表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第二章 咎人のタイムリミット
35/47

その15 推理

 <15>


 車に戻る。時刻は七時に迫っていた。

 さそりは母親の星子さんに、帰宅が遅くなる旨を電話で伝えていた。わたしも家に電話をかけた方がいいだろうか。友達の事で色々調べて回りたいという事は、すでに両親に打ち明けてあるけれど、七時の夕飯に間に合わない可能性は示唆できていない。とりあえずメールで無事を報告して安心させよう。

 福沢は車のエンジンをかけることなく、ずっとハンドルに顔を伏せている。彼もキキと同様に、何らかの事実に辿り着いたようだが……こっちとしては早く帰りたいから、さっさと車を出してくれないかな、と。

「福沢さん」助手席のキキが話しかける。「そろそろ話した方がいいんじゃないですか。昨日、一体何があったのか……」

「はあ〜……」福沢は両腕の間に顔をうずめた。「君は薄々気づいているんだろう?」

「わたしは推理をしただけです。それが正しいという確証はまだありません。だからあなたに、最後の確認をしたいのです。協力してくれるんじゃないんですか」

「うむ……」

 福沢はまだ少しためらいがあるようだが、やがて呟くように話し始めた。

「先ほども言ったように、俺はやっとのことで朝沼の居場所を特定し、彼女に会って事情を聞こうと思った。時刻は四時頃。エントランス前で部屋番号を打ち込んだ後、マイクに向かって話しかけた時、相手は無言で自動ドアを開けたんだ。だが、朝沼の住む2107号室の前まで来た時……」

「ドアの鍵はかかっていた。そうですよね」

「やっぱり想定済みじゃないか。その通り、マンション内には入れてくれたくせに、部屋には入れようとしない。呼び鈴を押しても反応がない。その時は、居留守に加えて嫌がらせでもしているのかと思ったが……。とりあえず十分ほどドアの前で待ったが、一向に出てくる気配がなかったもので、そのまま帰ろうと思ったんだ」

「里村さんの所に行ったのは?」

「一階に降りて、郵便受けをちらっと見た時に、偶然里村の名前を見つけたんだ。もっとも苗字しか書かれていないから、確信は持てなかったが……だが、里村が『ホーム・セミコンダクター』の専務になっている事は知っていたから、これだけの高層マンションに居を構えていても不思議はなかったから、調べてみる価値はあると思ったんだ」

「結果としては大当たりでしたね」

「まだ会った事もない、殺人事件の容疑者相手に話を聞くとしても、準備らしい準備は何一つしていないから、どこまで踏み込めるかは未知数だったが」

「郵便受けを見て里村さんの部屋に行こうと決めたのなら、その様子が防犯カメラに映っていないのかな」と、わたし。

「郵便受けに接近したわけじゃないから怪しいな。ぎりぎり、カメラの死角に入っているかもしれない。それに、たとえ映っていたとしても何が証明できるだろうね」

 警察が抱いている嫌疑を晴らす事には……ならないな。犯行後に思い立って、怪しさを減らすために他の人の取材に行った事にしようとした、そう解釈することもできる。特に木嶋の近視眼的な発想なら十分にありうる。

 キキが口を開いた。確信を得られたようだ。

「恐らく、福沢さんが部屋番号を打ち込んで呼び出した時、犯人はまだ部屋の中にいたのでしょう。ドアの外で待っている間も、恐らく……犯人は内側から鍵をかけ、福沢さんが部屋から離れるのを待っていたんです。そして、福沢さんが去ったタイミングを見て、鍵をかけることなく部屋を出た」

 そうだ、その後にわたし達が来た時は、ドアに鍵はかかっていなかった。

「でも、なんで犯人は鍵をかけなかったのかしら」あさひが言った。「普通なら、遺体の発見を遅らせることで様々なメリットが生じるから、焦っていたのでなければドアは施錠していくと思うけど。鍵はその辺に捨てても構わないだろうし」

「鍵をかけなかった事によって、どんな結果が生じたか考えてみて。わたし達は、呼びかけても家主の反応がなかった部屋のドアが施錠されていなくて、不審に思って部屋の中に入った結果、朝沼さんの遺体を発見することになった……。そして警察が来て、死亡推定時刻の周辺でこのマンションにやって来た人間を調べた結果……」

「福沢さんに容疑が向けられた」あさひは口元に手を当てた。「それが目的か……」

「そう。後から来訪する人間に不審を抱かせ、確実に朝沼さんの遺体を発見させる。そうすれば自然と福沢さんが怪しく見える状況が生まれる。犯人が鍵をかけなかったのは、福沢さんに罪を着せるためだったんだよ」

 福沢の表情からは何も読み取れない。自分が警察に疑われたのが不幸な偶然でなく、犯人が意図して生み出した事だと知って、多少は衝撃を受けていると思ったが……。

「でも、そんなに上手くいくのかな……それに、里村さんが朝沼さんの部屋に行くと言い出したのは、あくまで偶然のはずだ。それを予期していたとは思えないが……」

「そうだね。犯人も予期していなかったと思うよ。むしろ犯人は、もっと確実に福沢さんが犯人に見える状況を作るつもりだったはず」

「もっと確実に……?」

「いい? わざわざ訪ねてきた相手がエントランスの自動ドアを開けてくれたのに、部屋に着いたら誰も返事してくれなくて鍵もかかっている。普通なら、部屋の中の住人に何かのトラブルがあったと考えて、一階の管理人の元へ駆けつけるでしょう? その間に犯人は部屋から抜け出せた。そして、管理人を連れて部屋に戻ってきた時、話とは違って部屋の鍵は開いていて、しかも中に入ったら首を吊った遺体があった……最初こそ自殺だと思われるかもしれないけど、やがて調べていくうちに、管理人を呼びに行った人の証言の矛盾が明らかになる。加えてエントランスの防犯カメラの映像から、犯行時刻に出入りしていたのはその人だけだと判明すれば、警察はどう考えるかな?」

 どう考えるか。わたしにも容易に想像がつく。

「福沢さんが、自殺に見せかけて朝沼さんを殺害し、あくまで偶然を装ってただの遺体発見者となるために、管理人さんをその証人にしようとした……だね」

 キキはわたしの考えを聞いて頷いた。

「自動ドアを開けてわざわざ福沢さんを招き入れたのも、部屋を出た後に鍵をかけなかったのも、全ては遺体が発見された後で、警察にそういうシナリオを描かせるためだったんだよ。福沢さんが朝沼さんの部屋を訪ねたのは偶然だけど、犯人は瞬時に、その偶然を利用してこんなトリックを考えたんだね」

 捜査する側を見誤らせることをトリックと言うのなら、確かにその通りだろう。実際には、福沢はトラブルを疑うことも管理人を呼ぶこともなく、思いつきで里村に話を聞きに行ってそのままマンションを出た。結果として、警察が福沢を疑う理由は防犯カメラの映像くらいで、その嫌疑はかなり微妙なものになってしまった。

 犯人も、まさか福沢がそんな非常識な行動をとるとは予測していなかったのだ。ある意味で福沢は、その非常識さによって決定的な一撃を避けたと言える。全く、幸運なのか不運なのか分からない。

「なあ……」あさひが口を開いた。「ちょっとおかしくないか?」

「何が?」

 キキは予測済みとでも言わんばかりに微笑んでいた。

「犯人が朝沼さんの遺体をロープに吊るしたのなら、どう考えても自殺に見せかけようとしているよな? 友永刑事も言っていたけど、人間一人を持ち上げてロープに吊るすのは相当に骨が折れる作業だ。そんな苦労をして自殺に見せかけておいて、別の犯人を仕立てる必然性はないと思う」

 言われてみればその通りだ。偶然に訪ねてきた第三者に罪を着せるより、自殺のままで処理させた方が、犯人にとってはよほど都合がよかったはずだ。殺人の可能性を残したままでは、警察が自分に辿り着く可能性も消えはしない。

 それほどまでに福沢を(おとし)めたかったのか。相当に恨んでいた相手である福沢が、犯行の最中に偶然やって来たので、これを利用して福沢に罪を着せようとした……筋は通っているように見えるが、やはり牽強付会(けんきょうふかい)に思えてならない。

 キキはどう考えたのだろう? 彼女の確信が崩れている様子はなかった。

「前提が間違っているんだよ、あっちゃん」

「前提が?」

「苦労して自殺に見せかけたのならそのままにして、第三者に罪を着せる必要なんてどこにもない。でも実際には福沢さんという第三者に罪を着せようとしている。犯人には、苦労して自殺に見せかける必要さえもなかったんだよ。見せかけるまでもなく、最初からどう見ても自殺としか思えない状況だったから」

 キキのその言葉を聞いて、あさひの双眸(そうぼう)が見開かれていく。

「ま、まさか……」

「わたしのこの推測、福沢さんはどう思いますか」

 福沢はまだしばらくハンドルに顔を伏せていたが、やがて顔を上げて、ようやく車のエンジンをかけた。すでに時刻は七時になっていた。

 駐車場から車道に出たところで、福沢は重い口を開いた。

「……恐らく、その通りだろう。朝沼は……本当に自殺したんだな」

「同じ考えの人がいると、こうも安心できるものなんですね」

「君だって、かなり早い段階でその事に気づいていただろう?」

「それはどうでしょうね……多分、あなたとほぼ変わらないタイミングだと思いますよ」

「えーと」わたしは二人の会話に口を挟んだ。「ちょっとよろしいですかな」

「あっ、もっちゃん達も説明が聞きたいよね」

「当然です。ていうかもっちゃんと呼ぶな」

 なんか久しぶりに言ったような気がするぞ、このツッコミ。

「つまり、犯人が朝沼さんの部屋に入った時点で、朝沼さんはすでに首を吊って亡くなっていたんだよ。死亡推定時刻から考えても、その前にまた別の誰かが殺害したという可能性はないと考えていいね」

 ちょっと飛躍したように聞こえるが、冷静に考えればその通りだ。福沢が訪ねるよりも少し前に犯人が発見していて、一方で死亡推定時刻が福沢の訪問した時間帯とほぼ重なっているという事は、朝沼が亡くなったのは、犯人が発見する少し前だ。別の誰かが殺害したのであれば、殺害後に遺体をロープに吊るす作業に時間を取られて、その後に犯人と鉢合わせしているはずだ。その際に、何らかの騒ぎになる事だってありうる。

 まあ、偶然の連続で二人の犯人がすれ違う事だってあるだろうが、まずないと考えていいだろう。状況を見れば、朝沼が自分で首を吊ったと考えるのが自然だ。

「福沢さんが部屋を訪ねた時に部屋にいた犯人が、朝沼さんに何をするつもりで部屋に来たのかは分からないけど……。とにかく、わたし達や警察が殺人だと断定した根拠は、踏み台に使われた椅子の位置だけだった。あれは、朝沼さんの遺体を発見した後に、犯人が動かしたものだよ」

「自殺を他殺に見せかけるために?」と、あさひ。

「それは分からないけど……あの微妙なずれ具合から見て、動かしたのは単なる弾みじゃないかな。例えば、福沢さんが訪ねた時のインターホンの音に驚いたりしてね。遺体を下ろそうとした時に突然音が鳴って、弾みで椅子にぶつかって動かしたとか」

「……それだけ?」

 拍子抜けしそうだ。想像していた犯行の光景が、全て崩れていくみたいだ。

「まあ、実際にあの場で何が起きたのかは知らないけど。だけど、犯人はこの偶然をも利用する事を思いついたのよ」

「一見すると自殺に思える殺人、という状況を作り、訪ねてきた福沢さんに罪を着せる」

「そう」あさひの言葉にキキは頷いた。「本当は自殺だったのだから、犯人にはアリバイができると考えたんだろうね。実際には、遺体発見の少し前に亡くなっていたから、アリバイは成立しないけど」

「でもそんなトリック、すぐにばれるんじゃないの?」

「わずかでも福沢さんが怪しく見える状況さえ作れたら、後は警察がどんなふうにでも解釈してくれると踏んでいたんだよ。それに、犯人としては、一時的にでも福沢さんが犯人だと思わせることが重要だったんじゃないかな」

「どういう事?」と、わたし。

「犯人は間違いなく、福沢さんの事を知っていたんだよ。でなきゃ、偶然に訪問しただけに過ぎない人に、朝沼さんを殺害する動機があるかどうかも分からないうちに罪を着せたって、意味がないもの。実際に警察が調べて動機が見つからなければ、早々に容疑者から外されて、自分が警察に疑われる可能性を高めるだけだからね」

 ああ、言われてみれば……本当にキキの推理は方法論に縛られない。

「多分、犯人は警察に福沢さんを疑わせることで、福沢さんの動きを封じようとしたんだよ。警察に追われていると分かれば、自由に動けなくなると踏んでね」

「なるほど、犯人が俺に拘っていたのはそれが理由か」福沢は舌打ちした。「そう考えれば、俺や君が睨んでいる犯人の正体とも、整合性がとれるな」

「あれ、わたしは犯人の正体が分かっているなんて言ってませんよ」

「ここまで推理できる君が、俺の出したヒントを聞いて気づかないわけがないだろう」

 ヒント? 犯人の正体に繋がる手掛かりを、福沢がいつ提示したんだ。

「えっと……それはどういう事なの?」

「残念だけど、これ以上はまだ話せない」

「またか」わたしは呆れるしかない。「要するに、まだ確証がないのね」

「うん。確証を得るには、まだ根拠が足りない。明日、もう少し調べてみないと」

 まだ調査は続くのか……いや、十四年越しの警察の捜査に比べれば、わたし達が費やす時間など短すぎる。

「そういうわけだから、明日の調査方針はわたしが決めていい?」

「今に始まった事じゃないと思うけど……どうぞ」

「まず、もっちゃん達三人は、篠原さんの勤めていた会社……えっと、何だっけ」

 本当にこいつに方針決定を任せて大丈夫なのだろうか。

「何度も名前が出たじゃない。『ホーム・セミコンダクター』よ」

「そうそう、その『ほーむれす・せみこんがらがったー』に行ってくれるかな」

「こんがらがっているのはあんたでしょ。で、行って何をすればいいと?」

 キキの天然ボケは見慣れているので、突っ込んだら後は流す。

「村井さんが言ってたでしょ。十四年前の事件を証言してくれそうなのは、専属の気難しい警備員さんだけだって。その人に会って話を聞いて来てほしいの」

「さらっと難題を押し付けてくるなぁ……まあいいけど」

「いいのかよ……」あさひは疲れ気味に言った。

 本社ビルに行くのはわたしを含めた三人とキキは言ったが、さそりは了承の返事をしなかった。ここに来て断るつもりはないだろうが、彼女は彼女で、他にやりたい事があるように見えた。今はまだ迷っているみたいなので、あえて聞かないでおこう。

「キキはどうするの?」あさひが尋ねた。

「わたしは例のマンションに行って、朝沼さんの一件をもう少し調べてみる。さっきの推理を聞いていて、一つ大きな疑問が残っていると思うけど……」

「そうね」あさひは首肯した。「犯人がどうやってマンションを出入りしたのか。入り口の防犯カメラがある以上、別の侵入経路があるはずだけど……」

「それを探せば、この仮説も強固になると思うんだ。犯人は最初から、警察の嫌疑を福沢さん一本に集中させるつもりでいたから、侵入方法については割とおざなりだと思う。それなら、ちょっと調べれば分かるはずだよ」

 こいつはちゃっかり楽な役割に回ったわけか……。

「じゃあ、その後は?」

「ほら、高村って警部さんがセッティングしてくれた、当時の担当警察官の話を聞くってやつ、あれもやらないといけないから」

 すると福沢が口を挟んだ。

「篠原龍一の事件の担当というと、蛭崎という警部だろう? そんな人と直接会って話を聞くとは、なかなかのコネを持っているみたいじゃないか。羨ましいな」

「わたしじゃなくて、高村警部が話をつけたんですよ。わたし自身は本庁とパイプなんて持っていませんから。ただ、高村って人はわたしの事を知っているみたいですけど」

 そうなのだ。警視庁捜査一課の敏腕刑事、高村警部は、一体どこでキキの名前とその鋭い推理力を知ったのだろう。わたしが記憶している限り、キキが警察と関わったのは今回が初めてのはずだ。

 ……うん、初めてのはずだ。多分。

「そうだ、美衣にもちょっと調べ物をしてもらおうっと」

 キキは携帯電話を取り出して、美衣に送るメールを打ち始めた。

「あの出不精がOKと言ってくれるかしらね」と、あさひ。

「あれでも友達のためなら労力を惜しまない性格だし、それに、美衣に調べてもらうのはネットの世界の話だから、出不精の美衣でも問題ないと思うよ」

「ネットの世界……」福沢が呟いた。「なるほど、君は本当に慎重だな」

「推理小説と違って、現実には答えを一つに絞り込めるのに十分な材料が揃うとは限りませんからね。わたしは名探偵じゃないので、推理で真実を言い当てることはできません。だからなるべく多くの検証材料を揃えて、真実に近づくしかありません」

 実にキキらしい、地に足のついた考え方だ。ところで、ネット上の調べ物と聞いて、福沢は何か思い当たることがあるみたいだが……話してはくれないだろうな。

「その美衣という友人は、その手の調査に長けているのかい?」

「多分、やろうと思えばどんな調査でも出来ると思いますよ。美衣は大抵の事に消極的ですからね。でもそのスペックは並みの中学生とは比較になりませんよ」

 福沢は微かに笑っているだけで、何も言葉を返さなかった。誰の意図するわけでなく、沈黙の時間が流れる。答えるべき人が答えないと、空気はしんと静まり返るものだ。

「あの、福沢さん……?」

「君はもう少し」キキのセリフを遮るように言った。「自分が恵まれている事を自覚した方がいい。現状で(あずか)っている恩恵に気づかない人は、不幸になるだけだ」

「それは自覚しているつもりですけど……」

「君は、自分が思っている以上に力を持っている。人を寄せ付ける力が。頼れる友人をいくつも持っているのは、その力のなせる業と言ってもいい」

 キキは、福沢の言葉の真意を測りかねているらしく、呆然と見つめているだけだ。

「俺は今まで、己の身一つでいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた。それ自体はわずかでも誇りだと思っている。だが結局は、孤独のままでいる事に変わりはない。一人の人間に出来る事なんて限られている。どれほどの難局を乗り切っても、それは誰とも分かち合えない、自分の中だけで完結する武勇伝だ」

「…………」

「君は自分の力の可能性に(おご)ることなく、仲間との信頼関係によって難局を乗り切ろうとしている。それは間違いなく誇りになる。俺のちっぽけなものとは比べ物にならない」

 ……もしかして、キキの事を褒めているのだろうか。

 そうだとしたら、あまりに婉曲が過ぎる。不器用と言ってもいい。

「……独力で色々な事を成し遂げる人と、色々な事ができる仲間を多く持つ人」

 キキは福沢から視線を外し、まるで唱えるように言った。

「どちらがより誇らしいか……そんなの、比べようがないと思います。方法がどうあれ、困難を乗り越えた事はその人にとっての誇りになり得ます」

「……そうか」

「それに、わたしは有能な友達を持っても誇りには思いません。わたしはあくまで、友達でいる事以上に相手に要求する事などありませんから」

 友達は友達でいてくれればそれでいい、というわけか。これも実にキキらしい。その純粋さが数多の信頼関係を築いてきたのだろうな。自分の期待に応えてくれる人じゃなく、自分と対等に付き合ってくれる人こそ、キキが求める存在なのだろう。

 人懐っこいように見えても、案外寂しがり屋なのかもしれない。……わたしと同じで。

 そうこうしているうちに、まずはさそりの家の前に到着した。

「じゃあ、また明日ね、さそり」

「うん、またね」

 さそりはそう返して車を降りた。そして家に入る、その前に、運転席の窓を開けた福沢が呼び止めた。さそりが運転席に近づくと、福沢はさそりに何かを渡した。

「これを君に渡しておこう」

「……これ、お守りですか?」

 さそりは、巾着みたいな形のお守りを眼前に掲げて言った。

「仕事上、どうしても危険な目に遭ってしまう事は度々あるからね、多少心許なくても、俺にとってはマストアイテムなんだ」

「じゃあ、これいるんじゃないですか?」

「俺はしばらくカプセルホテルに入って大人しくしているから、どうしても必要なわけじゃない。そいつの守護の効果は保証しよう」

 なぜそれをさそりにだけ渡すのか……まあ、わたしは無くても何とかできるけど。

 さそりもどこか釈然としない様子だったが、持っていて悪いことはないだろうと判断したようで、「……では貰います」と言ってお守りを握り締めた。

 さそりが家の中へ入っていった事を確認して、福沢は車を発進させた。次はあさひの家に行くことになるだろうか。……あれ、あさひは家の人に連絡したのか?

「そうだ。時間が余った時で構わないから、君に行ってほしい所がある」

「わたしに?」キキは自分を指差した。

「門間町四丁目の『和倉(わくら)』という名前のバーだ。朝沼がよく行っていた店だよ」

「朝沼さんが?」

「これは上司である俺しか知らない。警察は多分知らないだろう」

「中学生がバーに行ったら色々おかしくないですか。なんでそんな所に?」

「行けば分かる」

 それ以上は何も言おうとしなかった。これも、キキの言うところの『お膳立て』なのだろう。未だにその目的を語ろうとしない所が嫌に不気味だが……。

 明日もまた何か起きる予感ばかりする。それがいい予感である事を、わたしは切に願わずにいられない。


 わたしはまだ福沢という人物を完全には信じ切れていなかったので、先にキキを家に帰すように言った。あさひも家に帰されて、これでわたしが先に車を降りたら、しばらくキキが福沢と二人きりになる。キキは気にしないだろうが、わたしが我慢ならないのだ。

 結局わたしが最後に帰宅して、時刻は七時半になろうとしていた。一応遅くなる事はメールで知らせておいたけど、どうも顔を合わせるのが恐いな……。

 そう思いながらもわたしは玄関のドアを開けた。

 目の前に、知り合いの顔。

「わっ!」わたしは思わずのけ反って後ずさった。

「おお、もみじ。やっと帰って来たのか」

「来たのか、じゃないわよ。なんで功輔がうちに来て……って、聞くまでもないか」

 確か以前に言っていたからな。また夕飯でもご馳走になろうか、と。

「今日はサケのホイル焼きだったぜ。ちまちま食べるからちょっと俺好みじゃないけど」

「知るか」突っ込む気力も失せていた。「あんた最近、うちの夕飯を食べに来ることが増えてない?」

「うちが両親共々忙しくてまともな夕飯を作ってもらえてないんだよ。ここなら立派なものが食えるし、試合が近い人間としては多分にエネルギーを摂取したいからな」

 何を言っているのだ、こいつは。それがわたしの家を選ぶ理由になるのか。

「そういえば、試合は明日だったね。勝てそうなの?」

「俺自身は完全にベストコンディションだ。勝てるかどうかは問題じゃない。なんとしても勝ってみせる!」

 そう言ってガッツポーズを固める功輔。そういえば因縁の相手とか言っていたな。

「どことやるの?」

「門間第一中学校のサッカー部だよ。過去の戦績は五分五分で、今回は敵地での戦いだ。気は抜けないぜ」

 別にわたしも参加するわけじゃないから、わたしに向かって気は抜けないと言われても反応に困る。それにしても、さそりの通っている学校が相手とは、面白いというレベルの因縁だな。

「んじゃ、そういうわけだから俺は帰るよ。勝利報告はメールでするから」

「ふうん……それなら敗北報告はどうするの」

「やらねぇよ、そんなの」

 分かっていた。変に見栄を張る所のある功輔が、恥をさらすような真似などするわけがない。調子に乗っているようなのでからかっただけだ。

 それにしても……メールによる勝利報告。必要だろうか?

 蓋を開けてみると、夕飯に遅れた事は咎められなかった。わたしが殺人事件の調査をしている事を両親は知らないが、どちらも深く突っ込もうとしなかった。説明が困難に過ぎる事なので、わたしとしてはありがたいことである。

 夕飯を終えて、わたしは自分の部屋に戻って、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。お風呂の用意ができるまで寝ていようかと思ったけれど、携帯に着信が入ったので断念した。

 電話の相手はさそりだった。珍しいこともあるものだ。

「もしもし? さそり、どうしたの?」

「あ、うん……」なぜか口籠っていた。「あのさ、明日の調査だけど、もみじとあさひの二人だけで行ってくれないかな、って……」

 友達を相手にずいぶんと遠慮がちな口調だ。

「さそりは行かないの?」

「えっと、その……みかんのお見舞いに、行きたくて……」

 ……そういう事だったか。どういうわけか、わたしの周りには自己主張が変な所で苦手になる人が多いな。少し笑えてくる。

「明日じゃなきゃ駄目なの?」

「ずっと行きたいと思ってたんだけど、みんなわたしのために頑張ってくれるから、言い出しにくくて……」

「でもいい加減に我慢の限界ってわけ?」

「まあ、平たく言えば」

 わたしが見る限りでは、さそりとみかんの間に結び付きは強くない。学校も離れているし、年齢でいえば二歳も離れている。だけど、仲のいい友人の中で最年少であるさそりの事を、みかんはとても可愛がっている。それを知っているからこそ、入院中のみかんを見舞わないわけにはいかないと思っているのだろう。

 さそりにとって、義理と友情は紙一重という事か。

「いいよ、行って来れば」

「え、いいの?」さそりは驚いたように言った。

「調査内容が気になったら、いつでもメールして来ていいからさ。友達の事を心配して他の事を後回しにしてしまうって、わたしは構わないと思うけどな」

「もみじ……」

 おお、ちゃんと本名で呼んでくれたな。結構なことである。

「みかんもきっと、さそりに会いたがっているよ。まあ、毎日のように妹さんがお見舞いに来ているらしいから、寂しい思いはしてないだろうけど」

「そういえばわたし、みかんの妹さんって見た事ないかも。会ってみたい」

「一度会って話してみるといいよ。ものすごい癒されるから」

「え? 癒し系キャラ?」

 どうやらさそりも、みかんの家の詳しい事情は知らないらしい。今までわたし達にも隠していた事が明るみになって、みかんも少しは心を開いて話してくれるかもしれない。

「んじゃあ、この事はあさひにも伝えておくから」

「うん、よろしく。ありがとね、もっちゃ……じゃなくてもみじ」

「お、おお……」

 やっぱり気を抜くと癖が出てしまうようだ。自制するだけマシだけど。

 電話の後、わたしはこの事をメールであさひに伝えて、あさひからもOKの返信を貰った事で安心し、わたしは再びベッドに仰向けに倒れ込む。

 もう誰も電話をかけてくるなよ、と念じながら。意味はないけどね。

 ふと考えることがある。

 この調査が終わったら、わたしもキキと一緒にみかんのお見舞いに行こう。渋々といった顔になるだろうけど、誘えば美衣も来てくれるはずだ。とはいえ、みかんはもうすぐ退院するという話だ。調査の進み具合によっては、終わった頃にはお見舞いするタイミングを失っているかもしれない。

 ふと考えてしまうことがある。

 わたし達の調査にタイムリミットはない。しいて言うなら、わたし達が諦めた瞬間だろうが、そんな瞬間は最後まできっと来ないだろう。最悪の場合、半永久的に続く可能性だってある。そんな際限のない戦いにいつまでも臨める覚悟が、果たしてわたしにあるのだろうか。……怪しいと言わざるを得ない。

 ふと考えに陥ってしまうことがある。

 翌日の調査に、当事者であるさそりは参加しない。すでにさそりの中で、父親の事件を調べることは最優先の課題ではなくなっているのだ。好意的に捉えれば、キキやわたし達を信用して任せているつもりなのかもしれないが。その一方で、わたしは貴重な時間を割いて様々な所を歩き回り、いつ終わるとも知れない情報収集に明け暮れる。まあ、頭を働かせているのは主としてキキなのだが。

 ……暇なわけじゃない。通常なら、剣道部で鍛錬を積むのにかける時間を、友達のためという理由をつけて調査に費やしているのだ。だけど、その友達はすでに、自分の父親の事件の調査を二の次にしている。

 わたしが、わたし達が調査を続けようとしているのは、もう単なる自己満足になりかけているのか? そうではないと思いたい。ならば、わたしは何のために調査をしているのだろう。

 何のために、真実を追い求めようとしているのだろう?

 ……分かっていた。わたしがどんなに思考を巡らせても高が知れていると。とりあえずあれこれ悩むのは後回しにして、お風呂の準備が出来るまで寝ていよう。溜まっている宿題を進めるつもりはさらさらない。

「もみじぃ、お風呂入っちゃいなさい」

 一階からお母さんの声。……やれやれ、誰もわたしを眠らせてくれないぜ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ