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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第二章 咎人のタイムリミット
44/47

その24 キキの取り調べ

 <24>


 さそりの無事を伝えた後、キキはわたし達に、福沢を連れて星奴署に来るように言ったはずだ。しかしわたしは、功輔から送られてきた誘拐犯の写真をキキの携帯に送った後、どういうわけか星奴署から離れた場所に向かっていた。

 福沢の運転するレンタカーで、警察への説明も後回しに連れてこられたのは、見覚えのある建物だった。夜の闇の中でもはっきりと分かった。みかんを誘拐した犯人たちがネコを誘い入れて毒殺した場所であり、十四年前に篠原氏の遺体が発見された場所。そう、あの廃屋である。

「……なんだってここに?」

 不気味な廃屋を目の前にして、わたしは福沢に尋ねた。

 一週間も経たないうちにまた来るとは思っていなかった。しかも、前回はまだ日の高いうちに見ていたから平気だったが、今は夜。得体の知れないモノが潜んでいそうな雰囲気が漂っていて、接近を躊躇わせる。

「覚えているか?」福沢は廃屋を眺めながら言う。「三か月前までこの廃屋を所有していた人の名前を」

「田中広治さんですよね。キキは偽名だと決めつけていましたけど」

「サインの筆跡を調べない事には確定できないが、恐らくそいつの正体は、この一連の事件の犯人だ。篠原氏の娘を誘拐した人物でもあるが」

「つまり……桧山努さん?」

 功輔からメールに添付されて送られてきた写真には、白のワンボックスカーの運転席にいる桧山の姿があった。一度しか会ったことのない人だけど、はっきりと分かった。

「ああ。君たちの調査を主導していたのが娘さんだと思って口を塞ごうとしたのなら、それは犯人であるからだ。そしてそいつは、この場所に何か都合の悪いものを隠している。篠原氏の遺体を遺棄したのは、篠原氏の死によって手放された廃屋を、誰にも買い取らせないようにするためであり、同時に誰も近づけさせないためだ」

「つまり……」と、あさひ。「ここには、桧山さんが事件の真犯人である事を示す、確かな証拠があるはずだと?」

「そうだ」

 福沢は何やら自信があるようだが、あさひは目を細めて眉根を寄せた。気持ちは分かるぞ。奴の主張する事には何ら根拠がない。

「一応聞きますけど、その考えは当て推量などではないですよね」

「無論だ。俺や朝沼がここを調べ始めたタイミングで、桧山は朝沼の部屋に侵入し、そして俺を罠に嵌めようとした。ならば、この廃屋に何かあるはず。普通に考えりゃ、ここを調べたところで犯人の正体に辿り着けるわけがない。神経質なまでにこの廃屋を調べようとする人間を排除しようとするのは、後ろめたいことがある奴だけだ」

 それなりにまともな理由はあったみたいだ。

「そう考えれば、ここは犯人にとって非常に意味のある場所だと思われる。恐らく、殺人の動機となるようなものだけじゃない、もっと重要なものも隠されている……」

「週刊誌記者のテンションで考えていませんか」

「一種の職業病だな」福沢は肩をすくめた。「詳しい説明は友人から聞けばいい。今日一日の調査だけで色々分かった事もあるだろう。俺が今から話そうとすれば時間が足りなくなってしまうから、とりあえず二人は俺の仮説を検証すると捉えてくれ」

「検証って……まさか、今からその証拠とやらを探すんですか?」

「見つけられる保証があればそうするだろう。しかし……どうかな。土に埋められれば跡形もなく消え去っているかもしれないし」

 えらく計画性に欠ける行動だな。ここまでキキといい勝負でなくてもいいのに。

「まあ、警察犬が本気で調べたら、事情も変わるかもしれないが」

「民間で所有している嘱託警察犬なら、以前ここに来ましたよ。でもネコの死骸以外、何も見つけていませんが」と、あさひ。

「それは猫だけを探していたからじゃないのか? 土の下に埋まっている怪しげなものまで探すように命令したわけではないと思うが」

 おっしゃる通り、土に埋められているという前提で探してはいない。しかし、福沢はまるで見ていたような指摘をする。これにも何か根拠があるのだろうか?

 そういえば、キキも言わなかったから忘れていたけど……。

「あっ、さそりが無事だったこと、みかんにまだ伝えてなかったな」

「そうだね……警察は多分、みかんが関わっている事を知らないし、早く安心させた方がいいだろうな」

「あさひからかける?」わたしは携帯を差し出した。使わないだろうけど。

「遠慮する。わたしが相手だと興奮して会話が難しくなるだろうから」

 さよかい。みかんはまだ病院内にいるから、メールの方がいいだろう。わたしは電話帳からみかんのアドレスを選択した。

「そうだ、ついでにクロを借りられるように頼んでおこう。この状況じゃ、警察犬の出動は期待できそうにないし」

「意外とやる気だな。まあ、それが得策か」

「クロ?」福沢が尋ねてきた。

「さっき言った嘱託警察犬の名前です。友達の家が飼っているんですよ。体毛の色はどう見ても黒じゃありませんけどね」

「君らの周りには変わり種が多すぎるだろ」

 自覚はある。これも類が呼んだ友である所以かな。

 その後、みかんから返信が届いた。要約すれば「安心した」という内容の長文メールだが、最後にクロを連れて行くように家政婦に頼んだと記されていた。どうやら福沢のお望みどおりの展開になってきたようだが、果たしてこの賭け、吉と出るか凶と出るか。

 まあ、多分何が出たとしても、わたしにとっては凶なのだろうが。


 羽田空港を管轄に持つ東京空港署から、少女略取と殺人未遂の容疑者として桧山が移送されてきた。移送に付き添った東京空港署の捜査官は、桧山の身柄を引き渡した後、星奴署の会議室で、確保後の状況を木嶋に説明していた。

「すると、現状で桧山は全ての罪状を否認しているわけか」

 木嶋の問いかけに、東京空港署刑事課の大垣刑事は首肯(しゅこう)して答えた。

「桧山の所持品からは、被害者の少女の物と思われるスマホが見つかっています。だから略取容疑で取り調べるのは可能です。ただ桧山本人は、携帯は空港に向かう途中で放浪ホームレスから渡されたと主張しています」

「そんな言い訳が通ると思っているのか、なめられたものだな。鑑識、携帯の指紋はどうなっている」

「はい」鑑識はクリップボードを手に説明した。「ここ最近のうちについた指紋は、少女の指紋の他に二人分あります。一つは被疑者の指紋と一致していますが、もう一つの指紋はデータにありません」

「恐らく」大垣刑事は声を張り上げた。「携帯を奪った後で、誰かに触らせたのだろう。その誰かに渡されたという主張に信憑性を持たせるために。その指紋が、桧山の言うような放浪ホームレスの物だとしたら、指紋の照合が困難になると踏んだんだろう」

「しかし、桧山は鹿児島まで逃げようとしていたんだろう?」と、木嶋。

「それも本人の弁によれば、ただの出張との事だそうです。桧山が勤めている『ホーム・セミコンダクター』に確認を取ったところ、それは事実でした」

「なに……?」木嶋は表情を歪めた。

「ただ、出張の算段は桧山自らが申し出てきたらしいので、これも無関係とは言い切れません。どちらにしても、桧山の犯行を証明するものとしては(いささ)か弱いかと」

「どこぞの中学生が写真を撮っていなければ、証拠不十分で釈放となる所だったな」

 もみじの友人が偶然に撮影していたという桧山の写真は、すでに木嶋たちの手元にも渡されていた。桧山は警察に捕まった時でも言い逃れができるよう、グレーゾーンに収まるような証拠ばかりを残していたが、この写真だけは想定外だったはずだ。

 あの生意気な中学生たちが関わっているというから忌々しい、と木嶋は思ったが、捜査に寄与した以上、無下(むげ)な扱いはできそうにない。

「それにしても」吉本が言う。「桧山はどうして携帯を奪ったんでしょう。そうしなければ、我々に疑われることなく鹿児島に逃げられたでしょうに」

 大垣刑事が考えを述べた。

「我々が桧山に目をつけたのは、本庁の蛭崎警部を介してある人物からの指摘を受けたからだ。桧山は、警察がこれほど早く出動する事も、自分に目をつけることも予測していなかっただろう。少女が先に発見されてしまう事も、計算外だったはずだ」

「もし少女がまだ発見されず、我々が桧山に目をつけていなければ、桧山は今ごろ携帯を持って鹿児島に飛んでいた……」と、木嶋。

「そうすると、我々が少女の居場所を突き止めるには、スマホの位置情報に頼るしかなくなる。しかし桧山がスマホを持って鹿児島に行けば、我々は犯人が少女を連れて鹿児島に行ったと考えるかもしれない」

「なるほど、自分が先に捕まっても、携帯に他人の指紋をつけていれば、誰かにこっそりカバンに入れられたと主張しても通るというわけか……」

 木嶋のセリフに同調して、吉本も頷いた。

「実際、少女は土に埋められていたそうですから、一日発見が遅れていれば命に関わったかもしれません。桧山からすれば、自分の姿を見ているかもしれない少女を、生きて返したくないと考えても不思議はありません」

「まあ、桧山が本当にそこまで深謀を巡らせたのかは、分かりませんが」

 しかし恐らくは大垣刑事の考えの通りだろうと、木嶋は考えていた。桧山の予想になかった事態は全て偶然に起きている。その偶然が起きなかったとすれば、大垣刑事の推測は的を射ていることになりそうだ。

「少女略取に関してはどうにかなりそうですが、そちらで認識している他の罪状についてはいかがです? 星奴署の管轄でこれほどの事件は長らく起きていないから、その手の勘が鈍っているのではないかと察しますが」

「余計な心配は無用だ。犯人の素性が明らかになった今、証拠を揃えるのは決して不可能なことじゃない」

 木嶋は、今にも掴みかかりそうな手をどうにか抑制しながら、尊大な態度で大垣刑事に言った。凋落(ちょうらく)したキャリアのプライドが傷つけられている事は明白だった。大垣刑事もそのつもりで挑発的な発言に及んだのだろう。異なる所轄署の刑事が対面した時にしばしば起こる、泥仕合に等しい睨み合いである。

 しかし……キキという少女が指摘するまで、桧山の存在に辿り着けなかった木嶋に、十四年も前の事件の証拠を揃えるなんて確度の低い事を、偉そうに保証する資格などあるのだろうか。多分、また先を越されるのだろうな。吉本は密かにそう思った。

 その予感はほぼ当たっていて、今まさに進行中の出来事だった。

「いーやーだー」

 星奴署の廊下で、キキは友永刑事に手を引かれながらわめいていた。必死に抵抗しているが、無情にもずるずると引きずられている。その様子を、美衣は呆れながら見ていた。助けるつもりなど彼女にはなかった。

「なんでわたしが取調室に行かないとなんないんですかー」

 誤解の無いように断っておくが、彼女はあくまで調べる側の立場である。

「仕方がないだろう。本庁の警部からの指示なんだから」

「その警部さんはどこにいるんですか。文句言ってやります」

「一応ここに来るらしいけど、まだ来てないよ。とにかくさっさと済ませてしまおう」

 友永刑事は取調室のドアのノブに手をかけた。身をよじるキキ。

「いーやーだー、こんなところ入りたくないよぉ。もっちゃぁぁん」

 まだ来ていない最愛の友人の名前を叫んでも無意味なことで、キキは引きずられるように取調室に入った。ちなみに美衣は廊下に置き去りである。

「……わたしもいるのだがな」

 これは、自分に助けを求めなかった事への不満である。助けはしないが。

 取調室にはすでに桧山がいた。照明は天井灯のみ、備品と言えるのは机が二つに椅子が三つ。側面にはマジックミラーがある。最近の刑事ドラマはなかなか細部まで再現していて見事なものである……などと感心する余裕がキキにはない。こちらを睨みつけている桧山は、明らかに憤然としていた。

「えー……」

 キキは何を言うべきか思いつかなかった。この圧迫感のある空間で、一番緊張しているのは恐らく自分だろうと思った。

「君か、私を犯人だと決めつけていたのは」

 桧山も威圧感を込めて言った。しかし友永刑事から言わせれば、たちの悪い犯人が新人刑事にやりがちな、見せかけの威圧に過ぎないらしい。

「決めつけていたわけじゃありません」キキは言葉を絞りだした。まだ椅子には座っていない。「あくまでわたし一人の考えで、可能性の一つに過ぎないと前置きしたうえで、警察の皆さんに話しただけです」

「フン、よくもそんな詭弁を……」

「詭弁を(ろう)すればどうにかなると思っているのはお前だけだ」

 友永刑事がぴしゃりと言い放った。桧山も言葉に詰まる。キキたちの前では頼りない姿を見せていても、犯罪者の前では毅然(きぜん)とした態度になる所はやはり刑事だ。

「この場に彼女を呼ぶように指示したのは高村警部だが、言うまでもなく彼女は取り調べや犯人への追及は素人だ。これから僕が、彼女に代わって彼女の推論を話す。どっちが詭弁と呼ぶにふさわしいか、じっくり聞いて考えてみろ」

 机に手をつき、友永刑事は低い声で桧山に詰め寄って言った。キキも、取り調べを記録する係の人も、その様子を呆然としながら見ていた。優男然とした友永刑事のどこから、この逆らい難い雰囲気が醸し出されるというのだろう。

「まずキキちゃんが気づいたのは、篠原氏が実は双子であったという事実だ。これは現在戸籍調査で確認している最中だが、これが正しいとすれば……」

 キキ自身もこの推測の説明には長い時間を要すると分かっていたが、友永刑事の説明は簡にして要を得ていた。警察官はやはり身体能力のみならず、論理的思考力も多分に要求されるらしい。もっともこの人の場合、普段から書類作成を任される事が多く、話を要約する事に慣れているだけかもしれないが……それはそれでいい事だろう。

「……だから、朝沼数美の一件は自殺であると結論付けたわけだ。以上が、キキちゃんが我々に話してくれた推理だ。現時点で矛盾はないように思われるが、どうだ?」

 友永刑事の説明が終わっても、桧山は顔をしかめながら黙りこくっていた。

「……どうもこうも、根拠の足りない憶測じゃないか。そんなもので私を起訴したところで、裁判官の目の前で笑われるのがオチだな」

 友永刑事はキキを見て、惑わされるな、と言わんばかりに首を横に振った。冷静に考えればキキにも分かった。具体的な反論を最初に持ち出さず、恥をさらけ出す可能性を仄めかすという事は、相手を動揺させて自分を優勢に持ち込もうと企んでいるのだ。

 その手には乗らない。キキは深呼吸をして、残る一つの椅子に腰かけた。

「さっきも言ったように、これはわたし一人の考えですから、この推理によってあなたが犯人だと確定したわけじゃありません。警察が証拠を揃えるまでは、可能性の一つに過ぎない」

「だったら、そんな戯言(たわごと)を真に受けて、貴重な時間を無駄にする事もなかろう。ねえ、刑事さん」

 桧山はこの期に及んでも、ここにいる人たちを(けむ)に巻こうとしている。

「大体、朝沼さんの部屋に行った事は、どうやって証明する? 君の憶測を聞く限り、その証拠はどこにもないという事になる。証拠もないのに私が、あの廃屋を調べさせたくないから朝沼さんの部屋に侵入したなんて決めつける、それは強引と言わざるを得ない」

「強引なんかじゃありませんよ」

 キキが冷静に反駁(はんばく)した事で、桧山は勢いを()がれたように口をつぐんだ。

「昨日、あなたは記者の福沢大さんという人から、取材を受けましたよね。その時の会話を聞かせてもらったんですが、あなたは福沢さんの質問に対して、こう言いましたよね」

 ―――――里村なら同い年で仲もいいだろうし、確か、同じマンションに住んでいるはずだから、そっちに訊いてみた方がいいのでは。

「…………と」

「これについて否定はできないからな」友永刑事が言う。「会話を録音したICレコーダーを福沢はまだ持っている」

「フン、録音しているならそう言ったんだろう」桧山は虚勢を張っていた。「だがそれがどうした。里村が朝沼さんと同じマンションに住んでいるのは事実だろう」

「ええ、事実です。でもどうしてあなたは、それを知っていたのですか? 朝沼さんと連絡を取り合った事は一度もないんですよね? 引っ越してきたのもつい最近で、職場の人間以外に知っている人はほとんどいませんよ」

「苦し紛れに何を言うかと思えば……そんなの、ニュースか何かでマンションの名前が出ていたから、それが里村の住んでいる所と同じだと思っただけだろう」

「ありえません」

 キキはよく通る声で言い放った。

「現場となったマンションの名前は、どのメディア媒体でも公表されていません。せいぜい、『星奴町内のマンション』と表記されているだけです」

「不特定多数の被害者が出た場合や、集合住宅そのものが事件の対象になっている場合でなければ、警察もマスコミも建物の名前は出さない」友永刑事が補足した。「公表することでその建物を管理する側に不利益を及ぼさないよう、暗黙のうちに決められている」

「この事件自体はそれほど注目を浴びていないせいか、ネット上でもマンションの名前は出ていません。もちろん隅々まで調べたわけじゃありませんが、偶然に閲覧しそうなサイトや書き込みは全てチェックしています」

 美衣が、だけど。こうした作業は美衣の得意分野だ。

「つまりお前が、事件現場のマンションの名前、要するに朝沼数美が住んでいたマンションの名前を、ニュースなどで知る事なんてできないんだ」

 一転して不利な状況に追い込まれ、桧山は瞠目して冷や汗を流し始めた。かすかに震えているようにも見える。

「…………す」桧山は口を開いた。「すまん、勘違いをしていた。本当は、会社からの帰りに偶然見かけたんだよ。里村のマンションの前に、パトカーが数台停まっている所を。だから、そのマンションで何かあったんだと思って……」

「そんなことで、あれほど自然に、里村さんと朝沼さんが同じマンションに住んでいると言えるでしょうか……」

「わ、分からんだろ、そんな事は!」

「それに」キキは声のボリュームを上げた。「パトカーが数台停まっている所を見ただけじゃ、それが朝沼さんの事件で来ていたパトカーかどうかは分かりませんよ」

「いや、それは……それを見た後に、『星奴町内のマンション』で朝沼さんが殺害されたという新聞記事を見たから、それだと思ったんだよ」

「それもありえません」キキは表情を変えなかった。

「ありえないも何も、それが事実なんだから仕方ないだろう」

 必死に余裕の態度を取り繕おうとしているのが歴然だ。もはやキキは、桧山の反論を全く恐れなくなっていた。

「桧山さん。パトカーが数台、付近に停まっていた星奴町内のマンションは、同日にもう一ヶ所あったんですよ」

「…………え?」

 キキは初めて、人の青ざめた表情というものを見た。

「わたしも場所は知りませんが、一つのマンション内で複数の窃盗事件が発生して、パトカーも数台出動したそうです。翌日の新聞では、朝沼さんの事件よりも大きく取り上げられていましたが、それでも現場は『星奴町内のマンション』です」

 この事実は門間工業大学の発明同好会の部室で知ったことだ。あの場に遅れてやって来た学生の住んでいるマンションで起きた事件が、その窃盗事件だった。

「その日のうちに犯人は捕まったし、死傷者も出なかったから、新聞でも建物の名前は出さなかったし、テレビのニュースでも取り上げられなかったんだ」友永刑事が言う。

「仮にパトカーを目撃して、翌日の新聞記事を見たとして、そのマンションで起きた事件が殺人か窃盗かなんて、分かるはずがないんです」

「い、いや……」

 桧山は眼球を上下左右に動かしていた。必死で言い訳を考えているみたいだ。

「た、確か、パトカーだけでなく救急車も見たような……」

「友永刑事」キキはすかさず尋ねた。「朝沼さんが運び出されたのは何時ごろでしたか」

「六時半頃だよ。桧山、お前が会社を出たのが何時なのか、こっちで確かめてもいいが、どうする?」

 桧山は思いつめた表情で、呼吸も荒れている。調べるまでもなさそうだ。

「あなたが朝沼さんの住所を知ったのは、勤め先の編集部に電話で尋ねたからですよね。そのうえで、あなたは朝沼さんの部屋に侵入しようとした……」

「な、何の証拠があって……」

「住所だけを尋ねる目的なんて二つしかありません。家を訪問するか、手紙を出すか。でも朝沼さんの部屋に郵便物の類いは一つもないし、ゴミ箱の中にも見当たらなかった。引っ越してきたばかりで、ゴミもそれほど溜まっていなかったでしょうし、回収された可能性は低いでしょう。要するに、あなたが朝沼さんの住所を訊いてきた事自体が、あなたが朝沼さんの部屋に行ったという証拠なんです」

「か、仮に私が朝沼さんの部屋に侵入したとして、それが十四年前の事件の犯人である証明にはならないだろう。君の話は全て推論に過ぎない。住居侵入なんてたいした罪にもならないだろうから、百歩譲って認めてもいいが、そんなこじつけは……」

「そうですね。篠原氏殺害の根拠にはなりません」

 キキは力強く言った。桧山と違い、先ほどから一寸のぶれも見せていない。

「まあ、住居侵入と少女誘拐で裁判になった時、その動機について事細かく尋ねられるのは目に見えていますけど……それはもう少し先の話ですから、今は考えません。わたしが考えたいのは、十四年前の十月二十七日の夜、何があったのかという事です」

 真っすぐに向けられるキキの視線に、まるで金縛りに遭ったように固まる桧山。端から見ると滑稽にも思える光景である。

「篠原龍一氏を殺害しようとした動機が、自分の横領に気づかれたからだと仮定します。すると、自宅にいた奥さんの星子さんがトラブルに気づかなかったなら、そして、篠原氏の弟さんがあなたを脅迫するべく待ち構えている所で事件が起きたのなら、殺害現場はあなたの住居の近くだと考えられます」

「…………」桧山は冷や汗を流し続けていた。

「時間が時間ですし、遺体を運び出すには自分の車を使うしかないでしょう。後で篠原氏の弟さんも殺害して運び出す算段だったから、毛髪とかが残っても問題ないと思ったでしょう。どうせ、DNAは完全に一致するでしょうから、二人分の遺体を運んだ事なんて分かりはしないと踏んだのですね」

「…………」

「しかし、あなたの車はセダンタイプです。誰かに見られる危険性を考えたらトランクに隠すしかありませんが、セダンのトランクでは大人一人を隠せるのがせいぜい。後で弟さんの遺体を運び出すつもりなら、その晩のうちにお兄さんの遺体は隠しておきたい。自宅に隠すなんて不安でしょうし、時間もそれほど残されていない。……もし仮にあなたが犯人だとしたら、篠原龍一氏の遺体はどこに隠すでしょうか」

「…………っ」

 図星を突かれたように、肩をびくっと揺らす桧山。

「真っ先に思いつく隠し場所というと、どこでしょうね……?」

 キキはそれきり何も言わず、じっと桧山の顔に視線を送り続けた。まるで何かを待っているかのように、過ぎていく時間を沈黙で費やしている。

 実際、キキには待っているものがあった。桧山の自白など期待していない。

 キキがここまで推理の材料に使ったものは、福沢も同様に持っている。そして、その福沢と行動を共にしていると思われる親友から、未だにこれといった連絡を受けていない事を踏まえると、こうして時間が経つのを待つのが得策と結論付けられる。

 これは賭けだ。どちらに風が吹くかの運試し。わずかでも痕跡を見つける事ができればこちらの勝ちだ。

 すると、キキの携帯に着信が入った。予想通り、もみじからだった。

「もしもし?」

「キキ、大変だよ! 福沢さんについて行って、例の廃屋で証拠探しに付き合ったんだけど、大変なものが……!」

 興奮しているもみじの声を聞くのは久しぶりだ。何が見つかったか、状況を見ればキキは容易に想像できた。

「人間の遺体が見つかった?」

「……うん。それも、篠原龍一さんの遺体だよ」

 キキは思わず口元を緩めた。賭けは、こちらの勝ちだ。

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