自分の目に映るもの、全てが虚構にすら思える。その仮面の奥にある闇を、わたしは決して見通せない。
それでもただ一つ……大好きな親友、その笑顔だけは、信じられる気がした。