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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第二章 咎人のタイムリミット
22/47

その2 十四年前の事件

 <2>


 あさひは、自分で集めた資料に一通り目を通しているらしく、どこにどんなことが書いてあるのか、ほぼ完全に把握しているという。思えば、みかんの事件が終結していない段階で、あさひはすでに十四年前の事件の大筋を知っていたのだ。それにしたって、並の大変さではなかっただろうに。

「十四年前の、篠原龍一殺害事件に関する新聞記事は、主要三紙に全て掲載されていた。だけどどれも、続報らしいものは見当たらなかったわ」

「当時から警察の捜査は暗礁に乗り上げていたみたいだね」

「多少の文面の違いはあっても、内容はどれもほぼ同じ。扱いも、三面に小さく取ってあるだけ。重要度としては低い方だと、どの出版社も考えていたみたいね」

 ……こんな意味深な会話を繰り広げる中学生。喫茶店ではあまりに目立つ。

「新聞の日付は全て、十四年前の十月三十日。事件発覚が二十九日の早朝だから、警察の発表があるとすればその日の夕方あたり。ぎりぎり翌日分に間に合うわね。見出しは『無人の家屋に男性の遺体』が必ず入っている。星奴町東部にある無人の木造家屋の一階で、会社員・篠原龍一が遺体で発見された。死因は首元を刃物で切られた事による失血死、死亡推定時刻は前日、つまり二十八日の午後八時から十時ごろ。警察は殺人と見て、近隣の目撃情報を集めるなどして、容疑者の絞り込みを行うとしている……これだけね」

 分かっている。これは新聞記事の文章をそのまま読み上げているだけだ。しかしあさひが言うと、自分の考えを自分の言葉で話しているように聞こえる。普段はともかく、あさひが思考を働かせながら喋ると途端に事務的な口調になるのだ。

「東部にある無人の木造家屋……それが、あの廃屋なの?」わたしは尋ねた。

「友永刑事も、あの廃屋で事件が起きたのは十四年前だって言っていたし、それは間違いない。どこまで捜査が進んだのかまでは聞かなかったけど、続報がない事から察するに、容疑者の絞り込みを終えたところで頓挫したみたいね」

「午後八時から十時の間って……ほとんど人が出歩かない時間帯でしょ。あの廃屋の周辺も民家が少なかったし、目撃証言なんてなかなか出なかったんじゃない?」

「でしょうね。同様のパターンで捜査が滞った事例はたくさんあるもの、この事件もどうやら、その事例に漏れなかったようね。それに、被害者であるさそりのお父さんが勤めていた会社にも、話を聞きに言ったみたいだけど、何ら確信を得ないうちにマスコミに取り上げられてしまったみたい。無能さをさらけ出す事になったわね」

「どういうこと? 続報はなかったんだよね」

「こっちの雑誌の方に、詳しく書かれていたのかな」

 キキが雑誌のコピーを指差した。

「ええ。週刊文明っていう週刊誌が、三か月ほどこの事件の取材と記事連載をしていたのよ。どうやら、警察などの関係者に粘り強く聞いて回って、判明した事実を少しずつ記事にして掲載していたみたい。どれも警察からの公式発表にはない内容ばかりよ」

 週刊誌はスクープを獲得することがメインの仕事と言ってもいい。新聞やテレビのニュースでも、政界における疑惑というものはほとんど、週刊誌の報道に端を発するものばかりだ。その一方で、勇み足なのか故意なのか、報じた疑惑が事実無根だと分かって信頼を落とすなんて実例もある。

 どちらにしても、わたしには週刊誌に良好なイメージなどなかった。スキャンダルを無節操に広めて、他人を(おとし)めることも(いと)わない、それが週刊誌というものだと考えている。

「記事は全部で四本見つかったわ。どれも掲載の間隔は同じくらいで、月イチ掲載と言ってもいいわね。まず一本目で、被害者が勤めている会社と所属と階級を報じている」

「それって警察が発表していないんでしょ? 報じていいのかな」

「報道の自由は憲法で保障されているし、掲載すること自体は法に触れないけど、それによって当事者が不利益を被ることがあれば、控えるのが適当と見るべきね。裁判沙汰になれば間違いなくそういう結論が出る。ただこの記事の場合、会社の実名は出さず、あくまで半導体製造関連会社と書いてあるだけ。関連と書く事で追及をかわしているのよ」

「この一文だけで会社が特定できるわけじゃないから、当事者に不利益が出ても責任はないと、言い逃れられるわけね……小癪(こしゃく)な」

 良くも悪くも正直なわたしは、抱いた感想を短く呟いた。あさひは苦笑する。

「まあ、どうせこの業界ではよくある手法なんでしょう。ええと、被害者はその会社の管理部門の部長……文字通りの管理職か。そして、容疑者として浮上したのが、同じ部署の人間だという。さすがに具体的な名前までは載せないわね。それと、警察関係者への取材で、凶器は刃渡り二センチ以上の刃物であると判明した。やけに短いわね。でもカッターナイフみたいに薄い刃物ではない、と……一本目はここまでね」

「うーん……」キキが腕組みをしながら唸った。「その文面からすると、凶器が特定されたわけではなさそうだね。場所が場所だし、どんなふうにでも処分できただろうね」

「警察も、凶器の線から犯人を特定する方法は、早い段階で諦めたかもしれない。でもそうなると、一気に容疑者の絞り込みが難しくなっただろうなぁ……さて、二本目ね。こっちは会社に横領疑惑があった事を報じているわね」

「横領?」キキが言った。

「ええ。株式上場を目前に控えていただけあって、内部で秘密裡(ひみつり)に調査チームを作って調べていたみたい。チームの立ち上げが事件の二か月前で、被害者の篠原さんも、その調査チームの一員だったみたいよ」

「普通そういう調査って、外部の第三者に任せるものなんじゃないの?」と、わたし。

「まだ疑惑の段階で、本当に横領が行われていたかどうかが判然としなかったから、まずは内部で横領の実態を調べるつもりだったみたい。事件後にようやく横領が事実である事が判明して、会社が公式に発表すると同時に、この記事が掲載されたのよ。でも、横領事件に関しても続報らしき記事はなかったのよね……」

「こっちも行き止まりか。それで、その横領事件はさそりのお父さんの事件と関係ありそうなの?」

「分からない……この記事でも、殺人の動機がそこにある可能性は捨てきれない、と書かれているだけだから。取材でもはっきりと関連性は浮かばなかったみたい」

 うぅむ……わたしは複雑な心境に陥っている。ここに来て今更だが、どう見ても中学生が喫茶店でかわす会話ではない。自分たちが普通でない事は、昨日までの行動で十分に承知していたつもりだけど。

「次は三本目ね。これは警察関係者への取材の結果を載せているわね」

「公式に発表していない事を、週刊誌の記者に打ち明けたってこと?」

「それなら公務員法の守秘義務に違反することになるけど、ここでも“関係者”という単語が上手く利いているのよ。極端に言えば、ケータリングを運び入れる業者とか、清掃担当のおばちゃんとか、そういう人もひっくるめて警察関係者と言えなくもない。偶然立ち聞きしてしまった事を記者に話すだけなら、公務員法には引っ掛からない。多少信憑性が下がっても、後から他のマスコミが警察に確認して事実だと分かれば問題なし」

「邪悪な……」

「まあ、他のマスコミが何も言ってこないって事は、この記事自体が注目度の低い存在だったって事でしょ。新聞でも小さな扱いだったし。上場もしていない会社の部長が殺されたとしても、一時的に人々から可哀想と思われるだけ……たとえ未解決でも、マスコミが大衆の関心を引けないと判断すれば、その程度の事件だと思われて終わりよ。当事者がどう思おうと、ね」

 あさひのその考え方に、否定の余地があるとは思えなかった。

 わたし達は普段、世の中で起きた出来事を知る道具として、マスコミ以外には何も持っていない。ネット上で様々な情報や憶測が飛び交っていても、その多くはネットの世界で完結してしまう。事実だと思い込めばそれまで。後から誤解だと分かっても個人が後悔するだけで終わりだ。実質的には、わたし達が正確な情報を求めて手を出すのは、マスコミしかないのだ。

 だけど、テレビでいえば放送時間に、新聞や雑誌でいえば紙面に、必ず限界というものは存在する。だから、どんな媒体でも報じられない出来事というものが、どこかにあってもおかしくないのだ。そしてそれは、マスコミが人々に知らせるべきと判断されなかったものに、自然と限定されていく。

 結局のところ、真実に辿り着けるのは当事者しかいないのだろう。わたし達も、みかんの事件の当事者だったから、しっかりと情報を拾って推理する事ができて、真実を見つけられたのだ。ほとんどキキが成し遂げた事だけど……。

「で、某警察関係者から聞いた話だけど、警察が容疑者と見ている人達は、全員被害者の篠原氏と大学の同じサークルに所属していたそうよ。加えて、被害者が加入していた生命保険の受取人になっている……なるほど、こればかりは警察しか掴めない情報ね。保険の契約内容は立派な個人情報、開示請求をできるのは警察しかいないし」

「さそりのお父さん、生命保険に入っていたんだ……」と、キキ。

「それ自体が珍しいとは思わないけどね。核家族化が進む昨今、そのくらいの備えをする所はどこにでもあるわよ。でも、受取人が会社の同僚というのが気になるわね。まあ、これが本当かどうかは分からないけど」

「でも、警察がその人を……もといその人達を、容疑者と見なしているって事は、その生命保険が絡んでいる可能性も考えているんじゃないかな」ここまで言って不意に思いついた。「ていうか、容疑者は複数いたんだね」

「さっきの二つの記事では明記されていなかったけどね。警察関係者に聞いた事で、新たに分かった事実ってことかも。まあ、ここまでは普通に、警察が公表していない事をすっぱ抜くだけの、週刊誌ならよくある内容だったけど……確実におかしいのは四本目よ。どういうわけか、この事件の記事の連載を休止するって、ご丁寧に宣言しただけだった」

「連載休止? ここまでやっておいて?」

「そう。理由は何も書かれていない。ここまでの内容で、特定の個人や団体に不利益を生じさせるような記述はなかった。だから多分、読者や関係者からの強い非難があったわけではないと思う」

「そういう事態になったら、謝罪の一つでもするんじゃないの?」

「新聞なら当然する。雑誌の場合でも大体はやる。もちろんそれでも謝罪しないパターンもあるけど、それにしたって、その事に一切触れず一方的に休止を宣言するのみ……おかしいのよね。担当した記者の方に何かあったとしか思えない」

 結局何も分からずじまいか……この週刊誌の記事も、結構謎が多そうだ。つまりよく分からない謎が増えただけ。新聞や雑誌を調べた成果はそれだけだった。

 とはいえ、この程度の情報は当然警察だって集めているはずで、その警察が何も掴めなかったのなら、わたし達の場合は言わずもがなである。最初から分かっていた事だし、ここでの話し合いだけでどうなる問題ではない事も承知していた。

 それでもやっぱり、友達として何もできないというのは率直に言って悔しい。さそりは多分気にしないだろうけど、わたしが気にしてしまうのだ。

「どうすればいいのかな……さそりに会って色々話を聞くしかないのかな。でも覚えている事なんて少ないだろうし、この状況だとなんだか会いにくいし……」

「うん、だからこっちから会いに来たよ」

 聞き覚えのある幼めの声にびくっとする。まさか、と思って背後を振り向くと……。

「久方ぶりだね、もっちゃん」

 黒髪ツインテールの少女、さそり本人がいた。隣のテーブルとの仕切りから顔を覗かせていたのだ。

「なっ……!」わたしは驚きのあまり椅子から立ち上がった。「なんでさそりがここに来ているのよ?」

「わたしが呼んだからだよ」手を挙げた人がいた。

「キキが?」

「さそりのお父さんの事で色々調べているって言ったら、少し遅くなるけどわたしも付き合いたいって言ってきたの」

 本人に内緒にする気などなかったらしい。というか、知らなかったのはわたしだけ?

「あさひ、あんたは聞いていたの?」

「ここに着いた時に初めて聞かされた」あさひはジュースをストローで吸い込んだ。「もみじがキキとコントを始めたんで、言うタイミングを失ってしまったの。ごめんね」

「いや、今さら謝られても……つか、さそりはいつからいたのよ」

「えーと、もっちゃんが『小癪な』って呟いたあたりから」

「かなり初めのところからいたのかよ。それと、あんたまでわたしをもっちゃんと呼ぶんじゃない」

「あ、そうだったね。ごめんね、普段は言わないんだけど、もっちゃんを前にするとなぜか口に出てしまう……って、また言っちゃった」

 そう言って口元に手を当てるさそり。彼女もキキに負けないくらいの天然だが、一応その自覚があるからまだ救いようがある。しかしキキの場合は……。

「仕方ないよ、こっちの方が可愛いし。さっちゃんだって昔から使っているでしょ?」

「それって絶対キキの影響だよぉ。ていうか、さっきはさそりって言ったよね」

「あれ、そうだった?」

 キキは無意識のうちに使い分けているようだが、本人に向かって言う時には『さっちゃん』となるのだ。これを自覚していない辺り、やはりキキは正真正銘の天然だ。

「それにしても、結構資料集めたね……」

 さそりはテーブルの上の状況を見て嘆息をついた。

「全部あさひが用意したものだけどね」

「へえ……やっぱりこういう作業は、あっちゃんに任せれば確実だね」

「これはわたしが自発的にやったの」あさひは頬杖をつきながら言った。「誰かに押しつけられたら絶対にやらないから。友達は例外だけどね」

「相変わらず面倒な性格してるね」

「ほっといて」

 自覚症状はあるけれど、それでも天然は耳に痛い事をずけずけと言うから、たちが悪くて恐い。そしてあさひもさらっと受け流すのだから、よくやる。

 さそりはテーブルの前で、背中に手を回して直立した。彼女も相変わらず、等身大フィギュアみたいにすらりとした痩躯(そうく)で、どこか脆弱な雰囲気を纏っている。少し押しただけで崩れそう、それが初対面の時からわたしが抱いていた印象だ。

「みんなが、お父さんの事で熱心になってくれるのは、本当に嬉しい。わたしも出来ることなら、お父さんに何があったのか知りたいから」

「あまり悲しんでいるようには見えないね……」と、キキ。

「普段から話題に載せることすらないからね。それに、お父さんはわたしが生まれる前に死んだから、会って話した事もない人の事で悲しむって事もないし。大体、お父さんの事はずいぶん以前から聞いていたから、その事自体が悲しいって事は、今はないね」

 さそりの笑顔に、少し影が差したように見えた。

「だけど……時々、お母さんは遺影の前で悲しそうな顔をするの。お父さんが死んだことはもう辛くないけど、お母さんが悲しむところを見るのは、やっぱり辛いかな。それに、周りにいる子たちはみんなお父さんがいるのに、わたしだけいないっていうのが、ちょっと心細くて……まあ、こればかりはどうしようもないけどさ」

 そう、どうする事も出来ない。さそりも、さそりの母親も、もう父親に会うことはできないのだ。その悲しさを、辛さを、虚しさを、癒す方法などありはしない。たとえ父親を殺害した犯人を捕まえたとしても、何一つ変わりはしないのだ。

 つまりさそりは、その苦しみを一生抱え続けていくことになる。さそりを苦しみから解放することは奇跡に等しい。魔法使いでもない限り不可能だ。

「今更どうにかできるとは思ってないけど、それでも、何も知らないまま辛さだけ抱えて生きていくのも嫌だから……みんながわたしのために頑張ってくれるなら、わたしも協力を惜しまないよ」

「……今よりもっと辛くなるだけかもしれないよ?」と、あさひ。

「ううん」さそりはかぶりを振った。「少なくとも、お父さんの事でわだかまりが解けるなら、それだけで救いの一つになると思う。お父さんの事件の真相以外で、わたしが諦めていない事なんてないから……」

 さそりはそう言って、服の上から胸元で拳を握りしめた。

 わたしに、不条理に肉親を亡くした経験はない。そしてその事で、何かを諦めた経験は当然ない。そんなわたしに、さそりの今の心情を読み取ることも、ましてそれを描写することだって、到底できるはずがなかった。

「だから、わたしに出来る事があったら、何でも言ってね!」

 その苦しみを押し込めてでも、さそりは自分にまとわりつくしがらみを取り払おうと、必死になっているのだ。その覚悟を無下にする事など、許されるわけがない。

「さそり」あさひは、自分の隣の席を手で叩いた。「座って」

「う、うん……」

 何を言われるか分からなくて、さそりはどこか不安げに頷いた。さそりがあさひの隣に腰かけると、あさひはさそりの両耳に手を添えた。

「え? あの、あっちゃん……?」

「さそり……」

 あさひはさそりの顔をじっと見つめている。なんか、恋愛ものの漫画や映画で、見た記憶のある光景だ。何をするつもりなのだ……?

 すると、あさひはその状態でさそりの両の頬を押して凹ませた。

「むにゅ?」

「わたし、さそりが生まれる前に父親が亡くなっていたって話、昨日まで知らなかったんだけど。しかもわたし以外の全員が知っていたってどういうことよ。会って話す機会なんていくらでもあったでしょうが」

 それかよ。今ここでそれに関して文句を言うのか。

「えー……そんな機会あったかな。他のみんなが言ってくれると思ったから、あっても多分言わなかったよ。むしろ、あっちゃんが昨日まで知らなかったこと自体、いま知ったくらいだけど」

「何だよ、それ……」あさひはテーブルに顔面から突っ伏した。「さそりまでわたしをのけ者にしていたのかよ。せめてみかんがちゃんと教えてくれたら……」

 駄目だ、これは放置するとドツボにはまってしまうやつだ。この状況でキキやさそりに助け船は期待できないので、わたしがとにかく流れを変えるしかない。

 全く、手のかかる連中ばかりだ。一番手がかかるのは多分わたしだけど。

「まあまあ、誰にも悪気はなかったんだし。ここは事件の話に集中しようよ。で、さっそく質問で悪いけど、さそりはお父さんの事件に関して、何か聞いている事はないの?」

「あ、それだけど……」

 さそりはテーブルの上に散っていたコピー用紙を一枚手に取った。

「これ、週刊文明の記事だよね」

「うん……」

 これはネットで拾ったものだから、出典が明記されているのだ。

「これを見て思い出したんだけど、三か月くらい前に、週刊文明の記者だって人に声をかけられたの」

「三か月前?」あさひは回復した。

「うん、学校帰りに。その人から名刺も渡されて、お父さんの事件のことで訊きたい事があるって言われたの」

「で、どうしたの?」わたしは尋ねた。

「知らない人に声をかけられてもついて行くな、って言われているから、とりあえず適当に聞き流して逃げようと思ったの」

 真面目な子だなぁ。

「でも、質問を一つだけしたら立ち去るからってしつこいから、仕方ないから『一つだけならいいですよ』って言って質問に答えたの」

「どんな質問だったの?」

「『お父さんの事件について、話を蒸し返した人が身近にいなかったか』って……」

 これもまた意味深な内容の質問だ。意図が全く見えない。

「それでわたし、九歳の時に事件の事をお母さんから聞いて以来、誰も話題に上げてなんかいないって答えたの。そうしたら本当に、そのまま立ち去っていったの」

「とりあえず、女の子目当てに記者を装って近づいた不審者ではなかったみたいだね」

 キキはそう言うが、どんなに阿呆な変態でも、記者を装えば不審がられずに接近できるなどとは考えないと思う。

「ただ、立ち去る直前に、『篠原龍一の方は、本当に自己犠牲の塊だな』って呟いていたよ。それがよく分からなくて、ちょっと記憶に残っていたんだけど……」

「ふうん」わたしは呟く。「それもまた意味深だね。自己犠牲か……」

「その人から渡された名刺って、持ってる?」と、あさひ。

「ううん。気味が悪いから破いて捨てた」

「思い切ったなぁ……」

「でも名前は覚えてるよ。確か、幸福の福に沢で福沢(ふくざわ)、下の名前は大きいと書いて(まさる)だったよ」

「福沢大? 待って、確かその名前って……」

 あさひはテーブルの上の用紙を手に取り、まじまじと見始めた。

「ああ、やっぱり。この事件の記事を担当した人だ」

「じゃあ、その福沢って人は本当に週刊文明の記者だったんだ」

「その名刺が本物だったら、ね」

 キキはあくまで慎重に考えを進めているようだ。

「仮にその人物が、本当に週刊文明の福沢さんであれば、さそりへの質問といい、去り際の言葉といい、何か掴んでいる可能性は高いわね」あさひは完全に本調子だ。「キキ、この状況をどう見る?」

 真っ先に問いかけるほど、あさひはキキの頭脳に信を置くようになったらしい。

「うーん……何とも言えないなぁ。というか、全体像が不明瞭な感じ。新聞と雑誌だけだと、例えば容疑者と目されている人の素性までは分からないし」

「その辺は警察に直接聞いてみるしかないだろうな」

 あさひはさらっと言ったが、その手段は即座に思い浮かぶものではない。普通は。昨日までに何が起きたのかを知らない様子のさそりは、明らかに戸惑っていた。

「え、警察に直接って、そんなことできるの? 守秘義務っていうのがあるよね?」

「普通はできない。でもわたし達は、事情を知れば簡単に口を割ってくれる、とってもお人好しな刑事を一人知っているから……ねえ?」

「そうだね」

 キキは満面の笑みで言った。顔には出ないけど、その笑みに黒い側面が垣間(かいま)見えた。

 わたしにも容易に想像できた。誰が我々の調査の犠牲になるのか……。

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