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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第一章 長く長い誘拐の軌跡
20/47

その20 真夜中の激闘

 <20>


 時刻はとうに七時を回っただろうか。確認する手段はなかった。目を開けることさえままならず、時計はもちろん携帯の画面さえ見られない。携帯が使えるなら時報でも時刻を知ることはできるが、そんな余裕さえ残されていなかった。

 作業着姿の五人の男たちは、全員が目の周りを鮮紅に染めて、両手を前方にかざしながら、暗い雑木林の中をさまよっていた。本拠地としていた廃墟のマンションからは、初めに用意しておいたルートから脱出した。結局、計画通りに動けたのはこれだけだ。

 拉致した少女を救出しに来たという女子中学生は、水鉄砲を改造したと思われるペイント銃を使って攻撃してきたのだ。しかもこのペイント弾が、通常のペイントボールゲームで使われるものと大きく違い、防犯用カラーボールに使われる水洗いしても除去できない顔料で、刺激物まで混入されていた。そんなものを目に当てられて、反射的に両手で目元を押さえたせいで銃を手放した。目が開けられない状態では拾う事も出来ず、そもそもどこに何があるのかさえ判別できなかった。

 耳と口は無事だったから、逃げた後の状況も少しは知れた。しかし、少女を人質にしようとした仲間も、幼稚な罠に引っ掛かって警察の手に落ち、その前に水と食料を与えられた少女は救急車で搬送された。本来ならぎりぎりまで生かしておいて、結局処置が間に合わなかったという筋書きを考えていたのだが、この分では助かる可能性が高いだろう。唯一残された証人だ、何を差し置いても消す必要があったというのに……。

 証人は生還し、大金も手にすることは叶わなかった。全ての苦労は水泡に帰したのだ。たった一人の子供の知略によって……どれほど美しい顔立ちでも、悪魔も同然の存在としか考えられなかった。

 男の一人が、密生する草を掻き分けて進みながら、携帯に向かって怒号を浴びせる。とにかくこの森の奥まで進んで朝を待つしかない、それがこの男の言い分だ。脱出したこの五人の中では一番格上だった。

「おい、何なんだよ、これは! 計画は絶対に上手くいくはずじゃなかったのか。金が手に入らなかった上に、拉致したガキも取り返され、俺らも半分はサツに捕まったぞ。おまけにあの野郎も、空港に行ったきり全然連絡が取れねぇじゃねぇか!」

「……現況報告はそれで全てですか」

 電話の相手はひどく落ち着いていた。自分が考案した計画が失敗して、動揺一つ見せないとはどういうことだろうか。男は唇を突きだして言った。

「戻ったらあんたも覚悟を決めておけよ。もうこれで俺らは組織で出る目が無くなったんだ。計画失敗の穴埋めもしっかりけじめつけさせてもらうからな」

「失敗? とんでもない。全て上手くいきましたよ。皆さんもいい働きぶりでした」

 ……相手の発言の意味が分からない。

「皮肉を抜かすだけの余裕をぶっこいていられんのも今のうちだからな」

「ええ、君たちに皮肉を言う機会など、もう今後はないでしょう。君たちは所詮、我々の計画においては捨て駒に過ぎませんからね」

「我々、だと……?」男は眉根を寄せた。

「それにしても、組織とは笑い(ぐさ)ですね。粗暴なだけの人間を寄せ集めただけの集団に、組織と呼びうるだけの統制が取れているとは到底思えない。今後は監獄の中で、自分の在り方を考える事です。皆さんに今後があれば、の話ですが……では」

 それだけ言い残し、電話の相手は通話を終わらせた。

 その後、男が何度かけても繋がらなかった。電話機そのものを破壊されたと知ったのはずいぶん後の事だ。この時は、もうその事を考える余裕などなかったのだ。

 耳に聞こえる騒音が次第に大きくなっていく事に、数分前から気づいていた。しかし、それが警察の機動隊が包囲する音だとは気づけなかった。

 拡声器からハウリングの混じった声が轟く。

「止まれ! お前たちはすでに我々警察に包囲されている! 大人しく投降しろ!」

 五人の男たちは立ち止まり、すくみ上がった。瞼を閉じていても、すでに投光器の強烈な照明が自分たちを照らしだしている事は分かった。だが、それでもどの方向にどれだけの人数がいるのか、どれほどの規模なのか、分からなければ手も足も出なかった。

 不意に気づかされる。防犯用のカラーボールに使われる顔料は、蛍光物質である事が多いと言われている。少女が自分たちに当てたペイント弾も同様だった。少女が最後にキセノンライトの光を当てたのも、後でこの蛍光物質が暗闇の中で光るようにするため。全員が目を潰されていれば、互いの顔面についた顔料が光っている事に気づかれない。そこまで計算して攻撃してきたのだ。そして警察は、その光を頼りに包囲網を敷いたのだ。

 完敗を認めざるを得ない状況だった。少女たちが仕掛けた反撃の手段は、どれも聞けば単純で幼稚なものばかりだが、同時に、巧みに盲点を突いていた。この瞬間を迎えるまで予感さえ抱かなかった。間違いなくあの少女は、大人である自分たちの頭脳をはるかに凌駕していた。

 もっとも、感心する時間さえ与えられなかった。次の瞬間、男たちは機動隊に一斉に取り押さえられた。目を潰された男たちに、為す術はなかった。命運は尽き果てたのだ。


 機動隊の出動はスムーズに行われた。裏山に逃げ込んだ残党が、まだ武器を隠し持っている可能性があったので、確保の際に必要だと判断されたのだ。現に、紀伊が背負い投げで制圧した男は、隠し持っていたナイフでキキを殺そうとしていたから、他の連中も同じである可能性は考える必要があった。

 機動隊に引きずられて山を下りる残党たちの人数を確認して、ふもとにいた木嶋は満足そうに鼻を鳴らした。これで面目が保たれたとでも思っただろうか。付き添いの友永としては、最悪の事態を回避できただけでほっとしたいところであったが。

「これで誘拐犯は全員検挙。星奴署刑事課の評価も上がる事だろう」

「木嶋さん、これはほぼキキちゃん達の手柄では?」

「フン、傷害罪でひっ捕らえるべき所を見逃したんだ、このくらいの手柄は貰って当然だろう」

 どんな理屈だというのだろう。恩に着せているというか、そもそも恩を作ったのは大部分が警察だから、貸し借りでいえばチャラになっている所ではないか。

 キキが使った鉄砲は、水鉄砲を改造してエアソフトガンにしたもので、原理的にはペイントボールマーカーとほぼ変わらない。銃砲刀剣類所持等取締法では、基準値より威力の低いエアソフトガンは規制の対象になっておらず、改造しても基準値を超える威力を出さなければ合法と言える。使われた弾も人体を貫通する強度を有しない、小粒のカプセルをそのまま使ったものなので、これも銃刀法には触れない。木嶋の言うように、これを一般人が人に向けて撃てば傷害罪となるが、この状況では正当防衛と言っても通じるだろう。実際、小粒のカプセルに入る刺激物の量など高が知れていて、相手に重大なダメージを与えるほどのものではなかったため、過剰防衛に当たる可能性は低い。何より、そうしなければ人質を救い出せない状況だったのは明らかだ。

 キキの射撃の腕前や機転の高さも見事だが、ちょっとした武器になるよう改造した人物の腕も見事なものだ。今となっては知りようもないが……。

「君たち、ご苦労さんだったね」

 後方から友永と木嶋に話しかける人がいた。警視庁刑事部捜査第一課、第四強行犯捜査四係の係長、高村警部だ。

「あ、御足労様です」木嶋は瞬時に敬礼。「しかし、本庁の警部殿が臨場なさるとは思いませんでした……何か、気にかかる事でも?」

「いや、ただの様子見だ」

 単純すぎる理由にずっこける木嶋。

「それより、さっき署で、君たちの部下の紀伊くんから色々聞いたよ。被害者の友人である中学生の女の子が、刺激物入りのペイント弾を使って犯人確保の手段を与えたそうじゃないか。これで完全に、我々はその少女に恩を売った事になるな」

「い、いえ、それはそうですが、実際に確保したのは我々警察で……」と、木嶋。

「まあ確かに送検用の書類や報告書に記載できる話ではないが、その少女たちが何もしなければ、犯人たちを検挙するどころか被害者の救出さえままならなかったのは事実だ。そうでなくても、この状況を正確に報告書にしたためるのは厳しいだろうに」

 友永は内心ひやひやしていた。キキがこの場所に目をつけた理由は、犯人が被害者の父親を唆して誘拐の手助けをさせた事に気づいたからだ。そしてその事は、警察関係者であっても明かさないでほしいという約束だった。中学生に媚を売るわけではないが、この程度の約束も守れないと知れればどんな目に遭うか分からないのだ。

 高村はキキが推理した過程に興味を抱くだろうか。友永も詳しい話を聞いているわけではない。自分に尋ねられたら、少なくともこの警部の前では、下手なごまかしは通用しそうにない。

「まあ、我々がここに目をつけた理由など、いくらでもでっち上げられるがね。要は、確保した連中の証言と齟齬(そご)を生じさせなければいいのだ、簡単な話だ」

「警部、まさか事実を捻じ曲げるおつもりでは……?」友永が言う。

「中学生の女の子の活躍で九人もの誘拐犯を一夜で捕まえられたなんて話、検察が採用すると思うか? 裁判でも論点にはならないと思うがね」

「はあ……まあ、そう、ですね」

「もっとも、事実を捻じ曲げるつもりはない。書類に書かないというだけの話だ。それにしても、結果論で言えばその少女たちの活躍は否定できんが、君たちもよく中学生の話に耳を貸して、機動隊まで出動させようと判断したものだね」

「それはまあ、中学生が相手でも一定の聞く価値はあるものと……」

「刑事課長が判断して鶴の一声です」友永は木嶋のセリフを遮った。「残念ながら、他の人達は僕と紀伊くん以外聞く耳を持ちませんでした」

「おい……」

 事実を捻じ曲げるつもりがないと言った高村警部の前で、堂々と事実を捻じ曲げて自分の評価を高めようとする木嶋を、友永はさすがに牽制(けんせい)すべきと判断したのだ。

「知っているよ。私はしばらく席を外していたから、後で紀伊くんから聞いた」

「あ、ご存じだったのですね……」やはりごまかしようがなかったか。

「星奴署の刑事課長というと、大倉(おおくら)くんだな。彼とは同期だが、昔と比べて随分と動きが早いように思えたよ。いつもこんな感じなら、星奴署も安泰だろうに」

「警部殿、先ほどから我々星奴署の人間を貶しているような発言が目立ちますが……」

 木嶋が苦言を呈したが、高村警部は飄然としていた。

「まあ、どちらにしても、被害者の友人たちには感謝しなければならんな。中学生が相手では、警察署長からの感謝状が限界かもしれんが……」

「我々としては本当に大助かりでしたよ。あの子たちがいなければ、この事件を解決することはできませんでしたからね」

 情けない事を言うなよ、という木嶋のぼやきが聞こえそうだ。

 高村警部は聞き取れないほどの声で呟いた。

「ふっ……あの男の血を引いた娘なら、そのくらいやってのけるだろうさ」

「え?」友永は微かに聞き取れた。「今、なんと?」

「気にしなくていい。あと、これも予感に過ぎないのだがね……」

 高村警部は踵を返し、悠然とした足取りで離れていく。

「そのうちまた、あの少女が星奴署の調査に関わってくるかもしれん」

「あの少女……?」

「一度会ってみたいものだよ。あのキキという少女に」

 それだけ言い残し、初老の警部は去って行った。

 誘拐事件は確かに終わったはずなのだ。けれども、これこそが全ての始まりに過ぎないと、そんな予感を抱いている人がいないわけでもない。

 どちらが正しいのだろう。考えることに意味があるとは思えなかった。

 やがて訪れる嵐の瞬間を告げるように、夜の街は次第に静けさを取り戻しつつあった。

以上で前編は終わりとなります。

作品を完成させたのち、後編にあたる第二章を投稿します。

いつのことになるかは……分かりません。

さらに本格度を増した謎解きになる予定なので、お楽しみに。では。

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