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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第一章 長く長い誘拐の軌跡
6/47

その6 捜査開始!

 <6>


 一夜明けて金曜日。今日の放課後は普通に部活動が実施される。

 しかしわたしは、朝に携帯に届いたメールに従って、早めに帰宅しなければならない。その事情をどのようにして説明するか、わたしは道場の入り口の前に立って考えた。そして一分ほど考えて結論を出した。

 その場しのぎでよかろう、と。わたしの場合、どんなに考えてもこの程度だ。

「へえ……この私が、理由も聞かずにあなたの早退を認可すると、そう思ったわけ」

 四ツ橋学園中学校剣道部副部長、全女子部員を()べる指導長という役職に任ぜられている、三年生の風戸(かざと)理恵(りえ)先輩。しなやかなプロポーションと涼しげな美貌、道着を装着すれば一切の隙を見せない鮮やかな竹刀(さば)き。彼女に敵う者は、少なくともこの学校の剣道部には一人もいない。

 そんな彼女が、パイプ椅子に腰かけて(あで)やかな仕草を交えながら、皮肉を帯びた笑みを向けて言った。金縛りに遭ったかのように固まるわたし。

「あなたのことは特別に目をかけてやったつもりだけど、そんなに甘く見られていたとはねぇ……」

「あ、あの、これはあくまで、可能ならばという話で、どうしてもということであれば、わたしは、その……」

「いいわよ」

 いいのかよ。わたしは思わずずっこけた。狼狽して色々言い訳を重ねようとしていたわたしが、まるで道化みたいじゃないか。

「いつでも熱心に鍛錬を重ねているし、あと一日休んだ所でそれほど実力が落ち込むとも思えないしね。ただし、条件がある」

「条件?」

 そこはかとなく嫌な予感が。

「今ここで私と勝負して、私から一本でも取れたらあなたの早退を認めましょう」

 予想はしていたけれど、やはりそう易々と認めてくれるわけがなかったか。力なく返事をした後、他の部員が見ている中で先輩との勝負が始まった。

 結果、善戦したものの、一本も取れなかった。

 わたしは他の部員が相手なら一度も負けた事はないけれど、風戸先輩相手に勝った事はまだない。だから別に悔しいとは思っていない。むしろ、これから事件の調査に参加するのが遅れてしまうという事で、キキたちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「よし。坂井さん、帰っていいわよ」

 先輩の予想外の一言に、再びずっこけるわたし。

「あ、あの……わたし、一本も取れていませんが」

「ええ」風戸先輩はあっけらかんと言う。「一本でも取れたら早退を認めるとは言ったわよ。でも、一本も取れなかった時にどうするかなんて言ってない」

 周りの部員からも「えー……」という声が聞こえてくる。

「……それってありですか?」

「坂井さんって数学苦手? 論理的には間違ってないわよ」

 天はこの先輩に何物でも与えているようで、風戸先輩は勉強もかなりできる。学年一位を取った事はないらしいが。その先輩がここまで言うからには、恐らく冗談のつもりではないのだろう。

「えーと……お気遣いは大変に嬉しいですが、もしかして最初からこのつもりで?」

「ええ。部活のある日は一度でも坂井さんが戦っている姿を見ないと気がすまないの」

 どんな性格だ。

「それに、朝からあなたも様子が変だったし、早退するにも何かのっぴきならない事情があるのだと思っていた」

「え、朝? いつの間に見ていたんですか」

「部活のある日はあなたのコンディションを直に確認しないと気がすまないの」

 だからどんな性格だ。

「さあ、用事があるなら早く行きなさい。何があったのか知らないけど、用事が終わったらまたいつものようにしごいてあげるから」

 苦笑しかできない。それでも割と楽しみに思えるから、困ったものだ。

 道場を出ると、わたしは真っ直ぐ校門に向かう。予定外の試合、もとい風戸先輩のわがままで少し時間を取られてしまったので、ちょっと急がなければならない。

 その直前、功輔と偶然に出くわした。功輔はこれから部活のようだ。

「おっ、もみじ、行くのか?」

「うん。みんなで決めた事だから」

 功輔は昨日の事件の事を知っている。割と鋭い奴なので隠し通せないと思い、わたしが自発的に話したのだ。もちろん、キキの推理も。

「そうか……あまり無茶はするなよ。凶悪な犯人なら、腕っ節だけじゃ対応できないだろうし」

「お気遣いどうも。なるべく慎重に調査するよ」

「誘拐犯の目的が判然としない以上、情報収集には慎重を期すべき……俺も、そのキキって人の考えには賛同するけど、言うほど簡単な事ではないと思うんだよな。俺も加わりたいところだけど、生憎(あいにく)、部活が忙しくて」

 功輔がわたし達の調査に参加する必要性は感じられないけど……。

「お構いなく。功輔が想像している以上に、キキは頼りになるから」

「お前が全幅の信頼を寄せるとはねぇ……そんなに頭が切れるのか?」

「そう思った事はあまりないけどね」

「ないのかよ。じゃあなんでそこまで信用してるんだ」

 功輔こそ、何をそんなにムキになっているのだ。

「うーん……何となく、信じたくなるんだよね。あいつを見ていると」

「答えになってない答えをどうもありがとう」

 皮肉っぽく言い返す功輔。どうやらこれ以上話したい事は無いようだ。

「サッカーの練習、頑張りなよ。それじゃ」

 それだけ言ってわたしは功輔の横を通り抜けていく。冷たいと思われたかもしれない。けれども、それで功輔がわたしを見限る事はないと知っていた。

 ふと思いついて、立ち止まり振り返る。

「そうだ。功輔、ちょっと訊きたい事が……」

 いなかった。話は終わったと感じて、さっさとグラウンドに行ったらしい。まあ、わたしと功輔の関係性などこの程度だ。

 功輔も国語以外なら割と出来るやつだから、さっき風戸先輩が論理的に正しいと言った事の真偽を確かめてみたかったのだけど。一本でも取れたら早退を認める、それが正しいとして、一本も取れなかった場合にも早退を認めるのは、果たして論理的に矛盾していないと言えるのか。


「正しいよ。あくまで論理的には、だけどね」

 あさひはポテトチップスを頬張りながら言った。

 結局約束の時刻から少し遅れてしまったけれど、二人とも何も言わなかった。場所は、みかんが拉致された現場である空き地。昨日だけで警察が粗方調べ尽くしたのか、立ち入り禁止とはなっていなかった。

「『AならばB』という命題が正しい時、否定されるのは『AならばBでない』『BならばAでない』という命題だけ。それ以外のAとBを一つずつ使った含意(がんい)命題は全て正しくなる。この場合、『先輩と試合して一本取る』というのがあくまで仮定で、『早退を認める』というのがその仮定の下での話だから、最初の仮定を否定してしまえば、その話を守ろうが破ろうがお構いなし。だからその先輩の行動は、論理的には間違ってないのよ」

「…………」

「まあ、日常生活の場合、『AならばB』といえば『BならばA』という図式も暗黙のうちに認めるから、腑に落ちないのも無理はないけど」

 全く理解できない説明をどうもありがとうございます。言わないけど。

「ところであさひ、そのポテトチップスはどこで?」

「ん? ここに来る途中で購入した」

 堂々たる買い食い宣言。それでいいのか、生徒会役員よ。

 わたしとあさひのそんなやり取りには目もくれず、キキは地面を見ていた。ここに来て何か考えが浮かんだだろうか。

「段ボール箱はもうないね」

「一応警察が持って行ったみたいだよ。でも目ぼしい物は何もなかったって、友永刑事が言ってた」

「いつの間にそんな連絡が?」と、あさひ。

「朝起きてすぐに電話したの。捜査状況、知りたかったし」

「それで簡単に教えるのか、あの刑事は……まあ隠すほどの情報でもないか」

 今後も警察の情報を手に入れる手段として、この方法は効果的みたいだ。それと警察官としての信頼は別物だが。

「で、これから何を調べるの? キキの発案で集まったわけだけど」

「いやあ、具体的には何も……とりあえず、もっちゃんが追尾したルートをもう一度辿ってみようかな、と」

「それが妥当だね。ていうかもっちゃんと呼ぶな」

 聞いているわけはないけど、一応突っ込んでおく。

 あの時、みかんを拉致した車は空き地から発進し、真っ直ぐに土波川へ向かった。川に架かっている橋を渡り終えると、直後に十字路に差し掛かる。左右に伸びる道路は土波川の流れに沿っている。右に行けば隣接する璃織(りおり)区……星奴町の西端の地区に至る。左に曲がればすぐにみかんの家に辿り着く。

 ……ここまで検証するだけで、明らかにおかしな点が浮かんだ。

「なんでこっちの方向に来たんだろう。誘拐したみかんの自宅があるルートなんて、犯人からすれば避けたがるのが普通だよね」

 キキが言うところの“普通”がわたしには分からないが、後ろめたいことをした時に、それを連想させるものに近寄りたくないという心理は理解できる。

「何か目的があったのかも……ここに来て、やりたかった事が」

 その、やりたかった事というのは、先に進めば見えてくるだろうか?

 わたしの疑問をよそに、キキは十字路の真ん中に立って考え込む。キキの推理力や洞察力をわたしは買っているつもりだけど、こうして思案する姿勢は、正直に言って似合っていない気がする。

 やがてキキは薄く目を開ける。みかんの家がある方向を(おもむろ)に指差した。

「車はあっちの方向に向かった……あのまままっすぐ行けば神奈川。県境を越えたいだけなら、もっと早く行けるコースがあったはずだけど……」

 キキが何やらぶつぶつと呟いているが、どんな思考が働いているのか……。

「……よし、行き先変更」

 そう言ってキキは、十字路を左に折れてみかんの家へ。全く周りが見えていないのか、わたしとあさひの存在を完全に忘れている。とにかく追いかけよう。

「ちょっと、逃走ルートを探るんじゃなかったの?」

「それはまた今度。ちょっと思いついた事があるから」

「何を思いついたの?」

 素人の捜査ごっことはいえ、思いつきでころころ方針を変えていいのか。

「犯人がわざわざ、心理的に避けたいと思えるルートをあえて選んだのなら、それは陽動の可能性が高いと思う。でも警察は間違いなくこのルートを重点的に調べる……」

「だから警察とは違う方針で調べるって事?」と、あさひ。

「そう。警察が一番目をつけていない手掛かり……それはネコ」

「犯人がみかんをおびき出すために使った、あの白ネコ?」と、わたし。

「うん。あのネコについていた首輪とアクセサリは、必ず何か目的がある。そこから犯人の手掛かりが得られるかもしれない。賭けには違いないけど……」

 そりゃあ、何ら確証があるわけでもないから警察も動かないのだけど。

「あれからまだ一日しか経ってない。わずかでもにおいは残っていると思う」

「確かに警察犬とかだったら探せるかもしれないけど、今それは無理だよね?」

「そう。だからみかんの家に行くの。あの家に確か犬が一匹いたはず」

 みかんが犬を一匹飼っている事はわたしも知っているが、警察犬の代わりに普通の犬を使ってどうなるものではないと思うが……。

「ああ、それなら名案だわ」

 あれ、あさひは意外に肯定的だ。

「どういうこと?」

「前にみかんが自慢げに言ってた。みかんの家のゴールデン・レトリバーは嘱託警察犬の資格を持っていて、二回ほど警視総監賞を受賞した事があるとか」

「……しょくたく? 捜査の現場で料理をするとか?」

「頭の中で誤変換されたな。違う。普段は民間で飼育されていて、警察からの要請に応じて出動できるように訓練された特別な犬のこと。逆に、警察が所有している警察犬のことを直轄警察犬と呼ぶ」

「へえ、そうなんだ」なぜかキキが反応する。「みかんの家の犬ってそんなに優秀だったんだね」

「知らずに使おうとしたんかい」呆れるあさひ。

「だって、犬ならそういうこと、誰でも出来るかと思ったから」

 こいつの調査は完全に運任せだ。先が思いやられる。でも名案には違いないから、乗ってみる価値はあるだろう。

 とはいえ、どうやってその犬を借りればいいのか。朝に電話で友永刑事から聞いた話だと、まだ身代金要求の連絡は来ていないので、引き続き捜査員が家の中で待機しているという。屋敷の周りが静かだという事は、恐らくその状況は何も変化していないのだろう。柑二郎も捜査員の付き添いの上で出勤していて不在だし、捜査員にどう言って犬を借りるか……。

 キキはその事について、特に考えている素振りはない。門扉の柱に寄り掛かり、何もせずに佇んでいる。どうやら当てがあるみたいだ。

「三十分ほど待ってみようよ」

 その言葉通り、門の前で三十分ほど待っていると、一台のマイクロバスがゆっくりと近づいて来て、門の前で停止した。車体には『絵笛保育園』とプリントされていた。

 しばらく経って発進したマイクロバス。その停車していた場所に、あの双子の姉妹が並んで立っていた。保育園の制服を着ていて、どっちがいちごでどっちがりんごなのか、なおのこと区別がつかなくなる。でも可愛いなぁ。

 そして、さすが双子というか、同時にわたし達の存在に気づいた。

「あれ? きのうのおねえさんたちだ」

「きのうのおねえさんたちだー」

 とことこと駆け寄ってくる二人に、キキはすかさず尋ねた。

「ねえねえ、ちょっと頼まれごと、していい?」

「「なぁに?」」

「この家でワンちゃんを飼っているでしょ? お父さんも家政婦さんも忙しそうだから、代わりにお姉さんたちが夕方の散歩に連れて行っていいかな」

「いいよー」

「かせいふさん、いつもたいへんそうだから」

 キキは恐らく想定していただろうが、二人は快諾してくれた。それにしても、この歳で家政婦へのねぎらいが出来るとは、本当にこの双子はいい子だなぁ。

「ありがとう。それじゃあ、ワンちゃんに会わせてくれるかな」

「「わかったー」」

 そう言って二人は巨大な鉄柵の門扉を開けて敷地に入っていく。一応車輪とレールがあるから、二人分の五歳児の力でも開けられるけど、これって電動式ではないのか……?

 双子に案内されて、庭を突っ切って敷地の奥へと進んでいく。その間に、キキに訊いておきたい事を訊いておく。

「ねえ、あのタイミングで二人が帰ってくると分かっていたの?」

「うん。玄関にあった二人の靴、どちらも名前が書かれていたから、保育園とか幼稚園に通っている事は予想できたし、昨日も平日なのに、わたし達が来る前からもう家の中にいた。だからわたし達がこの家に来た時刻より前に、柑二郎さんの車か保育園の送迎バスで帰ってくる事は予測できたよ」

 相変わらず鋭い観察力だ。よくそこまで見ているものだな。

 そうして庭の隅に辿り着くと(辿り着くまでに一分を費やした)、テラスのそばの犬小屋の中で寝そべっているゴールデン・レトリバーと対面した。なるほど、手入れも行き届いているようで、綺麗なクリーム色の毛をしている。

「「こちらが、うちのいぬの“クロ”です」」

 ……どんなセンスをしているのだ。

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