その5 卓上の少女たち
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「おねえちゃんたち、だれ?」
「だぁれ?」
幼い女の子の声が聞こえてきた。振り向くと、奥に通じるドアの隙間から、日本人形を彷彿とさせる二人の小さな女の子がこちらを見ていた。
二人……で、いいはず。片方が鏡に映っているわけじゃない。
「いちご、りんご……部屋で遊んでいなさいと言っただろう」
「だってしたがうるさいんだもん」
「きになるよ」
「それより、こちらのおねえちゃんたちはだれ?」
「だぁれぇ?」
他にも恐い雰囲気の刑事が何人かいるのに、彼らには目もくれないのか。
「この人達は、みかんの友達だよ」
「おねえちゃんのおともだち?」「おともだちなの?」
「そうだよぉ」キキは笑顔で二人に近寄った。「わたしはキキって言うの。よろしく」
「いちごです、よろしくおねがいします」
「りんごです、よろしくおねがいします」
順番に名乗ってくれたけど、わたしには見分けられる自信がない。
「なるほど、右の耳たぶにほくろのある方がいちごちゃん、左にあるのがりんごちゃんだね。こちらこそよろしくお願いします」
予想していなかったわけじゃないが、キキは瞬時に見分け方を見抜いた上に、すっかりこの双子と馴染んでしまっている。
「おねえちゃんすごいね」「よくわかったね」
「いや確かに……」柑二郎も感心していた。「初見で耳たぶのほくろに気づくとは、なかなかの観察眼だ。一見のお客さんなどは、利き手でようやく区別がつくのに」
「りんごちゃんが左利きですね」キキが言う。「クレヨンが付いている袖口が、いちごちゃんは右手でりんごちゃんは左手です」
「すごーい、おねえちゃんてんさいだね」「てんさいだね」
歓声を上げる双子。確かにキキの観察眼と推理力は「てんさい」かもしれないね。忘れた頃にやってくるから。この程度なら見慣れているので、特にわたしは驚かない。
「キキって本当、何者なの?」
あまり見慣れていないあさひは、かえって呆れていた。
「この二人はミラーツインと言って、利き手などの特徴が左右で異なるタイプの一卵性双生児なんだ。ほくろはその条件に入らないけど」
柑二郎が説明してくれた。それにしても、妹がいるとは聞いていたけど、顔立ちと口調以外はそれほど姉と似ていない、双子のコンビだったとは……。
「さあ、お姉さんと一緒に遊びましょうねぇ」
キキがそう言って、わーいと喜ぶ双子を連れてドアの向こうへ。
「来ないの?」
振り返ってキキが言う。もちろんついて行くけれど、周りにいる捜査員たちの射るような視線が突き刺さるのを感じていて、どこに行っても居心地が悪そうだ。それでもこの場に放置されるよりはずっといい。
「そういうわけなので、ちょっと失礼いたします……」
雰囲気の悪化を助長することに変わりはないが。わたしとあさひは、頬を引きつらせながら応接間を出た。
キキたちはどうやら双子コンビの部屋に向かったようだ。みかんの部屋とは別々になっているが、どちらも二階にあった。
部屋に入ってみると、床に麻雀の卓と牌が用意されていた。おいおい、と言いたくなった。小さな子供相手に麻雀で遊ぶとはどういう神経をしているのだ。
「え、この麻雀セット? 元々この部屋にあったものだよ」
キキは言う。……持ち出したのはこの双子の方だったか。
鏡を持ち出さなくても、わたしが苦虫を噛み潰したような顔をしている事は分かる。別に麻雀が嫌いとは言わないが、これでもごく普通の女子中学生、オヤジくさいイメージのあるゲームにはまだ拒否反応が出てしまうのだ。疾走するワゴン車を自転車で追いかけて一度も見失わなかった時点で、ごく普通ではないけれど……。
大体わたし、ルールを知らないし。
「どうする? 三人でやるバージョンもあるけど……もっちゃんとあっちゃんは?」
「わたしはパス。ていうかもっちゃんと呼ぶな」
「仕方がない、ここはわたしが相手になるか」
あさひは袖をまくりながら卓の前に座った。仕方がない、とか言っていますけど、やる気満々にしか見えませんが。
そういえば……キキはあさひのことをいつも「あっちゃん」と呼んでいるが、あさひがその事で突っ込んだ所を見た事はない。わたしが気にしすぎなのか? それとも……キキが気にしなさすぎなのか?
そして四人でゲームを始めたわけだけど、近くで見ていても、何を考えて牌を捨てたり取ったりしているのか、さっぱり分からない。ほとんどの場面で無言だから、見ているだけのわたしは非常に退屈している。
いい加減に沈黙を破りたいと思ったのか、キキが口を開いた。
「そういえば、二人はいくつなの?」
「ごさい!」「ごさい!」
「って事は、みかんより十歳も下なんだ……お父さんってどんな人?」
「とってもやさしいの」いちごが答えた。「でもさいきんちっともかまってくれない」
「いちごがあまえすぎなの。もうごさいなんだから」
口調はどちらもみかんとそっくりだけど、性格は見事にバラバラだ。いちごは甘えん坊で、りんごはしっかり者。みかんは……両方を併せ持っているように思える。みかんが二人に分裂したみたいだ。
「ふうん……それじゃあ」キキは少しトーンを落とした。「お母さんは、どんな人だったの?」
過去形? 双子はさっきまでと打って変わり、無言で俯いた。この状況を見て、わたしは何があったのかを察する事ができた。
「わかんない……わたしたちがうまれてすぐに、てんごくにいっちゃったって」
「びょうきだったって、おとうさんがいってた」
「そっか……」
キキはこの部屋に来る前から気づいていたのだろうか。みかんとこの双子の母親が、すでに他界している事に……。
「どんなかおだったんだろう……とてもきれいだってきいたよ」
「そうそう、おねえちゃんとそっくりなんだって」
「でも、おねえさんはどうして、おかあさんがいないってわかったの?」
「ねえ、どうして?」
キキは困ったように笑った。「うーん……何となく?」
答えにくい理由は分かっていた。多分キキが母親の死に気づいたのは、娘が誘拐されても母親らしき人物が現れなかった事と、みかんの口から母親の存在が一度も語られなかった事があったからだ。でも、恐らくこの双子は、みかんが誘拐されたという事実を知らされていない。だからキキは言えなかったのだ。
それにしても、みかんとそっくりで綺麗な母親か……みかんは綺麗というより、可愛いという印象が強い女の子だと思うけど。
「…………ロン」
ずっと沈黙を守っていたあさひが、ここに来て何やら呟いた。
「えっ?」
その呟きに残りの三人が一斉に反応した。あさひは自分の前に並べた牌を、一斉に倒して見せた。三人が顔を近づけて凝視する。
「えっ、嘘……国士無双十三面待ち?」
「「だぶるやくまん!」」
何を言っているのですか、この方々は。わたしは微塵も理解できないよ。
「はい一人勝ち」あさひはあくまで冷静さを装っていた。
「くっそぉ、油断した……次はもっとでかい役で和了ってやるからね!」
「ほっほっほ、このわたしを相手にそんな口が叩けるかしら?」
相変わらず口調がブレまくりのあさひである。何が何やら。
もうすでにわたしは、卓を囲んだ会話に興味を示さなくなっていた。牌の動きも会話の内容も意味不明、これでついて行くというのも無理な話だ。なんか、功輔が以前に友人と野球の話をした時も、同じ心境だった気がする。わたしにとって麻雀と野球は、ルールが分からないという点で紙一重だ。
とりあえず今は、お腹がすいたという事しか考えていない。おやつがないかな。
わたしはそうでもないけれど、キキとあさひは麻雀に熱中していた。気が付いた時には午後六時を過ぎていて、外は完全に真っ暗になっていた。十月も後半に入れば、こうなる事は分かっていたはずなのに。
わたしが所属する剣道部では、冬の交流試合が近くなれば暗くなるまで練習することもあるけれど、だからわたしが暗い夜道に慣れているかといえばそうでもない。まして誘拐事件が起きた直後に、何一つ不安を覚えずに夜道を歩けるだろうか。
こうなるともう、途方に暮れるしかない。
「真っ暗だねぇ……」
三人で並んで屋敷の玄関前に立ち、宵闇の空を仰ぐ。
「夢中になり過ぎたな。どうする? 誰かに送ってもらう?」
是非ともあさひの言う通りにしたいところだが、誰に頼むと?
「あれだけ捜査員たちの心証を損ねたわけだからね、どの面さげて頼んでるんだ、って言われるのがオチだと思う」
「そこまで?」と、キキ。
「言い方はもうちょっとソフトかもしれないけど」
「おい、お前ら」
機嫌の悪そうな声がした後方を振り向くと、さっきまで柑二郎と共に録音装置の前で座っていた男性刑事が、腕組みをして仁王立ちしながら睥睨していた。
「被害者の父親から、お前たちを自宅まで送ってほしいと頼まれたのでな、交代になったので俺が送ってやる」
あらまあ。意外にすんなりと事が運んだ。拍子抜けしそうだ。
「ありがとうございます」キキは笑顔で言う。「それにしても、警察じゃなくみかんのお父さんから頼まれるなんて」
「お前があの双子のことで余計な知恵を巡らすから、あの父親も無条件でお前を信用してしまっているんだよ」
なるほど、キキはこうやって周りの信頼を勝ち取るわけだ。
「この状況だっていうのに、機会があればまた遊びに来るといいなんて言いやがる。おかげで振り回されるのはこっちなんだよ」
「ずいぶん辟易としてますね、吉本さん」
「他人事のように言って……って、ちょっと待て。なぜ俺の名前を?」
「友永刑事の手帳に、六時まで吉本が被害者宅で待機って書いてあったのをちらっと」
直後にキキの頭が、吉本の右手に掴まれた。痛そうに目を細めるキキ。
「お前、一つだけ言っておく。二度と捜査に首を突っ込むな」
「…………了解です」
こうやって警察官から釘を刺されたわけだが、恐らくキキはこの忠告を守る気などさらさら無いだろう。
というわけで、わたし達は吉本刑事の運転する車で自宅に送られた。当然だけど、パトカーに乗って帰宅したわたしを見て、親は瞠目して驚いた。しかも友人が誘拐された事件の目撃者として事情聴取を受けていたと聞かされて、さらに驚く事に。よほど重大な事件で命令系統が機能しきれてしないのか、数十分くらいとはいえ警察署で話を聞かれていたわたし達に関し、保護者に事の次第を説明するという役割は忘れられていたようだ。
わたしは夕飯後に自室に入ると、ベッドに仰向けに倒れ込む。
麻雀に興じていたキキやあさひも、今のわたしと同じ心境だと信じたい。目の前で、何の前触れもなく発生した誘拐事件。その被害者は大切な友人。……正直、明日からいつも通りに学校に行ける気がしない。現実に起きた事という実感すら湧かない。
こんな大きな事件は、警察に任せた方がいい事は明らかだ。しかし、出過ぎた真似だと分かっていても、何もせずにはいられない。
キキが言っていた。慎重に情報を集めて、犯人の思惑通りに動かないようにする。それがみかんを無事に救い出す方法だ。それなら、わたし達が動く事は犯人にとって、間違いなくイレギュラーな事に違いない。
……あとは、他の二人が同じ結論に到達していることを祈るのみだ。
でも、きっとそうなるだろうと、わたしは心のどこかで確信していた。