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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第二章 咎人のタイムリミット
37/47

その17 三つの場所PART.2

 <17>


 かつて『ホーム・セミコンダクター』の下請けだった業者は『ホタル電機』と社名を変えて、鈴栄(すずえ)市のオフィス街から外れた所にある工場の近くに拠点を置いていた。プレハブの事業所を新設して、従業員の受け入れも積極的に行っているとか……。

 ドラマで見るような町工場の雰囲気の中にあって、わたしたち中学生が訪ねてきても笑顔で受け入れてくる。基本的に来るものを拒まない性質なので、警備員の阿久津よりかなり話の分かる人だと村井から聞いていたが、本当にその通りであった。

「俺たちはここでの仕事を誇りだと思っているが、大きな仕事が舞い込んでくる事なんて半年に一回がいいところよ。それも大抵は、元請けだった『ホーム・セミコンダクター』が紹介してくれるものばかり……まあそれでも、頼ってくれりゃ何でもやるが」

 事件の日に桧山と『大森坂ビルディング』で商談をしていた、木場という中年の社員。今は工場全体の責任者を任されているという。さっきから自分たちの苦労話を、妙に明るい口調で話している。

「……大きな仕事が半年に一回しか来ないって、大変ですよね」

「仕事の大小で選んでいたら、この業界じゃ生きていけねぇよ」木場は椅子に腰かけて、デスクの上の書類を取った。「半導体製品は今でも国内ニーズは高いが、一般向けの家庭製品に使われる事なんて実際はかなりまれだ。人工衛星とか巨大な実験装置は、ほとんど海外の人件費の安い所の工場で作られているし、なかなかこういう、国内の小さな工場に声がかかる事はないんだ。その上、大企業が幾度となくポカをやらかしている」

「ポカ?」

「途上国に製品を売り込む動きは昔から活発だが、ここ最近は中国や韓国の企業に先を越されてばかりいる。あれは単純に、日本の海外における販売戦略が失敗したからだ。韓国とかの方が、よほどその辺の扱いが慣れているからな。だから国内のどの企業も、販売網の拡張に苦戦していて、国内向け製品にまで手を回す余裕がないのさ。現に、かつて隆盛を誇った大企業が次々と、経営破綻したり海外企業に吸収されたりしているだろ?」

 ああ……そんな感じのニュースをよく耳にするな。正直、自分には関係のない話だと思って聞き流していたけど。

「そう考えると、『ホーム・セミコンダクター』の今の社長は相当なやり手だよ。ありゃあ、しばらく潰れそうもないな。仕事を貰っている側としては安心できる事よ」

「あのぅ、そろそろこちらの話に移ってもよろしいでしょうか」

 痺れを切らしたあさひが言った。延々と苦労話を聞かされて、自分たちが使いたい時間を消耗するのは耐えられないのだ。

「おお、悪いな。それで、十四年前の事件の日の事だろう?」

「覚えていますか? そんなに昔の事を……」

「それほど覚えているわけじゃないが、商談をしていた桧山さんのアリバイ確認とかで、何度も警察から質問されていたから、割と記憶に残っているよ。確かあの日は、俺の方が発注された製品についてたくさん注文をつけていたから、大幅に遅れてしまったんだ。何かと忙しくて、商談に向けた準備が中途半端だったのが災いしたんだ。桧山さんには申し訳ない事をしてしまったねぇ」

「ずっと一階ロビーでお話を?」と、あさひ。

「ああ。本当は五時に始めるつもりだったんだが、工場の方で機械トラブルがあって、そっちに気を取られていたら二時間近くも遅れてしまって……一応桧山さんにもその事は伝えたんだが、翌日も仕事が詰まっていて延ばせそうにないから、夜遅くでもいいからやってしまいましょうという話になったんだ」

 もしかしたら、他の二人も似たような事情で帰りが遅くなったのかもしれない。それにしてもこの人、重要な商談を遅らせすぎだろ。よく取引を切られなかったな。

「それで、終わった後は?」

「後はそのまま解散だよ。俺は直接エントランスから出たけど、桧山さんは地下の駐車場に向かって行ったな」

 これを聴いて、あさひが何やら腑に落ちないという表情で考え込んだ。

「それじゃあ、その後に木場さんはそのまま帰ったんですね」

 わたしは気にせず質問を続けた。

「いや、さすがに遅かったし、終電にも間に合いそうになかったから、近くのビジネスホテルに泊まろうと思って周辺をうろついていたよ。けれど、近くにあった安いホテルはどこも満室で、交渉の甲斐なくその場を離れた。結局、駅からもオフィス街からも離れた所にあるホテルに落ちついたけど……いやあ、大変だったね」

 その大変さが現在でも実感できるくらい、よく覚えていることではないのか。割と記憶しているというレベルではない気がする。

「その最中に、『大森坂ビルディング』の前も通りましたか」

「えっと、どうだったかな……ああ、そうだ。うん、確かに通ったよ。その時に、地下駐車場から車が一台出てきたから覚えてる」

「「えっ?」」

 わたしとあさひは同時に驚いて声を上げた。事件の日、八時以降に駐車場から出てきた車は一台だけだ。木場が目撃したのは、この車以外に考えられない。警備員は車種や乗っていた人を記録していなかったが、この人ならどうだろう。

「それ、どんな車だったか覚えていますか?」

「車種までは……形はセダンタイプだったと思うが」

「じゃあ、どんな人が乗っていたか分かりますか?」と、あさひ。

「うーん……」木場は腕組みをして顔を歪めた。「あの時もヘッドライトの光に紛れていて、よく見えなかったんだよな。何しろ暗かったし……でも、助手席と後部座席にも人影が見えたから、少なくとも三人は乗っていたと思う」

 進展と呼ぶにはあまりに微妙なラインだ。まあ、真夜中のオフィス街となれば、頼りになる光源は道路脇の街灯くらいだ。期待するべきではなかったかもしれない。

「それにしても、桧山さんも大変だな。上場が実現して管理部門の部長になってから、社長の方針で海外出張が多くなったんだよ。たまには休みも必要になるだろうな」

「社長さんの方針……?」

「さっきも言っただろう。日系企業は海外進出にことごとく失敗している。だが、今でも日系企業は海外に市場を広げることを諦めていない。今の社長も、上場後に就任した前の社長も同じだ。もっとも先代の社長は、経営の手腕こそ確かだが、海外への進出となると足踏みしがちな所があったな。それで、桧山さんは何度も海外に派遣されたんだ。多分、積み重ねて七年くらいは海外にいるんじゃないかな」

 呆れるくらいの長さだ。つまり一年の半分を海外出張に費やしているのか。

「まあ、一年前に今の社長になってから、海外出張はあまりないけど」

「そもそも、管理部門のトップがそこまでするんですか?」

「半導体製品は精密なものだから、とにかく管理は厳しく行わないといけない。工場を設立するために切り開いた場所に、放射性物質を含んだ鉱石が埋まっていたら、もうそれだけでアウトだからな。現地の人達の説明役には、製品や機械の管理に詳しい人間の方が最適なんだよ」

 なるほど、確かに大変な仕事だ。木場の言う通り、休養の時間も必要かもしれない。

「桧山さんの事は分かりましたけど、松田さんの方はどうですか。同じ管理部門の」

「ああ、あの女性社員だろう? 事件当日には会ってないけど、一応交流はあるよ。幾度となくここにも顔を出しているからな。そういえばあの事件以来、松田さんはほとんど仕事を休んでいないって聞いたな……あの人は自愛を知らないな」

「そんなに仕事熱心な人なんですか?」

「俺もそう思って訊いてみたけど、そういうわけじゃないって言われたよ。なんか、もっと仕事していればよかったと後悔したくない、とか言っていたな」

 それを世間では仕事熱心と呼ぶのではなかろうか。

「まあ、俺から話せるのはこれくらいだ。もうそろそろ仕事に戻るぞ」

 そうだった。木場は村井からの頼みを受けて、仕事の合間を縫って話に応じてくれたのだ。時間は限られていたが、一応聞きたい事は全て訊く事ができた。

 木場がプレハブのオフィスを出た事で、わたし達だけが取り残された。ちなみに、ここまで付き添ってくれた村井もいる。全く話に絡んでこなかったけれど。

「……で、どうする?」

 あさひが言う。どうすると言われても、やる事は一つしか残っていない。

「とりあえずここまで分かった事を、キキにメールで報告しましょう。手掛かりになるかどうかは、完全にあいつ次第だけど」

「あの子に全任せというのも気分のいいものじゃないわね。それより、さっきの話の中で一つだけ、気になる事があったんだけど」

「木場さんが桧山さんと別れた後の行動?」

 その辺りであさひの様子がおかしかった事には気づいていた。

「うん。その事もメールにしっかり書いておくといいよ。まあ、もみじは意外と記憶力がいいから、そのくらいは忘れないと思うけど」

「さらっと馬鹿にしているように聞こえるなぁ……」

 とはいえ、意外だと言われても仕方ないとは自覚している。わたしには、体力と戦闘能力以外で、自慢になるような事などないのだから。


 一方で同じ頃、キキと美衣は門間町四丁目のバー『和倉』の前に来ていた。人通りの多い商店街の中にあって、その不釣り合いな光景は嫌でも周囲の好奇の視線を集めていた。二人ともそれは自覚している。

「……誰かが通報したりしないといいんだけど」と、キキ。

「その福沢ってフリーライターは、こうなる事を承知でお前に頼んだのか?」

 美衣は明らかに憤慨していた。それも当然だろう。

「一応ノンアルコールも置いているし、年齢制限もないという情報を得ているから、中学生が入っても条例的に問題ないと思ったんじゃないかな」

「条例的には問題なくても世間的には問題あるだろ」

「まあ、ここまで来たら引き返す事もできないし、行くしかないでしょ」

「わたしは今すぐ引き返したいが……」

 美衣が何を言ったところで、キキは一度決めた事を曲げるつもりはないらしい。

 バー『和倉』は階段を降りて行った先の地下階にあり、ジャズがBGMで流れる少し暗い室内に店舗を構えている。来客を落ち着かせるための仕様だろうが、美衣はあまり暗い所が好きではなかった。

 夕方なので来客はまだ少ない。キキは迷わずカウンターに近づき、少し高めの椅子に飛び乗って腰かけた。相変わらず無駄に度胸のある奴だ、美衣はそう思った。

「お客さん……まだ中学生くらいだよね」

 グラスを拭いていたバーのマスターが難色を示して言った。

「何歳未満出入り禁止とは書かれていなかったので」キキはにこやかに答えた。「中学生に出しても問題ないやつ、ありますか?」

「オレンジジュースとカルピスと、ジンジャーエールしかないけど」

「ではオレンジジュースで。ほら、美衣も座りなよ」

「遠慮する」美衣は即答した。「わたし達、福沢という人に言われて来たのですが」

「福沢……ああ、あのお客さんの知り合いか」

 マスターは何か思い出したようで、カウンターの裏をごそごそと捜し始めた。そしてキキたちに見せたのは、一冊の手帳だった。

「これね、二週間くらい前に女性のお客さんが忘れた物で、一週間前にその福沢って人にも見せたんだよ。あの人、週刊文明の記者で、同僚を探していたとか言っていたよ」

 ここでも福沢は昔の肩書きを使ったようだ。

「朝沼数美さんですよね。ここにもよく来ていたという」

「なんだ、お嬢ちゃんそこまで知っていたのかい?」

「福沢さんがその手帳を見せてもらった時、何か言ってませんでしたか?」

「ああ。俺がこの手帳を朝沼さんに届けてほしいと言ったんだが、福沢って人は、まだ引っ越した先がどこかも分からないから届けようがない、本人が次に来店した時に俺が渡してくれればいいって言って、結局預かってくれなかったよ。あれから一週間、福沢って人はおろか、朝沼さん本人も取りに来なかったよ」

 致し方あるまい。その前に朝沼は自殺し、福沢もおおっぴらに動かなくなった。手帳の存在を知っている人はすでに身動きが取れなくなっていたのだ。

「いま考えてみれば、同僚なのに連絡先さえも知らなかったみたいだな。手帳のことくらい、電話一本で教えられる事だし」

「…………」このマスターは何も知らないらしい。

「そうそう、昨日の夜にその福沢って人から電話をもらって、近々この手帳を見たいと言ってくる人が現れるから、その時にちゃんと見せてほしいって言われたよ」

 これを聞いて、美衣はキキに耳打ちした。

「やっぱりこれは、福沢って人が用意したお膳立てだな」

「つまりあの手帳に何か秘密があるって事なのかな」キキは身を乗り出した。「すみません、その手帳、見せてくれませんか」

「いいよ。そうするように言われているからね。君たち、朝沼さんの連絡先を知っているなら、渡してやってくれないかな」

「……いいですよ」

 もう渡す相手はいない。霊前に置く事しかできないだろうが、それでも十分だとキキは考えたのだ。

 受け取った手帳の表紙を見ると、十六年前の西暦が刻まれていた。

「どうやらこれって、朝沼さんが週刊文明に就職した年に使っていた物みたいだね」

 ページをパラパラとめくって見ると、取材内容ではなく、記者としての心構えや仕事のコツなどが詳細に書かれていた。入社一年目の勉強道具だったのだろう。

「これをずっと持っていたという事は、お守り代わりだったのかもしれないな」

「そうだね……あっ」

 あるページでキキの手が止まる。福沢から教わった事だからなのか、この店の名前がローマ字で書かれていた。そういえば看板の名前も漢字とローマ字を併記していた。そちらが正式な表記なのかもしれない。

 じっと見ているうちに、キキはある考えに行き当たった。

 まさか、これを見せるために、福沢は自分をここに行かせたのか……?

「なあ、気づいたか?」美衣が横から言った。

「え?」

「この手帳……どう見ても鉛筆で書かれているよな」

 言われてキキも気づいた。手帳の文字は、ページが進むごとに徐々に線が太くなっている。円錐型の芯という特徴を持つ鉛筆ならではの文字だ。もっとも、芯の堅い鉛筆を使っているようで、ページ内でその変化はほとんど見られないが。

 鉛筆を使っていること自体は問題じゃない。だが……。

「しかし、あの部屋には……」

「うん……でも念のために、友永刑事に確認してもらおう」

 キキは携帯を取り出して友永刑事に電話をかけた。たまにさらっと毒舌も交えながら、問題としていたある事を尋ねた。結果は……。

「記憶通りだったよ」キキは通話を切って言った。「やっぱり、朝沼さんの部屋に鉛筆はなかった」

「そうか……」美衣は手帳の文字を凝視した。「濃淡からすると、2Hっぽいな。筆記にはあまり使われないと思うけど」

「削ったり交換したりする手間が省けると思ったんじゃない?」

「だが消しゴムでは消しにくい。現に、訂正箇所は二重線で隠している」

 キキと美衣は目を合わせた。互いの虹彩に迷いの色は見えなかった。

「だいぶ見えてきたね。十四年前の事件の真相」

「こじつけている感じが見えなくもないけど……こう考えた方が、色々な事を上手く説明できる、その程度の推理だな」

「というか、普通に推理ってそういうものでしょ」

「まあな。論理なんて所詮、辻褄合わせの道具に過ぎない。そんなもので現実の問題が何でも解決できると考えるのは思い上がりだ」

 まるで自分のしていることが傲慢な行為だと言われているようで、キキは膨れ面で美衣を見た。主張に全く間違いがないから余計に腹立たしい。

「それにしても、福沢さんはここまで予測して手帳を預けたのかな……」

 あるいは、と考えを進める段階だったが、ここでキキの携帯にメールの着信が入った。もみじからの調査報告だった。

『現時点で掴めた内容を報告するよ。

 ビル専属の警備員の記録によれば、事件の日の午後八時以降にビルを出たのは、一階エントランスから十一時十分頃に一人、地下駐車場から十一時三十分頃に車が一台。受付の村井さんの同僚の話では、篠原氏が職場を出たのは定時の五時らしいが、受付で見た人は一人もいないそうよ。

 あと、本社ビルには裏口もあってセキュリティはやや緩いが、別の警備員が見張っている。警察は恐らく警備員が居眠りでもして見逃したのだろうと判断している模様。裏口の警備は八時に終わるらしい。

 また、桧山氏と事件当日に商談していた下請け業者の木場という人によれば、商談終了後に自分は一階出入り口から出て、桧山氏は地下駐車場に向かったという。また、近くのホテルに宿泊の交渉をしている最中に、駐車場から出てくる車を目撃していた。車種はセダンタイプで、少なくとも三人は乗っていたという。

 一応ついでに言うなら、桧山氏は上場以来海外出張が多くなり、松田氏は事件以降ほとんど休んでいないそうです。もっと仕事していればと後悔したくない、とか。

 報告は以上。次の指示を乞う』

「おやおや」美衣が感心したように言った。「もみじにしてはなかなか上出来」

「もっちゃんはやろうと思えば何でもできるからね」

 キキは自分の事のように喜んでいた。まるで親の言い方である。

「おかげで、推理はまた強固なものになったよ。犯人の正体も、大体予想していた通りになりそうだね」

「まだちょっと一押し足りないけどね。確か、捜査担当の蛭崎警部という人に会って話を聞くんだろう? そこで有力な情報が手に入るといいな」

「どうせ賭けてる事に変わりはないしね」キキは携帯をホーム画面に戻し、時刻表示を確認する。「そろそろ行かないと駄目かな。でもジュース飲んでからにする」

「自分で注文しておいて今から飲むのかよ」

 美衣の指摘などどこ吹く風。キキはストローでオレンジジュースを吸い込む。中学生にしてバーでジュースを飲んだ事を、キキは自慢する気などないという。

 会計を済ませてキキと美衣はバー『和倉』を出た。外に出てもなお好奇の視線にさらされていて、蛭崎との待ち合わせ場所へ向かうまで居心地が悪かったと、後に二人は語っていた。


 また同じ頃、学校を出たさそりはバスを乗り継いで、星奴中央病院のみかんが入院している病室にやって来ていた。

 病室にはみかんの妹二人と家政婦の須藤が先に来ていた。どちらもさそりは初対面。

「妹さんがいるとは聞いていたけど、双子だったんだね……」

「「そうだよ」」

 双子コンビは同時に答えた。そして順番に自己紹介を始めた。

「わたし、すずもといちごです」

「わたし、すずもとりんごです」

 全く区別がつかない……途方に暮れるさそりに須藤が声をかけた。

「見分けられなくても無理ならぬ事です。一見してこの二人を区別できたのは、私の知る限りでもキキさんというお嬢様のご友人だけですので」

 それは何となく納得できる。彼女の観察力をもってすれば、この瓜二つな妹たちの相違点を立ちどころに見つけ出せる事だろう。もっとも、本人は何でもない事のように振る舞うのだろうが。

「それにしても、みかんって家政婦さんからはお嬢様って呼ばれているんだね」

「似合わないでしょ?」

 白い患者服を身にまとい、ベッドの上で優雅に頬杖をついているみかんが言う。むしろ今はお似合いだと言いたい気分のさそりであった。

「お嬢様はお嬢様ですので、私はそう呼ばせて頂きます」

「大丈夫だよ、嫌なわけじゃないから」

「それにしてもほっとしたよ」胸をなで下ろすさそり。「今はもう普通に立って歩けるようになって、明日の検査で異状なしと診断されたら退院できるんでしょ?」

「うん」みかんは頷く。「最初はずっと頭がふらふらしていたんだけど、今はもうだいぶ楽になったよ。やっと元通りに生活に戻れそうで、わたしもほっとしてるんだ。妹たちともまた一緒に遊べるしね」

「「やったー」」

 双子コンビは両手を高く上げて歓喜した。なるほど、これは確かに癒される。五歳児のあどけない仕草を、双子だけにシンクロで見せてくるから、無条件に心が洗われるのだろうとさそりは分析した。

「「ねぇねぇ、さそりおねえちゃんもこんどいっしょにあそんでくれる?」」

「わたしも? もちろんいいよ」

「「やったー」」また双子は両手を上げて喜んだ。

「ああ、可愛い……」思わず感情が口から漏れて、気がつけば双子を両腕に抱えているさそり。「ねえ、みかん……どっちか貰っていい?」

「うーん、片方引き離したら文句言いそうだからなぁ」

 みかんは苦笑しながら真面目に答えた。それを聞いてさそりは早々に諦めた。

「そういえば、今日はさそりちゃんだけで来たんだね」

「うん。他のみんなは事件の調査で忙しいから」

「ああ……あさひから聞いたよ。さそりちゃんのお父さんの事件でしょ。あれ? さそりちゃんは調査に参加しなくていいの?」

 今ごろそこに引っ掛かるのか、と思い苦笑するさそり。

「わたしはそれほど、お父さんの事件を調べることに執着しているわけじゃないから。ああでも、どうでもいいと思ってるわけでもないよ。キキたちは一生懸命調べてくれるし、わたしも出来る限り協力したい事に変わりはないから。でも今日は、こっちの方に来たかったの。みかん、明日には退院しちゃうわけだし」

「そっか……」

 急にみかんは沈んだような表情になった。口元はまだ笑っているけれど。

「どうしたの?」

「キキたちはみんな、さそりちゃんのために頑張っているのに、わたしは、さそりちゃんのために何もしてあげられてないな、って思って……」

「そんなことで落ち込んだの?」

 あれ、と思ってみかんはさそりを見た。今度は嘆き始める。

「さそりちゃん、わたしの助けはいらないの……?」

「そうじゃなくて、わたしは特に気にしていないって事。わたしからすれば、怪我人の身に鞭打ってまで力を尽くされるのは逆に申し訳ないし。みかんが元通りになってくれない事には、こんな、いつまで続くか分からない調査に関わらせるわけにいかないよ」

「さそりちゃん……」

 みかんは、胸がじんと熱くなる感触を覚えていた。

「だから、早く良くなってよ。そうすればわたしも、安心してお父さんの事に集中できるからさ」

「……お父さんの事で色々大変だろうに、それでも人への気遣いを忘れない。さそりちゃんは偉いね」

 にっこりと笑ってみかんは言う。二歳年上の友人が言うと、普通なら嫌味のようにも聞こえるのに、彼女の場合は全くそれを感じさせない。母親みたいな雰囲気さえある。母親を早くに亡くして、歳の離れた妹と一緒にいると、自然とこうなるのだろうか。

 その後もさそりとみかんたちは、他愛もない世間話を続けた。存分に話したのち、さそりは病室を後にした。双子コンビと須藤はまだ帰らない。

 みかんはベッドから起き上がり、窓際に置かれた椅子に腰かけた。このくらいの動作は自然にできるくらいに回復していた。窓の外、病棟を出て表門に向かうさそりを見つけ、眺めていた。

「……何か、思うところがおありのようですが」

 気持ちが顔に出ていたところを、須藤に気づかれたらしい。みかんは窓の外から視線を逸らすことなく、須藤に言った。

「なんていうのかな……類は友を呼ぶ、あるいは、同病(あい)憐れみ同憂(あい)救う、かな」

「それはどういう……」

「うん……わたしは血縁上の父親の事を何も知らない。そして、十歳の時に大好きだったお母さんを失った。一方でさそりちゃんは、この世に生を()ける前に父親を亡くし、その事でずっと苦しみ続けている母親を間近で見ていた……」

「つまり……」須藤は躊躇いがちに言った。「直接的に申し上げるならば、お二人には、父親の存在を実感できず、母親の事で心苦しい思いを抱かれている……という共通項があるという事でございますか」

「まあ、そういうこと」みかんは微笑みながら振り向いた。「だから、さそりちゃんの心の痛みは何となく分かるんだ。それでね、互いの痛みを分かりあえた瞬間に、人は互いに相手の支えになりたいと切に願うようになるの。すると自然に、一緒にいる事が当たり前のように感じていく」

「確かに、そうかもしれませんね」須藤は神妙に頷いた。

「わたしがこんな感じだから……」みかんは再び窓の外を見た。「心のどこかに痛みを抱えている人がいると、自然と一緒にいたいとお互いに思えるようになるのね。同じように心を繋いだ人の事をわたしは知っている……」

 その時のみかんの脳裏に浮かんだ人物を、須藤は何者なのか問わなかった。家政婦の立場で踏み込める領域には限度があるのだ。

「あの二人もきっと、心の痛みが共鳴した事で惹かれあって、いつの間にかかけがえのない友情を育んだんだろうね」

「お嬢様のご友人の、あさひ様も同様でございますか」

「あさひも確かに、何かしらの心の痛みを抱えているけれど……あの子の場合は、わたしとは全く違う境遇にあったのよ。だからむしろ深く繋がれたっていうのかな」

「はあ……それはどういう……」

 須藤は首をかしげた。即座に理解できる事でもないだろう、とみかんは思った。

「もし、全く同じ境遇にある二人が出会ったとして、同じ経験から異なる考えを持ってしまう事ってよくあるでしょ? だらしのない親や年長者の背中を見て育っても、その生き方が普通だと考えて同様にだらしなくなる人もいれば、逆にこういう人にはなるまいと考えて真面目に生きようと努力する人もいる。それと同じこと」

「前車の(てつ)を踏む人もいれば、他山の石としか見なさない人もいる、ですね」

「そうそう。その場合、たとえ同じ境遇にあったとしても、その二人が分かり合えるという事はあまりない。境遇に同情する事はあっても、相手の考え方を互いに不自然だと考えることになるからね。でもその一方で、正反対の境遇にあった二人が出会って、当然のように考え方が違ったとしても、その境遇を知れば互いに理解する事はできる。だって、自分の境遇や立場が逆だったら、と仮定する事で、それが自然な事だと理解できるからね。逆に同じ考え方を持っているなら、それはそれで心が通じ合える」

「ふむ……いずれにしても、境遇が正反対の人が心を通わせられるのは必然と言えなくもない、という事でございますね」

「そういうこと」

「ねぇねぇ、さっきからなんのはなししてるのー?」

「むずかしくてわかんないよー」

 五歳児の双子が揃って不満を漏らした。自分たちが置き去りにされていることが不服らしい。確かに、言葉も覚えたての子供には難解が過ぎる話かもしれない。

「そうだよね。いちごとりんごがもっと大きくなって、色んな事が分かるようになったら話してあげるよ。楽しみにしていてね」

「「わーい」」

 妹たちの扱いに慣れているのは、家政婦の須藤だけではないらしい。

「それで、あさひ様はどのような境涯(きょうがい)に?」

「…………」

 みかんはそれに応えず、ただ弱々しく微笑むだけだった。須藤は察した。

「申し訳ありません、立ち入った事をお尋ねしてしまって……」

「いえ、いいのよ。そうね……わたしとあさひの何が違うかといえば、わたしは血の繋がらない父親からも等しく愛情を注がれたけれど、あさひはそうじゃない……と言ったらあまりに分かりやすすぎるかな」

「お嬢様……」

「だからね、せめてわたしだけは、あさひにもみんなと同じくらいの愛情を……ん?」

 わずかに瞠目して、みかんは窓の外に注意を向けた。

 みかんの目の前、厳密には数十メートル先で、何やら奇妙な事が起きていた。視線の先には病院を出ようとするさそりの姿がある。その彼女の前に、白のワンボックスカーが突如停車し、運転席から帽子を目深に被った人物が現れた。

「なに、あれ……?」

「どうなさいましたか?」須藤も気になって窓の外を見た。

 その怪しい人物は早足でさそりの背後に回ると、何かの器械をさそりの首筋に接触させた。直後にさそりはぐったりと倒れ込み、その人物はさそりの体を抱えて車の後部座席に放り込んだのだ。

 見るからに非常事態だ。さそりちゃん、とみかんが呟いても、その声が届いているとは思えなかった。そうしている間にワンボックスカーは発進し、すぐにみかんたちの視界から消えた。

「須藤さん!」みかんは反射的に叫んでいた。「すぐに警察へ連絡して!」

「は、はい!」

 普段は冷静な須藤も、さすがにこの事態に狼狽(ろうばい)を隠せないようだ。それでもこの場で携帯電話を取り出すような事はせず、一階の公衆電話を使うために病室を出て行った。

「ねえ、かせいふさんどうしたの?」

「どうしたの?」

 状況が理解できていない二人の妹に、適切な説明ができる精神状態にないみかん。だが不意に、この場で出来る対処を思いついた。

 今はほとんどの病院で、メールなら病室でも許されている。星奴中央病院も例外ではない。みかんはキキたちにメールでこの事態を知らせることに決めた。警察には須藤が連絡している。だが、恐らくさそりが拉致された原因を素早く分析できるのは、キキたちを置いて他にいないだろう。

 本当にこれが適切な対処なのか、冷静な判断はできなかった。それでも、自分もさそりの役に立ちたい……その一心で、みかんはメールを送信した。


 さそりの母親の元に、拉致した犯人を名乗る人物からの連絡が来たのは、それから数分後の事であった。

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