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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第二章 咎人のタイムリミット
25/47

その5 チーズケーキ

 <5>


 わたしは走っていた。息は弾んでも途切れはしない。

 朝方にさそりからメールをもらい、調査の名目としての会社見学の案内を、今日の夕方に行えるようこぎつけられたと知った。つまり、今日から早速調査再開の目処が立ったことになる。今日の部活の練習メニューを速攻で終わらせて、わたしは急ぎ学校を出た。

 集合場所は喫茶店『フェリチタ』を指定されていた。さそりは隣の門間町の中学校に通っていて、これから向かう会社は同じく門間町にあるのだから、星奴町との境界に近い場所にするべきだとは思ったが……知っている店がその辺りになかったという。店にこだわる必要があるのだろうか。

 防具と竹刀を背負っているから、普通に走るだけでも結構体力を消耗する。しかし、普段から体のあらゆる所を鍛えているわたしには、それほど苦痛を伴うものじゃない。このシチュエーションだって初めてではないのだ。

 その勢いのまま、『フェリチタ』のドアを開けて中に入る。待ち合わせの時刻にはぎりぎりで間に合った。

「あ、もっちゃん、こっちだよぉ」

 手を振ってわたしを呼ぶキキの姿を確認した。わたしは竹刀と防具を床に置き、携帯電話を取り出すと、キキに向かって投擲(とうてき)を試みた。

 見事に命中。キキは後ろ向きに倒れてテーブルに後頭部をぶつけた。

 何もかも昨日と同じ状況。よもや、キキの向かいに座っている彼女まで、昨日のあさひと同じセリフを言わないだろうな。

「もみじよ……その投球は、ソフトボールではイリーガルピッチと判断されるぞ」

 よかった、美衣は同じ事を言わなかった。いやよくないけど。

「いいのよ。わたしはソフト部じゃないし。それに野球なら問題ないでしょ」

「人に当てたらデッドボールだけどな」

「ソフトボールでも同じだから。まあ、これは狙って投げたから、わたしのピッチングセンスがなかなかのものだって事じゃない?」

「自慢にならない事を自慢げに言う前に、さっさと座ったらどうだ」

 それもそうだ。わたしは防具と竹刀を携えて、二人が待つテーブルへ向かう。

「もぉ、なんでいつも携帯投げつけるの? はい、これ」

 キキは額をさすりながら、わたしの携帯を差し出した。受け取る。

「自分の胸に訊け」

「なんでだと思う?」

 キキは自分の胸部に向かってそう言った。本気ですか?

「人前であんなおかしなあだ名を呼ばれたら、誰だって嫌になるわよ」

「えー、可愛いのに。ねえ、美衣も可愛いと思うでしょ?」

 キキが尋ねた相手である美衣は、ディッシャーで半球形のバニラアイスを載せた水色のハワイアンソーダを、ストローで吸っていた。ストローから口を離すと、半眼のまま冷たく言い放った。

「どちらも可愛くない」

 美衣はスプーンでバニラアイスを掬って食べ始める。

「あ、そう……」

 キキは何も言わなかったが、あだ名はともかく本名までそのように言われるのは、なんだか腹立たしい。もっとも、特段気に入っている名前でもないので、反論の仕方が思いつかないのだが。美衣もそれが分かっていたから平然と言えたのだ。

 あさひが自分の代わりに調査に参加させたのは、美衣だった。美衣は普段PHSを使っているため、あさひはパソコンのアドレスにメールを送って依頼したそうだ。よほど直接話すのが躊躇われたらしい。とはいえ、その後に電話で「ご迷惑だよ。以上」と言われたらしいので、あまり意味はなかったみたいだが。

 それでも美衣は来てくれるのだから、何だかんだ言っても義理堅い奴である。

「な、なんかごめんね? 予定外に美衣を巻き込んでしまって……」

「まったくだ。こちらの予定も顧みずに、成果の見込めない調査もどきに付き合えと言われて、こっちは迷惑以上の何物でもない」

「それでも断らないんだね」

「断る理由がなかったものだからね。困った事に。しかし、わたしがあさひの代わりに調査に加わった所で、いい方向に事が運ぶとは思えないのだが」

 これは謙遜ではなく、本気でそう思っているのだ。礼節を弁えることを知らないという点では、キキといい勝負である美衣。本心と少しでもずれた事は断じて口に出さない。

 わたしが見たところ、美衣は他人の感情を意に介さないという欠点はあれど、ロジックの扱いは誰よりも秀でている。だから、調査に加われば心強いと思える。しかし、美衣が自分の実力をそのように評価している向きは少ない。謙虚な姿勢は取らないが、同様に傲岸(ごうがん)な姿勢も取らないのが、美衣という女の子の性質なのだ。

 もっとも、付き合いの長いわたし達以外の人から、同じように見なされているかどうかは分からない。何かと誤解が多いのも美衣という人間なのだ。

「そんな事はないよ」キキは言う。「わたしは美衣の事、ちゃんと信頼してるよ」

 美衣は表情を変えなかった。

「わたしだって、二人の事は信頼しているよ」

「えっ……」わたしは絶句した。「二人って……わたしも?」

「お前以外に誰がいるんだ」

「いや、だって、わたしは多少体が動かせるくらいで、いてもいなくてもそんなに変わらないと……少なくとも美衣にはそう思われていると思っていたけど」

「多少、なのかな……」キキは苦笑して言った。

「もみじがいてもいなくても変わらないとは、わたしは思わないけどね。お前は、裏切るということを知らないからな。ここぞという時にしっかり決めてくれるのが強みだ」

 容赦なくプレッシャーをかけてくる奴だ。大きな大会への出場経験は多々あるから、その手の事に弱いというわけじゃないが、決して強いわけでもない。まして、美衣からの信頼となると相当に強烈である。

「もみじ」美衣がわずかに穏やかな表情を見せる。「お前は、もう少し自分の力を信じてもいいと思う。信じすぎるのはよくないけどね」

「そうなのかな……」

 悩ましいところだ。劣等感に苛まれているとは思っていない。しかし、大事な局面で知恵を絞りだせるこの二人と比べると、わたしの能力など役に立たないのではないかと、心のどこかで決めつけているきらいがあるのだ。そんな自分に嫌気が差しているわけではないものの、他人から信頼される程度の存在ではないと感じている。

 自分に何ができるのか。そう考えた時、即座に答えを出せない事にもどかしさを覚えてしまう。あるいは、答えなどないのかもしれない……。

「もういい。自問自答は後回しだ」美衣はじれったくなって話を変えた。「それで? さそりの母親が色々と手を回して、亡き父親が勤めていた会社に見学と称して調査に行けることになったそうだが、どういう手順でやるんだ?」

 キキが答えた。「最初に、案内役を引き受けてくれた受付係の人に会って、その人と一緒に社内を巡って調べつつ、容疑者三人に会って話を聞いてみるつもり。まあ、全員が揃っているかどうかは、朝の時点では分からなかったけど」

「上手くいくのか……? 行き当たりばったりという印象が強いが」

「美衣、それは今更だよ」

「にこやかに言うな。それで納得するのはみかんだけだろう」

 おっしゃる通り。ピントのずれた説明ですぐに納得するのは、同じく天然気質のみかんだけだ。彼女と同様に騙される人は、この場にはまずいない。

「そもそも、事件発生から十四年も経っているわけだろう? 話を聞いても覚えている事は少ないだろうし、建物の内装だって変わっているだろうから、当時の痕跡が残っている可能性は極めて低いと思うが」

「まあ、ね……別にはっきりと確証があるわけじゃないけど。ただ……」

「ただ?」と、わたし。

「行けば何か分かると思うんだ。無駄にはならないと思う」

 キキの表情のわずかな変化を、わたしは見逃さなかった。これは、一番付き合いの長いわたしにしか分からないことのようだ。

「当てでもあるのか?」と、美衣。

「昨日、警察の話を聞いていて分かった事があるんだ。もしかしたら、警察も気づいていない可能性がある。そして、それが正しいとしたら、会社に何かあるはずだと思ったの」

「まさか、もう犯人の正体に見当がついたとか?」

「ううん。それはさっぱり」

 わたしの問いかけに、キキはあっけらかんと答えた。

「条件は色々揃っているように見えるけど、それでもやっぱり、全体像はぼやけたままなんだよね。一つ一つ論理を重ねていけばどうにかなるかと思ったけど、そう簡単にはいかないみたい」

「当たり前だ」美衣が言う。「パズルの組み立て方が分かったって、完成させて全体を見なければ真実は分からない。現実の問題は、ロジックの蓄積だけで解決できるものじゃないんだよ。完成させたものを俯瞰して見たら、いびつな形になっていた……なんてよくある事だからな」

「全体を見渡してみなければ真実は分からない、か……肝に銘じておきます」

 なぜか敬礼するキキ。

「まあ、いずれにしても、情報の取捨選択は慎重に行うことだな。というわけで」美衣はカウンターの晴美さんに向かって声を上げた。「すみません。レアチーズケーキ一つ、イチゴソース付きで」

「はーい。レアチーズケーキ、イチゴソース」

 晴美さんはそう言って、軽やかな足取りで奥の厨房に行った。呆然としているわたしとキキに向かって、美衣はこともなげに呟く。

「糖分の摂取は、脳の回転に必要不可欠だからな」

 それは本心だろうが、実際は甘いものが食べたいというだけの理由だ。美衣はこう見えても極度の甘党なのである。

 ドアベルの音が響いてくる。入り口からこちらに駆け寄ってきたのはさそりだった。

「お待たせ」さそりは美衣を見てさらに言う。「あ、美衣。久しぶりだね」

「そうか? 塾で頻繁に会うから、それほど久しいとは思わないが」

「えっ、美衣、塾なんかに通ってるの?」

 わたしが尋ねると、美衣は、中身を飲み干したグラスの中の氷をストローでいじりながら、こちらに顔も向けずに言った。

「学校よりも静かで集中できるからな。それにもう一つ理由がある」

「……何?」

「敵が少ない」

 美衣はそう言って、氷の融けた水を飲んで顔をしかめた。薄すぎたらしい。

「えーと……何があったの?」わたしはさそりに尋ねた。

「わたしもよく知らないけど、学校の同級生とうまくいってないみたい」

「まあ、一種の逃避行動というやつだ。気にするほどでもない」

 気になるのだけど……好奇心じゃなく、友達として案じているだけだ。

「それより、迷惑じゃなかったか? 自分の事情に深入りされるのは……」

「ううん、そんな事ないよ」さそりはかぶりを振った。「お父さんの事を聞いてからずっと心に引っ掛かっていた事を、解きほぐすいい機会だから。わたしも早く、何も分からないっていう苦しみから解放されたいからさ……」

「……そうか」

 美衣は内心の変化を顔にほとんど出さない。今も無表情なのは変わらないが、さそりの言葉を聞いて、何か思う所はあったかもしれない。

「さっちゃん、お母さんは来てないんだね」

「うん。パートの仕事が忙しくて。でも色々準備してくれたよ。今も、店の前にタクシーを待たせているから」

「タクシーで来たんだ……」

 キキが言葉に詰まった理由が分かる。女手一つで年頃の娘を育てる母親が、移動手段としてタクシーを使うお金を用意したわけだからな。それにしても、用意のいい人だ。

「さ、早く行こう。あまり遅くなったら向こうが困るだろうし」

「そうだね」キキは立ち上がった。「美衣、行こう」

「お待たせしましたぁ」

 晴美さんが柔らかい口調でチーズケーキをテーブルに置いた。美衣はこれを見て、渋い顔をわたし達に向けた。美衣もあさひから評判を聞いているため、頻度は知らないがよくこの店に来ているらしい。だからこれは、晴美さんが常連相手にしかやらない、意地の悪い接客なのだ。

「これを食べてからにしないか」

「置いていくよ?」わたしは突き放すように言った。

 美衣は唸りながら、残り惜しそうにチーズケーキを見ている。友達のためには手を抜かないけれど、基本的には欲望に忠実な美衣である。ストレスが少なそうだ。

 すると、なかなか椅子から立ち上がろうとしない美衣に、晴美さんが耳打ちした。

「これ、冷蔵庫に入れて取っておくから、後で食べに来たら?」

「…………」まだ動かない。

「移動中に生チョコでも食べる?」

 美衣は嘆息をついた。「仕方ない、それで手を打とう」

 そう言ってようやく椅子から立ち上がった。まだ視線はケーキに向いているけど。

 ため息をつきたいのはこっちの方だ。こいつも相当に面倒な性格である。

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