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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第二章 咎人のタイムリミット
42/47

その22 真相PART.2

 <22>


 同じ頃、キキは星奴署の小会議室にいた。ここは、三日前に友永刑事から、十四年前の事件で警察が握っている情報を聞き出す際に、使われた場所でもある。いま現在、この小会議室に一人、キキはパイプ椅子に座って待っている。

 この小会議室は、普段は小規模な事件が起きた時に捜査員が集まる部屋で、平時、あるいは大規模な事件が起きた際には、単なる休憩所として使われるという。隣にある会議室と比べれば半分ほどの広さしかなく、長いテーブルが二つあるだけの、名前にふさわしいこぢんまりとした空間だ。

 この部屋に通されて十分ほど経って、ようやく二人の刑事が入室してきた。二人ともキキのよく知っている人だ。友永刑事と、みかんの事件で電話の見張り番という地味に辛い役目を任されていた、吉本という刑事だ。

「松田美樹からの話は聞いたよ」友永は開口一番に言った。「よもや、二日前に死亡したばかりの女性が、十四年前の事件の犯人だったとは……」

「おまけに」吉本刑事が口を開く。「その女性、朝沼数美も他殺ではなかったなんて。俺たちの捜査はいったい何だったんだ」

「数撃てば当たる方式の警察の捜査が空回りばかりなのは、自然だと思いますけど」

 キキは首をかしげながら、当然のことのように言った。

「悪かったな、下手な鉄砲で。ったく、相変わらずさらっと毒を吐く奴だ。おまけに無自覚だから始末に負えない」

「ところで、他の刑事さん達はどちらへ?」

 キキはさらっと吉本刑事の不満を無視した。

「木嶋さんは、誘拐の被疑者を引き取りに東京空港署へ、紀伊くんは引き続き松田美樹の聴取に、福島は被害者が搬送された病院に向かったよ。体調が回復したら彼女からも事情を聞く予定だよ」

「それにしても、友人が立て続けに二人も拉致されて、どちらも危うく命を落とす寸前まで追い込まれるとは……何か、禍々しいものが取り憑いているんじゃないか?」

「それで、松田さんの話で事件捜査は決着しそうですか」

 キキはまたしても吉本刑事のセリフを無視した。

「どうかな……彼女は、朝沼数美が篠原龍一を殺害した瞬間を見ているわけじゃないし、本人が亡くなっている以上は裏取りのしようがない。一応、死体遺棄に加担した他の二人にも事情を聞きたいところだが、どうしてその一人が被害者の娘さんを誘拐して、挙句に死んでもおかしくないような仕打ちをしたのか……まるで分からない」

「でしょうね」キキは頷いた。「そもそもこの事件は、見た目以上に複雑な経緯が絡んでいます。この事件を読み解くには、犯人以外の全員が陥っている勘違いを、上手く修正できるかどうかにかかっています」

「勘違い?」

「ずいぶん偉そうに言うが……」吉本刑事は不機嫌そうに言う。「松田美樹の前でも推理めいたものを披露して説得したようだが、お前みたいな中学生の子供に一体何が分かるっていうんだ」

 キキにとっては、吉本刑事のこの言い分こそ意味不明だった。

「大人である皆さんが何も分かっていないなら、子供である事は関係ないですよね?」

 あまりにもっともすぎて、吉本は返す言葉もなく黙り込んだ。

「キキちゃん」友永刑事はテーブルに手をついてキキを見た。「ずっと色々調べていたみたいだが、何か分かった事があるなら話してくれないか?」

 キキは、待っていましたと言わんばかりに微笑んだ。

「ええ、元からそのつもりでここに来ましたから。でもこれだけは承知してください。今から話すのはあくまでわたし一人の考えで、証明ではありません。捜査の参考にするだけなら構いませんが、事実であるかどうかは本人に確かめるまで分からないので、そのつもりで」

「分かった」

 友永刑事は頷いて、キキの向かい側に座った。友永刑事に目で合図されて、吉本刑事も不承不承ながら隣に座った。

「それでは、詳しく話してくれるかい」

「はい。まずは、この写真を見てください」

 キキは懐から一枚の写真を取り出した。美衣にも見せたもので、これが全ての始まりと言ってもいい。

「これは、篠原龍一氏の部屋にあったアルバムに収められていたものです。この少年、顔立ちからみても篠原氏の、小学生時代くらいの姿のようです。左利きなので左手に鉛筆を握っています。一見すると普通に、スケッチしている様子を撮影しているだけに思えますが……妙なことに気づきませんか?」

「妙なこと……?」

「いやあ、特におかしな所はなさそうだが……?」

 二人の刑事は揃ってそう言った。些細なことである事は分かっているが、刑事がこの程度の観察力で大丈夫なのか、とキキは本気で心配になった。

「見ての通り、風景スケッチですから鉛筆を使います。静物画と違って画用紙全体を使って大きく描きます。当然、消しゴムを使う機会も多いでしょう。では、その消しゴムや予備の鉛筆は、どこにあると思います?」

「あれ、そういえばこの写真には筆箱が写ってないな……」

 その通り、この少年は何もない草地に腰かけている。何もない、つまり筆箱もない。

「写っていないのは当然です。恐らく、筆箱はこの少年の右側に置かれている……撮影者から見て死角に置かれているから、写らなかっただけです。その絵はほぼ完成形に近いですから、消しゴムを使う機会はあった。忘れた可能性は極めて低いです」

「なるほど……でもそれなら、やっぱり不自然な点はないよね?」

「友永刑事」キキは彼を試すように言った。「障害物の全くない場所に腰かける時、筆箱を始めとする道具類は、どこに置くのが一番自然だと思いますか?」

「そりゃあ、一番手に取りやすい位置に置くよ。この場合は、そうだなぁ……やっぱり右側に置く方がしっくりくるかな。腹と太腿の間が本当は最適なんだろうけど、スケッチブックがあるから描く時に邪魔になるからね」

「確かに、右利きの人が左側に筆箱を置くと、例えば予備の鉛筆と交換する時に、さっと交換できなくなりますからね。消しゴムを取る時はどちらでもたいして変わらないでしょうけど……つまり、自分から見て右側に筆箱を置いているのなら、その人物は右利きである可能性が極めて高いですよね?」

「まあ、そうなるよね……って、ちょっと待って。じゃあ、この少年も?」

「本当は右利き……左手に持っているのは、消しゴムを使うため一時的に持ち替えた所を撮影されたから。そう考えればしっくりきませんか?」

 言われてから冷静に見れば、少年は鉛筆を持っているというより、握っているように見える。描いている最中の手の形としては不自然だった。

「おい、篠原龍一は左利きだろう?」吉本刑事は明らかに戸惑っていた。「じゃあ、この少年は一体誰なんだ? 顔立ちはどう見ても篠原龍一で……」

「結論は一つです」キキは言い放った。「ミラーツイン……篠原龍一氏には、()()()()()なる(・・)双子(・・)()兄弟(・・)がいた。それ以外には考えられません」

 息をのむ音が聞こえた……そんな気がした。

 にわかには信じがたい。篠原龍一氏に双子の兄弟がいるという話は、聞き込みの過程で一度たりとも聞かなかった。少なくとも捜査資料には載っていない。

「……しかし、それは可能性の一つに過ぎないだろう」吉本刑事は必死に気を落ち着かせて言った。「筆箱の事だって、左利きの人が右側に置く事だって、決してないわけじゃないだろうし……」

「おっしゃる通りです。これはただの可能性です。しかし、双子の兄弟がいると考えた場合、捜査資料にも掲載されている奇妙な証言は、全て容易に説明がつきます」

「奇妙な証言というと……」

「発見された遺体がはめていたはずの腕時計をしていなかったこと、前日買うように指示していた紅茶の存在を忘れていたこと、いつも持っているはずのハンカチを持っていなかったこと……全て、篠原龍一氏でない別の人物だったと考えれば、綺麗に矛盾なく説明できますよね?」

 その人物は右利きだから左にはめていて、右隣にいた松田には見えなかった。そして前日の篠原氏とは別人だから、紅茶の事は知らず、ハンカチは癖が身についていないせいで忘れていた。それだけの事だ。

「だけど……左利きの被害者が左手に腕時計をつけていて、当時の警察は不審に思わなかったのか?」

「左利きの人が左手に腕時計をつける事は珍しくありませんし、発見した時点では警察もそうして納得していたでしょう。すでに警察の間で腕時計の事は特に問題視していなかったから、後で普段から右手につけているという証言が出ても、犯人に繋がると思えなければ重視しなかったと思います。あるいは、犯人が何らかの目的で外した後、誤って別の腕につけてしまったと考えたかもしれません」

「うぅむ……」

「第一、その後の捜査でも双子の兄弟の存在は浮き彫りにならなかったから、腕時計の位置からその事を類推するのは極めて困難だったでしょう。こぼれ話程度に記録に残しておくのは、むしろ自然な事です。妥当だったかどうかは知りませんが」

 若干失礼な物言いも、キキにとっては平常運転の証である。

「じゃあ、十四年前の事件で殺害されたのは……」

「というより、十月二十八日に人々の前に現れた篠原龍一氏は、本当は篠原氏の双子の兄弟だったことになります。名前から考えると、多分弟でしょうけど」

「まあ確かに、次男に“一”の字を付ける人は滅多にいないからな」と、吉本刑事。

「かなり早い段階から、兄弟は入れ替わっていたのか」

「ええ。兄弟なら声質も似ているだろうし、DNAでも判別できません。警察は恐らく運転免許証だけで身分を調べていて、指紋の照合も行っていません。双子のすり替えトリック……推理物ではすでに古典的トリックの部類になりますけど、現実にやってみるとなかなか上手く作用するものですね」

 それは言えるだろう。何しろ十四年もの間、警察と世間を欺き続けたのだから。

「松田たち三人が遺体を廃屋に遺棄した後に、何者かが篠原龍一の遺体とすり替えたという可能性はないのか……?」

 尋ねている吉本刑事自身が、その可能性がないと思っている。

「ないですね。死亡推定時刻は偶然一致するかもしれませんが、さすがに殺害方法までは揃えられません。後から首元に傷をつけても、司法解剖ですぐばれますし、何よりすり替える意味がありません」

 キキは警察のやり方をよく分かっているみたいだ。その通り、死亡後に傷をつけたところで、生活反応を見ればそれが致命傷か否かは確実に判別できる。

 しかし……殺害されたのが篠原氏の弟だとしても、疑問点は尽きない。

「でも、なんで篠原龍一は、弟の写真を自分のアルバムに入れていたんだ?」

「あるいは、弟のアルバムだけ持っていたとか……?」

「それはないと思います」キキは友永刑事の考えを否定した。「問題のアルバムの写真の中に、右利きの篠原少年が写っている写真は他にありませんでした。あれが、お兄さんのアルバムである事に疑いの余地はありません」

「なら、どうして……」

「本人がいない今は想像するしかありませんが……かつて、兄弟で同じアルバムを共同で使っていて、後から自分の写真だけ重ね撮りして分けたのではないでしょうか。それが、双子ゆえに、そして幼少期の写真ゆえに、利き手でしか正確に選別できなくて、誤って混ざってしまったのではないかと……」

「重ね撮りされていたのか?」

「そんな面倒な事をしなくても、そのままアルバムから写真を外せばいいだろう」

「糊付けされていたのかもしれません。手帳の書き方から見ても、篠原龍一氏は相当に几帳面な性格です。別のアルバムに移す時に、前のアルバムの破れた紙がついたままの写真を入れたいとは考えないでしょう」

 そうかもしれない、と友永刑事は感じた。普通のシールさえ綺麗に剥がすのは至難の業なのに、固い紙質の写真を糊付けしたものとなれば、ページの表面の紙を巻き込まずに剥がすのは無理難題だ。重ね撮りした方が面倒ではないかもしれない。

 とはいえ、大胆が過ぎる想像である事に変わりはないが。キキも最初に自分一人の考えだと前置きしていたから、それでも構わないのだ。

「元のアルバムがどこに行ったのかは分かりません。弟さんの手元にあるか、あるいはお兄さんの他の思い出の品と一緒に処分したか……まあどちらにしても、龍一氏は弟さんの写っていない写真だけを選り分けて貰い受けたのです」

 それは考えてみれば歴然としている。兄弟で一緒に写っている写真があれば、それだけで双子の存在が証明される。

「他の思い出の品は捨てたのに、そのアルバムだけ残したのか?」と、吉本刑事。

「お二人はご存じですか? 五十年ほど前、日本各地の学校で左利きが不当な差別を受けていた事を……」

「ああ、聞いた事はある」友永刑事は頷いた。「時代的に恐らく篠原龍一も、同様のいじめを受けていた可能性はある。彼の履歴書によると、大学入学の際は昔の大検を使っていたそうだ。それ以前の学歴は小学校卒業となっていたから、その差別の影響で中学校を退学してしまった……というのが、当時の捜査員たちの見解だそうだ」

「それは俺も聞いている」と、吉本刑事。「だから、辛い過去を思い出させるような物を根こそぎ処分するのは分かるが、なぜアルバムだけ……?」

「さっきも言ったように、この写真があったアルバムは龍一氏が新たに作ったものです。もしオリジナルの物があれば、他の品と一緒に処分されたでしょうから、きっと実家か弟さんの手元にあったものです。つまり、龍一氏は処分後にアルバムを作った。その理由も今となってははっきりしませんが、龍一氏なりに過去の証明が欲しいと思ったのかもしれませんね……弟さんの存在は必要としなかったようですが」

「そんなに兄弟仲は冷え切っていたのか?」

「ええ、恐らく相当に。考えてみてください。龍一氏の死はニュースで報じられたのに、その弟さんは一切干渉せず、弟さんの存在を警察に知らせてきた人だって一人もいない。おかしいと思いませんか?」

 それは友永刑事も疑問に思っていた事だった。篠原龍一の両親は事件の時点ですでに他界していて、他に親戚もいない。しかし、弟の存在を警察に知らせてくれる人間が、家族以外に一人もいないというのは頷けない。

「多分、龍一氏の弟さんは社会生活をドロップアウトしていたんです」

「ドロップアウト?」

「学校に通えなくなった兄は社会に出て成功し、普通に学校に通っていたはずの弟は社会に馴染めなかった……弟さんにとっては、認めたくない差異でしょう。兄弟間で軋轢(あつれき)が生じていても不思議じゃありません」

「なるほど、だから篠原龍一の周囲で、弟の存在を証言してくれる人が一人もいなかったのか。警察でも辿り着けないはずだ。一人でもいたら……被害者が実は弟の方であるという疑いを、誰かが持っていたかもしれないのに」

 どちらにしても過ぎてしまった事だ。まして十四年も経っている。後悔するにも遅すぎるくらいだ。

「それでは、本物の篠原龍一はどこに行ったんだ?」

 吉本刑事は当然の疑問を口にした。

「それもまだ分かりません。ただ、わたしの想像が限りなく事実に近いと思います。あまり信じたくはありませんが……」

 キキの少し沈んだような表情を見て、二人の刑事は事情を察した。警察の仕事を長くやっていれば、こういった話は毎日のように耳にする。恐ろしい話だが、慣れていた。

「他人に不審がられることなく入れ替わるなら、事件前日の龍一氏が帰宅する前しかチャンスはありません。使える時間は極めて短いです。そもそも、横領事件を調べている最中だった龍一氏の方に、入れ替わる理由はありません。つまり、入れ替わりは唐突に行われたと考えられます。……高い確率で、龍一氏の身にトラブルがあったと思われます」

「殺害されている可能性が高いというわけか……」

「いや、まだ決定したわけじゃない。生きている可能性だってわずかだがある」友永刑事は力強く言った。「この話が終わったら、大規模な捜索をかけるくらいの事はしないと」

「木嶋さんが認めるとは思えませんけどね……」

 何をしても木嶋は障壁になりうるのか。部下の人達も難儀だな、とキキは思った。慰めの言葉をかけるつもりなど毛頭なかったが。

「ただ、この入れ替わりを実現させるには、龍一氏に関するあらゆる事を教えてバックアップする人が必要になります」

「確かに、言われてみれば……他人に成りすますなんて、一朝一夕で出来るものじゃないし、誰かの協力は不可欠のはずだ」

「協力者の存在は、遺留品からも伺えます」

 キキのこのセリフを聞いて、吉本刑事は友永刑事を睨みつけた。

「友永さん……遺留品までこの子に見せたんですか」

「見せてないよ。写真はもちろん、具体的に何があったのかも話していない」

「当時の捜査担当者である蛭崎警部から聞いたんです。全部ではありませんが」

 そういえば高村警部を通じて、本人から話をしてもいいという通達を受けていた。友永刑事は思い出した。

「実はそれ以外に、容疑者の一人の里村さんからこんな話を聞いています。事件当日、篠原氏が携帯で話している所を目撃したそうです。でも蛭崎警部の話では、遺体の衣服から見つかった携帯の事件当日の履歴は、不在着信しかなかったそうです」

「その篠原氏というのは弟の方だよな」友永刑事は考えながら言った。「当日は確かに携帯を使っていたのに、それが記録に残っていなかった……もしかして、里村祥介がその時に見た携帯と、遺体から見つかった携帯は別物?」

「そう考えるのが妥当でしょう。さすがに携帯を二つも持っていたら怪しまれますから、里村さんが目撃した時の携帯は協力者が回収したのでしょう。もちろんそんな事ができるのは、遺体を遺棄した後しかありません」

「つまり、篠原氏の弟の遺体を廃屋に捨てた、あの三人の中に協力者が?」吉本刑事はそう言ってすぐにかぶりを振った。「いや、三人が廃屋を離れた後にやって来た人物の仕業という可能性もなくはないか……」

 思ったより慎重に考えを進める人だ、とキキは思った。木嶋よりはまだ好感が持てる。

「確かにその可能性もないわけじゃありません。しかし、協力者としてどういう人物が望ましいか考えた場合、それは自動的に同じ部署の人間となりますよね?」

「言えてるな」友永刑事は頷いた。「会社での篠原龍一の事を教えてやれるのは、同じ会社の人間だけだし、即座にフォローできる立場なら、同じ部署の人間が一番望ましいはずだ。というより、そういう人でなければ協力者にはしないだろうな」

「でも、松田さんたち三人以外に、遺体が運び込まれた場所を知りません。それと、五時に退社したはずの弟さんがビル内に残っていたという事は、ビル内でその協力者と落ち合う予定だったと考えられます。それなら、弟さんにGPSなどを持たせる理由もありませんから、遺棄された場所を特定する方法もない事になります」

「松田たちを尾行したという可能性は?」と、吉本刑事。

「三人は車を使っていました。尾行するにもやはり車かバイクが必要です。でも、これから死体遺棄をしようとする人間が、そうした尾行に神経質にならないはずがありません。まして十一時過ぎとなれば真っ暗で車も少ない。気づかれずに尾行するのは不可能です」

 外見を裏切る理路整然とした反論に、吉本刑事は圧倒されていた。様々な可能性の吟味は、この中学生も抜かりなくやっていたみたいだ。

「となると、あの三人の中に協力者がいたと考えた方がよさそうだな」

「もしかしたら、その協力者が篠原龍一を殺害したという可能性も……」

「だが、現状ではどちらかに確定するのは無理じゃないか?」

 二人の刑事は行き詰まりの様相を呈していたが、キキは少し違っていた。

「わたしも確かな事は言えませんが、心証としては、その協力者が篠原氏のお兄さんを手にかけたと思います」

「どうしてそう思う?」

「さっきも言ったように、弟さんは五時に職場を抜けて、ずっとビル内に隠れて協力者と落ち合う予定でした。つまり、殺害されるまでの少なくとも三時間、ビルの中に身を潜めていた事になります」

「うん。それで?」完全に友永刑事はキキのペースだ。

「仮に弟さんがお兄さんを殺害したのなら、このアリバイ作りは協力者が提案した事になります。さすがに、実の兄を殺害しておいて協力を申し出るなんて、非現実的だし確実に断られますから。で、アリバイ作りを提案した目的は、言うまでもなく脅迫のためです。協力する側にメリットがなければ、こんな事を提案したりはしませんから」

 こんな、一般人にはおぞましく感じる考察を、よく平然と口に出せるものだ……吉本刑事は感心すると同時に空恐ろしさを覚えていた。

「もう一つ、篠原龍一氏の遺体の処分は……あ、殺害されていた場合の話ですが、それは協力者がやったと思われます。お兄さんに成りすました弟さんは、すぐにお兄さんの自宅に戻らないといけませんからね」

「奥さんが待っているわけだからな、これも当然だろう」

「アリバイ作りを提案すると同時に脅迫され、しかも自分の代わりに遺体を処分するという借りまで作っている。そこまでさせておいて、果たして弟さんは黙って従い続けるでしょうか? 警察に追われる事を覚悟で逃げ出すと思いませんか。その協力者が、どこに遺体を隠したのか分からないのですから、協力者の口を封じるのも難しいはずです」

「そうだな……自分より先に警察に発見されれば、元も子もないわけだし。だったら、多少の危険を冒しても逃げようとするはずだ。どうせ社会生活をドロップアウトしている身だ、逃げ道はいくらでも用意できる。一方で協力者の方も、下手にこの事実を公にすれば自分も社会的制裁を受けるから、行方を追うのは難しくなる。無傷では済まないけど、逃げた方がその弟にとってメリットが大きいはずだ。冷静に考える時間も十分にあったはずだろうし……」

「まあ、人間ですから、本当にそこまで冷静に考えられたかどうかは分かりませんが。可能性としては、逃げるという手段を選ぶと思いますよ」

「でも実際には逃げずに、ビルの中で三時間以上も待っていた……どうも、弟さんが兄の龍一を殺害したという可能性は低そうだな。もちろん断定はできないが」

「それで?」吉本刑事はキキに詰め寄った。「協力者が誰なのかは分かるのか?」

「ええ。それを特定するために今日一日動き回っていましたからね」

 これだけの推理を、たった数日で組み立てたというのか。凄腕の捜査官にも匹敵する頭脳と行動力だ、と二人の刑事は思った。

「容疑者三人の中で一人だけ、篠原氏の双子の兄弟の存在を暗示するような、篠原氏の行動を証言しなかった人物がいます。三人のうち、一人は腕時計の事を、一人は紅茶の事を指摘していて、いずれも双子の存在に繋がります。しかしあと一人は、事件発生以前の篠原氏の行動を証言しています」

 キキが誰の事を言いたいのか、二人の刑事もおぼろげに分かってきた。

「まさか……だが、それだけで協力者だと断言するのは……」

「それだけじゃありません。その人物は事件の日、本社ビルでの商談の後に地下駐車場へ向かった……そういう証言が商談相手から得られています。しかし実際は、他の二人と一緒に九階で弟さんの遺体を見つけていて、それから二十分も遅れて出てきました。一階から地下駐車場へ出るには一分もかかりません。松田さんからその間に連絡を受けて戻ったと考えるには、あまりに短すぎます」

「それも、絶対にないとは言い切れないよね?」

「もちろんです。しかし、先ほどの話を、協力者がお兄さんを殺害したという前提で考え直してみてください。アリバイ作りを提案したのは弟さんの方で、遺体を処分したのは協力者の方、という事になります。ですから、実際に殺害した協力者にとって、障害となるのは弟さんの存在一つです。だったら、逃げるより先に弟さんの口を封じようと考えるのが自然ですよね?」

 そんな事を平気で考えられる中学生は、不自然極まりないが。

「だとすれば、弟さんの口を封じて存在を隠すための、準備はしているでしょう。殺害して遺体を運び出そうとするなら、どうしても車の運転が必要になります。でも、松田さんは最初から徒歩でしたし、里村さんは渋々ながらもお酒を飲んでいました。これは今日、蛭崎警部から聞いて初めて知りました」

「僕も知らなかったよ、そんなこと……」

 友永刑事に同調して、吉本刑事もしきりに頷く。

「まあ、当初から無関係の事だと判断されて、資料にも記載しなかったようですが。少しお酒を飲んでいても運転はできますが、万が一のことを考えれば控えたいと思うはず。里村さんが協力者なら、何が何でもお酒は断ったはずです」

 万が一。一人で運ぶことを考えたら、例えば検問などに引っ掛かった場合、酒気帯び運転の現行犯で逮捕され、車中の遺体を発見される恐れがある。一晩考えて対策を練ったのなら、そのくらいの危険は想定してしかるべきだ。

「つまり、残る一人だけが、弟さんを殺害して運び出すための車を、用意する事ができたのです。ゆえに、その人が協力者です」

 これによって、十四年前の事件の構図が全て浮き彫りになった。キキの推理が正しければ、もはや考えられる犯人は一人しかいない。それは、キキが蛭崎警部に頼み、さそりを誘拐した犯人として先ほど羽田空港で身柄を確保した人物でもある。

 ―――――桧山努。彼こそが、篠原龍一を殺害した真犯人だ。

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